♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神へのささげもの / 羽鳥頼和

2020年02月29日 | Weblog

2020/1/18放送

 世の光の時間です。羽鳥頼和です。
 お正月に鏡餅を飾った方はあるでしょうか。鏡餅は穀物の神である歳神様へのお供えです。お供えとは神へのささげものです。日本人は仏壇にお花、お水、果物、お菓子などを供えたり、神棚にお米、お酒や榊の玉串を供えたりします。

 さて聖書にも神へのささげ物について教えられている所があります。例えば旧約聖書のレビ記の1章から7章には、神へのささげ物について詳しく教えられています。今日はその中から特に、レビ記の3章と7章で教えられている神へのささげ物の一つである「交わりのいけにえ」についてお話しします。

 「いけにえ」と呼ばれるのは、牛や羊または山羊を屠(ほふ)って神にささげるからです。大事なことは、そのささげ方は神が教えられたことであるということです。神が教えられた「交わりのいけにえ」のささげ方はこのようなことでした。


 神に感謝したり、あるいは誓願を立てようとする人は、自分が神に受け入れられるために、傷のない家畜を祭司の所に持っていき、その頭に手を置く。そしてその家畜を屠る。祭司はその家畜の血を祭壇に振りかけ、その内蔵や脂肪を神へのささげ物として祭壇で焼いて煙にする。そのあと、いけにえの肉はささげた人とその家族がそこで食べることができる。


 このようにささげ物の一部を神の前で食べることができるのが「交わりのいけにえ」の特色です。このささげ物の規定は、神が人と交わりを持つことを望んでおられる、という神の意思表明です。

 新約聖書のヘブル人への手紙では、これらの神へのささげ物の規定のことを礼拝の規定と言っています。ささげ物の教えは礼拝の教えということができます。

 新約聖書のローマ人への手紙12章1節はこのように教えています。
 「兄弟たち、・・・あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

 明日は日曜日です。神を礼拝するために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

  (PBA制作「世の光」 2020.1.18放送でのお話より ) 
 
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このサイトは URL名として 
 http://yonohikari.biblica.info  
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。 

*** 

東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■永遠の存在者 / 関根弘興

2020年02月28日 | Weblog

2020/1/17放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様は地上の生涯の最後の一週間をエルサレムで過ごされました。イエス様のもとに当時のユダヤ教の一派であったサドカイ人たちが神学論争を仕掛けにやってきました。サドカイ人たちは復活とか死後のいのちを否定していた人たちでした。サドカイ人は、旧約聖書のモーセの五書にはどこにも復活のことなど教えていないのだから復活などは無い、と主張してきたのです(参照 マタイの福音書22章23節、マルコの福音書12章18節 )。

 そこでイエス様は、モーセの五書の中の出エジプト記3章の6節を引用してこう言われました。 「死人の復活については、神があなたがたにこう語られたのを読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(マタイの福音書22章31-32節、参照マルコの福音書12章26-27節  )

 この引用は、昔イスラエルの民がエジプトで奴隷生活を強いられていた時、神様が彼らをエジプトから脱出させるためにモーセを選ばれた時のことでした。モーセが80歳の時、荒野で羊の群れを追ってシナイ山まで来た時、なんと燃えている柴を見つけたのです。その柴がいつまでも燃え尽きないので不思議に思って近づいていくと、その燃える柴の中から神様がお語りになりました。「わたしはあなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。・・・モーセよ、あなたはエジプトに行って、苦しんでいるわたしの民を約束の地に導き出しなさい。」 神様はモーセにそうお命じになったんです(参照 出エジプト記3章6-10節 )。

 その時、モーセは神様に、「もし私がエジプトに行ってあなたのご命令を話せば彼らは私を遣わされたあなたのお名前を尋ねることでしょう。そしたら私は何と答えればいいのでしょうか?」と問いただしたのです。神様は「わたしは『わたしはある』という者である。」(出エジプト記3章13、14節 )と語られたんですねえ。この「わたしはある」ということの意味は、「わたしはいつでも存在する永遠の存在者だ。何かをなそうと思ったらなすことができるし、何かを起こそうと思ったら起こすこともできる存在なのだ」と、神様は永遠の存在者であるとはっきりと語られたんです。

 イエス様は、「復活などはない」と言っていたサドカイ人たちに、「いや、聖書にははっきりと神様は永遠に存在するお方であり、永遠のいのちを与えることのできる方である」と告げられたんですね。だからいのちを与えることのできる神様を信じ歩んで行くのです。

     (PBA制作「世の光」2020.1.17放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書7 -あなたにとってのルカがいる/大嶋重徳

2020年02月27日 | Weblog

2020/1/16放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ルカ福音書を読み始めました。ルカ福音書はテオフィロという人に向けて記されたものです。この膨大な文章をルカはたった一人の人に向けて記したのです。ルカは誰かのそばに寄り添う人でした。テオフィロが誰であったのか詳しく分りません。おそらく身分の相当高い人です。しかし偉い人だから遠慮するのではなく、「はっきりと良く分かっていただきたい」と伝えるルカ福音書に続けて『使徒の働き』もテオフィロに書き送ります。一度の手紙で終わることはない、継続してテオフィロの傍らで福音を伝え続けるのです。

 テオフィロはどこかでルカに信仰の悩みを相談したことがあったのかもしれません。ルカはその相談を聞いた時、面倒だな、と思わなかったのです。自分じゃない誰かが福音を伝えてくれるだろう、とも思わなかったのです。「テオフィロ閣下、あなたが今迷っていることは信じるに足るべきことです。私も確信している素晴らしい出来事です。」と彼はテオフィロのそばでこの膨大な手紙を書き続けたのです。

 ラジオをお聴きになっている皆さんにはクリスチャンの人もいらっしゃるでしょう。その人たちはルカのようにすでに確信している事柄を持っています。その確信されている事柄を伝えたいと願っているのです。教会には、聖書を知りたいと願う人にイエス様のことを伝えたい、という情熱を持っている人がいます。あなたが、自分一人のために学びをしてくれるなんて申しわけないなあ、ラジオを聴いているだけでいいや、と思うかもしれません。しかしそんなことを思う必要はありません。なぜなら、クリスチャンになった人は全員、その人のために傍らに立って聖書が分るように寄り添ってくれた人がいたからクリスチャンになれたのです。今日、私がここで聖書のお話をしているのも私の傍らに立って聖書のことを紹介してくれ、どれだけ時間がかかっても、どれだけ疑問を感じていても祈り続けてくれた人がいてくれたからこそ、私はここにいることができるのです。

 あなたが今、人生に悩みを抱え、友達関係に悩み、親子関係で悩んでいる。聖書を学ぼうとまでは思っていないかもしれない。しかしその悩みを話しにあなたの近くの教会に来てくださいませんか。電話をかけたり、メールで連絡をして欲しいと思います。ルカのような存在があなたを教会でお待ちしています。ぜひぜひ教会にお越しください。そしてあなたのルカとなる存在にあなたもそこで出会っていただきたいと思います

    ( PBA制作「世の光」2020.1.16放送でのお話しより )

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■あなたを守られるからだ / 福井 誠

2020年02月26日 | Weblog

2020/1/15放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇91篇11節から「あなたを守られるからだ」と題してメッセージをお伝えいたします。


 「主が あなたのために御使いたちに命じて あなたのすべての道で あなたを守られるからだ。
 
 詩篇91篇が生まれた背景には、エジプトからの脱出劇があったと言われます。つまり、古代のイスラエル人はエジプトで奴隷にされていた時代がありました。彼らはそこから神の大きな力強い御手によってエジプトから解放され、紅海を渡り、シナイの荒野へと逃れた奇跡的な物語があるのであって、それがこの詩篇が作られた背景となっているというわけです。

 確かにこの詩篇を読んでいくと、出エジプトの出来事を当てはめるならよく理解できる部分もあります。神の大いなる奇跡的の力がなければ彼らに生き延びる道はなかった。そんな時代を背景にしているのですね。

 そこで今日このラジオを聴いている皆さんの中にも、もう神の奇跡的な助けがなければ一歩も進めないと思っておられる方がいたなら、ぜひこの詩篇のことばに耳を傾けていただきたいと私は思っています。自分が滑りやすい崖っ淵に立たされている。そのように思わされているあなたに詩人はこう語るのです。
 「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。」(1節)と。

 もしあなたが神に身を避けることを選ぶなら、あなたは全能者のお膝元にいるのですよ、と言います。全能というのは不可能なことは何一つないということです。たとえどんな危機があっても、神にとってそれは小さなことだということです。もう終わってしまった、取り返しがつかない、と思うことがあっても、神が全能であるというのは、そこから何かを起こすことができるということです。

 詩人は言います。

主が あなたのために御使いたちに命じて あなたのすべての道で あなたを守られる・・・」(11節)

 この主のことばを私たちの心の支えとして歩ませていただきましょう。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.1.15放送でのお話より )

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■神の御名によって / 岩井基雄

2020年02月24日 | Weblog

2020/1/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 岩井基雄です。

 第二月曜日の今日は、旧約聖書のモーセの生涯から神の招きについて学んでみましょう。

 40年間エジプトの王宮で育ったモーセは自らの傲慢と拙速さからエジプトの王に命を狙われ、ミデヤンの荒野で羊を飼う者となります。しかし心砕かれたモーセは羊たちの面倒を見、導くことで身も心も備えられたのです。そしてついに時が来たとき、神がモーセを招き、民をエジプトから連れ出す使命を与えます。自分の弱さを覚え尻込みするモーセに、神はご自身の名前を示されました。聖書はこう語ります。
 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」
 また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。
 『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
       旧約聖書 出エジプト記3章14節

 神が示された「わたしはある」という名は存在を表す表現で、すべてのものを創造し、保ち、すべてを御手に納める主権者であることを表していました。どんな苦難の中でも主権者である神を認め、神の愛と存在そのものに目を留めるように、とモーセを励ましまた民を導かれたのです。
 そしてすぐ後で神はモーセにこう語りました。
 「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。
          出エジプト記3章15節

 この【主】という神の名も存在を意味する名前です。神の民イスラエルの先祖たちとも共に歩み、彼らを導き守られた本当の主である方、永遠の主権者である神が民と共にいてくださること、その存在に信頼し、寄り頼む祝福を神の民はこの後味わい続けていくのです。

 私たちもいつでもこの【主】である方、「わたしはある」と語られる主権者である神の存在を認め、信頼し、いつでも神の御名を呼び求めていくことができるのです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる」(ヨエル書2章32節、使徒の働き2章21節、ローマ人への手紙10章13節 )からです。どのような苦難や困難があろうとも、あなたと共にいてくださる永遠の神に信頼して力強く歩ませていただきませんか? 神はあなたと共ににいてくださるのです。

  (PBA制作「世の光」 2020.1.13放送でのお話より ) 
 
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■キリストにおいて赦された / 羽鳥頼和

2020年02月22日 | Weblog

2020/1/11放送

 世の光の時間です。羽鳥頼和です。
 私たちの語ることばが人を傷つけることがあります。今は意見・立場の違う人を誹謗中傷することがインターネットを使って簡単にできます。ヘイトスピーチということばは誰もが聞いたことのある身近な言葉となってしまいました。そもそも昔から噂話・悪口はやむことがありません。新約聖書の時代も現代とあまり変わらなかったのでしょう。新約聖書のエペソ人への手紙4章29節でこのように語られています。
 「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。

 確かに、人の成長に役立つことばを語る方がいいのです。でもついつい悪いことばを口にしてしまうのが私たちです。エペソ人への手紙はそのような私たちに、
 「主にあって厳かに勧めます。あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」(エペソ人への手紙4章17節)と勧めています。
 更に、「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。」(エペソ人への手紙4章31節)と勧めています。

 これは理想論のように思えます。人は良いと思ってもそうすることは難しいのです。聖書はそのことを十分知った上で語っています。
 「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」(エペソ人への手紙4章32節)

 なかなか人に親切にしたりやさしい心で赦すことができない私たちは、神に赦されていることを思い出さなければなりません。神はキリストの十字架の身代わりの死によって私たちの罪を赦してくださったのです。神の愛によって救われた私たちは、同じように神を愛しそして人を愛する者となるべきです。独り子を与えてくださった神の愛を忘れないでいましょう。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
  それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
            新約聖書ヨハネの福音書3章16節
 
  (PBA制作「世の光」 2020.1.11放送でのお話より ) 
 
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■知っているようで知らない / 関根弘興

2020年02月21日 | Weblog

2020/1/10放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様は地上の生涯の最後の一週間をエルサレムで過ごされました。イエス様のもとに、当時のユダヤ教の一派であったサドカイ人たちが神学論争を仕掛けにやってきました。

 サドカイ人たちは復活とか死後の命を否定していた人たちでした。彼らはイエス様にこう尋ねたんです。「先生。モーセは『もしある人が子がないままで死んだなら、その弟は兄の妻と結婚して兄のために子孫を起こさなければならない』と言いました。ところで私たちの間に7人の兄弟がいました。長男は結婚しましたが死にました。子がいなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男もそして7人までも同じようになりました。そして最後にその妻も死にました。では復活の際、彼女は7人の内の誰の妻になるのでしょうか。彼らはみな彼女を妻にしたのですが。」(参照マタイ22章24~28節、マルコ12章19 ~23節、ルカ20章28~33節 ) ま、こんな質問だったんです。

 サドカイ人たちは、「一人の女性が七人の兄弟全員と結婚した場合、復活が起きたら大混乱になる。復活した七人兄弟全員が一人の女性を自分の妻だと主張をして争奪戦が起こるではないか。だから復活などあるはずがない。考えるだけのバカらしいではないか。」と言ってきた訳です。きっと彼らは心の中で、「イエスよ。どうだ、参ったか。」と高笑いしたことでしょうね。

 するとイエス様は「<b>あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。</b>」(マタイ22章30節、参照マルコ12章25節、ルカ20章35-36節 )と言われたのです。

 サドカイ人たちは、自分たちこそ知識人であり、聖書を最もよく知っていると自負していました。しかしイエス様は、「あなたがたは知っているようで何も知らない」と言われ、「聖書も神の力も知らないからだ」と言われたのです。彼らは自分の理性こそが万能であるかのように考えているような人たちでした。

 しかし聖書の神様は、人間の小さな理性の中に閉じ込めることができるような小さな方ではありません。この世界を創造し、すべてをご存知で、何もないところからもすべてを生み出すことのできるお方です。だからこの方を信じ生きるとき、私たちの思いも理性も超えた永遠の希望が与えられて歩むことができる、とイエス様は約束されるのです。

     (PBA制作「世の光」2020.1.10放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書6 - 彼らではなく、わたしたち / 大嶋重徳

2020年02月20日 | Weblog

2020/1/9放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ルカの福音書をご一緒に読んでいきたいと思います。ルカ福音書を書いたルカはパウロの弟子で、ルカが書いた『使徒の働き』の中で幻を見ます。マケドニア人が「マケドニアに来て欲しい」と叫ぶ姿が記されています。このマケドニア人の叫びがルカではないか、と推測されています。実は使徒の働きを読むと主語が「彼ら」「パウロ」となっている所と、「私たち」と記されている箇所があります。つまり書き手のルカがその場所にいて一緒に体験をしていることとなります。この変化の原因は、ルカ自身がこの旅の道中に加わったタイミングではないか、と指摘されるのです。マケドニア出身のルカがトロアスの港あたりで信仰を持った。そして「どうかマケドニアにも来てください」と言った後、ルカはパウロ一行と一緒にパウロとともに船に乗り込んだのではないか、そして「私たちは」とルカが語り始めた。ルカは自分のことを何ひとつ記しませんでしたが、ただここで一人のマケドニア出身の男に自分の姿を託したのではないか、という想像は当たっているように思います。

 私たちにも「彼ら」とは言えない大切な存在がいます。「彼らがね」という場合、そこにはある距離があります。しかし「私たち」という響きには一緒にいる人たちを他人ごとだとは考えられない近い距離感があることが分ります。ルカにとって自分の故郷、それはとても「彼ら」など言えない家族がいたでしょう。友達がいたでしょう。その人たちにどうしても伝えたいイエス・キリストとの出会いがありました。

 私は今、埼玉県の川口市の教会で牧師をしています。ここに教会が生まれるようにと願った教会草創期の方々がおられました。ルカはマケドニアに来てくれたパウロ一行とともに故郷にイエス・キリストを伝えた後、同じように自分の故郷に伝えたいと願う人たちがいることを思ったとき医者をやめてその人たちにイエス・キリストを伝えていきたいと願ったのです。この番組もまたそうです。今日にそう来ることのできない方々がおられる。ラジオだったら聴くことができるという方々にイエス・キリストのことを紹介したいと願う人たちが起こされました。日本にいる人たちを決して「彼ら」などとは言えない、「私たち日本人」と日本語でイエス・キリストのことを伝えたいと願って今もラジオ番組「世の光」をお届けしています。

 ぜひあなたもこの「私たち」に加わってくださいませんか。一人でも多くの方に、このキリストとの出会いを体験していただきたいのです。

    ( PBA制作「世の光」2020.1.9放送でのお話しより )

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<p>さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。</p>
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■力から力へと進み / 福井 誠

2020年02月19日 | Weblog

2020/1/8放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇84篇7節から「力から力へと進み」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「彼らは力から力へと進み シオンで神の御前に現れます。
 
 1節を読むと、こうあります。

 「万軍の【主】よ あなたの住まいは なんと慕わしいことでしょう。
 詩人は歓喜に溢れて神をたたえていますね。神がおられる神殿に住み、いつも神をたたえることができる人は幸いである、と。

 しかし神様を喜ぶなど、信仰を持っていればこそのことであって、信仰を持っていない人からすれば実に不思議なことではないでしょうか。なぜ神の存在がそんなに喜ばしいことなのか、何を思ってそんなに詩人は神に感謝しているのか、考えさせられるところですね。

 詩人は言います。

 「なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり 心の中に シオンへの大路のある人は。」(5節) 
 言ってみれば、神を力のよりどころとし心から神とともに歩んでいる人は幸いだ、ということでしょう。

 そして6節。

 「彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。」とあります。
 大事な部分ですね。「涙の谷」 詩人は社会には厳しい現実があることをよく分っています。ただ社会は厳しいのだと社会の悲惨な事柄や悲しいことばかりに目を向けていたら、その負のエネルギーによって押し潰される思いになるのではないでしょうか。そんな経験はないでしょうか。社会の闇に心揺さぶられて暗く沈んだ思いになってしまう。・・・私もよく経験することです。

 しかし世の中がどうであれ、そのような希望を失わせる世から目を転じて神に心を向けるなら、そこには違う世界が開けます。何の祝福もないと思われる状況にあっても、平安と恵みを約束してくださる神に目を注ぐなら、私たちの心は晴れやかになることでしょう。そのような状況を克服するのみならず、さらに祝福の場とすることができる希望すら与えられるのです。だからこそ、神に目を注ぐことは素晴らしい、とたたえるんですね。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.1.8放送でのお話より )

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■エルサレム会議(その一)/ 板倉邦雄

2020年02月18日 | Weblog

2020/1/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
  今日は「エルサレム会議(その一)」ということでお話ししましょう。
 使徒の働き15章に入ります。

 さて、エルサレム教会のある人たちがユダヤからシリヤのアンティオキヤ教会へ下ってきました。そしてアンティオキヤ教会の信徒たちをつかまえては、「あなたがた(※異邦人クリスチャン)も旧約聖書のモーセの律法に従って割礼を受けなければ救われない。水の洗礼だけではだめなのだ。」と説得していました。割礼とはユダヤ人のすべての男性が受ける儀式のことです。

 そこでパウロやバルナバとエルサレム教会の人々の間で激論となりました。少なからぬ紛糾と論争が生じたのです。パウロとバルナバは、イエス様を信じて洗礼・バプテスマを受ける者は誰でも救われる、と主張したのはもちろんです。そこで両者が平行線をたどり、らちがあきませんでした。そこでアンティオキヤ教会はパウロとバルナバその他数人の長老たちがエルサレムに上ることになりました。エルサレム教会にいる使徒ペテロやヤコブ、ヨハネたちやエルサレム教会の長老たちと、異邦人が---外国人のことですが---割礼を受けるか受けないかという問題について協議し、決着と神のお心を求めるためでした。パウロとバルナバ、アンティオキヤ教会の代表の長老たちは教会の信徒たちに見送られてサマリヤを通ってサマリア教会を訪ね、異邦人たちの改宗の様子を詳しく説明すると、全ての兄弟姉妹たちは大いに喜び、主をほめたたえました。サマリア教会はかつて執事のピリポが開拓した教会でしたね。そしてエルサレム教会へ着くと、パウロとバルナバそしてアンティオキヤ教会の長老たちは、教会の信徒たちまた使徒のペテロ、ヤコブ、ヨハネたち、エルサレムの長老たちに迎えられました。そしてエルサレム教会でも神様がパウロとバルナバと共にいて働きをなされたことをことごとく報告したのです。

 ところが厳格なユダヤ教のパリサイ派からキリストへの信仰に入信した人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきだ!」と主張したのです。 つづく。

  (PBA制作「世の光」2020.1.7放送でのお話より ) 

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