2015/3/31放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週はキリスト教会で受難週と呼ばれる週を過ごしています。この一週間はイエス・キリスの十字架を思い起こし、十字架が自分のための十字架であったことを深く受けとめる時を過ごすのです。
マタイの福音書では十字架につけられたあとのイエス様のことが描かれています。12時から3時まで続いた三時間の闇と共に、イエス様は沈黙を続けられていました。しかし突如、イエス様の大声が十字架の上から響き渡ります。「 エリ、エリ、レマ、サバクタニ。 」 (「 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 」) (マタイ 27章46 節、マルコ15章34節)
なぜイエス様はこのようなことばを十字架から語られたのでしょうか。このことばをじっと見ていると一つのことに気が付きます。それは主の祈りでもイエス様はずっと神様のことを「わが父」と呼びかけて来られたのに、ここでは「わが神」と言われているということです。ここにこの十字架のことばを理解する鍵があります。それは、「わが父」と呼ぶことのできるイエス様が神の子の立場を捨て、「父よ」と呼ぶことのできない私たちの罪人の場所に立ってこのことばを叫んでおられる、ということです。
神様は現在もこの世界に満ちている悪と人間の罪を黙って見過ごしておられる訳ではありません。私たちの罪は神の前で裁かれる時が必ずあるのです。その終わりの日、世界と私たちは自分の犯してきた罪の裁きを受けるのです。その時、本当ならば自分の犯してきた余りにも深い罪のゆえに、また神様のきよい本質からするならば決して神に受け入れられることができない罪のために、私たちは神に見捨てられてしまうということを避けることはできません。その時こそ私たちは、「 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 」と叫ばずにはおれなくなるのです。彼に受け入れられる唯一の神の子であるイエス様が十字架の上で、「 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 」と叫ばれたということは、罪の裁きを受けるはずだった私の身代わりに罪の裁きを受け、この叫びを既にイエス様が身代わりに叫んでくださったのです。まさに十字架は私の罪のための十字架なのであって、あなたのための十字架なのです。このキリストの十字架を覚えて、この一週間を過ごしたいと思います。
( PBA制作「世の光」2015.3.31放送でのお話しより )
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週はキリスト教会で受難週と呼ばれる週を過ごしています。この一週間はイエス・キリスの十字架を思い起こし、十字架が自分のための十字架であったことを深く受けとめる時を過ごすのです。
マタイの福音書では十字架につけられたあとのイエス様のことが描かれています。12時から3時まで続いた三時間の闇と共に、イエス様は沈黙を続けられていました。しかし突如、イエス様の大声が十字架の上から響き渡ります。「 エリ、エリ、レマ、サバクタニ。 」 (「 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 」) (マタイ 27章46 節、マルコ15章34節)
なぜイエス様はこのようなことばを十字架から語られたのでしょうか。このことばをじっと見ていると一つのことに気が付きます。それは主の祈りでもイエス様はずっと神様のことを「わが父」と呼びかけて来られたのに、ここでは「わが神」と言われているということです。ここにこの十字架のことばを理解する鍵があります。それは、「わが父」と呼ぶことのできるイエス様が神の子の立場を捨て、「父よ」と呼ぶことのできない私たちの罪人の場所に立ってこのことばを叫んでおられる、ということです。
神様は現在もこの世界に満ちている悪と人間の罪を黙って見過ごしておられる訳ではありません。私たちの罪は神の前で裁かれる時が必ずあるのです。その終わりの日、世界と私たちは自分の犯してきた罪の裁きを受けるのです。その時、本当ならば自分の犯してきた余りにも深い罪のゆえに、また神様のきよい本質からするならば決して神に受け入れられることができない罪のために、私たちは神に見捨てられてしまうということを避けることはできません。その時こそ私たちは、「 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 」と叫ばずにはおれなくなるのです。彼に受け入れられる唯一の神の子であるイエス様が十字架の上で、「 わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 」と叫ばれたということは、罪の裁きを受けるはずだった私の身代わりに罪の裁きを受け、この叫びを既にイエス様が身代わりに叫んでくださったのです。まさに十字架は私の罪のための十字架なのであって、あなたのための十字架なのです。このキリストの十字架を覚えて、この一週間を過ごしたいと思います。
( PBA制作「世の光」2015.3.31放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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