♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■日本初の女性記者であり教育者 羽仁もと子 / 岩井基雄

2019年09月30日 | Weblog
2019/8/26放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第四週月曜日の今日は日本初の女性記者であり教育者、羽仁もと子について学んでみましょう。

 羽仁もと子は明治6年、青森の八戸で生まれます。16歳で上京し、東京府立第一高等女学校に入学しますが、心の内に渇きを覚え、キリスト教会に通い始めます。そして聖書が語る神様の愛を知り、罪を認め、キリストを信じ、洗礼を受けるのです。教師を目指し女子高等師範を受験しますが不合格。『女学雑誌』の熱心な読者もと子はその編集長で明治女学校の校長岩本善治の計らいで明治女学校へ入学。『女学雑誌』の校正を手伝い、雑誌づくりの基礎を学びます。二度目の夏休み、八戸に帰ると彼女はそのまま教員となります。そして恋愛し、結婚へと導かれるのです。自分の生き方を求めつつもさまよう葛藤が見てとれますね。

 その結婚は半年で破綻し、もと子は本当に自分の無力を痛感した半年であったと書き残しています。再度上京して報知新聞の校正の職を得、実力が認められて記者となり、日本初の女性ジャーナリストとなります。そして自らが苦しんだ経験をもとに家庭生活の大切さを訴え、聖書が語る神様の愛を基盤とした思想家として力を発揮していきます。職場で知り合った羽仁吉一(よしかず)と28歳で再婚。30歳で雑誌『家庭之友』の創刊に関わり、その後、夫婦で出版していた雑誌(※『家庭女学講義』)を『婦人之友』へと改題し、主婦や家庭の方向性を示唆して行きました。

 48歳の時、もと子は読者の声の愛の教育を目指し、東京旧目白(※西池袋)に自由学園を創立します。その名称は新約聖書に由来するものでした(※「真理はあなたたがたを自由にします」(ヨハネによる福音書 8:32))。自由学園は神様の愛に基づき自労自治(※毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う)の生活を通じ、少人数の教育を行なっています。彼女の墓標には「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」と刻まれました。

 イエス・キリストはこう語ります。
 
 あなたがたはわたしのことばにとどまるなら本当に私の弟子当たったわ信じ主に新規はあなたがたを自由にします新約聖書様の福音書30日
 「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

  新約聖書 ヨハネの福音書 8章31節、32節

(PBA制作「世の光」 2019.8.26放送でのお話より )
 
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 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■アブサロムの野心 / 羽鳥頼和

2019年09月28日 | Weblog
2019/8/24放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は、旧約聖書のサムエル記第二で語られているダビデの息子アブサロムについてお話しします。アブサロムはイスラエル一のイケメンでした。聖書はこう言っています。
 
 「イスラエルのどこにも、アブサロムほど、その美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった。」 (サムエル記第二 14章25節 )
 
 しかしそんな彼の心は怒りと野心でいっぱいでした。そして彼の行動はとても暴力的でした。異母兄弟のアムノンが自分の妹を辱めた時、彼は怒って自分の兄を殺してしまいます。それで彼は母親の故郷に身を潜めます。彼は三年経ってダビデ王のいるエルサレムに戻ることを許されましたが、ダビデ王は彼に会おうとしませんでした。その事に不満を覚えたアブサロムは父ダビデを倒して自分がイスラエルの王になろうとします。

 彼はいつも朝早くから宮殿の入口に立って、王に陳情に来る人の願いを親身に聞き、自分ならあなたの願いをかなえようと約束します。こうしてアブサロムはイスラエルの人々の心を掴みました。そのあとでアブサロムはダビデに、神を礼拝すると嘘をついて、ヘブロンに行きます。アブサロムはヘブロンで、自分になびいた人々によって王となります。こうしてアブサロムはダビデに反旗を翻しました。

 多くの人を味方につけたアブサロムが王となって攻めて来ることを聞いたダビデは、すぐにエルサレムから逃れていきました。このようなこの謀反は成功したかに見えました。しかししばらくしてダビデの部下たちが反撃に転じると、アブサロムは殺されてしまい、謀反は失敗に終わったのでした。

 旧約聖書 サムエル記第一 16章7節の神のことばを思い出します。

 神は言われました。
 「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。
 神は私たちの心を見守っておられることを忘れないでいましょう。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.8.24放送でのお話より )
 
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■本来の礼拝の姿 / 関根弘興

2019年09月27日 | Weblog
2019/8/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様がエルサレムに入られ神殿に行かれた時のことでした。イエス様が見た当時の神殿の現実はどうだったかっていうと、人々がそれぞれ区切られた庭によって仕切られ(※異邦人の庭、ユダヤ女性の庭、ユダヤ男子の庭)、そして両替人や商売人たちは自分の利益だけを求めているような、そんなような状態でした。

 イエス様はそんな両替人や商売人を追い出し、本来の神殿の姿を身をもって示されたのです。すると、イエス様のもとに目の見えない人たちや足の不自由な人たちがやってきました。イエス様は彼らを暖かく迎え入れ、一人ひとりを癒されたのです。

 イエス様は、もし両替人や商売人が本来の「祈りの家」としての礼拝を妨げてしまうなら、そんなものはやめてしまえ、むしろ今ここにいる人々に愛と憐れみを差し出すことの方が本来の神殿にあるべき光景だ、ということを身をもって示されたんですねえ。

 するとこんどは、子どもたちが庭の中で「ダビデの子にホサナ!」と叫んでいた、と書かれています。旧約聖書には、救い主はダビデ王の子孫から生まれる、と預言されていますから、「ダビデの子」とは救い主のことを意味しています。子どもたちはイエス様に向かって、あなたは救い主です、と賛美していた訳ですねえ。

 でもそれを聞いた宮の神殿の指導者たちやまた当時の学者たちは腹を立てました。「あなたは礼拝に必要な両替人や商売人を追い出したり、勝手に癒やしを行なったりするだけでなく、自分が救い主だと言われて否定もしないとは、自分を何様と思っているのか!」と怒った訳です。

 するとイエス様は、詩篇8篇を引用し、「『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された』と聖書に書かれているその事を読まなかったのか」と言われたんですね(マタイの福音書21章16節参照)。

 神様は子どもたちに賛美をさせておられるのだ、子どもたちがわたしを救い主として賛美するのは神様の御心なのだ、ということなわけですよねえ。子どもたちは100%意味が分かって「ダビデの子にホサナ」と歌った訳ではなかったでしょう。しかしイエス様はその賛美を受け入れ、喜んでくださいました。イエス様こそ賛美を受けるに相応しい方だからです。誰もが、分け隔て無く受け入れられ、イエス様によって癒され、イエス様を賛美する場所。それが神殿の本来の場所であり真の礼拝の姿なんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.8.23放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし-119  欲しがってはならない / 大嶋重徳

2019年09月26日 | Weblog
2019/8/22放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。

 十戒の第九戒には「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)と記されています。

 今日からついに十戒の第十の戒めに入ります。十番めの戒めにはこう記されています。
  「 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節、参照申命記5章21節 )
  
 つまり「欲しがってはならない」と心の中の感情を取上げているのです。私たちが十戒を学び始めるとき、日本人の信仰心は内面や魂の領域に特化しやすい事の課題について考えました。そして十戒は内面の事柄だけではなく私たちの生き方の問題へと光を当ててくれるものだと言う事をここまで長い時間を懸けて学んできたのです。しかし、この第十の戒めは明らかに「欲しがる」という心の問題へと、心の深みへと踏み込んで行こうとしています。

 十戒の説明をしているある書物にある人がこのような説明をしています。

 これまで述べてきた十戒の考察を通して、あたかも神は日曜日ごとに私たちの手を取り、「人間」という家の中を隈なく導いてくださったかのようです。[人間という家の]一階から九階に至るまで、神様は私たちと共に歩みを進めてくださり、至る所で扉を開き、窓を開け、クモの巣やかびを取り除き、「太陽よ、日の光よ、入って来なさい」と語られました。しかし、この最後の戒めによって、今や神は、まだ別の階があること、言うならば地下があることを私たちに思い起こさせてくださるのです。すなわち、「人間」という家には、最後にもう一つ地下室があるのです。神がここで「あなたは欲してはならない」と語られるがゆえに、しばらくの間、地下室すなわち心の地下室に降りていくことが必要になります。 (ヴァルター・リュティ著『十戒』新教出版社 263pより )

 非常に深い洞察です。自由なる生き方に招かれている私たちの最後の砦となっている心の地下室へと十番目の教えは気づかせよとしてるのです。まさにこの心の地下室を取り扱わないまま私たちは十戒の学びを終えるわけにはいきません。第十戒は、私たちが心の奥深くに隠し、心の深いところに潜んでいるものを明らかにしようとします。まさにそこにキリストのもたらす自由の風が心の中に吹き込み、福音の光が届くことによって私たちの自由なる生き方が全領域、全世界の隅々にまで行き渡ることとなるのだからです。

    ( PBA制作「世の光」2019.8.22放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ただ、あなただけが主です / 福井 誠

2019年09月25日 | Weblog
2019/8/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。ネヘミヤ記9章6節から 「ただ、あなただけが主です」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「 ただ、あなただけが【主】です。あなたは天と、天の天と、その万象を、地とその上のすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを造られました。あなたはそのすべてを生かしておられます。天の万象はあなたを伏し拝んでいます。

 エルサレムの町の再建が一段落ついた頃、時はもうイスラエルの暦では第7の月になっていました。それは太陽暦に直すと、今の9月、10月ですね。第7の月の一日というのはイスラエルの人々からすれば、それは新年に当たるものです。そして収穫祭や仮庵の祭が行われる重要な月でもありますねえ。その第1日にイスラエルの人々は一斉に水の門の広場に集まってきて律法の書を朗読した、つまり礼拝をささげた、とあります。彼らは立ったままで、昼の四分の一は律法の書を朗読し、次の四分の一は告白をして彼らの神・主を礼拝し、そこに大いなる悔い改めが起こったとされます。

 不思議に思われますでしょうか。しかし理解できないことではないですね。というのは律法の書が語っていることは、神を認め神に従うときに神の祝福と守りがある、しかし神に背き神を捨て去るときに彼らはその約束の地から根絶やしにされることで、彼らは文字どおりバビロン捕囚の悲劇でその神のことばの真実さを味わったからです。そして更に、律法の書に書いてあるように、彼らは神が悔い改める者には恵み深い方であることを捕囚からの解放と祖国への帰還、そして再建によって心から実感したのですね。彼らが大いに悔い改め、神を喜び、そして「ただあなただけが主です」と告白するのは自然なことでした。

 しかし彼らに起こったことは私たちにも同様に起こります。聖書は、私たちがイエスの十字架にある罪の赦しを覚え、神の恵みを求めるならば、それを味わうであろうことを語っています。神のことばを不思議に思うのではなく、神のことばは真実である、と神のことばを素直に受け入れて生きていきたいものですね。

 では良き一週を祈ります。
 
 (PBA制作「世の光」2019.8.21放送でのお話より )

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■アンテオケ教会 / 板倉邦雄

2019年09月24日 | Weblog
2019/8/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は異邦人の教会第一号となったシリヤの「アンテオケ教会」の話しをします。
 新しい訳ではアンティオキヤになっています。使徒の働き11章です。

 さて、エルサレム教会の執事ステパノのことで起こった教会への迫害のために散らされた人々は様々な地方へ散っていきました。しかし彼らはユダヤ人以外の者には神のことばを語りませんでした。ところが散らされていった人々の中にギリシャ語を離すキプロス出身者とアフリカ東部出身のクレネ人がいました。彼らはシリヤのアンテオケに行ってからギリシャ人に呼びかけ、イエス・キリストを宣べ伝えたのです。そして主の御手が彼らと共にあったため、イエスを信じて主なる神に帰依する人たちの数が多くなりました。ここに異邦人第一号のアンテオケ教会が誕生したのです。

 異邦人教会の誕生の噂はエルサレム教会へ伝わりました。そこでエルサレム教会は「慰めの子」バルナバをアンテオケ教会へ遣わしました。バルナバは聖霊と信仰とに満ちた立派な人でしたねえ。こうして主イエス・キリストにくっつく人々が大勢になりました。このアンテオケでキリストの信徒たちが「クリスチャン」とあだ名で呼ばれるようになったのです。いつでも舟虫のようにキリストにくっついているからです。口を開けば「キリスト」、人に会えば「キリスト」、どこに行っても「キリスト」「キリスト」と言っていたからです。

 やがてアンテオケ教会が大勢になっていったので、バルナバ一人では大変になりました。そこでバルナバはサウロを探しにサウロの故郷タルソまで出掛けて行ったのです。そしてサウロを見つけると、バルナバはサウロをアンテオケ教会に連れて帰りました。そして二人は協力して丸一年、教会での集会を担当し、多くの人々に聖書を教えたのです。

 さて、異邦人のアンテオケ教会は三つの特徴がありました。まず第一に、困難の中で伝道する教会でした。第二に、信徒があだ名で呼ばれるほど証しの教会でした。そして第三に、バルナバとサウロの指導者たちによって聖書が教えられる教会だったのです。

  (PBA制作「世の光」2019.8.20放送でのお話より )

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■たとえ全世界を手に入れても / 岩井基雄

2019年09月23日 | Weblog
2019/8/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三月曜日の今日はキリストが弟子たちに語られたことばから私たちの人生の目的をご一緒に考えてみましょう。

 今年もまことの平和を祈り求める時を迎えています。社会のあり方だけではなく、私たちのあり方が問われる時と言ってもよいでしょう。私たちは何のために生き、また何を目標としてい歩みを進めているのでしょうか。時には、あらゆるものを所有したり手に入れたいと願い、それを求めています。しかし私たちが求めるすべてのものを手に入れたとも言えるイスラエルの王ソロモンも虚しさを聖書の箴言という書の中で語っています。あらゆるものを手に入れたとしても私たちの心は本当の意味で満たされることはないのです。人間は神のかたちに造られたと聖書は語っていますが、それは神を求める存在という意味もあり、人は神によってでしか満たされない空洞が心にある、とフランスの物理学者であるキリスト者ブレーズ・パスカルも語りました。

 そしてイエス・キリスト自身、次のように弟子たちに語ったのです。
 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。
     新約聖書マルコの福音書8章36、37節

 人間がたとえ全世界を手に入れたとしても神様に背き、神様から与えられたいのちを失ってしまったら何の意味もありません。しかも、単なる肉体のいのちだけではなく神を求める霊的ないのち、永遠のいのちを失ってしまったとしたら、どうやってもそれを手にすることはできないのです。神様が与えてくださるまことのいのちの祝福は私たちが真に求めるべきものなのです。

 あなたは人生の目標、また宝として何を求めていらっしゃいますか? それは永遠へと繋がるものでしょうか。それとも、いつかは失われてしまうものでしょうか。私たちは神様の祝福、永遠のいのちに関わるものを心から求めていきたいと願います。キリスト・イエスにあってこそ、その永遠のいのちを私たちは自分のものとすることができるからです。

 あなたはどこに宝を求めて歩んでいらっしゃいますか? 聖書はあなたに、この地上ではなく天に宝を積みなさい、と語ります。
 
(PBA制作「世の光」 2019.8.19放送でのお話より )
 
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■イスカリオテのユダの最期 / 羽鳥頼和

2019年09月21日 | Weblog
2019/8/17放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 イエスの十二弟子の一人にイスカリオテのユダという人がいます。聖書の中で彼を含む十二弟子全員の名前が列挙されるとき、イスカリオテのユダは必ず最後に書かれています。そして必ずイエスを裏切ったというただし書きが加えられています。彼はイエスを裏切ったのです。ユダヤ人指導者たちから銀貨30枚を受け取り、彼らにイエスを引き渡したのです。今日はこのユダの最後について新約聖書マタイの福音書27章からお話しします。

 イエスが死刑に定められた事を知ったユダは、イエスを引き渡したことを後悔しました。そして銀貨を返して指導者たちに言いました。「私は無実の人の血を売って罪を犯した。」 ところが指導者たちは、「我々の知ったことか。自分で始末しろ」と銀貨を受け取りませんでした。受け取りを拒否されたユダは銀貨を神殿に投げ込んで、そこを立ち去ると神殿の外に出てから首を吊ってしまいました。

 ユダはイエスのことを「無実の人」であると言っています。しかし、イエスが神の御子・救い主であるとは言っていません。ユダは救い主であるイエス・キリストを信じることができなかったのです。

 「悔い改めて福音を信じなさい」とイエスは言われました。福音とは良い知らせです。キリストの福音とは、イエスが神の御子であり、救い主であり、人を救うために十字架にかかって死んでくださったことであり、このキリストの十字架によって人は罪を赦されて救われる、という良い知らせのことです。

 ユダは自分の罪を認めて後悔しました。しかし、キリストの福音を信じることができなかったのです。

 人はどんなに後悔しても、自分の力で自分を救うことができないのです。神はそんな人の罪を赦すために、ご自分の独り子で無実の人であるイエス・キリストを身代わりとして十字架につけられたのです。キリストの十字架によってしか救いはないのです。このキリストの福音を信じましょう。

 明日は日曜日です。キリストの福音を知るために、お近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2019.8.17放送でのお話より )
 
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■わたしの家は祈りの家 / 関根弘興

2019年09月20日 | Weblog
2019/8/16放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様がエルサレムに入られ、神殿に行かれた時のことでした。神殿の一番外側の庭には大勢の両替人や商売人たちがいました。彼らは神殿の中で不当な利益を得ていた人たちでした。イエス様はそんな彼らに対して、「あなたがたは神殿を強盗の巣にしている!」と両替人たちや商売人たちを追い出してしまわれたんですねえ。そして「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか」と旧約聖書のイザヤ書にあることばを引用し、語られたんです(参照 マタイの福音書21章13節、 マルコの福音書11章17節、 ルカの福音書19章46節)。

 このイザヤ書の箇所を読むと、そこには外国人と宦官が出てきます(イザヤ書56章3 -7節)。ユダヤ人たちは自分たちだけが神に選ばれた民だと考えていましたが、外国人でも神様を信じた人は改宗者と呼ばれ、神の民の中に加わることができました。しかしイエス様の時代には神殿の一番外側に異邦人の庭というのが造られ、しかもそこには改宗者であっても「これ以上神殿の中に入ったら殺されても責任を負わない」というような看板が立てられていたほどだというのです。ですから彼らはいつか神様から見捨てられ切り離されてしまうのではないかと不安を感じた人もいたようでした。また宦官、---宦官は宮廷に仕える去勢された人たちですね---、彼らは自分たちを枯れ木のようにしか見られていないのではないかと考えてしまうこともあったようでした。自分は身に欠陥があるから神様から疎んじられてしまうのではないか、そんな思いを持った人もいたようでした。

 しかし神様は預言者イザヤを通して、「わたしは、・・・わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。・・・わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」と約束してくださったんです(イザヤ書56章7節参照)。それは外国人も宦官も取税人も罪人も、誰でも真心から主を求め礼拝に来るなら受け入れよう。そこには何の差別もない。だから卑屈になったり負い目や劣等感を持つ必要などない。心配するも必要もはい。神殿は全ての民がやってきて、主に祈り、主と共にいることを楽しむ場所なのだから、と神様はイザヤを通して教えてくださったんです。

 神様は私たちを誰一人として分け隔てなく迎え入れてくださり楽しませくださるお方です。だから誰でも神様を礼拝し、神様に祈り、楽しむことができる場所、それが本来の神殿の姿であり、教会の姿でもあるんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.8.16放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし-118 偽証してはならない / 大嶋重徳

2019年09月19日 | Weblog
2019/8/15放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。

 十戒の第九戒には「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)と記されています。

 イエス・キリストの弟子たちは幾つも嘘をつきました。一番のリーダーであった弟子のペテロは、イエス・キリストを「知らない」と誓ってまでも嘘をついたのです。しかしやがてその嘘を赦され、神の赦しの愛に触れたとき、恥ずかしいこの過去もまたイエス・キリストの愛のエピソードを語る物語として用いられていったのです。

 嘘をついたとき、私たちは嘘に嘘を重ねていくこととなります。まさに嘘の奴隷になるのです。しかし嘘をついた自分を明らかにし、神の前で真実に悔い改めの祈りをするとき、私たちは真に自由になっていくのです。むしろ自分の隠したい恥ずべき人生が、かえって神の栄光を表すことのできる証しへと変えられていくのです。

 第9戒を違反して嘘に嘘を重ねる奴隷のような生き方が私たちから自由を奪っていきます。もし私たちが恥をかきたくなくて嘘をつくのであれば、キリストの愛と赦しに満ちたりることへと向かわなければなりません。そしてこのキリストの十字架の愛に満ち足りる時こそ、私たちは勇気と自由を得て、真理の証人と本当の意味で変えられていくのです。

 最後に十戒第9戒は、私たちをキリストの愛を伝える者へと変えていきます。偽りの証言ではなく真理を語りなさいというこの第9戒の戒めによって私たちの口にすべき唯一の真理はイエス・キリストの物語です。偽証をせずに生きる私たちが選びとっていく人生は、イエス様のことを語る人生です。

 世の光というラジオ番組が願っていることもイエス・キリストを語ることです。この世界は偽りばかりだと嘆きそうになる時代の中で、唯一の真理はイエス・キリストにあるのです。イエス・キリストは語られました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネの福音書14章6節) この世界の唯一の真理であるイエス・キリストを伝えたいと願ってこの番組は始まりました。

 今朝もあなたに伝えたいことがあります。それは、いるかいないか分からない神ではない、本当か嘘か分からない神ではない、あなたが人生を委ね、あなたの人生に揺らぐことのない真実を与えてくださる神がおられます。この神様をどうか信じ受け入れていただきたいと思います。そこであなたは偽りのない人生へと必ず導かれていくのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.8.15放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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