♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主イエスを正しく知るために

2010年02月27日 | Weblog
2010/2/27放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。 

 イエス・キリストを正しく知るということは必ずしも簡単なことではありません。 ある時イエス様は弟子たちに次のように言われました。 新約聖書マルコの福音書8章17節、18節のことばです。 
 「 なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。

 イエス様が行われた数々の奇跡を見ていたにもかかわらず、弟子たちは目の前に食物がないということを論じ合っていました。 彼らはイエス様こそが彼らを養い彼らを生かしてくださるまことの救い主であるということをなかなか正しく知ることができなかったのです。

 イエス様が行われた数々の奇跡を知らされ、イエス様が語られた様々な教えを知らされても、このお方をなかなか正しく知ることができない。 それが私たち人間です。 単に不思議なわざを行った人物、ためになる教えを語られた人物、イエス・キリストをその程度に理解してしまうことが多いのではないかと思います。 あの弟子たちもそうでした。

 しかし、そんな彼らは後にイエス・キリストを正しく知るようになります。 それはイエス・キリストの十字架、罪のない神の御子が罪人を救うためにいのちまでお与えくださった、そのことを知らされることによって実現していきました。 イエス・キリストこそ人を罪から救うお方、人を真に養い、活かしてくださるお方である。 そのことを知らされた時、彼らの理解そして彼らの生き方は変えられていったのです。

 イエス・キリストを真の救い主として信じようとしないのであれば、どれだけ奇跡を見て、どれだけ教えを聞いても、このお方を正しく知ることはできません。 しかし、このお方を救い主、真に自分を養い生かしてくださるお方として信じようとするなら、聖書のことば、そしてキリストの十字架を通してこの主イエスを正しく知ることができるのです。 

 「 信じない者にならないで、信じる者になりなさい。 」(ヨハネ 20章27節) イエス様のこのことばを胸に、信じようとする思いをもって聖書を読んでくだされば、と願います。 

       (PBA制作「世の光」2010.2.27放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■たとい死の陰の谷を

2010年02月26日 | Weblog
2010/2/26放送


世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

今日は詩篇23篇の最後の箇所、6節です。 さっそくお読みします。

 「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 まことの羊飼いに従い導かれる人生は、神様の慈しみと恵みが自分を追いかけてくるような素晴しい人生だ、というのです。 神様の慈しみと恵みを追い求めている人は少なくないでしょう。 神様から祝福されたり恵みを受けたりするためには努力しなくてはいけないのではないか、と思ってはいませんか? しかしここでは逆に、神様の慈しみと恵みがその人を追ってくるような人生、神様の不思議な平安と祝福に包まれ、恵みをそのまま受け取り続ける人生がある、と言うのです。

 この詩篇の作者の願いは、「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」ということでした。 主のもとに、神様の所にいることを彼はこの上もない喜びとしているのです。 この箇所は、「私の休み場は主の家にある」また「私の戻る場所は主の家である」とも訳せる文章だそうです。 あなたが帰るべき場所、本当にあなたが憩うことのできる場所もこの神様のもと、主の家なのです。 

 この作者ダビデは別の詩篇でもこう言っています。 「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」 詩篇 27篇4節 

 彼は心から神様に信頼し、どのような人生の苦しみや悲しみの中でも、神様にある平安を覚えていたので、自分のいのちの日の限り神様と共に歩み、共に生きることを望みました。 そこにこそまことの平安があったからです。

 あなたの心の願い・心の渇きを本当に潤し、満たし、満足を与えるのは、本当の羊飼いである神様です。 神様は、あなたがこの豊かで満ち満ちた人生に歩むことができるようにと待っていてくださいます。 あなたも神様のもと、教会に行き、神と共に歩む人生を始めてみませんか? 神様にある豊かな平安があなたを待っています。 

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.2.26放送でのお話しより)


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■信仰によって待つ

2010年02月25日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「信仰によって待つ」です。 それでは、聖書の中のヘブル人への手紙11章8節から読んでみましょう。

 「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

 ヘブルの著者は、「信仰によって礼拝すること」、「信仰によって働くこと」を語り、つぎに「信仰によって待つこと」を語っています。 いわゆる「信じて待つ」ということですねえ。 そして信仰によって待った人の具体例として、旧約聖書の中に出てくるアブラハムとサラという夫婦の物語を取り上げるのです。

 アブラハムとサラは神様に祝福を約束されて、生まれ故郷を出て、神様の示された約束の地に移り住んだ人です。 アブラハムとサラは、目に見えない神様の祝福の約束を信じて、実際に移住の旅へと出ました。 しかし、その道中にも、また新しい土地に移り住んでからも、子どもは生まれず、子孫繁栄の望みは絶たれていくかのように24年の時が空しく過ぎていくのです。 いつしか二人の身体はすっかり年老いてしまっていました。 

 ところが、アブラハムが99歳、サラが90歳になった時に神様は再び現れて、子どもが生まれる祝福の約束を繰り返すのです。 アブラハムには信じ難いことでした。 アブラハムは「90歳の女に子どもが生まれようか」(創世記 17章17節参照)とつぶやいていますし、サラも「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創世記 18章12節)と、心の中で笑いました。 

 しかし神は、「主に不可能なことがあろうか。」(創世記 18章14節)と教え諭され、その後、最初の約束から25年目にして神の約束の実現を見ることになったのです。

 実に信仰というのは、神の約束の実現を待つことです。 ひたすら神の時が来るのを待つ。 じっと良き結果を望み見て待ち続けることも信仰の働きですねえ。 実際、待つことは最も難しい人生の訓練です。 私たちはなかなか物事が待てないものですし、短気にしびれを切らしてしまいます。 しかし真に信仰を持つ人は、神の約束が神の時間において実現することを心得ている人です。 この世のあらゆる事柄が、神のご計画の中で、神の支配の中で動いていると理解している人です。 私たちの人生においては待たされていると思わされる時があることでしょう。 しかしそのような時にこそ自分の信仰が試されている、神を信頼する時であると覚えたいものです。 

  (PBA制作「世の光」2010.2.25放送でのお話しより)

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■責任を委ねる

2010年02月24日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日は「責任を委ねる」という題でお話ししましょう。 旧約聖書のネヘミヤ記の続きです。 

 エルサレムの城壁も完成しました。 扉が取り付けられ、門衛、歌い手、礼拝を担当する人も任命されました。 知事ネヘミヤはエルサレムを治める責任を兄弟ハナニとハナヌヤとに委ねました。 ハナヌヤはエルサレムの要塞の司令官で、誰よりも神様を敬う人物だったからです。 ネヘミヤ知事は彼らに二、三の指示を与えました。 
 一、太陽が昇るまでは開門してはならないこと。
 二、閉門は守衛が警備にあたっている内に行い、かんぬきはしっかりかけること。 
 三、守衛はエルサレムに住み、規則正しく警備にあたること。
 四、城壁近くの住民は、付近の城壁警備にあたること。 
 等などでした。

 さてここに責任を委ねることのできる条件が幾つか考えられるでしょう。 まず、行動を共にしている人ですね。 知事ネヘミヤは共に行動していた二人の兄弟に責任を委ねました。 二人の兄弟はネヘミヤのやっていることを見て、行動を共にしていたのです。

 次は、責任を分担して働いていました。 ハナヌヤはエルサレムの要塞の司令官でした。 都の防衛の一端を背負っていました。 一部を担当することは全体を知っているということです。 そして何よりも天の神様を敬い、恐れる人物だったということでしょう。 神様を敬い恐れる人は人を敬い、人に仕えることのできる謙遜な人です。 そして仕事にも忠実な人でしょう。 

 「忠実」ということばは英語でフェイスフル faithful と言います。 「信仰深い」という意味ですね。 ですから忠実な人とは信仰深い人なのです。 後継者の教育は簡単ではありません。 しかし、昔からの原則は変わることはないでしょう。 

 海軍大将・山本五十六は「言って聞かせ、やってみせて、やらせてみる」と言いました。 口で言うだけでは教育できません。 自らやってみせて模範を示す、そしてやらせてみる。 それから委ねる、ということでしょう。 

 聖書のことばです。
 「あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。」 第二テモテの手紙 2章2節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2010.2.24放送でのお話より )

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■絆の回復のために

2010年02月23日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごして行きたいですね。

 家族、それは本来、互いに気を遣うことなく本音を出し、くつろぎ、弱さも欠点も補われて、ま、正直に生きていくことのできる大切な絆です。 家族の崩壊、家庭の危機ということばを時々耳にしますが、最も身近で安心していられる場所が崩壊してしまうなら、それはどんなに大きな痛み・悲しみでしょう。 しかし、家族の絆が回復し、互いに信頼と愛を持って補われていくなら、そこには勇気と希望が生みだされていきますよね。 あなたの御家庭はいかがですか? 牧師をしていますと、ま、いろいろな相談を受けますが、多くの相談はこの家庭の問題に関するものなんですねえ。 そうした壊れそうな絆の回復はどのようにしたら良いのでしょう。 今日は、聖書から探っていきましょう。 

 まず第一は、同じ価値観に生きるということです。 聖書の神様は、あなたという存在をどのように見ているのでしょう。 それは「高価で尊い」(イザヤ書 43章4節)存在として見ているのです。 それはあなたが立派なことが出来、業績をあげ、優れているから「高価で尊い」と言われているのではないんですね。 あなたが弱く、時にはだらしなく、すぐに罪を犯してしまうようなそんな弱い存在であるにもかかわらず、あなたは大切な存在なのだ、と語るんです。 あなたは他人ではなく「あなた」なんですねえ。 あなたにいのちを与えてくださった方は、天地を創造された神様なんです。 だからあなたは尊いのだ、というのです。 ですから、存在そのものに価値を見出す価値観に生きること。 その眼差しをもって見つめること。 これが大切なんです。

 そして第二は、光に照らされ歩むことです。 第一ヨハネの1章5節には、「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」と記しています。 またイエス・キリストは「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ 1章9節参照) として紹介されています。  暗闇の汚(よご)れを発見するためには、そこに光を射せばいいんですよね。 汚れを目立たなくする方法は簡単です。 それは暗くすれば良い訳です。 でも幾ら暗くしても目だたなくしても、汚れは汚れのままです。 何も変わりません。 本来の絆を回復するためには、痛んだ場所にキリストの光を照らしていくのです。 具体的に、神のことばである聖書のことばをあなたの生活に当てはめ、照らしていくのです。 「互いに人を自分よりも優れた者と思え」(ピリピ 2章3節参照)と書いてあるなら、実際にそのような尊敬の眼差しをもって生きていくのです。 「感謝をささげなさい」(参照:1テサロニケ 5章18節、1テモテ 4章4節、ヘブル 12章28節)とあれば実際に感謝していくのです。 「主の計画は将来と希望を与えるものだ」(エレミヤ書 29章11節参照)と書いてあるなら、人生には希望があるのだと信頼し、一歩ずつ進んでいくのです。 回復はそこから始まります。 

 (PBA制作「世の光」2010.2.23放送でのお話しより)

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■いない いない ばあ

2010年02月22日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 えー、ある方がですねえ、日本とカナダの小学生に、「『目に見えないもの』と言えばどういうものがあるでしょう」という質問をしたそうなんですねえ。 で、国によって反応が違ったんですねえ。 カナダの子どもたちは、目に見えないものは愛、平和、喜びというような返事が返ってきたそうなんですねえ。 ところが日本の小学生は、空気、電子、原子、分子(※原子が結合して化学的性質を持ったもの)というのだったそうなんですよ。 で、まあ日本の子どもたちは科学的と言いますか知的と言いますかねえ、みんながみんなそうとは言えないと思いますけれども、カナダの小学生の見えないものはハートから出ていて、日本の小学生は頭から出ているなあというふうなことをおっしゃってましたけど、ほんとにそんなような気がいたしますよねえ。

 金子みすゞ(かねこ みすず)の詩の中に、昼の星は見えないけれどあるんだよ(※)、というのがありますけれど、本当に私たちは目に見えないものというのは存在しないのかなあと思ってしまったりすることってありますよね。

 よくちっちゃい子どもたちに、赤ちゃんですかねえ、いないいないバアッ!って言うとキャッキャッって喜ぶ、そういう年代がありますよねえ。 で少し大きくなったらそんな風に言っても全然笑ったりしない訳ですけれども。 いないいないって言う時に顔を隠すと本当に赤ちゃんはいないって思うらしいんですね。 つまり、自分の目に見えなくなったらいない、って思う。 それがバアッて出てくるもんですからワアッて言って喜ぶということなんですね。

 で、それが見えなかったら無いと思うのは、まあ幼児性の現われだという訳なんですねえ。 で、少し大きくなってきたら見えなくたっているよ、ってこう分る。 神様ってお方は目に見えない。 で、しばしば、「そんな、神がいるなら目に見してくれよ」って言い方ってある訳ですよね。 でもそうではなくて、目に見えないものに実は尊いものがある、という、ね。

 聖書の中に、「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント 4章18節) (と。)

 私たちは見えるものに左右されがちなんですけれども、見えないものに実は本質がある、という、・・・命もそうですよねえ、愛、信仰もそうですよねえ。 神様っていう方も目に見えない。 でもそこにこそ本当の価値がある、意味があるということを覚えたいと、そう思いますね。 

  ※      『星とたんぽぽ』 (抜粋) 金子みすず

         青いお空のそこふかく、
         海の小石のそのように、
         夜がくるまでしずんでる、
         昼のお星はめにみえぬ。
            見えぬけれどもあるんだよ、
            見えぬものでもあるんだよ。

            ・・・           

 ( PBA制作「世の光」2010.2.22放送でのお話しより)

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■ 主イエスを正しく信じるために

2010年02月20日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。 

 イエス・キリストを救い主として信じるために、私たちはどんな奇跡を見れば満足するのでしょうか。 

 ある時、「パリサイ人」と呼ばれる人々がイエス様のもとにやってきました。 新約聖書マルコの福音書8章11節12節のことばです。

  パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである。 イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」

 「パリサイ人」と呼ばれていた人たちは救い主について自分たちなりの考え方を持っていました。 そして彼らはイエス・キリストは自分たちが思い描く救い主に当てはまるのかどうか、そのことを試そうとして自分たちが願う通りの奇跡を見ることを求めたのです。 

 イエス・キリストを救い主として信じるために、私たちも時に自分たちの願う通りの奇跡を求めることがあるのではないでしょうか。 しかしイエス様ははっきりと言われました。 「今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」 

 一体なぜ私たちが願う通りの奇跡は与えられないのでしょうか。 それは、そのような奇跡が叶えられたからといって、私たちが正しくイエス・キリストを信じることができないからです。 いやそれどころか、そのことによって私たちは救い主についての自分勝手なイメージをますます強く持つようになり、本当の救い主イエス・キリストよりも自分のイメージ、自分の考え方にしがみつくようになるからです。

 神様は奇跡を行なわない方ではありません。 いや今も私たちの思いを遥かに越えたことを行い続けておられます。 しかしイエス・キリストを救い主として信じるために必要なのは、私たちが願う通りの奇跡が行われることではないのです。 そうではなく、ありのままのイエス・キリストを知ること。 即ち、このお方がなさったこと、このお方が語られたことを聖書を通して知らされること。 それこそが私たちが真の救い主を正しく信じるために必要なことなのです。

 主イエスを正しく信じるために、聖書が語るメッセージをありのままに受け取ってください。 

(PBA制作「世の光」2010.2.20放送でのお話しより )


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■私の杯はあふれています

2010年02月19日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 
今日は詩篇の23篇の5節です。 早速お読みします。 

 「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

 ここでは羊と羊飼いの歩みの表現よりも遊牧者の生活の中の表現が用いられています。 この詩篇の作者のダビデ自身が羊飼いであり遊牧の旅を重ね、また王として歩む中でもまるで遊牧のような生活があったからです。

 それは不安定で危険と隣り合わせの生活をも意味していました。 アラビア地方の遊牧者の生活においては住居としての天幕が聖なる逃れの場としても用いられ、逃亡者は天幕の主人の好意によって安全を保証されることがありました。 ダビデもそのような逃亡者として匿(かくま)われる経験をしました。 敵が近付く中で逃げまどい、自分の居場所を探し回るようなこともあったのです。 しかし、そのような中にあっても、神様にある守りは自分の敵の前でも平安で、平然と食事ができるように安全で力強いものでした。

 神様はあらゆる状況の中で敵の前や悲しみや苦しみがある中であっても、私たちに喜びと平安と力を与えるのです。 別の詩篇45篇7節には、「あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。」とあります。 神様は私たちの人生に喜びの油を豊かに注いでくださるお方です。

 この神様に信頼する歩みはまさに「私の杯は、あふれています。」と表現できるような人生です。 杯とは人生そのものを意味することばです。 まことの神、まことの羊飼いに導かれ養われる生涯は、神御自身からの豊かな守りともてなしを受け、神様の恵みと平安が満ち満ちる人生なのです。

 この豊かな人生はあなたにも用意されています。 あなたも、たとえどのような中であっても人生という杯が喜びと感謝で溢れるような歩みを始めませんか? 

 「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩篇23篇5節)

   (PBA制作「世の光」2010.2.19放送でのお話しより)



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■信仰によって働く

2010年02月18日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「信仰によって働く」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙11章7節から読んでみましょう。

 「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。

 ノアの箱舟の話はどこかで聞かれた方もいるかもしれませんねえ。 旧約聖書の初めに書かれている物語です。 ノアという、神の前に全く正しい生き方をする人がいました。 しかしノアが生きた時代の人々は邪悪で悪に染まっていたとされます。 そのような状況を見て神様は、洪水をもってすべての人を滅ぼそうと考えられましたが、正しい人ノアとその家族だけは救おうと決意されました。 そこで神はノアに前代未聞の大洪水から逃れ、救われるために箱舟を造るように命じられるのです。 その箱舟のサイズが聖書には書かれていますが、それは長さ135メートル、幅23メートル、高さ13メートルという巨大なものです。 鉄道の貨車が522台入る大変大きなものであったようです。

 こうした規模の箱舟を造るというのは、遊びや趣味でできることではありませんね。 それこそ全力を尽くさなくてはできないものです。 ノアは神の命令を真剣に受けとめて箱舟を造り始めました。 晴れた日に地上で巨大な箱舟をコツコツと造り続けるノアの行為は誰の目にも奇妙に思えたことでしょう。 何年も大変な時間をかけるその様は馬鹿げて見えたことでしょう。 

 しかしヘブルの著者は、ノアは信仰を持って働いた、とノアの働きを評価しました。 そしてノアは実にその信仰の実を得たのです。 人の目から見れば聖書の神のことばに従って生活をし働くことは馬鹿げたことに見えることがあるかもしれません。 神を信じて生きることは地道なことですし、コツコツ積み重ねるように働き続けるようなものです。 しかし、信仰によって働くならばその実は必ず結ばれるのです。 それをあなたも忘れずに信仰によってすべての働きに取り組みましょう。 
 
  (PBA制作「世の光」2010.2.18放送でのお話しより)

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■気持ちをくじく

2010年02月17日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日は「気持ちをくじく」という題でお話ししましょう。 知事ネヘミヤの熱い心を冷たくして城壁工事を失敗させようとする陰謀は続きます。 旧約聖書のネヘミヤ記の続きです。 

 さて数日後、ネヘミヤ知事はシェマヤという人を尋ねました。 神様からのお告げがあったと聞いたからです。

 シェマヤは言いました。 「神殿に身を隠して扉を閉めるのです。 今晩やつらはあなたを殺しにやってきますぞ。」と、急を告げました。

 「知事たる者がどうして危険だからといって逃げだせましょう。 それに祭司でもない私が神殿に入ったりすれば命を失います。 とんでもないことです。」 その時ネヘミヤ知事は何もかも悟りました。 それは神様のお告げではなく、反対者トビヤとサンバラテの陰謀であったことを。 シェマヤを買収してネヘミヤを脅し、神殿に逃げ込むように罪を犯させて、非難の鉾先を向けようとしたのでした。

 そしてネヘミヤ知事は再び神様に祈ります。「神様。 トビヤ、サンパラテ、偽預言者の罪を一つ残らず覚えていてください。 あの手この手で私の気持ちをくじこうと謀(はか)りました。」

 ところでエルサレムの城壁は着工から52日後の9月初めに完成しました。 敵や周りの国々は これを知って驚き、恐れをなしました。 天の神様の助けがあったからこそこの工事が出来たのだ、と思い知らされたからです。 

 ところで、神様のためとか人々のためになる働きには反対がつきものですね。 始めは脅迫メールとか中傷メールによって物事をじゃまするでしょう。 それが駄目なら身内の者を買収したり、宗教的な面で失敗するようにさせます。 まさに敵はあの手この手を使って私たちのやろうとしている気持ちに水を差し、計画を失敗させようと企てるのです。

 ですからまず私たちは天からの知恵と勇気が与えられますように祈りましょう。 彼らの策略を見抜くことができますように。 次に天の神様への信頼が与えられるように祈りましょう。 そして悩みと苦しみの中にも忍耐と勇気が与えられますように。 そして何よりも天の神様が私の味方であるなら誰も敵対できないことを信じることができますように。 

 聖書のことばです。 
 「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」 ローマ人への手紙 8章31節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2010.2.17放送でのお話より )

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