♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十字架と復活をめぐる人々 <バラバ>

2010年03月31日 | Weblog
2010/3/31放送

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 

 死刑が決まっている犯罪人が、ある日突然「お前は釈放だ」と言われたらどうでしょう。 今日は、バラバという犯罪人と入れ替わって十字架の死刑になった男の話をしましょう。

 その男は名前はイエスと言います。 今、男はローマの総督ポンテオ・ピラトの法廷に立っています。 ユダヤ人たちのねたみと嫉妬によって連行されて来ました。 ローマ帝国の属国でしたユダヤの国は自分たちで犯罪人を死刑にすることはできませんでした。 イエスという男を死刑にするためにユダヤ人の指導者は、ありもしない罪状を総督に訴えました。

 総督ピラトは、この男が死罪にあたる罪は何も見い出すことはできませんでした。 しかしユダヤ人たちはイエスを「十字架につけろ!」と叫び続けました。 暴動になったら自分の政治生命にかかわります。 総督ピラトは一つの提案を出します。 「今日は皆様にとって大事な過越の祭りの最中です。 毎年この祭りには犯罪人に恩赦を与えることになっています。 そこでだ、暴動を起こし人殺しの罪で死刑になっているバラバか、それともこのイエスという男か、どちらを赦免して欲しいのだ。」 総督ピラトの思惑は、当然ユダヤ人たちは「イエスを赦せ」と答えるだろう、と考えたのです。

 しかし、帰ってきた答えは「バラバを赦せ! イエスを十字架につけろ!」という人々の大合唱でした。 暴動を恐れた総督ピラトは、罪のないイエスを十字架刑に渡したのです。

 この瞬間、罪人バラバと罪のないイエスは入れ替わったことになります。 罪人バラバは神の子イエスの身代わりによって、罪悪の罰である十字架の苦難と死、死の恐怖と呪いから解放され、いのちが与えられ、生きる人になりました。 逆に、罪のないイエスが、バラバの苦悶、死と死の恐怖を受けながら、十字架刑に処せられることになったのです。 罪深いバラバが罪のないイエスを十字架につけたのですね。
 実はこのバラバは、私であり、あなたです。 私のためにイエスが入れ替わってくださったのです。 この神様の私たちに対する不思議なご計画を信じ、受け入れましょう。 

 聖書のことばです。 

 「神の和解を受けなさい。 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかた(イエス)を罪とされた。それは、わたしたちが、彼(イエス)にあって神の義となるためなのである。」 第二コリント人への手紙5章20節、21節

  ( PBA制作「世の光」2010.3.31放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■十字架と復活をめぐる人々 <二人の強盗>

2010年03月30日 | Weblog
2010/3/30放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 イエス・キリストが十字架につけられた時、そこには三本の十字架が立てられていました。 真ん中にイエス・キリストがつけられ、その両脇には犯罪を犯し処刑された者たちがいたんです。

 その犯罪人の一人は苦しみの中でイエス様にこう叫びました。 「イエスよ、お前はキリストではないか。 救い主ではないか。 自分と俺たちを救え。」(ルカの福音書 23章39節参照) こうわめき散らしたんです。

 しかし、もう一人の犯罪人は(その)一人をたしなめてこう言いました。 「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(ルカの福音書 23章40-41節)「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(42節)こう言ったのです。

 この犯罪人は今まで神様を恐れることなどなかったでしょう。 犯罪に手を染め、結果、今十字架につけられ、絶望の淵に立たされているのです。 しかしその時、自分の隣で十字架につけられていたイエス様の姿を見たのです。

 イエス様はローマ兵から罵声を浴びせかけられていました。 罵(ののし)られていました。 しかしイエス様は彼らに対して呪いのことばを語る訳でもなく、社会が悪いローマが悪い、と言って責任転嫁する訳でもありませんでした。 それどころか、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書 23章34節)と、赦しを祈っているのです。

 イエス様の隣にいた犯罪人は、そのイエス様の姿をじいっと見つめていたのでしょう。 ああ自分は何と罪深い者か、でもこの方は罪のない方だ、この方は御国の(王の)位につくお方だ、まことの救い主だ、ということが分ったのです。

 彼の人生に残されているのは死ぬことだけです。 何の良い行いも人々のために奉仕することもできません。 しかしこの犯罪人はイエス様の約束を聞いたんです。 「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(43節) このような約束を聞いたんですねえ。

 絶望の淵に立たされたこの犯罪人にとってこの約束はどれほど大きな励ましとなり、喜びとなったでしょう。 自分の犯した罪のゆえに死刑に処せられ、もはや何の希望も彼には残されていませんでした。 しかしイエス様は「ともにパラダイスにいるのだ」と、天国の約束を与えられたのです。

 私たちは何も立派なことはできないかもしれません。 時には絶望の淵に立たされることもあるでしょう。 しかしイエス様が求めているのは、あなたの立派な行いではなく、あなたが自分の罪を認め、イエス様を救い主として告白し、生きることなんです。 その人生にイエス様は天国の約束を与え、永遠のいのちを与えてくださるんです。 

 (PBA制作「世の光」2010.3.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十字架と復活をめぐる人々 <打算で動いたユダ>

2010年03月29日 | Weblog
2010/3/29放送

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 今日から二週間に渡ってイースター・スペシャルをお届けいたします。 今日はその第一日めになる訳ですけれども、イースターというのはキリストの復活のことを意味しますねえ。 当然、復活の前にキリストは十字架につけられて死なれたっていう訳ですが、そのキリストが十字架につけられることのために一つの役目を果たした人物という人がいますねえ。 ユダはキリストの弟子の一人であった訳ですけれども、結局裏切って、キリストを銀三十というお金でキリストを捕まえたいと思っている人たちに売り渡したという、ま、裏切りの象徴的な人物として描かれている訳ですね。 

 で、讃美歌の中にも「ユダにはなるまじ、心の底より」(聖歌 433番/新聖歌 404番『弟子となしたまえ』)っていう歌があるんですけれども、誰もユダにはなりたくない、つまり裏切り者にはなりたくない、ということですね。 

 ですけどイエス様が「この弟子たちの中にわたしを裏切る者がいるよ。」っておっしゃった時に他の弟子たちも「私じゃないでしょうねえ。」ってこうみんな代わるがわる聞いた、って書いてあるんですね。 みんなの中にもやっぱりこう裏切りの要素と言いましょうか、そういうものを持っているのじゃないのかなあというふうに思うんですねえ。 

 あのう、罪というのは裏切りだというふうに定義した人もいます。 それはほんとに信頼を裏切る、または愛情を裏切る、期待を裏切る、私たちの心の中にはそういうようなものってありますよねえ。 このユダという人は、まあ言うならば打算で動いた人かなあというふうに思うんです。 彼は会計を預かっていて、で、そのお金をちょっとこうまあ誤魔化してですねえ横領してたようなことが聖書の中に出てきます。
 
 そして使徒の働きの1章の所(25節)を見ますならば、「彼は自分の行きたい所へ行った」というふうな言い方があるんですね。 つまり彼は、いつもこう自分の野望を果たすためにキリストの弟子となって、どうも旗色が違う、自分が考えている方向とは違うようだというふうに思っていました。 で、ある女性の人がイエス様のために貴重な壷を全部割って注いだ時に、「なんてもったいない、馬鹿なことをするんだ、それだけ売ったらどれだけのことになるのか。」というふうな計算をする。 つまり打算で動いて、その自分の打算の通りにうまくいかない時にはそれを裏切ってしまう、というようなそういう傾向ですよね。 私たちのためにもそれがないとは言えない。 キリストを十字架につけたというその背景には人間のもつそのような打算で事をなしていくというそういうような要素があったのかなあと思わされますねえ。 

  ( PBA制作「世の光」2010.3.29放送でのお話しより)

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■あなたを連れ戻すお方

2010年03月27日 | Weblog
2010/3/27放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。 

 新約聖書ヤコブの手紙5章19節、20節にこんなことばがあります。 

 「私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。

 人は誰でも真理から迷い出ることがある、と聖書は言います。 神様が人間に与えていてくださる最高の生き方から、そして神様ご自身から迷い出てしまうことがある、というのです。 

 群れからはぐれた羊が、やがて恐れと戸惑いを覚え、弱り果てていくように、私たちも神様のもとから離れる時に生きることに恐れと戸惑いを覚え、やがて弱り果てていく。 それこそが聖書が示す罪人の姿です。 知らずしらずのうちに神様のもとから離れ、恐れ、弱っていく、それが私たちではないかと思うのです。 もし私たちが自分の力で神様のもとに帰らなければならないとすれば、私たちに希望はありません。 私たちは一体どのようにすればよいのか分からず、そしてその力も持ち合わせていないからです。 しかし聖書は、「だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば」と言います。 神様ご自身が私たちを連れ戻すことを願っていてくださる、と聖書は言うのです。 

 今から約二千年前、神の独り子イエス・キリストはまさにこのためにこの世に来てくださいました。 罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うためにイエス・キリストは十字架にかかってくださったのです。 私たちの罪を責め苦しめ滅ぼすためではなく、私たちを愛し、赦し、救うためにイエス・キリストはこの世に来られました。

 罪人を迷いの道から引き戻すお方、イエス・キリストは今もあなたに愛をもって目をとめていてくださいます。 もし今あなたが神様のもとから離れていると感じるのであれば、ひと言どうぞ神様にお祈りください。 

 「神様、どうぞ私を連れ戻してください。」

 あなたを愛する神様は、その祈りを待っていてくださいます。 
 
       (PBA制作「世の光」2010.3.27放送でのお話しより )

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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■恵みの信仰告白

2010年03月26日 | Weblog
2010/3/26放送

世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 イエス・キリストの弟子ペテロは熱い男でした。 確かに彼は熱烈な行動家、大胆な自信家ではありましたが、その反面、不安定で臆病な者でもあったのです。 イエス・キリストが最後の晩餐の席で、五字分がこのあと出会う困難、十字架にかかることをほのめかされた時も、ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカによる福音書 22章33節)と豪語したのです。 彼は自分の弱さにまだ気がついていませんでした。

 彼のことばのあと、すぐイエスは彼にこう言いました。 「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(ルカ 22章34節) このあと人々が、十字架につけるためにキリストを捕らえた時、ペテロは恐ろしさのあまりキリストを裏切り、そして先のイエスのことばの通りに三度キリストを否定してしまうのです。

 しかしイエスはこうもペテロに語っていました。 「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ 22章32節)と。

 イエスは彼が裏切ることも御自身を捨てることもご存知でした。しかしその彼のために彼の信仰が無くならないように祈られたのです。 そして、「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と、ペテロがその失敗から立ち直ることが来ること、そしてその弱さを知る中で他の人々に力を与え、励ます存在になることも語ってくださったのです。

 きっと彼は三度キリストを否定したあと、このキリストの慰めに満ちたことばを思い起こしたのではないでしょうか。 彼は自分の弱さに、罪深さに気がついたあとに本当の変化、本当に力ある存在、岩のような信仰者として整えられていきました。

 イエス・キリストは人々の弱さを良く知っておられます。 そしてあなたの弱さや愚かさをもご存知なのです。 そしてあなたのために祈っていてくださいます。 あなたが守られ、支えられ、立ち直るようにと待っていてくださるのです。 イエス・キリストはあなたを愛し、支え、あなたを造り変えてくださるお方、あなたのために心から祈っていてくださるお方なのです。 自分の弱さを認め、キリストの愛に生かされる者となりませんか? 

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.3.26放送でのお話しより)


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■成長の秘訣 (2) 忍耐

2010年03月25日 | Weblog
2010/3/25放送

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「成長の秘訣 その2 忍耐」です。 それでは、聖書の中のヘブル人への手紙12章1節から読んでみましょう。 

 「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

 前回は信仰を成長させるための第一の秘訣として、捨て去ることについてお話ししました。 「捨て去る」というと何か損をするような気持ちになったりしませんか? しかし聖書が勧めているのは、神様から私たちの思いを遠ざける思いわずらいを捨て去ること。 世の中のものに執着しすぎることから解放されることですね。 

 さて今日は、信仰を成長させる第二の秘訣、「忍耐を持つこと」についてお話ししましょう。 忍耐が足りない。  これが私たちの最大の問題です。 けれども私たちは忍耐を学ばなくてはなりませんし、忍耐を養う訓練を必要としています。 

 先日、娘と話していましたら、おもしろいことを言っていました。 「100回たたくと壊れる壁があるんだけど、何回たたいたらよいか分からないから、90回たたいて結局壊れないと思ってあきらめてしまうことがある。 そんな話を聞いた。」というのです。 なるほど、あともう少しやってみようという粘りが必要なのに、その粘りがないから今ひとつ成長しきれない、突き抜けられない、ということがあるのではないでしょうか。 

 人は失敗すると、意気消沈・落胆するものですねえ。 困難な状況ではへたりこんでしまいやすい。 しかし挫折や失敗に流されず、神のみことばに信頼を寄せて信仰の歩みを淡々と進めていくことが大切です。 牢獄に閉じ込められたような絶望感を味わう時には、旧約聖書に書かれたヨセフの物語を思い起こしましょう。 また激しい憎しみと敵意の目にさらされて辛(つら)いと思うときは、サウルに命を狙われ逃げ隠れしたダビデの物語を読んでみましょう。 彼らはいずれも忍耐によって信仰を深め強くし、勝利をつかんだ人々です。 他にも忍耐によって信仰を成長させた多くの例が聖書にはあります。 もう駄目だ、気力も失せた、と思われるときにこそ聖書を手にして、あと少し粘ってみたいものですね。 

  ( PBA制作「世の光」2010.3.25放送でのお話より )

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■仮庵の祭り

2010年03月24日 | Weblog
2010/3/24放送

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 

 私たち日本人は祭りが好きな国民です。 イスラエルの国民も祭りが好きなようです。 三大祭りは有名です。 過越しの祭、収穫の祭、そして仮庵(かりいお)の祭です。 今日は仮庵の祭を紹介しましょう。 旧約聖書のネヘミヤ記の続きです。

 さて九月中旬になって国民はこぞってエルサレムの都へ集まりました。 そこでモーセの掟のことばを朗読で聞き、貧しい人々へ施しをして、事を共にする喜びを分かち合いましたね。

 そこで更にモーセの掟を詳しく調べることにしました。 すると「九月には仮庵の祭をお祝いする」とあります。 イスラエルの人はみな仮小屋に住むようにと神様がモーセにお命じになっていることが分かりました。

 紀元前の1400年頃ですが、モーセに引率されてイスラエルの人は奴隷だったエジプトから脱出しました。 荒野の40年、定住のない日々を過ごしました。 そのことを忘れないためです。 仮小屋生活、寄留者の日々さえも神様が守って導いてくださったのを忘れないようにするためでした。

 人々は山へ出かけていってオリーブの木、ミルトスの木などを切り出しました。 自宅の屋上、庭、神殿の広場などに仮小屋を建てました。 今日で言うならば仮設住宅ということでしょうか。 そしてこの祭の七日間をその中で暮らしたのです。 誰もが喜びに溢れていました。 この仮庵の祭りはヨシア時代以来700年間も中断されていたのです。

 祭はそれぞれ意味を持っています。 現代は形式だけが残り、その祭の意味と目的が失われているのではないでしょうか。 しかし聖書のことばによりますと、私たちのこの世での生活は、ある意味で仮小屋の生活ではないでしょうか。 人生において私たちは寄留者であり、仮庵の人生なのです。 人生は旅です。 そして私たちは旅人です。 そして私たちはこの世では寄留者ではないでしょうか。 この世がすべてではないようですね。 

 聖書のことばです。

 「愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」(口語訳聖書) 第一ペテロの手紙 2章 11節
 
 私たちの人生は神の国へ行く途中に過ぎないのです。

  ( PBA制作「世の光」2010.3.24放送でのお話より )

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■人生の弁護者

2010年03月23日 | Weblog
2010/3/23放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。 

 新約聖書第一ヨハネの手紙2章の1節のことばを紹介します。 

 「もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。

 ちょうど5年程前になりますが、ある弁護士の方の葬儀を執り行いました。 この方は主に、ま、刑事事件を担当され、加害者の更生にも尽力された方でした。 奥様は熱心なクリスチャンで、毎週欠かさず礼拝に来られていました。 ある時、奥さんから「先生、主人の所に行って聖書の話をしてください」と頼まれたんです。 そこで私は聖書の話をさせていただくために、まあ何度かその家におじゃまいたしました。 でもまったく聖書の話など興味のないようで、その話を受け付けてくれませんでした。 またいつか伺うことにしよう、ということでまあ何年か経過してしまったんですねえ。

 ある日曜日、礼拝が始まる前のことでした。 この奥さんが息を切らして私の所に来られ、「先生、大変なんです。 うちの主人がー。」と言うんですねえ。 私は、どうしたんだろうと思い、尋ねてみると、「いやあ、うちの主人が突然、『関根先生はまた来てくれるかな?』と私に聞くんです。 先生、来てくれますよね。」 こういうふうに言われたんですね。 私は「もちろん行きます。」ということで、その日の午後、聖書を持って久しぶりにおうちに伺いました。

 恐る恐る聖書を開き、そして聖書の中から天地を創造された神様がいること、人間はその神様に背を向けて罪ある者だということ、そしてその罪の解決のためにイエス・キリストがいてくださるということを話しました。 一つひとつのことばに素直に耳を傾けてくれたんですねえ。 私はその時、こんな質問をしました。 「ご主人は今までたくさんの人のために弁護してこられましたよね。 でも正しい神様の前であなた自身を弁護する弁護士が必要ではありませんか。」と尋ねました。 するとこの方は「必要だ」と答えたのです。 私は聖書を開き、先ほど読んだですね、「私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。」ということばを読み、「イエス・キリストこそがあなたの永遠の弁護者であるんですよ」とお話をいたしました。 そしてその後、この方はまるで幼子のように、イエス・キリストを救い主として、人生の弁護者として心にお迎えし、洗礼を受けられたんです。

 一年後、そして天に召されていきました。 

 人を弁護することはできても自分を弁護してくれる存在はいるのか、ご自分が病気になり、人生の終焉を迎えようとしていたこの方にとってそれは大きな問題でした。 しかしイエス様は今も変わることのない永遠の弁護者、救い主としていてくださるんですね。 

 (PBA制作「世の光」2010.3.23放送でのお話しより)

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■心くじけて思い悩む時

2010年03月22日 | Weblog
2010/3/22放送

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、『一羽の雀』という非常にキリスト教会の中では皆さんから親しまれているよく歌われている歌があるんですねえ。 で、その一番最初の出だしは「心挫けて思い悩み などて寂しく空を仰ぐ」というところから始まっていくんですねえ。 で、本当にこう心くじけて思い悩んで、もう寂しい思いで、というふうなそんなようなとき、そういうような人たちに語りかけて、でも神様は一羽の雀でさえもちゃんと顧(かえ)りみていてくださるんだから、あなたのことをも神様は顧みていらっしゃいますよ、という慰めの讃美な訳ですねえ。 

 で、これはもちろん聖書からとった歌な訳ですけれども、マタイの福音書の10章のところにイエス様がお話されたお話の中にこういうのがあるんですねえ。 「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。・・・だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイ 10章29、31節)っていうふうにイエス様がお話されたんですねえ。 

 で、この1アサリオンというのは、その当時の最小の貨幣だったんですね。 ですから一番小さな単価のそのもので二羽、その一番小さな単価のお金で買うことができる、っていう訳で、一羽ではなくって二羽まとめてっていうふうなそういう買われ方をする「二羽の雀」 その中の一羽でさえも、というのが、このま、ミソなんですね。

 ですから私なんかどうせ、っていうふうな、私の存在なんかどっちでもいいのだと思ってしまうような自分自身の存在価値に疑いを持ってしまうような、それが人間を一番寂しくさせることだと思うんですけれども、実はたといそういうふうな、もう一羽おまけだ、というふうに言われているおまけのような一羽でさえも神様は決してお忘れになってはいない。 ましてや雀よりもはるかに優る私たち人間を神様が顧みてくださらないはずがない、ということですね。 

 今日も覚えて欲しいと思うんです。 神様は一人びとりを本当に「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ書 43章4節)として、尊い存在として愛しておってくださるということを覚えていただきたい、そう思うんですねえ。

  ( PBA制作「世の光」2010.3.22放送でのお話しより)

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■何を握りしめて生きるのか(3)

2010年03月20日 | Weblog
2010/3/20放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。 

 何を握りしめて生きるのか、先週に引き続き聖書のことばに耳を傾けたいと思います。

 新約聖書ルカの福音書8章に、悪霊に苦しめられていた人物が登場します。 その悪霊の名はレギオンと言いました。 「非常に大きな力」ということを示す名前です。 より大きな力、より多くのものを求めることで、逆にその欲望に支配されて苦しむ人間の姿、聖書はそんな姿をここに描いています。

 そんな彼がイエス・キリストと出会い、その呪縛から解き放たれました。 自分の力では、そして人間の力ではもはやどうすることもできない状態からイエス・キリストが人を解き放ってくださるのです。 自由にされた彼に対してイエス・キリストはこう言われました。 ルカの福音書8章39節のことばです。 

 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。

 私たちの人生で一番大きなこと、それはイエス・キリストと出会い、イエス・キリストによって救われることだ、と聖書は教えています。 このお方と出会う時、私たちはレギオンから、---多くのものを求め続ける果てしない欲望から---、解き放たれて自由にされるのです。 イエス・キリストと出会い、イエス・キリストの愛と力を深く知らされるとき、私たちは本当の意味で深く満ち足りるようになります。 イエス・キリストはあなたを自由にすることができます。 自分の力ではコントロールすることのできない欲望、苦しみをもたらす束縛、終わることのない果てしない苦しみからイエス・キリストはあなたを自由にしてくださるのです。 

 何を握りしめて生きるべきか、聖書は教えています。 イエス・キリストが差し出していてくださる救いの手を握りしめるように(と)。 イエス・キリストが指し伸ばしていてくださる愛の手を握りしめて生きるように(と)。 イエス・キリストがあなたにどんなに大きなことをしてくださろうとしているのか、このキリストの手を握りしめて歩むことで、あなたも体験してくださいますように。 

       (PBA制作「世の光」2010.3.20放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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