♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■命を捨てるほどに

2010年06月29日 | Weblog
2010/6/29放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、爽やかに過ごしていきたいですね。 

 今日はですね、私の個人的なこと、私がどのようにしてクリスチャンになったのかをお話ししたいと思うんですねえ。

 私はキリスト教会の牧師の息子として育ちました。 小学生までは何の反発もなかったんですけど、中学になるといろいろと反発をしました。 日曜日が自由に遊べないとか、また少し貧しかったのでバスケット・シューズが買ってもらえないとか、そして父と母は教会に来られる方々のためには一所懸命だけど私のことなど気にもかけていない、愛されていない、と思ったんですね。 

 そんな中学時代を経て高校一年生の夏のことでした。 友人と一緒に教会が主催する高校生のバイブル・キャンプに出かけることになったんです。 ま、聖書を学びたいと思ったのではなくて、そのキャンプが何と軽井沢で開かれるということだったので、ああ新しい出会いでもあればと思って、ま、気軽に友人を誘い、出かけていきました。 

 私の友人は聖書には全く興味がありませんでした。 夜になると牧師の説教はまるで子守唄のように聞こえたんでしょうねえ。 友人はみんな説教中は寝ている始末でした。

 でもその軽井沢のキャンプの二日目の夜の集会の時でした。 説教されている牧師先生がですねえ、「今日この中でイエス様を
救い主として信じ受け入れる人はいませんか?」と尋ねたんです。 すると私と一緒に参加した友人の一人が手を挙げるではありませんか。 まだほとんど聖書の話など聞いていないのに手を挙げたんですね。 そしてその友人はとても喜んで、イエス様を信じ受け入れることができたことを感謝しているんです。 私は考えてしまいました。 そして、よし、次の日の聖書の話は真剣に聞こう、と思ったんです。

 でも次の日の説教はイエス様が十字架につけられた話で、牧師の家庭に育った私は何度も何度も聞かされていた話でした。 でも説教者が最後に何度も何度も何度もこう言ったんですね。 「イエス・キリストはあなたの罪のために十字架について死んでくださった。 あなたのためにいのちを捨ててくださった。 いのちを捨ててくださるほどあなたを愛しているのだ。」と何度も語ったんです。

 私はそれを聞きながら考えてしまいました。 「誰が一体背中を向けているような人のためにいのちを捨ててくださるだろう。 自分はそんなことは到底できない。」と思ったんです。 その時私はイエス・キリストが私のために命を捨ててまで愛してくださっていることが本当なら、無視しながら生きていくことは最低の態度だと思ったんですね。 私は「イエス様、私の心にお入りください。 救い主としてお迎えします。」と小さな声で祈り、クリスチャンとしての生涯がそこから始まりました。 命を捨ててくださるほど私を愛してくださるお方、その方を受け入れ、クリスチャンになったんです。 

 (PBA制作「世の光」2010.6.29放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトのURL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
は使えなくなりました。


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