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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■人を生かすのは霊である / 板倉邦雄

2024年09月30日 | Weblog

2024/06/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「人を生かすのは霊である」という題でお話ししましょう。イエス様は「人を生かすのはパンでもある」とも語りました。しかし、今日の箇所で「人を生かすのはパンだけではなく、霊である」と語られました。「人を生かすのは霊のことばである」と言い換えてもいいでしょうか。ヨハネの福音書6章60節からです。

 さて、これまでイエス様がユダヤ人に語られたことばは、イエス様がガリラヤ湖畔のカペナウムの会堂で教えられたものです。ユダヤ人たちは安息日ごとに地域の会堂に集まり、神礼拝をして旧約聖書からの朗読と教えを聞いていました。しかし、この日のイエス様のことばと教えは、人々をつまずかせたのです。特に今までイエス様に従ってきた弟子たちのうちの多くの者は、イエス様の教えを聞いて言いました。「これは、ひどいことばだ。誰がそんなことを聞いていられようか」とブツブツつぶやいたのです。

 イエス様は彼らのつぶやきの内容を見破って彼らに言われました。「わたしのことばがあなたがたのつまずきになるのか。それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。」 イエス様が十字架の死の後、三日目に復活されます。そして40日の間、自分の弟子たちに現われて、前にいた所、天の神様の元へ昇って行かれるのです。すなわち、人の子であるイエス様の復活と昇天の予告でした。
 復活と昇天の出来事は、イエス様のことば・教え以上の出来事ではなかったでしょうか。イエス様のことばを信じることのできない人は、現実の出来事は信じることはできないのでしょう。

 ですからイエス様はこう言われたのです。「人を生かすのは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話したことばは霊であり、またいのちである。」
 私たちの身体と心と霊を生かすものは、神の霊と結びついたことばだ、と言っているのです。

 肉のパンでは私たちの心と霊は養われることがありません。神のひとり子イエス・キリストのことばは、霊であり、私たちのいのちの源なのです。私たちの人生を生かす神様のことばです。
 「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きるものである」とイエス様は教えられたのではないでしょうか。


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.24放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■挫折からの飛躍 / 水谷 潔

2024年09月28日 | Weblog

2024/06/22放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 今年の2月、日本が生んだ世界的指揮者・小澤征爾さんがお亡くなりになりました。小澤さんは、もともとはピアニスト志望でした。ところが中学生になりラグビー部に入るのですが、試合中に右手の人差し指を骨折してしまいます。これにピアノの先生は激怒します。先生から、ピアニストは諦めて作曲家か指揮者のどちらになるかを決めるように、と言われた小沢さんは指揮者を選ぶこととなります。
その後若くして海外に渡り、当時の日本人としては前例のない活躍をします。それが評価されたのでしょう。小澤さんは若干27歳でNHK交響楽団に招かれます。しかし楽団員との関係は悪化してゆき、ついに楽団は小澤さんをボイコットします。さらに予定されていた定期演奏会も中止になります。この事件のために日本での音楽活動を断念せざるを得なくなった小澤さんは活動の場を海外へと移します。その後の大活躍は言うまでもないでしょう。ピアニストから指揮者へ、国内中心から海外へ。二度の転機はいずれも挫折でした。願った道が閉ざされたことで別の道に進まざるを得なかったことが飛躍へと転機となったのです。

 実は聖書は、挫折さえも飛躍のチャンスに変えてくださる神様の働きを記しています。新約聖書ローマ人への手紙8章28節にはこう書かれています。

 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」

 「神を愛する人たち」とあるように、神様はご自身を愛する者のためにすべてのことを共に働かせて、益・プラスとしてくださいます。「すべてのこと」とありますから、マイナスと思える事さえも、神様の働きによってプラスへと変えられるのです。時に挫折や失敗さえも次の飛躍のチャンスとなるように神様が働かれます。

 願った道が閉ざされること、思い描いていた希望が消えていくこと、積み上げてきた努力が報われずに終わっていくこともあるでしょう。しかし、それでも希望を持って歩める人生が、神様を愛する人たち、イエス・キリストを信じる者たちには開かれているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.22放送でのお話しより )


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■絶望は愚か者の結論 / 水谷 潔

2024年09月27日 | Weblog

2024/06/21放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 「絶望は愚か者の結論である」という名言があります。これは19世紀のイギリスの政治家ベンジャミン・デイズレーリという方が書物に記したことばです。

 「絶望は愚か者の結論である」ということは、賢い者は簡単には絶望をもって結論としない、ということを意味します。賢い者は絶望的な状況にあってもそこに希望を見出そうと努力する、ということでしょう。

 実は聖書の中には絶望という結論がひっくり返った事件が記されています。新約聖書ルカの福音書5章によれば、イエス・キリストは湖に漁師の小舟を浮かべ、その船から群衆に教え始められます。話が終わるとイエス様は、漁師であるシモン・ペテロに「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」と語り掛けます。それを受けて、シモン・ペテロは「先生、私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」と答えます。そして、網を下ろすと網が破れそうなほどの大漁となったのです。

 当時、漁は夜に行われました。明るいと網が魚から見えてしまうので捕ることができないからです。夜通し網を何度も下ろすというのは、どんなに大変な重労働でしょう。朝になっても何一つ捕れなかったとするならば、漁師たちの虚しさや徒労感はどれほどのものだったでしょう。

 「先生、私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。」 そのことばは絶望という結論でしょう。しかし、イエス様のことばだから、という理由で明るい中で湖に網を下ろします。すると、あり得ないような大漁を経験したのです。絶望という結論はひっくり返りました。

 イエス様の語りかけを受けてそのことばに従うとき、絶望は希望に転じます。人生に虚しさを感じ、徒労感を覚えるとしても、絶望という結論を出すのはまだ早すぎます。私たちの人生を決して絶望という結論で終わらせることのないイエス様に希望をもって歩みませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.21放送でのお話しより )


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■恥を怖れず自分を活かす / 水谷 潔

2024年09月26日 | Weblog

2024/06/20放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 30年ほど昔のこと、電力会社に就職したある新入社員のスタートは悲惨なものでした。同期100名で営業成績は最下位。営業先では、「そんなことも知らないのか? あなた何年目? 上司連れてきなさい!」と言われて、恥をかいてばかりでした。しかし彼は決して恥から逃げませんでした。恥の積み重ねを成長に結びつけ、やがてトップレベルの成績を上げる営業マンとなります。その後、この方は転職をするのですが、現在は企業研修会の人気講師として引っ張りだことなっています。この人物、誰だか分かりますか? 
 実はこの方は青山学院大学・陸上競技部の原晋(はら・すすむ)監督です。あるテレビ番組で監督は自分の過去を明かしてこう語りました。「恥をかくことは失敗ではない。恥をかくことを恐れて、何もしないことが失敗なんだ」。恥をかくことを恐れ過ぎると、自分の可能性や幅広い選択肢を失いがちなものです。

 でも、どうしたら恥を怖れずチャレンジできるでしょう。そのヒントは聖書にあります。旧約聖書、箴言の29章25節は言います。

 「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」

 「人を恐れると罠にかかる」とあるように、人の目や評価を恐れ過ぎるとマイナスに傾きやすいものです。しかし、「主に信頼する者は高い所にかくまわれる」とあるように、主つまり神様に信頼を置くなら、さまざまなマイナスから守られます。

 そうです。神様に信頼するなら人の目や評価を気にしすぎることなくチャレンジができるようになります。ある意味、安心して恥をかくことができるのです。神様は私たちに恥を怖れず自分を活かせる歩みを可能にしてくださいます。神様は恥をかくことを通してでも私たちを成長させ、実を結ぶ人生に道いてくださる方です。

 旧約聖書箴言の29章25節は言います。

 「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」

 聖書が記すこの神様を信じて、信頼して、恥を怖れずチャレンジできる人生を歩みませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.20放送でのお話しより )


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■喜びの方法~喜びなさい / 水谷 潔

2024年09月25日 | Weblog

2024/06/19放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 喜びについて、新約聖書ピリピ人への手紙4章4節はこう記しています。

 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」 

 このことばを聞いて、喜びとは『喜びなさい』と言われて喜ぶものではないでしょう、喜びっていうのは、自然と心の中に湧き起こるものでしょう・・・、そう思う方もきっといらっしゃるでしょう。

 一般的な意味での喜びは、喜ばしい出来事や状況があって、その反応として起こる感情です。しかし聖書によれば、イエス・キリストを信じる者に与えられる喜びはそれとは異なります。何かへの反応として起こる感情ではなく、自分から主体的に自らの意志で喜ぶんです。「喜びなさい」と言われて「喜ぼう」と決めて、喜びの供給源であるイエス様につながることでいつでも喜べる喜びなのです。

 たとえば寒い冬に「部屋を暖かくしておきなさい」と言われたら、暖房のスイッチを入れて、そのままにしておけば温かくできます。「部屋を明るくしておきなさい」と言われたら、照明器具のスイッチをオンにすれば、部屋を明るいままにしておくことができます。そのように、「喜びなさい」と言われてスイッチを入れてイエス様に心を向けるならば、イエス様の愛を思い感謝するなら、絶えることなく喜びが心に注がれてくるのです。

 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」。

 聖書は念を押すように「もう一度言います。喜びなさい」と繰り返しています。この手紙を書いたのはキリスト教の伝道者パウロですが、彼は牢獄の中でこの手紙を書きました。そしてこの手紙の宛先であるピリピの教会の人たちも、厳しい試練と苦しみの中にありました。
 ですからパウロは、喜ぶことが困難な時にこそイエス様を信じる者に与えられている独自の喜びをもって喜ぶように、と進めているのです。

 聖書が記す喜びは、喜ぶことが困難な中にあっても喜ぼうと思えば喜べる喜びです。「いつでもどこでも、喜べる喜び」を神様は与えてくださいます。ラジオの前のあなたもイエス様を信じてこの喜びの中を歩みませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.19放送でのお話しより )


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■喜びの場所~主にあって / 水谷 潔

2024年09月24日 | Weblog

2024/06/18放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 いつも喜んで毎日を過ごせたらいいのですが、なかなかそうはいきません。でも聖書は、いつも喜ぶように、と私たちに勧めています。新約聖書ピリピ人への手紙4章4節は喜びについてこう記しています。

 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」

 聖書は「主にあって」と言います。「いつも喜びなさい」と命じられているその喜びは、「主」と呼ばれるイエス・キリストとの関係にあっての喜びです。

 喜びたくても喜べる材料が外になく、自分の内側にも喜びを見いだせないことがあるでしょう。しかしイエス様が心の中にいらっしゃるなら、イエス様が喜びの供給源となってくださいます。喜びの供給源であるイエス様とつながるなら、私たちの心に喜びが供給されるのです。

 こんなお話を聞いたことがあります。昔、アフリカの奥地にある村の村長が都会に行きました。そこで生まれて初めて水道を見て驚きます。これがあればもう井戸を掘る必要も家の外まで水を汲みに行く必要もなくなる、と思ったのでしょう。村長は、蛇口の付いた水道管を村に持って帰り、村人たちを集めます。そして水道管を地面に差して言います。「もう、これからは井戸を掘らなくても良くなる。この蛇口をひねればいつでも水が出るからだ」。しかし、何度蛇口をひねっても水が出ることはなく、村長は困惑したそうです。

 水道管も水源につながっていなければ、ただの管です。同じように、喜びを失い、自分が水源につながっていない水道管のように感じることはないでしょうか。

 イエス様は喜びの供給源です。信じる者の内側にいてくださり、溢れるばかりの喜びを年中無休24時間で供給してくださいます。
 蛇口をひねるように神様に思いを向けるとき、私たちの心に喜びが訪れます。神様に愛されていることを覚えると、喜びが湧きあがります。聖書が記す喜びは、イエス様との関係にあってのみ経験できる喜びなのです。

 聖書は言います。「いつも主にあって喜びなさい。」

 あなたもイエス様を信じて、イエス様との関係の中で喜びに歩みませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.18放送でのお話しより )


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■喜びの時~いつも / 水谷 潔

2024年09月23日 | Weblog

2024/06/17放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週、番組を担当する愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 新約聖書ピリピ人への手紙4章4節は、喜びについてこう記しています。

 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」

 聖書は、いつも喜ぶように命じています。実は、イエス・キリストを信じる者に神様が与えてくださる喜びは、言わば「いつも」喜べる喜びです。

 「いつも」喜ぶなどと聞きますと、ありえないことのように思われるかもしれません。普通、喜ぶには喜べる出来事や喜べる環境がなくてはなりませんが、それがいつもあるとは限りません。あり得ないと思うのは無理もないでしょう。

 例えばサッカーで、ゴールを決めた選手は飛び上り、ダンスをして全身で喜びを表現します。しかしシュートがゴールを外れてしまうと頭を抱え、膝をつき、失望や悔しさを現します。試合に勝利すれば喜べますが、負ければ喜べません。まさにスポーツの世界は一喜一憂です。

 このことは私たちの日常も同じではないでしょうか。外側の状況は移り変わりますから、いつも喜びなさいと言われても、それは無理です。喜べるかどうかは状況次第です。

 しかし聖書が記す喜びは移り変わることのない事実に立つ喜びです。神様が自分を愛しておられること、神様が与えてくださる希望、目には見えなくてもイエス・キリストが共にいらっしゃること、イエス様を信じる者にとって、これらは状況に左右されることのない事実です。
 ですから、信じる者の内側にある喜びは外側の変化によって消え去ることも奪われることもありません。

 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」

 イエス様を信じる者に与えられる喜びは「いつも喜べる」喜びです。それは、イエス様を信じる者の内側にある事実に立つ喜びです。苦しみの中でも失われることのない喜び、絶望でさえも奪い去ることのできない喜びです。

 ラジオの前のあなたもイエス様を信じ、この喜びの中を歩きませんか? 明日のこの時間も、ぜひ、お聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.17放送でのお話しより )


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■キリスト教につまずいても / 黒木昭江

2024年09月21日 | Weblog

2024/06/15放送

 「世の光」の時間です。今週は、名古屋市の富田キリスト教会・金山キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしてきました。

 最終日の今日は、救いを真剣に求めていた青年のエピソードを聖書の中からご紹介します。

 この青年は品行方正でまた社会で指導的な立場にある有力者でした。彼はイエスのもとを訪れて、どうしたら救われるのかと真摯に尋ねたのです。

 イエスは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」とおっしゃいました。

 青年が「それはもう実践しています」と答えると、イエスは何と、「あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい」と言われたのです。

 確かにそうできれば貧しい人々は助かります。でもだからと言って自分の生活を犠牲にしたら、今度は自分が貧しくなってしまいます。青年はがっかりして、イエスの前から去って行きました。

 
 実はイエス様には深い意図がありました。本当の隣人愛は自分を犠牲にしてでも相手を助けるはず。でも自己犠牲は簡単ではありません。ということは、究極的には、私たちは隣人愛を実践できない者なのです。イエスは青年に、そのような自分の本当の姿に向き合って欲しくて語られたのです。

 イエスの弟子たちはこのやり取りを見聞きして、「一体誰が救われることができるんでしょう?」と訊きます。
 イエスは、「人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます」と宣言されます。

 善行を積めば救われるのではありません。神が人を一方的な恵みで救ってくださいます。その救いを受け取ったときに、人は隣人愛を実践できる者へと造り変えられていくのです。

 青年は、「神にはできる」というイエスの宣言を聞く前に去って行ってしまいました。戸惑いながらでもイエスの前から去らなかったなら、その恵みのことばを聞けたはずです。

 番組をお聴きの皆様も、もしかしたら聖書のことばが時々、分かりづらいかもしれません。でもその先に神様の恵みを知るチャンスが備えられています。

 明日は日曜日です。ぜひお近くの教会へいらしてください。また続けて来週も番組をお聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.15放送でのお話しより )


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■前科の持ち主 / 黒木昭江

2024年09月20日 | Weblog

2024/06/14放送

 「世の光」の時間です。名古屋市の富田キリスト教会・金山キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。

 今週は、キリストと出会って人生が変えられた人のエピソードを聖書の中からご紹介します。
 今日金曜日は、罪を犯した過去を持つ人のエピソードです。

 彼の名前はパウロ。この人はユダヤの宗教原理主義者で多くの人を殺害しました。組織の一員としてクリスチャンたちを憎み、次々と牢に入れ、殺したのです。ある日パウロはもっと多くのクリスチャンを殺そうと思い立ち、別の町へと移動しました。そしてその途上でイエス・キリストに出会ったのです。

 劇的な出会いでした。突然、天から光が差し、その光の中からキリストは彼に語りました。
  「なぜわたしを迫害するのか」。
 その瞬間、パウロは目が見えなくなります。

 キリストはパウロを罰したかったのではなく、罪の生活から救い出したかったのでした。そして、一人のクリスチャンをパウロの元へ遣わし、その人が祈りをささげると、パウロの目からうろこのようなものが落ちて、見えるようになります。この時彼は、自分がこれまでしてきたことの罪深さを悟ったのです。

 パウロはクリスチャンになります。しかし、キリスト教会には、パウロによって殺された者たちの遺族がいました。パウロは加害者でした。パウロは信仰生活を送りながら、繰り返し繰り返し、自分の過去と向き合わされました。

 しかし苦しくなる度、キリストはパウロに十字架の恵みを語ってくださったのです。

 キリスト教会には十字架がかかっています。それは、神が人の罪を赦してくださったしるしです。後に使徒と呼ばれる伝道者となったパウロは、教会宛てにこんな手紙を書いています。
 「私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました」(コリント人への手紙第一15章9節10節)

 神は私たちの罪も赦してくださいます。そして新しい人生をくださいます。
 ぜひお近くの教会をお訪ねください。イエス様はあなたが来られるのを待っておられます。


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.14放送でのお話しより )


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■孤独な金持ち / 黒木昭江

2024年09月19日 | Weblog

2024/06/13放送

 「世の光」の時間です。今週は名古屋市の富田キリスト教会・金山キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。

 大切な人との出会いが人生のターニングポイントとなることがあります。
 今週は、キリストと出会って人生が変えられた人のエピソードを聖書の中からご紹介します。

 今日木曜日は、人生の価値は財産で決まる、と思っていた人のエピソードです。

 その人はユダヤのエリコという町で税金を集める仕事をしていました。名前はザアカイ。ザアカイはユダヤを支配していたローマ帝国の職員として同胞から税金を集めるだけでなく、しばしば不当に税金を取り立て、差額を自分の個人的な収入にしていました。ザアカイは財産を増やしましたが、一方で親しくしてくれる人はいませんでした。

 ある日、町にイエス・キリストがやって来ます。ザアカイは好奇心から有名人のイエスを一目見ようとしますが、人だかりで見えません。そこで、木に登って上から、通り過ぎるイエスを見ようと考えたのです。
 するとイエスは、ザアカイの登った木の下からザアカイを見上げました。そして、「ザアカイ、わたしは今日、あなたの家に泊まる」とおっしゃったのです。

 ユダヤの文化ではその人の家に行くというのは「友達になる」ことを意味しました。突然の申し出でしたが、ザアカイは急いで木から降りると、喜んでイエスを迎え入れたのです。

 ザアカイはイエスと出会って、人生に最も大切なもの、そして、自分が本当に求めていたものが何なのかがハッキリしました。それは愛されること、また愛することでした。そしてイエスはザアカイの真実な友となってくださいました。

 価値観を変えられたザアカイは、「財産の半分を貧しい人に寄付し、脅し取った物は4倍にして返す」と公言します。

 キリストは「今日、救いがこの家に来ました」とおっしゃいました。

 イエス・キリストは私たちの心の目を開き、本当に大事なものは何かを悟らせてくださいます。そして人生を一緒に歩む、親友となってくださるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.6.13放送でのお話しより )


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