♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■福音の四季 : 小羊の血 

2007年10月31日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光はまずお便りの紹介からです。埼玉県川越市のグループホームの福音の園川越のホーム長・杉沢様が、多くの人の最後を看取られる中で強く感じておられることを記してくださいました。

 人は、楽に死にたい、人に迷惑をかけずに死にたい、ぽっくり死にたい、との思いを持つ。この思いの背後に死にざまの善し悪しのランクづけをしている我々がいる。苦しむ死はよくない。ああはなりたくない。安らかな死こそ良い死だと。・・・決してそうではない。一人の尊い人間が生涯の戦いを終えて世を去ろうとしている。死にざまがどうであれ、その人としての価値が変わることはないのだ。

 厳しい死の現実に、常にお一人お一人を大切にケアしておられる御様子に感服いたします。

 さて、今日は宗教改革記念日です。往生際はどうであれ、究極の死、勝利の死について考えてみましょう。黙示録12章11節をお読みします。

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

 御子の十字架の血潮なしに勝利はないのですね。勝利者となる第二は、あかしのことばによるのです。そして第三の秘訣は、死に至るまでいのちを惜しまぬ信仰です。

 聖書は申します。 「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」 コリント人への手紙第二 5章の15節のことばです。

 私は今朝も、私の幸いはあなたの他にはありませんと告白していのちがけでありたいと、主に倣うものとして思っております。

 聖書のことば

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」 新約聖書 黙示録12章11節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2007.10.31放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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■祭り上げられることなく

2007年10月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 新約聖書使徒の働きの中にパウロとバルナバという人がルステラという町にいた時のことが記されています。一人の足の不自由な男が癒されたんですねえ。するとそれを見た群衆が騒ぎ出しました。人々は叫び始めたんです。「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった! バルナバという男はゼウス(神)に違いない。パウロはヘルメス(神)だ。この方たちにいけにえを捧げよう。」(使徒の働き14章11節〜13節参照) いやはやパウロもバルナバも神様として祭り上げられそうになってしまったんです。

 実はこのルステラという町はこんな伝説がありました。昔、ゼウス(神)とヘルメス(神)がお忍びでこの地方を訪れました。それとは知らずに町の人々はみんなこの神々に無頓着で、誰一人丁寧なもてなしをしなかったんです。そんな時、農夫の老夫婦が手厚く彼らをもてなしたのです。そしてこの老夫婦だけがたくさんの報いを受けたのでした。おしまい! ま、こんな話しがあったんですねえ。ですから今度はこの二人(の神々)が来た時は粗相があってはならないということで、ルステラの人々は余計に、パウロとバルナバがもしかすると神々かもしれない、と熱烈に祭り上げようとしたのかもしれませんねえ。

 まあいつの時代も、人間の愚かさは人を神様に祭り上げてしまうということです。しばらく前にこの番組でもお話しをしましたが、ヘロデ王が演説をした時のこと。群衆は、「これは神の声だ。人の声ではない。」(使徒の働き 12章22節参照)と叫び始めました。人はすぐに神になろうとしたがるくせがあるし、神に仕立てようとするくせもあるんですね。

 しかしパウロはどうしたでしょう。自分を神々の一人に祭り上げられることは空しいことだと言いました。(使徒の働き14章15節以下を参照)

 人間は神様に祭り上げられたら気持ちがいいのかもしれません。自分がいつも中心になれますからね。でもパウロたちはどうでしょう。彼らの願いは、自分が脚光を浴び称讃され祭り上げられる生き方ではなく、すべての人に恵みを与える天と地を造られた神様が人々にあがめられほめたたえられることを喜んでいったんです。

 もしあなたが映画館に行った時、映画のスクリーン自体がよごれ、落書きがされていたらどうでしょう。どんな感動的な映画がそこに映されていても台無しですよね。パウロたちは自分たちの生涯を通してイエス・キリストを紹介し、イエス・キリストを映し出していくそんな人生でありたいと、ただ願っていたのです。

 あなたの心のスクリーンはどうですか? イエス・キリストはあなたの心の罪を赦し、きよめ、真っ白にしてくださるお方なんです。イエス様の素晴らしさを映すスクリーンでありたいとは思いませんか?

 ( PBA制作「世の光」2007.10.30放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
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東海福音放送協力会への問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■リラックス!

2007年10月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。
 
 えー、私がアメリカに行きました時にですね、あのー、教会でお話しをさせていただきますねえ、そしてお話しが終わりまして皆さんとまあ握手してお別れするという習慣ですね。説教が終わりましたら皆さんが並んでそして握手して帰っていかれる。その時に、「今日のお話し、とてもエンジョイしました。」って、「エンジョイしました」っていうことを沢山の方がおっしゃるんですね。

 で、何かこうエンジョイって言うと、いやあこちらはエンターテイナーじゃないんだけどなあって思ったりしたんですけれども、でも何か向こうは何かにつけてエンジョイする、楽しむ。日本ですと「今日は大変教えられました。」とか、「為になるお話しを・・・」とか言ってですね、おっしゃる方が多いんですけど、(向こうでは)エンジョイ。で、仕事に行っても、ま、レストランでいただく時にもですね、あのうウエイトレスやそうした方々が「エンジョイ!」ってこう、「(どうぞ)楽しんで!」っていうふうにして必ず言われるんですね。で、ヨーロッパの方に行ってもやっぱり必ず(料理を)運んできて、そして「エンジョイ!」ってこう言われるんですね。

 で、エンジョイっていうのは、ジョイって「喜び」。インというのが「入って」、その「喜びに入る」という自らやっぱりこう喜ぼうという、喜んでくださいという、そういうふうなことだろうと思うんですねえ。

 よくジョギングしたりしている人たち、日本でもそうですけども、そうすると「がんばってえ!」とかいうふうに声をかけるのが多いですねえ。でもアメリカの場合なんかですと、「エンジョイ!」っていうふうに言う。そしてまたは「リラックス!」っていうふうな言い方をすることが多いんですね。で、「がんばって、歯を食いしばって、でジョギングとか又はウォーキング」とかいうのではなくって、「リラックスして!」って言う、「楽しんで!」っていうふうなね。何かそういうふうなこのことばだけのことではなくって、私たちのこの生活感というのか考え方というのか心の持ち方というのかね、そういうことの違いというのはあるような気がするんですけれども。

 私たちは確かにがんばらなきゃならないことって一杯あると思うんですけれども、自分で頑張ってどうにもならないというその限界もありますし、できればリラックスしてエンジョイして生きることができたら素晴らしいかなあというふうに思うんですねえ。

 イエス様がよみがえられて、弟子たちに一番最初に語られたことぱは、あの「平安があるように」(ヨハネの福音書 20章19節参照)。別な言い方をすると、「リラックスして!」というふうにおっしゃっておられるかなあっていうふうな思いがする訳ですけど、そんな甘っちょろい生活ではないことであっても、でも神様に委ねてエンジョイすることができたら幸いだなと思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2007.10.29放送でのお話しより)

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■神は、実に、・・・世を愛された。

2007年10月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、皆様からお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。愛知県名古屋市にお住まいの大西さんはヨハネの福音書3章16節をお寄せくださいました。お読みしましょう。

 「神は、実に、そのひとり子 ---イエス・キリスト--- をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

   私が初めて教会を訪れたのは十九か二十歳の時でした。でも残念ながらその時には確かな信仰を持つには至りませんでしたが、真剣に神様を知りたいと思ったのは結婚が決まってからでした。そして結婚生活が始まりますと、ことあるごとに私は自分自身のきたなさ、愛のなさ、心の狭さ、自己中心的な傲慢さ、思い遣りや優しさのなさ等、次々と見せつけられたのです。そんな自分に絶望し、苦しみ、たまらなく辛く、一度死んで生まれ変われるものならと心から思いました。こんなに生きることが苦しいと思ったことは生まれて始めてでした。でも今振り返るとそれは神様が与えてくださった試練でした。私はその苦しみを知った事で、単なる知識としてのイエス様の十字架ではなく、数々の罪を犯してきた大西○○の代わりにイエス様が十字架にかかって血を流して死んでくださったということが事実なのだということがはっきり分かったのです。相変わらず罪深い自分に悩むことが多いのですが、『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』(ヘブル人への手紙 13章5節)と聖書にあるように、イエス様がいつも私と共にいてくださるという確かな支えがあるので、与えられたかけがえのない毎日を大切に生きていきたいと思います。

 大西さんの心に残る聖書のことば
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」新約聖書 ヨハネの福音書3章16節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.10.27放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

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  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
(自由ケ丘キリスト教会内)

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■心を喜ばすもの

2007年10月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、生きる喜び・楽しみを見い出す知恵についてお話しします。これは簡単なようでなかなか難しいことではあるんですよね。なぜなら、私たちの生活の中には、どうしても大変なことや苦しいことのほうが多いっていうのが普通ではないでしょうか。そしてそちらの方にむしろ共感を覚えてしまいます。ですから普通は喜び・楽しみって言うと、何かお酒を飲んでワイワイやったり、趣味や好きなことをする、そういうことだけのように思ってしまいがちです。でもそういうものとはまた別の面がある、と人生の知者ソロモン王は言っています。

 まず第一に、人生はもともと苦労の多いものなんだ。だから、仕事や労苦そのものの中に喜びや楽しみを見い出すことだって言うんです(伝道者の書 5:18 「見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。」)。それは、どんな辛いことやしんどいことの中にも必ず毎日食べている、飲んでいる、生きているではないか。それは単なる偶然ではない。神が与えてくださった賜物であると悟る。そうすると何を食べる(か)、食べたから嬉しい、というのではない。今、今日も食べられる、飲める、いのちがある、働ける。そしてそれはみな神様からのプレゼントだと思う。そうするとそのこと自体の中に意味があり、感謝が・喜びが感じられるって言うんです。

 もう一つは、お金・財です。これも私たちはどうしてもその額・収入に心をとらわれますねえ。そしてついつい人と比較してしまいがちです。ですから大切なのは今あるもの、これは神が与えてくださった私の受ける分だ、と感謝してこれを有効に使い楽しむ(ことだ)というのです。いくらたくさんあっても浪費して不満の人もいます。わずかでも感謝して上手に自分のために人のために使って楽しむこともできるという訳です。
 そんな知恵の心、ことばをソロモン王はこんなふうに言っているんです。旧約聖書の伝道者の書5章19節、20節です。
 「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。

 あなたもこんな知恵と経験において豊かな人になってください。


  (PBA制作「世の光」2007.10.26放送でのお話しより )

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■世界全体の救いを祈る

2007年10月25日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日も皆さんと御一緒に聖書を開いてまいりましょう。

 今日は創世記の3章17節です。
 「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。」 創世記3章17節

 ある、キリスト教のことをもっと知りたいと思っている方が質問してきました。「なぜ神は自然災害を許されるのだろうか」 確かに不意の自然災害によって家を失い家族を失うニュースが報道されると大変痛ましく悲しい思いがするものですねえ。本当になぜ神はこんなことをされるのかと思いたくもなります。

 神様はすべての始めに天と地を創造されましたが、神様はその結果を御覧になって、非常に良いものとみなされました。神の創造の御わざは完全なものだったのです。

 ところが続いて聖書は、最初に造られた人間アダムとエバが神の戒めを破ったことで人間も被造物もみな呪われたものになったと伝えています。つまり自然災害などこの世界が苦しむようになったのは人間の罪の結果なのです。神が自然災害を引き起こしている訳ではないのですねえ。

 また、新約聖書のローマ人への手紙には、神に造られた天地万物が死と病の苦しみにうめいていて、滅びの束縛から解放されることを望んでいるとあります(ローマ人への手紙8章19 節〜22節)。人間がその心の苦しみと病から救われる、それは当たり前のように考えられていますが、天地万物も災害や危害を産み出す混乱から救われることを望んでいるのです。つまりキリスト教が語る救いというのは人間の救いばかりではない、世界全体の救いなのですねえ。人間の救いや国の救いを祈るばかりではない、世界全体の回復と救いを祈ることが大切です。

 あなたも信仰をもって教会に集い、この祈りに加わってみませんか?
 
 ( PBA制作「世の光」2007.10.25放送でのお話しより)

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■福音の四季 よりそう心

2007年10月24日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今は亡き尊敬する先輩、安藤仲一先生は素晴らしい説教者、良き牧会者であったばかりではなく、書家でもあり、心優しい歌人でもありました。私の好きな彼の歌を一つ紹介しましょう。

   華やかなカトレアに添えジャスミンの白き十字の花香るらし

 真っ赤なカトレアの華やかさに対照的な白い小さな十字の花、ある人から届けられた花束、そして小さいものであってもキリストの香りを周りに放つ存在でありたいとの願いを込めた花束を受けとめられた先生の優しさ。この歌から寄り添う心を感じました。
 
しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」 旧約聖書詩篇73篇の28節のことばです。「神の近くにいることが、しあわせ」 主に寄り添う心。主が寄り添っていてくださる幸せ。幼い子はいつも母親がそばにおると安心しますが、目覚めて母親がいないと大声で泣いて探します。イエス・キリストを信じて神の子とされた者は罪赦されて神に受け入れられているので神に寄り添う心を持っています。

 第一に、御子イエス・キリストの血はすべての罪から私たちをきよめます(ヨハネの手紙第一 1章7節参照)。

 第二に、ゆったりと慌てない心です。現代人の心はいつも何が起こるか分からないとの思いに支配されています。「これを信じる者は、あわてることがない。」 イザヤ書 28章16節  
 なぜなら神様が私たちをこの上もなく愛していてくださるお父様ですから。

 第三は、恵みに囲まれた心です。「悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。」(詩篇 32篇10節)

 聖書のことば
 
 「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。
  旧約聖書 詩篇 62篇8節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2007.10.24放送でのお話しより)

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■選択できないもの

2007年10月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 新約聖書の使徒の働きという中に、パウロがルステラという場所に行った時のことが記されています。そこには生まれながら足の不自由な人がいました。しかしこの人は真剣にパウロの話すことばに耳を傾けていたんです。

 ま、私たちはいろんなことを選択して選び取りながら生きていますよね。ま、こうしてあなたはラジオのスイッチを選んでくださったのでこの番組を聴くことができる訳です。私たちはいろいろな選択をし、そして選択をするということは、その結果も受けとるということを意味していることを知っています。例えば東京行きの電車に乗る選択をすれば東京に着くという結果を受ける訳です。ですから何を信じ選択していくのかということは人生の大切な問題であり、その選択によっては結果が大きく違ってくるんですねえ。

 しかし私たちはどうしても選択できないものがあります。それは自分の生まれということです。これは誰も選ぶことができないんです。私たちは自分の生まれに関して選ぶことができませんから、自分の生まれた容姿や状態に対して自分の責任であろうはずがありません。

 パウロはルステラというその場所に行った時、生まれながら足の不自由な人がいました。この男は自分の責任ではないのに生まれつき足が不自由だったんです。人生の不条理に嫌というほど悩み、どうしてこうなんだろうと何度もつぶやいたかもしれません。

 さてパウロはこの男をじっと見つめました。そしてこの男の中に癒される信仰があるのを見たというのです。この男は何回も、人生はおしまいだと投げ出したことがあったかもしれません。この世を恨んだことがあったに違いありません。しかし今、彼の目を見ると、パウロが伝えたイエス様に対する期待と希望がそこに溢れているんです。イエス・キリストを受け入れようとする砕かれた心がそこにあるのを見い出しました。この足の不自由な男はパウロが語るイエス様に人生を委ねてみようと心を開いたんです。

 そこでパウロは大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」(使徒 14章10節 )とその男に言いました。すると何と彼は歩きだしたんです。彼はパウロの話しを聞いている内に、イエス様に委ねて人生を歩んでいこうと考えただけでした。彼は自分の生まれを選ぶことができませんでしたが、しかしイエス・キリストを信じるという選択を選ぶことができたのです。新しい人生はその選択から始まっていきました。そして選択したことは必ず選択した結果がついてくるのです。

 イエス・キリストを信じるということはあなたの心に救いが与えられるという結果をもたらしていくのです。

 ( PBA制作「世の光」2007.10.23放送でのお話しより)

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■読書の秋に

2007年10月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。
 
 えー、秋は「灯下親しむ候」・読書シーズンというふうに言われる訳ですけれどね。えー、私も本屋さんに行くのが好きで、あそこには必ずベストセラーのコーナーとかありますよね。で、本屋さんが勧める本という、ま、そういうコーナーもあったりしてですねえ。まあ、あのたくさんの本が次から次と出るので行くとあせっちゃうような気分にもなったりする訳なんですけれども。こういう中で前からしばしばお勧めしておりますけれども、本の中でもの本と言われる本をですねえぜひお読みいただきたいものだなあというふうに思うんですねえ。

 聖書のことをバイブルというふうに言いますけれども、バイブルというのはもともとビブロスというギリシャ語の「本」という意味のことばから来ていて、ですからバイブルというと聖書のことを指しますけれども、もともとは本ということだった訳で、ザ・バイブルというと「本と言ったらこれだ」というまさに「本の中でもの本」という意味でザ・バイブル、それは聖書というふうに呼ばれている訳ですねえ。

 で、御承知のようにグーテンベルクによって16世紀に印刷機が発明されて以来ですね世界でこの聖書はベストセラーを続けているという。このような書物は他にはない訳ですね。それはまさに本の中でもの本だからというふうに言える訳ですけれども、どうしてそういう、聖書がですね歴史を通じて、また人種とかそういう文化とかを越えて世界中で読まれているかというと、聖書には人間が求めている共通のものを解決する一つの手がかり、その救いというものを実は与えようとしている書物だからだというふうに言うことができるんですね。

 ま、聖書の中にこういうことばがありまして、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」(2テモテ 3章15節 ) 人間は誰もが、こういうしがらみからどうしたら救われるんだろうか、この罪の中からどうやったら救われるんだろうか、死に対する恐れから人間はどうやったら解放されるんだろうか、この苦しみからどうやったら人間は救われるんだろうかというふうな、救いを求めていますよね。そういう、人間が求めている共通の救いに対して、答えを与えてくれるものがバイブル・聖書なんだ、その知恵を得させてくれるのが聖書なんだという意味でですね、ぜひ聖書を開いてですね、この読書の秋、まず本の中でもの本という聖書を読んでみよう、そういうお気持ちをぜひ持っていただけたらなあと思います。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.10.22放送でのお話しより)

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■死は勝利にのまれた

2007年10月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、皆様からお寄せくださる心に残る聖書のことばの紹介です。山口県長門市の 故・石井貞子さんはコリント人への手紙第一 15章55節、57節をお寄せくださいました。お読みしましょう。

 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」・・・神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

 ある日、珍しく病院に行った主人は、「俺もとうとう癌に回ってこられたよ」と帰宅し、自分で入院の仕度をして一人でさっさと出かけて行きました。私は心配でたまりませんでしたが、毎日何でも祈って力を頂きました。手術の日が決まり、娘と私が呼ばれて説明がありました。胃は全部ダメ、食道にも4つくらい癌があり、肺も手術しなければならぬ、と言われました。私は、イエス様助けてください!と、夢中で祈りました。体中切りきざまれて病室に戻ってきましたが、不思議に元気になり、退院できました。しばらくは家業を手伝っていましたが、やがて寝たきりになった主人は、「この頃ある人が来て話しかける。俺のことを何でも知っている方だ。」と言うのです。イエス様だ!、と嬉しくなりました。「俺は無神論者だ。神など信じない。」と言っていた主人です。教会の先生も来てくださり、共に祈り、信じて救われました。それからの主人の喜びに溢れた感謝の日々が重ねられ、病床洗礼を受け、一人一人と和解の握手をし、痛みも苦しみもなく50日で天に召されていきました。

 石井貞子さんの心に残る聖書のことば
 「死は勝利にのまれた。」
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。・・・」・・・神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、・・・勝利を与えてくださいました。

 コリント人への手紙第一 15章54節から57節までです。 

 石井貞子さんも召されてこの遺稿を残されました。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.10.20放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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