♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■苦悩の中での祈り / 岩井基雄

2020年08月31日 | Weblog

2020/7/6放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第一月曜日の今日は詩篇116篇の前半から、苦難の中での祈りに心を留めてみましょう。

 この詩篇は、死の不安や絶望的な苦悩から救い出された作者の感謝の歌です。詩人の苦しみは重い病だっようです。病は私たちの身体だけではなく、心にも生活にも大きな影響を与えますねえ。この詩篇作者は重い病の中で神の祈りを忘れませんでした。困難の中でこそ神に信頼して祈ったのです。苦悩の呻きの中で神に向かう祈りの特権は私たち全てに与えられているのです。今日の詩篇をお読みします。

 死の綱が私を取り巻き よみの恐怖が私を襲い 私は苦しみと悲しみの中にあった。
 そのとき 私は【主】の御名を呼び求めた。
  「【主】よ どうか私のいのちを助け出してください。」
 【主】は情け深く 正しい。 まことに 私たちの神はあわれみ深い。
 【主】は浅はかな者をも守られる。 私がおとしめられたとき 私を救ってくださった。
               旧約聖書 116篇 3節から6節

 作者は死の綱やよみの恐怖が自分を襲う深い苦しみと悲しみのただ中で、神に信頼して祈り、そして神よりの不思議な助けと癒しを経験しました。深い悲しみの中で主の憐れみの深みを経験し、主の力強い守りを経験したのです。神様は私たちが病や悲しみ、呻きや痛みを通ることを敢えて許され、チャレンジとして与えられます。しかしその全てが神の愛に基づいた「招き」であることを忘れてはなりません。神は愛の御手をもって私たちを支え、招き続けているのです。この作者はそのことを覚えつつ、自らにも「主の元に行くように」と語りかけ、こう続けています。
 私のたましいよ おまえの全きいこいに戻れ。
 【主】が おまえに良くしてくださったのだから。
 まことに あなたは 私のたましいを死から 私の目を涙から
        私の足をつまずきから救い出してくださいました。
                詩篇116篇 7節から8節

 私たちも今の状況中にある神の愛の招きに応じて、神が用意してくださっている魂の憩い、涙を拭い救い出してくださる主の助けを受けるべく神のもとに行きたいと思います。

  (PBA制作「世の光」 2020.7.6放送でのお話より ) 
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■悪を必ずさばかれる神 / 羽鳥頼和

2020年08月29日 | Weblog

2020/7/4放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。


  教会の礼拝で賛美する讃美歌の中にこんな歌詞があります。
 「罪に満てる世界、そこに住む世人に、『いのち得よ』とイエスは血潮流しませり。」

 「罪に満てる世界」とは、世の中が罪で満ち溢れているということです。それは私自身にも言えます。私の心は注意していないと悪い思いがどんどん出て来てしまいます。この讃美歌は、人を罪から救うためにイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださった、と歌っています。

 それでは神はこの世の悪はどうされるのでしょうか。今日は、旧約聖書の列王記第二の9章から、この世の悪を裁かれる神についてお話しします。

 北イスラエルのアハブ王は異教徒の女性であるイゼベルと結婚すると、彼女の勧めでバアルという偶像を崇拝するようになりました。またアハブは、ナボテのぶどう畑を奪い取るなど、人々からの搾取を行い、その上、預言者たちを迫害しました。アハブ王が死んだ後もアハブの家は偶像を崇拝し、悪い政治を続けていきました。

 そんな時、預言者エリシャが神に命じられ、若い預言者に、エフーの頭に油を注がせました。若い預言者は王の部下であったエフーに油を注ぎ、彼を王とし、そして彼に、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない、と神の命令を伝えました。エフーは神に選ばれた王として立ち上がりました。するとイスラエルの全軍はエフーに従いました。こうしてエフーはイスラエルの王とアハブの家の者たちを打ち殺しました。神がアハブの家を裁かれたのです。エフーを選ばれたのは悪を裁くためでした。それは悪によって苦しめられている人々を救うためでもありました。

 聖書のことば
 「【主】の目は 正しい人たちの上にあり 主の耳は 彼らの叫びに傾けられる。
   【主】の御顔は 悪をなす者どもに敵対し 主は彼らの記憶を地から消し去られる。
          旧約聖書 詩篇34篇15節、16節

  ( PBA制作「世の光」 2020.7.4放送でのお話より )
 
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■イエス様の祈り / 関根弘興

2020年08月28日 | Weblog

2020/7/3放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様が逮捕される直前のことですが、イエス様は弟子たちの足を洗い、最後の晩餐の時を持たれました。そして動揺している弟子たちに、「心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と言われ、「世にあっては苦難があります。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」と力強い励ましのことばをお語りになりました。そしてイエス様は祈り始められたんです。
ヨハネの福音書の17章には最も長いイエス様の祈りが記されています。その祈りの中でイエス様は、「真理にによって彼らを聖別してください。あなたのみことは真理です。」と祈られたのです。これはどのような意味なんでしょう。聖書の中には、聖め分つとか聖別するとか聖とするということばがよく出て来ます。これはよごれているものを綺麗にするという意味もありますけども、専用品として取り分ける、区別するという意味があるんですねえ。人でも物でも、神様のために取り分けられるとき、聖別ということばが使われます。ことばを換えるならば、一般用から神様用に用途変更するということなんですね。ですからイエス様が彼らを「聖め分ってください」と祈られたのは、彼らを「神様、あなたの専用品として用いてください」という祈りなんです。
 しかしイエス様はこうも言われました。「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません」と。つまり弟子たちはこの世のものではなく神様の御用のために聖別されている、区別されている、すでに用途変更済みだよと言われてるんですねえ。物の価値というのは誰に所有されているかによって変わりますね。愛と真実な神様に一人一人の生涯が握られ用いられているとするなら何と光栄なことでしょう。主を信頼する一人一人に対しても、実はこの祈りは祈られています。この世から聖別されるとは、特別な場所に移るとか特別な宗教生活に入ると言うことではありません。この世と全く関わりを持たずに生きていくと言うことではありません。あなたの存在そのものが神様の栄光を現わすものとして用途変更され、生きていくものとされていくのです。「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。」 つまり聖書のことばによって私たちは神様のために用いられるものとされていくんですね。

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書22 -居場所はキリストの側にある / 大嶋重徳

2020年08月27日 | Weblog

2020/7/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 天使たちが野原で羊飼いに、飼葉桶に寝ている赤ちゃんのことを知らせました。その時、羊飼たちいは飼葉桶を探し始めたのです。そして飼葉桶に寝ておられるみどり子を探し当てた、とあります。赤ちゃんは本当に飼葉桶のある家畜小屋に眠っていました。イエス・キリストの寝ているその場所は、ぼろぼろの服でも入っていける場所でした。イエス・キリストの寝ている飼葉桶、それは自分たちの服に染み付いたあの動物たちの臭いと同じ臭いがしたのです。彼らのありのままの姿で近づいて行ける場所がそこにありました。しかもそこにいる全世界のための救い主は生まれたての赤ちゃんでした。赤ちゃんの存在は無力です。それは羊飼いの子どもでも近づけると救い主だ、ということを意味しています。もしですよ、いきなり30歳ぐらいの姿でイエス・キリストが登場したなら、羊飼いの子どもたちは中に入れないどころか、救い主に近よれなかったでしょう。ウワー、おじさんだなあ、と遠巻きから見ることになったと思います。しかし、キリストが赤ちゃんとして生まれられたからこそ、子どもでも年配の方でも、誰でもよしよしと抱き上げることができたのです。誰もが近づいていける、誰もがそこにいても良い、暖かい救いの知らせがここに実現していたのです。
 そして羊飼いたちは天使がこの幼子について告げられたことをこの若い夫婦に知らせました。誰も自分たちの子どもが生まれた事を喜んでくれる人などいない夫婦にとって、この羊飼いの知らせは大きな喜びだったでしょう。この若い二人にもクリスマスの居場所が生まれました。

 イエス・キリストがこの地上に生まれだと言うことは、神があなたとともにいる、と言うことを伝えるためです。あなたには居場所がある。今日もあなたを愛し、あなたを見捨てはしない、あなたと共にいる神がいてくださる。あなたがどれだけよごれた人生を歩んでいたとしても、神のそばにはあなたの居場所があるのです。罪に穢れたあなたの姿をなお愛し、そして十字架であなたの罪のために死んでくださったキリストがおられる。

 あなたも探してみませんか? あなたがキリストを探そうとするとき、キリストがあなたを探している姿に出会います。そして探し当ててくれているキリストのそばにはあなたの居場所が必ずあるのです。そしてあなたの町のキリスト教会には、あなたが来ることを待っているクリスチャンたちが必ずあなたを出迎えてくれるのです。

    ( PBA制作「世の光」2020.7.2放送でのお話しより )

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■暗やみは、真昼のようになる / 福井 誠

2020年08月26日 | Weblog

2020/7/1放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いて参りましょう。今日はイザヤ章58章10節から「暗やみは、真昼のようになる」と題してメッセージをお伝えいたします。

  「飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。

 分っているようで分らないのが自分の姿ですね。恥ずかしいことに、自分の姿について他人に指摘されて初めて気づかされたりするものです。今日の箇所は、イスラエルの民が神様に自分たちの問題を指摘され、教えられている場面があります。イスラエルの民は神に熱心に捧げ物をし、罪滅びをし、祈りを捧げましたが、どうも神の反応が悪い。祝福が戻って来た感じがしない。そこで、なぜ私たちが断食をしたのにどうしてそれを認めてくださないのですか?と神に問いかけていますね。それに対して神様の答えは率直です。あなたがたの断食も祈りも、わたしが求めるようなものではない、と。神様は言います。「わたしは断食や熱心な祈り、多くの捧げ物といったさも宗教的な行為などは求めていない。むしろわたしが求めているのは神を愛する者にふさわしい自然な振る舞いだ。」と。「例えば断食をしながら悪い楽しみにふけるなんていうのはどんなものか、そんな罪滅ぼしに何の意味があるのか。むしろ神が喜ぶ断食は空腹の者がいれば食べ物を分け与え、寒さに凍えている人がいれば暖かいものを分け与える。人間として自然な心を持って生きることであるし、神の偉大さを認めて神様を賛美し、神様の前に謙る自然な心ではないか。」と。「そのような人には豊かに水が沸き出るように神の祝福が溢れ注がれるのだ。」と言います。

 キリスト教信仰を持つということは、もっと人間として自然なことであると思います。そして聖書それ自体も信仰を持つということは宗教的な行為に熱中することよりも日常の中にあって成熟した大人になることを教えているのです。
 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.7.1放送でのお話より )

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■恐るな語り続けよ / 板倉邦雄

2020年08月25日 | Weblog

2020/6/30放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「恐れるな。語り続けよ」という題でお話ししましょう。
 何事も同じ場所で継続していくことは大変なことですね。特に反対や妨害の中では続けることは困難ですね。使徒の働き18章です。

 さて、待ちに待ったシラスとテモテがマケドニヤからコリントへやってきました。二人がマケドニヤ地方の教会からの支援金を持って来てくれましたので、パウロは神のことばを伝えることに専念し、イエスがキリスト・救世主であることをユダヤ人たちに力強く証ししました。

 しかしユダヤ人たちのある人々はののしり続けました。パウロは自分の上着を降り払いました。彼らとは全く関係がないことをはっきりと表明したのです。そしてこう宣言しました。「あなたがたは自分のせいで滅びることになるのです。私のせいではない。私はこれから異邦人を教えることにしましょう。」 パウロはそこを去って神を恐れ敬うユストという人の家に行きました。ユストの家は会堂のすぐ隣にありました。会堂管理者のクリスポは全家族そろって主イエス様を信じました。多くのコリントの人もパウロの話を聞いて信じ、バプテスマ・洗礼を受けたのです。

 するとある夜のことです。幻の中で主イエス様がパウロにこう仰せられました。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。あなたにはわたしがついている。誰もあなたを襲って危害を加えるようなことはない。このコリントの町にはわたしを信じる人が大勢いる。だから語り続けよ。黙っているな。」と励ましたのです。

 このイエス様の励ましのことばに勇気づけられてパウロ一行はここコリントの町で1年半、腰をすえて神のことばを教え続けたのです。

 私も25才の時、アパートの一室で教会を建て上げる開拓伝道を始め、8年間は鳴かず飛ばずでした。その時、「この町にはわたしの民が大勢いる。恐れるな。語り続けよ。」という主イエス様のことばにどんなに励まされたことでしょうか。恐れや不安の中に置かれることがあるでしょう。しかしそのとき、救い主イエス様が私たちとともにおられるのを信じて参りましょう。

  (PBA制作「世の光」2020.6.23放送でのお話より ) 

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■グンゼの創業者 波多野鶴吉 ② / 岩井基雄

2020年08月24日 | Weblog

2020/6/29放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 最終の月曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、先週に引き続きグンゼの創業者、波多野鶴吉について学んでみましょう。

  波多野鶴吉は大庄屋の次男として生まれ、8歳で波多野家に養子入籍しました。学生時代には遊興に耽り、事業も起こしましたが次々と失敗、失意の内に故郷へ帰ります。故郷で小学校の教員として再出発した鶴吉は養蚕農家の子どもの劣悪な環境を見て、養蚕業組合の組合長に就任します。そして技術者の要請に取り組んだのです。苦悩の中、聖書に触れ、クリスチャンとなります。そして郡是製糸株式会社を設立し、神と人の前に誠実を尽くし続けたのです。鶴吉は、良き木は実を結ぶ、という聖書のことばから、人間を尊重し、良き実を結ぶための社員教育を行いました。従業員を愛し、神にある成長を願って導き続けたのです。

 ある時、安田財閥の安田善次郎が破綻に瀕した銀行の救済のため同行の最大融資先の一つ郡是に立ち寄りました。安田は鶴吉と出会い、極めて少ない担保で莫大な融資を受けていることを問いただしたのです。鶴吉は、「当社には高い設備等はないが、帳簿には載っていない素晴らしい従業員が多くおり、これこそが当社の最大の資産である。」と答えました。金融家の安田に、人を資産として見よ、と促したのです。この鶴吉の姿勢と率直さに安田は感銘を受け、その場で新たな担保を取らずに融資継続を決定しました。社員を愛してやまないキリスト者鶴吉の姿をそこに見たのです。

 また鶴吉はシルクが活況な時期に合成繊維の登場とその影響を予見し、次の策を模索しました。鶴吉は会社の儲けよりも、いかに社員を守り社会に貢献すべきか、を問い行動したです。柔軟な心で物事を考え、人を愛し、社会に仕え、神に喜ばれる歩みを貫く鶴吉の信仰の姿勢がその基盤にありました。会社の精神は愛。何よりも大切なのは人、と鶴吉は語り続けたのです。

 聖書のことば
 「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」
              (ローマ人への手紙 12章10節 )

  (PBA制作「世の光」 2020.6.29放送でのお話より ) 
 
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■弱い者を顧みる神 / 羽鳥頼和

2020年08月22日 | Weblog

2020/6/27放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
  旧約聖書の時代に、女性や子どもに関心が注がれることはほとんどありませんでした。ところが聖書は、神は寄留者を守り、みなし児とやもめを支えられる、と語り、神が社会的弱者、女性や子どもに関心を持っておられ、そのような人々を守り支えてくださるお方であることを教えています。今日は旧約聖書の列王記に記されている実際に神が女性と子どもを助けられた出来事をお話しします。 (参照 列王記第二4章1~7節)

 南北に分裂したイスラエルの北の王国での出来事です。国は不信仰な状態にありました。王は貧しい人々を全く顧みていませんでした。信仰深い人でもその人が貧しければ生活は非常に苦しいものとなりました。そのような時代に預言者エリシャは神のことばを人々に語っていました。

 そのエリシャの所に同じ預言者の友人の妻が助けを求めてやってきました。「私の夫が死んでしまいました。借金の取り立てがやってきて二人の子どもを奴隷にしようとしています。家にはお金がありません。あるのは油の入った壷が一つあるだけです。」 するとエリシャは彼女に言いました。「近所から空の器をできる限り借りて来なさい。家に入り、戸を締めて、借りてきた器に油を注ぎ入れなさい。」

 彼女と二人の子どもたちはその通りにしました。借りて来た器に自分の壷に残っていた油を入れます。借りてきた器は油で一杯になりました。ところが壷の油はなくなりません。次々に借りて来た器に油を注ぎました。こうして借りて来た器すべてに油が一杯になりました。神が彼女と子どもたちのために油を与えてくださったのです。

 エリシャは言いました。「その油を売り、借金を払いなさい。その残りであなたと子どもたちは暮らしていけます。」

 神様はすべての必要を与えてくださるお方です。人の生きることを守り支えてくださるお方です。

  ( PBA制作「世の光」 2020.6.27放送でのお話より )
 
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■わたしの友 / 関根弘興

2020年08月21日 | Weblog

2020/6/26放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も最初にイエス・キリストのことばを紹介しましょう。ヨハネの福音書15章15節
 「わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

 ここでイエス様が言っておられる「友」ということばはとても深い意味があります。ヨハネがこの福音書を記した時には、すでにクリスチャンたちの数も増え、教会もいろいろな所に出きていました。クリスチャンは自分を「主イエスのしもべ」とよく呼んでいました。特にパウロは手紙の中で、「しもべ」と言うことばを沢山使ってますよね。しかしヨハネはイエス様のことばをここに記して、私たちはイエス・キリストのしもべであるけれども、イエス様の友でもあるのだ、イエス様は私たちのためなら命をすることも厭わない程に私たちを大切な友として愛してくださっているのだ、ということを伝えているんですねえ。しもべはご主人からこの仕事をしなさいと言われたら、理由を問うことなどできません。絶対服従なわけです。しかし友は違いますよね。何かをしてよと頼まれて、理由がわからなければ「どうして?」と尋ねますよね。相手が何かを隠していたら、「なんだ水臭いなあ。なぜ打ちあけてくれないの?」と言いますよね。自分の考えや計画や目的を友達だからこそ打ち明けるのです。

 旧約聖書を見ると、イスラエルの国を統一したダビデ王の側近の中には王の友と呼ばれる人がいました。この王の友はいつでもアポなしで王様の部屋に入ることが許されました。どんな大臣や家来よりも先に王様と語る権利を持った者、それが王の友と呼ばれたのです。それ程に王様に信頼され、王様と親しく語り合うことができたわけですねえ。

 イエス様は愛の中にとどまる私たち一人一人を「わたしの友」と呼んでくださいます。そして「わたしはあなたに隠し立てすることなど何もない。あなたはわたしの友なのだ。」と言ってくださるのです。イエスは私たちを深く信頼してくださっています。そして聖書を通してイエス様は父から聞いたことを皆あなたに知らせる、と約束しているのです。私たちは友なるイエス様に自由に親しく語りかけながら歩む者なのですね。
 
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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書21 - 「さがし当てる」ことができる / 大嶋重徳

2020年08月20日 | Weblog

2020/6/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。天使たちの知らせを聞いて羊飼いたちは言います。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見てこよう。」 今まで安息日も守らない、神様にも関心がなかった羊飼いたちが立ち上がりました。これは主が私たちに知らせてくださった知らせだ、自分たちのものだ、この私に語られたことばだ、と受け止めたのです。さあ「ベツレヘムへ」と言って羊飼いが救い主に向かって走り始めました。そして、急いで行ってマリヤとヨセフと飼葉桶に寝ておられるみどり子を探しあてた、とあります。

 ここで「探し当てた」と簡単に記されていますが、飼葉桶など当時のベツレヘムの家のどこにでもあります。この時代に携帯電話やラインがあるわけではありません。彼らは相当な時間をかけて探したんです。あっちかな、違う違うこっちはどうだろう、なんだ羊飼い入ってくるな、と言われながらも探したんです。きっと彼らの中にはもう帰ろう、疲れた、と言う羊飼いもいたかもしれません。この羊飼いの姿から信仰と言うことを考えるときに、この「探しあてた」ということは大切だなあと思います。神様を知るときに、必ず人は迷うし悩むし探すんです。天使たちも羊飼いたちの前に救い主をもう連れてきてくれたら話はもっと早く済んだんですね。しかし神様は私たちが救い主を探す時間を軽んじてはおられません。いやむしろ大切にしておられると思います。神を信じるときにはもう無理だ、もうやめようと思うことがあるんですね。しかし救い主は、いるかいないかわからない神ではない。確かにこの地上に生まれた神なんです。そしてあなたが今日、主が私に知らせてくださったと神様のことを探し始めるとき、そこに探し当てることのできる神にあなたは必ず出会います。あなたはどうしてこのラジオを聴くようになったんでしょうか。たまたま今朝だけこのチャンネルにあったのでしょうか。もしそうであったとしても、今日が探し始める最初の日になるでしょう。聴き続けてくださっている方にとってあなたの探しあてたという日が今日であって欲しいと思います。イエス・キリストはあなたが今日、救い主を受け入れ、信じる祈りをするときに、神があなたに救いをもたらしてくださるのです。探しあてることのできる神とあなたが今日出会う日となりますように。そのようにお祈りをいたしております。

    ( PBA制作「世の光」2020.6.25放送でのお話しより )

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