♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■本末転倒 / 板倉邦雄

2023年07月29日 | Weblog

2023/5/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「本末転倒」という題でお話ししましょう。

 本末転倒とは、物事本来の順序や重要度を全く逆に取り違えることです。木の幹よりも木の枝葉の方を大事にするということでしょうか。ヨハネの福音書5章の9節後半から13節です。

 さて、「その日は安息日であった」と9節にあります。「その日」とは、イエス様がベテスダの池で38年間、病気で悩んでいる人を癒やした日でした。その日は安息日だったのです。安息日はユダヤ人にとっては特別な日でした。モーセの十戒の4番目の命令です。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。しかし七日目は主の安息日であるから、何のわざもしてはならない。」(出エジプト記20章8-10節 口語訳参照)

 この「何のわざもしてはならない」の中に、「安息日に商売用の荷物を運んではならない」という規定が聖書の中に出て参ります。おそらくそのような規定を元にして、ユダヤ人の宗教指導者たちは癒やされた人に言いました。「君、今日は安息日だ。床を取り上げるのは、よろしくない。」 今まで寝ていた寝床を治ったからといって運ぶのは、モーセの律法に違反することだから今日するのはやめなさい、と言っているのです。

 すると癒やされた人は答えました。「私を癒やしてくださった方が『床を取り上げて歩け』と私に言われました。」

 ユダヤ人たちは尋ねました。「取り上げて歩けと言った人は、誰なのか?」 

 しかし、その癒やされた人はその人が誰であるかを知りませんでした。

 さて、私たちがこの社会で法律や規則を守ることは大切なことです。しかし、法律や規則は私たち人間のためにあるのです。ところが、イエス様の時代、安息日の律法や規則の方が人々の営みよりも上にありました。そうした本末転倒した人々の考えや生き方を立て直すためにも主イエス様は神様から遣わされてこの世に来られたのです。

 イエス様はこう言われました。
  「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。ですから、人の子は安息日にも主です。」
   マルコの福音書2章27、28節


 ( PBA制作「世の光」 2023.13放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■起きて、歩きなさい / 板倉邦雄

2023年07月28日 | Weblog

2023/5/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「起きて、歩きなさい」という題でお話ししましょう。

 朝起きて、布団を畳んで、歩き出して一日を始めることは普通の人には当たり前のことです。しかし病気の人には無理です。イエス様がこの世に来られた目的の一つは、自分で起きて、ひとり歩きできない人を癒やすためです。ヨハネの福音書5章5節から9節です。

 さて、エルサレムの都の「羊の門」のそばにあったベテスダの池には、5つの回廊すなわち屋根付きの廊下のような通路を兼ねた場所がありました。そこに38年の間、病気に悩み苦しんでいる人が横たわっていたのです。

 38年の長さは全く癒しの望みがないことを物語っていますね。イエス様は、多くの病人たちがベテスダの池の廊下に横たわっている中で、この38年の間病気で悩んでいる人に目を留められたのです。そしてその人に言われました。「治りたいですか?」  もちろんでしょう。治りたいために38年彼はこのベテスダの池の廊下にいました。水が動いた時、真っ先に水に入れば癒やされたからです。飛び込みたいと思ってもできませんでした。治りたい一心でした。その心をイエス様は確認したかったのでしょう。

 イエス様の質問に38年間病気の人は答えました。「主よ、水が動く時、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです。」 
 彼は38年の病床において自分の限界を知り、また人の自己中心性を知り尽くしていたのです。それにしても彼の忍耐強さは辛抱のない私たちを励ましてくれます。

 イエス様は彼に言われました。「起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい。」 
 すると、その人はすぐに癒やされ、床を取り上げて歩いて行ったのです。

 イエス様は言いました。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
 イエス様は罪人である私たちを病人のように見てくださいました。そして、自分で立ち自分の寝床すら運べず、自分の足でひとり立ちできない、病人のような私たちを丈夫な人としてくださったのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.5.12放送でのお話しより )


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■ベテスダの池 / 板倉邦雄

2023年07月27日 | Weblog

2023/511放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は不思議な癒やしの力を持った一つの池の話をしましょう。その池の名はベテスダと呼ばれていました。ヨハネの福音書5章に入ります。今日は1節から4節までです。

 さてイエス様はガリラヤ滞在の後、ユダヤ人の祭りがありましたのでエルサレムの都に上られました。ユダヤ三大祭りの一つです。この祭りにも国内外からたくさんの巡礼者たちがエルサレムの都にある神殿に集まってきていました。ですからイエス様は神の国の教えを多くの人々に宣べ伝えたかったのです。また、神の国の祝福を人々に表したかったのです。

 ところでエルサレムの都には「羊の門」があり、その門は神殿で生け贄となる動物である羊が通る門でした。この門を通るとすぐそばに羊市場があり、羊に水を飲ませるベテスダの池があったようです。そこには5つの回廊、すなわち屋根付きの廊下がありました。また、神殿に礼拝に行く人々が頻繁に出入りする場所として有名な池でした。

 そしてその5つの屋根付きの廊下には、おびただしい数の病人がいたのです。目の見えない人、足の不自由な人、やせ衰えた人たちでした。彼らは5つの廊下で、ある者は座り、ある者は体を横たえていたのです。

 二つの目的が考えられます。一つは、たくさんの巡礼者たちが祭に来ていますので、おそらく施しを乞うためだったのでしょうか。もう一つは3節と4節に書いてある通りです。こう書いてあります。
  「彼らは池の水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使いがこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、癒やされたからである。」

 昔も今も主なる神様はことばを通し、また御使いを通して私たちを癒やしてくださるということです。病気を癒やしてくださるのは主なる神様です。「わたしは主であって、あなたを癒やす者である。」と父なる神様は、聖書の中に約束されました。そして私たちにご自分に対する信仰と従順を求められるのです。

 聖書のことばです。
 「御使いはみな奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために、遣わされているのではありませんか。」                      
        ヘブル人への手紙1章14節


 ( PBA制作「世の光」 2023.5.11放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■イエスの言(ことば)を信じる幸い / 板倉邦雄

2023年07月26日 | Weblog

2023/5/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は初めに、使徒の働き16章31節を朗読します。
  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 さて、ヨハネの福音書4章51節から54節のお話です。イエス様のことばを信じる人の幸いです。

 昨日のお話、覚えておられるでしょうか? ガリラヤ湖畔のカペナウムに住んでいた王室の役人が、重病の息子を直してもらおうと、およそ30km離れたカナにいたイエス様のところにやってきて、自分に言われたイエス様のことばを信じて家に帰るまでのお話でしたね。

 さて今日はその続きです。カペナウムの役人が急いで家へ帰る途中でした。ばったりと自分を迎えに来た使用人たちに出会ったのです。「ご主人様、喜んでください。息子さんが元気になりました! そのことを知らせに私たちは参りました。」 
 すると主人は使用人たちに、「それで、病気が治り始めた時刻は何時頃だったのか?」と尋ねたのです。
 「ご主人様、たしか昨日の一時ごろだったと思います。息子様の高熱が引いていきました。」
 その時刻は、イエス様が「お帰りなさい。あなたの息子は治り、助かるのだ。」と言われた時刻だったのです。

 主イエス様のことばは時を超え、場所を超え、空間を突き抜けて癒やしの力があるのです。ですから私たちはイエス・キリストの御名を通して、自分の為にも人々のためにも祈るのです。

 カペナウムに帰った父親は、元気になった息子を抱きしめたことでしょう。そして妻と子どもに、イエス様に会って願った経緯を興奮しながら話ました。「父さんがね、カナの町まで行ってイエス様に会って、『息子が高熱で苦しんでいるので、死なないうちに来てください』とお願いしたら、『お帰り。あなたの息子は治り、助かるのだ』と仰ってくださった。イエス様のおことばを信じて帰途に着いたんだ。そうしたら途中で使用人たちが飛んできて、『息子様が元気になった』と知らせてくれたんだよ。その息子の熱が引き始めたのが、なんとイエス様が『あなたの息子は治り、助かるのだ』と言われた時刻だったんだ。」 それを聞いた妻と子どもたちはイエス様を信じたのです。

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
               使徒の働き16章31節


 ( PBA制作「世の光」 2023.5.10放送でのお話しより )


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■言(ことば)を信じて帰る / 板倉邦雄

2023年07月25日 | Weblog

2023/5/9放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「言(ことば)を信じて帰る」という題でお話しましょう。

 私たちは毎日のように人のことばを信じて行動していますね? ですから、悪い人はことばを利用して人を騙したりするのです。今日はイエス様のことばを信じて自分の家へ帰っていった父親のお話をしましょう。ヨハネの福音書4章46節から50節です。

 さて、イエス様の一行は再びガリラヤのカナに行かれました。カナは、かつてイエス様が結婚式で水をぶどう酒に変えてくださって、結婚のパーティーを盛り上げてくださったところです。そのカナから約30km離れたガリラヤ湖畔のカペナウムに、重い病気にかかった息子を持つ王室の役人がいました。役人は、イエス様の一行がガリラヤのカナの町に来ているという情報を聞いたのです。

 すると、役人自らカペナウムからカナまでやってきてイエス様にお願いしました。
 「先生、私と一緒にカペナウムまで下ってきていただきたいのです。死にかかっている私の息子を治していただけないでしょうか。」

 すると、イエス様は役人に言いました。
 「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう。」

 確かに私たちは見えない神様や神様のことばをただ信じ受け入れることは難しいのです。目の前で水戸黄門のように印籠をかざし、権威あるしるしや奇跡的なことが起こらないと信じることができないようです。

 イエス様のことばを聞いた役人はイエス様に再びお願いしました。
 「主よ、どうか子どもが死なないうちに来てくださって、子どもを癒やしてください。」

 イエス様は即答します。
 「お帰りなさい。あなたの息子は治り、助かるのだ。」

 すると役人は自分に言われたイエス様のことばを信じて帰って行きました。

 「主よ」とは、「キュリオス」ということばで、当時のローマ皇帝を指すことばでした。役人はイエス様をローマ皇帝のような力ある神様と信頼したのです。イエス様はこの役人の信仰に応えました。役人はイエス様のことばを信じて帰って行ったのです。

 私たちは人のことばを信じて日々生活しています。ですから父なる神様のことばも信じて行動し、生きてゆきたいのです。私たちはパンだけで生きるものではなく、神のことばによって生きるものだからです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.5.9放送でのお話しより )


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■故郷で / 板倉邦雄

2023年07月24日 | Weblog

2023/5/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「故郷で」という題でお話いたしましょう。ヨハネの福音書4章43節から45節まで、自分の故郷(ふるさと)へ帰ったイエス様に対する故郷の人々の態度を見てみましょう。

 さて、サマリアのスカルの町で二日間の道草を食いましたイエス様の一行は、故郷のガリラヤへ行かれました。ところが、サマリアの町での大歓迎とは裏腹で、故郷の人々はイエス様と弟子たちに対して冷たい態度だったのです。その時、イエス様は自分からはっきりと言われました。「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」

 なぜ歓迎されなかったのでしょうか。それはまず、故郷の人々はイエス様のことは小さい子どもの頃から知っていたからです。大工の長男で生まれ、兄弟姉妹がいることも知られていました。その大工の倅(せがれ)が突然、どこの馬の骨か知らない男たちを従えて故郷へ帰って来たからでしょう。そして、「神の国は近づいた。悔い改めて、神の国の福音を信じなさい。」などと言い出したものですから、生まれや育ちを知っている人にとって、イエス様を尊敬し信頼することは難しかったということでしょう。

 ですから、宗教の教祖たちは自分の出身を隠すのです。しかし一方、イエス様と一緒にエルサレムの都に過ぎ越しの祭りに行ったガリラヤの人々はイエス様と弟子たちを大歓迎したと書かれています。それはイエス様が祭りの間なされた行動と働きをことごとく見ていたからです。

 覚えていらっしゃいますか? エルサレムの神殿でイエス様は神礼拝の家が商売の家となっているのを見て激昂し、鞭を作り、犠牲の動物を売り買いする人と動物たちを神殿から追い出しました。両替人の台をひっくり返し、金が散らばりました。それを見たガリラヤの人々の胸はすっきりしたのではないでしょうか。

 さて、今日でも私に対し、故郷で二つの反応が起こりました。一つは、「職人の息子のあの板倉がキリスト教の牧師かよ。信じられねぇよ。」という反応と、もう一つは「あの板倉がキリスト様を信じたのか。興味あるな!」という反応です。私が中学生の同窓会で経験していることです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.5.8放送でのお話しより )


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■良きサマリア人 / 関根弘興

2023年07月22日 | Weblog

2023/5/6放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日は、イエス・キリストがルカの福音書10章で話された「良きサマリア人」のたとえ話からお互いの人生を考えていきましょう。

 ある人がエルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われ、半殺しにされ、倒れていました。すると神殿で仕える祭司やレビ人が倒れている人の前を通るのですが、近寄ろうともせず反対側を通り過ぎていってしまいました。

 祭司もレビ人もずいぶん冷たいと思いますね。瀕死の重体で倒れている人を見たら助けたいと思うのが普通です。でも、祭司もレビ人も助けたいという思いはあったかもしれません。しかしあえて反対側を通り過ぎていってしまいました。

 それにはユダヤ社会の特有の理由があったのです。旧約聖書の律法では、死体に触れると宗教的に汚(けが)れた者となるので、しばらくの間、神殿での奉仕はできないことになってしまいます。彼らは神様に仕える仕事をすることに熱心でした。神殿でいけにえをささげ、祈り、聖書を教え、身を汚さないように細心の注意を払って生活をしていました。けれども、実際には神様が一番願っておられることは、「隣人を愛すること」を実践するということ。これが抜けて落ちてしまっていたのです。

 さて、次にサマリア人が通りかかりました。彼は倒れている人を見てかわいそうに思い、近寄って傷の手当てをし、宿屋に連れて行って介抱しました。

 当時ユダヤ人とサマリア人は長い歴史的な経緯のなかで犬猿の中でした。イエス様は、「だれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」と律法の専門家に尋ねました。すると律法の専門家は、「その人にあわれみをかけてやった人です。」と答えたのです。

 一体、このサマリア人の姿は、何を表しているのでしょうか。実はこのサマリア人はイエス・キリストご自身を表していると言っても良いのです。そして瀕死の重傷を負って道端に倒れているのは、私たち一人一人の姿を表していると言っても良いのです。傷だらけで、自分では何もできず、苦しみの中で死を待つしかない。しかしそのような私たちを見て、イエス様はかわいそうに思い、ご自分のほうから近づいてきてくださるお方です。

 イエス・キリストこそ隣人(となりびと)を愛されるまことのお方です。イエス様の愛は民族の垣根を越え、ことばの壁を越え、国の壁を越えて、あらゆる人々に向かって広がっています。そしてその愛はあなたのもとにも届いています。


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■あなたはどう読むのか? / 関根弘興

2023年07月21日 | Weblog

2023/5/5放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日は、イエス・キリストがルカの福音書10章で、「強盗に襲われた旅人を助けた良きサマリア人」のたとえを話されました。今日はこのたとえ話が語られたまず経緯を見ていきましょう。

 あるとき、律法の専門家がイエス・キリストのところに来ました。律法とは聖書に書かれている神様の戒めのことです。彼らは聖書のことを大変よく知っていました。この専門家がイエス様に、「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」と質問してきたのです。

 それに対してイエス様は、「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と言われました。

 すると彼は、「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』と聖書には書かれています。」 こう答えました。

 さすがに律法の専門家ですね。この人は完璧な模範解答をしたわけです。

 旧約聖書のレビ記18章5節には、「あなたがたは、わたしの掟とわたしの定めを守りなさい。人がそれらを行うなら、それらによって生きる。」と書かれています。この人は「自分は戒めをちゃんと守っているから聖書に書かれている永遠のいのちを受けることができる。」と自信があったようでした。

 イエス様はこの人に、「そのとおりです。神様の戒めを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と言われました。

 すると再び律法の専門家は質問しました。「私の隣人とは、いったいだれのことですか」と。

 そこでイエス様はサマリア人のたとえを話された訳です。

 この律法の専門家は、「神を愛し、隣人を自分自身のように愛せよ」という戒めが律法の中心であるということを聖書からきちんと読んでいました。しかし、「隣人」(りんじん・となりびと)とは一体誰かということについて聖書から理解していませんでした。律法の専門家は「隣人」とは、同胞のユダヤ人のことであって、異邦人やサマリア人たちは隣人ではないと考えていたからです。

 聖書が全体を通して教えていることは、人は神様の戒めを完全に守ることのできない弱い存在だということです。どんなに努力をしても、戒めを完全に守り自分を救うがことができないのだ、と教えているのです。だからこそ救い主キリストが必要なんですね。

 この律法の専門家は聖書をよく読んでいましたが、聖書を理解していませんでした。そのことを気づかせるために、イエス様は良きサマリア人のたとえを話されたのです。


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■叱責されたしもべの特徴 / 関根弘興

2023年07月20日 | Weblog

2023/5/4放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今週は、イエス・キリストがお話されたたとえ話から、お互いの人生を考えています。

 イエス様は、主人がしもべたちに5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出かけたという話をしました。タラントとは当時の貨幣のことです。5タラントと2タラントを預かったしもべは忠実にそのタラントを用いていきました。しかし、1タラントを預かったしもべはそれを地面に埋めてそのままにしておきました。すると主人は、「悪いなまけ者のしもべだ。」と厳しく叱責したのです。

 彼は、なぜ叱責されたのでしょう。彼は1タラントを預かったのにそれを生かそうともせず、ただ地中に埋めて隠しておきました。そしてこう言ったのです。「ご主人さま。あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。 私はこわくなり、出て行って、あなたの1タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。」

 このしもべは、主人が横暴でひどい方なので地の中に隠しておいた、と言ったのです。もし失敗して少しでもお金を減らしたらどんなむごい仕打ちをうけるかわからない、と恐れていたというのですね。

 実はこの姿は、暗に当時のユダヤの宗教指導者たちの姿を示しているのです。彼らは、神様は厳しく恐い方で、戒めを守ることができなければ神様の怒りにあうぞ、と教えていました。せっかく神様から預けられたものなのに手をつけず、ただ自分が神様の罰を受けないように宗教的な戒めを一つでも破ることがないようにということばかりに気を取られて、自分のためにだけに生きていたのです。しかしイエス様はその姿を厳しく戒められました。

 どうでしょう。あなたも同じように神様をそのように見ていることがありませんか? 「神様はひどい方だ」 「ちっとも私に良いことをしてくれない」 「蒔かないところから刈り取れと言わんばかりのひどい要求をする神様だ」 と。

 でも、神様は本当に蒔かないところから刈り取るようなひどい方でしょうか? 違います。
 ヨハネの福音書3章16節には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 このように書かれています。

 神様は、ご自分のひとり子なるイエス様さえ、私たちのために惜しまずに与えてくださる方です。神様から与えられたタラントを、あなたの存在そのものを、大切にしながら歩んでいきましょう。


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■タラントを生かそう / 関根弘興

2023年07月19日 | Weblog

2023/5/3放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日はイエス・キリストがマタイの福音書25章で話されたたとえ話。どんなたとえ話かというと、主人がしもべたちにそれぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出かけたという話です。タラントとは当時の貨幣のことです。

 さて、長い旅から帰ってきた主人は、しもべたちと清算をすることになりました。5タラントと2タラントを預かったしもべたちは、それで商売をして倍に増やしていました。すると主人は、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言ってほめました。

 しかし、1タラント預かったしもべはそれを地面に埋めてそのままにしていました。すると主人は、「悪い怠け者のしもべだ。」と厳しく叱責し、その1タラントを取り上げて、5タラントを2倍に増やしたしもべに与えてしまったというのです。

 このたとえ話に登場する主人とは、イエス・キリストご自身のことです。そして、タラントを預けられたしもべたちとは、今の時代を生きる私たちのことと考えても良いのです。

 このたとえ話は一体何を教えているのでしょうか。それは、私たちが主人から預かっているものをどのように生かしていくかということが大切なのですよ、ということです。私たちは神様からたくさんのものを預かっています。一人一人は経験してきたことや境遇もみな違いますね。でも、それぞれに違う性格や能力を持っています。そうした神様から預かったいろいろなものを、このたとえではタラントにたとえたわけです。

 主人はしもべたちに最も少ない金額でも1タラントを預けた、と書いてあります。1タラントというのは6000日分の給料に相当する金額です。大きな額ですよねえ。つまり神様が私たちに預けてくださるものは、どの人であっても決して少なすぎることはないんですよということです。

 私たちは時々、自分はあの人ように素晴らしいことができないから必要ないとか、能力も才能もないと言って自己卑下してしまうことがあります。私たちは、自分が何も持っていないように思えるときがあります。しかし神様は、一人一人に人と比べることのできない大切なタラントを預けてくださっていると仰っているんです。

 そしてぜひ知ってください。私たちの存在そのものが神様に与えられた比べることのできないかけがえのないタラントそのものなのです。時には失敗したりつまずいたり涙を流すこともあるでしょう。でも誠実に生きていくとき、神様は「良い忠実なしもべだ。」と喜んでくださるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.5.3放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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