♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のよき力に守られて/羽鳥頼和

2017年12月30日 | Weblog
2017/12/30放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書 詩篇149篇からお話しします。

 この詩篇はエルサレムの城壁を再建した時の賛美であると思われます。エルサレムの城壁はバビロンによって神殿と共に破壊されました。そしてユダの人々はバビロンに捕らえ移されてしまいました。それから70年後、ユダの人々は解放されエルサレムに戻り、神殿を再建することができました。しかし城壁は破壊されたままでした。そこでネヘミヤが城壁の再建に立ち上がったのです。

 ところが周辺の外国人の総督たちが城壁再建を妨害してきました。ネヘミヤは、「神に信頼しなさい。神が戦ってくださる。」( ネヘミヤ記 4章14節、20節参照)と人々を励ましました。その時のことを覚えてでしょう、詩篇はこのように歌っています。
 「聖徒たち(聖なる者たち)は栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。」(5節、6節)

 実際は人々は昼も夜も交代で見張りをしました。そしてそこに神の確かな守りがあったと人々は神に感謝しているんです。彼らにはこのような確信がありました。神は「ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。」(4節)という確信です。

 ネヘミヤたちが神に守られて城壁の再建をしたのは今から2500年ほど昔のことです。しかし、神の確かな守りはこの時だけではありません。神はずっと神に信頼する者を守ってくださっています。

 今から500年前、宗教改革を始めたルターは「神は我が砦、我が強き盾」と神を賛美しました。また同じドイツ人でナチスに抵抗したボンヘッファーは「神の善き力に守られて」と神を賛美したのです。神は、神を信頼し救いを求める者を今も救ってくださり、守り続けてくださいます。

 明日は今年最後の日曜日です。キリスト教会では一年の神の守りに感謝して、神に礼拝を捧げます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

(PBA制作「世の光」 2017.12.30放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■感謝をもって / 関根弘興

2017年12月29日 | Weblog
2017/12/29放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今年も残すところあとわずかになってしまいました。この一年をあなたはどんなことばをもって締めくくろうとしていますか? この一年、いろんなことがあったと思いますが、やはり感謝のことばをもって締めくくりたいと思うんですねえ。

 全てが当たり前と考えている人生には決して感謝は生まれません。感謝を表すことばは「ありがとう」です。「ありがとう」ということば、漢字で書くと有ることが難しいと書きますね。つまり本来、無くて当たり前なのにそこにあるからこそ、有難うなわけです。

 聖書には神様は、「良い者であっても悪い者であっても太陽を上らせ雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節参照)、と書かれています。私たちがこうして生きているということは、決して当たり前ではないのですね。その背後に神様の大きな大きな支えがあるのです。

 もう天に帰られましたが、私の尊敬しているある婦人牧師の方がいます。この方は若い頃、肺結核を患い、肺の機能が通常よりも半分以下にまでなってしまいました。特に冬になり風邪を引くと、酸素を吸入しながらの生活が余儀なくされるほどでした。その先生がある時、私にこう言いました。「関根先生。ただでたくさんの空気をすることができるって感謝なんですよ。これを金額で換算したらどれだけ大変か想像できますか?」 こう言われたんです。私たちは当たり前と思っていることの中に、実はどれほど感謝すべきことがあるかをこの先生は教えてくださったんですね。

 私たちは生かされていることの感謝をどれだけ神様に捧げているでしょう。毎日空気を吸い、太陽の光を浴び、朝を迎えていることのできる感謝を、どれほど捧げても捧げ切れないほどですね。

 どうぞ改めてこの一年を振り返り、感謝すべき数々のことを数えあげて、心から神様に「ありがとう。感謝します。」と捧げてみてはいかがでしょう。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ書 43章4節)と言われる神様があなたを支えてくださっていることを覚え、感謝のことばでこの一年を締めくくり、感謝をもって新しい年を迎えることにいたしましょう。
 
  (PBA制作「世の光」2017.12.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし 41 / 大嶋重徳

2017年12月28日 | Weblog
2017/12/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書のことばは自由へと導くためのことばなのです。十戒の第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)と語られた神様は世界を創造された七日めにすべてのわざを休むと、休みをとられる神様でもありました。そこから日曜日に私たちは休みを取ることとなったのです。

 しかし日曜日に休みを取れば私たちは元気を回復するのでしょうか。実は休日に幾ら寝たとしても回復することのできない疲れがあります。映画を見て気分転換をしたとしてもおしゃれなカフェでお茶をしたとしても、私たちには取ることのできない疲れがあります。それは生きていることで生み出され続ける人間の罪がもたらす疲れです。生きていることに疲れる。これは神様の前から離れてしまった人間の持つ罪からの疲れなのです。

 この罪から来る疲れは神の御前にある安息に入ることによってのみとることができるものです。イエス様はこうおっしゃいました。
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ 11章28節) 
 このイエス・キリストのそばにこそ真の休息、安息の場所があるのです。だからこそ日曜日、私たちは神様の前に休みに来るために礼拝に出かけていくのです。

 かつて私が子どもの頃、日曜日の朝早くクリスチャンの母親に叩き起こされ、教会に連れていかれ、自分のしたいことを我慢し、長い説教が終わるまで待っていないといけない。これはまさに苦痛の時間でした。礼拝の時間さえ終わればようやく外に走って出ていける。その時間にこそ自由があるかのように感じていたのです。

 しかし今、自分の親を含め多くの大人たちが一週間働き通しの疲れ切った体のまま教会に行き、説教のことばを一言も聞き漏らさないようにしていたあの姿の意味がよく分ります。あの礼拝には罪の奴隷の中で疲れていた所から自由とされた喜びがみなぎっていたのです。あそこには礼拝でしか得られない魂の安息があったからです。

 今年もそろそろ1年を終える時期となりました。あなたの魂はこの一年、どれだけ疲れていることでしょうか。ぜひ次の日曜日、31日、教会に来ていただきたいと思います。礼拝の中で神様が、よくやった、と私たちの一年の頑張りを誉めてくださいます。そして十字架を見上げ、罪赦されて、ほっとしてこの一年を終えていただきたいと思います。

   ( PBA制作「世の光」2017.12.28放送でのお話しより )

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■豊かな実を結びます / 福井 誠

2017年12月27日 | Weblog
2017/12/27放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「豊かな実を結びます」です。ヨハネの福音書12章24節を読んでみましょう。
 「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(新改訳2017)

 イエスが十字架にかかられる一週間前のことです。イエスの人気は非常に高まり、たくさんの人々がイエスのもとに集まってきていました。そこにユダヤ人ばかりではない、ギリシャ人もいてイエスに弟子入りを求めていますね。今日読んだ箇所はそのギリシャ人に向けて語られた一節ですね。

 ところで私が小学校6年生の時ですが、ちょうど三浦綾子原作の『塩狩峠』という小説が映画化されていました。確かその小説の中にこの一節もあったように記憶しています。その小説は永野信夫(※実名は長野政雄)という主人公が北海道の塩狩峠でという場所でブレーキが利かなくなって暴走した汽車の車両を自分の身を犠牲にして止めて乗客のいのちを救った実話に基づいたものです。その出来事を通して多くの人が永野信夫という主人公の聖書のことばに従って神と人を愛する生き方に感動し信仰を持っていきますね。まさに一粒の麦が死んで多くの実を結ぶということを、まだ小学校の私でありましたが印象深く心に残る形で教えられた小説でした。
 
 もちろんそのような生き方は誰にでもできるわけではありませんし、イエス様がここで言われていることもそのようなことではないのだと思いますね。むしろ、弟子入りしようと面会を求めてきたギリシャ人たちの出来事を機会に、イエス様はこれからご自分にどういうことが起こるのかを示そうとしたのです。つまりイエス様はこれから華やかな舞台に出て行こうとするのでなくて、十字架の死に向かっていることを予告されたのですね。そしてそれはただ死で終わるものではなくて豊かな実を結ぶものであることを語っています。確かにイエスの十字架は痛ましい死でしたが、それは全人類の罪の赦しのための尊い犠牲でした。イエスの十字架を自らの罪の赦しと信じる全ての人々に神の救いと祝福をもたらすものでした。

 ぜひ聖書を続けて読んで、あなたにもこのイエス様の十字架の素晴らしい恵みを知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2017.12.27放送でのお話より )

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■闇の支配の時 / 板倉邦雄

2017年12月26日 | Weblog
2017/12/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「闇の支配の時」と題してお話ししましょう。
  『傷だらけの人生』という歌がありました。
    何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らないことばかり
    右を向いても左を見ても 馬鹿と阿呆のからみ合い
    どこに男の夢がある

 ルカ福音書の22章の続きです。イエス様がオリーブ山での祈りが終わった時でした。そこに松明をかざした一団が現れました。その一団の先頭は何と12弟子の一人でイスカリオテのユダではありませんか。「私が口づけをする人がイエスだ。」と打ち合わせをしていました。ユダは先頭に立ってイエス様に口づけしようと近づいたのです。

 イエス様は言われました。「ユダよ。あなたは口づけをもって人の子を裏切るのか?」 口づけは親しい挨拶の行為です。その親しい行為をもって恩師であるイエス様を裏切るのです。これこそ人の深い心の闇でなくて何でしょうか。

 ところで、弟子たちも目が覚めました。イエス様を守るために、「主よ。剣で切りつけてやりましょうか。」と叫びながら弟子の一人ペテロが祭司長のしもべに切り付け、右の耳を切り落としてしまいました。イエス様は厳しく「そこでやめなさい」と弟子ペテロをしかり、そのしもべの耳に手を触れてお癒しになったのです。剣という戦いの武器で自分や他人を守ろうとする考えまた行為も闇の支配する時ではないでしょうか。

 更にイエス様は自分に向かって来る祭司長、宮の管理長、長老たちに対して言われました。「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。あなたがたは強盗に向かうように剣や棒を持って出てきたが、毎日あなたがたと一緒に宮に行た時には、わたしに手を懸けなかった。だが今はあなたがたの時また闇の支配の時である。」(ルカの福音書22章52、53節 口語訳聖書)
闇の支配の時とは、上に立つ政治的・宗教的権力者に、ことばが支配される時ではないでしょうか。また剣や棒という暴力によって私たちの心と体が支配される時ではないでしょうか。闇の支配している時は正しい人が強盗というレッテルを張られる時代なのです。良心の自由、信教の自由、言論の自由、集会の自由、出版の自由が保障される時代となりますように祈ります。
 
   (PBA制作「世の光」2017.12.26放送でのお話より )

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■貧しさから真の豊かさに ~日本で最初のクリスマス / 岩井基雄

2017年12月25日 | Weblog
2017/12/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

クリスマス、おめでとうございます。世界で祝われるクリスマスですが、日本ではいつ最初に祝われたのでしょうか。

 1549年にスペインから宣教師として来日したフランシスコ・ザビエルは1550年に周防の国、今の山口の31代頭首大内義隆に謁見します。しかし汚れた旅服のままで面会に臨み、十分な進物も持たず義隆の生活を非難もしたため、最初は追い返されます。しかし2年後に再度、義隆に謁見を許されたザビエルたちは、今度は美しい服装で珍しい献上品を持参したものですから、ついには大内義隆の許しを得て働きの拠点も与えられ、山口でキリスト教の宣教を始めることができたのです。

 ザビエルの帰国後、来日した宣教師コスメ・デ・トーレスらが1552年12月、貧しい司祭館でクリスマスを祝ったのが日本で初めて行われたクリスマスだったそうです。そして救い主誕生の喜びは全国へと広がっていきました。聖書に「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一 16章7節)とありますが、外側がどんなに貧しく見えてもその内側にある輝きや喜びを知ることは重要ですね。

 世界で最初のクリスマスは更に貧しいものでした。神の御子キリストは神のあり方を捨てて人として貧しい赤子としてこの地上に来られました。それは人の心のすべての貧しさを引き受け、人の罪の赦しのために身代わりに罪のさばきを引き受けるためでした。御子キリストの貧しさや苦しみの中にこそ神の愛といのちが現わされたのです。

 聖書にはこう記されています。
 「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」 新約聖書 コリント第二の手紙8章9節

 あなたも自分の心の貧しさを認め、その罪の赦しのために来られた神の御子キリストを心から受け入れませんか? その時あなたは本当の愛と喜び、そして罪の赦しといのちをご自分のものとすることができ、「神の国は、あなたがたのただ中にある」(ルカ 17章21 節)とのキリストのことばがあなたの内に成就するです。このクリスマス、あなたの心に本当の愛といのちを受け取ってください。

 PBA制作「世の光」2017.12.25放送でのお話しより)

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■わたしはすぐに来る / 羽鳥頼和

2017年12月24日 | Weblog
2017/12/23放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 先週からクリスマス・スペシャルをお送りしています。キリスト教会ではクリスマスの前の1ヶ月間をアドベントと言います。この期間に教会では二つのことを待ち望みそして備えます。一つはもちろんクリスマスです。そしてもう一つがキリストがもう一度この世に来られる再臨です。今日は新約聖書ヨハネの黙示録からキリストの再臨についてお話しします。

 黙示録の21章には、罪から救われ新しくされた世界の様子が語られています。それはキリストの再臨の時に、救いの完成として実現する神の国の姿です。そこには新しい神の都がありました。
 そして次の22章でキリストはこう言われています。
「わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれの行いに応じて報いるために来る。」(12節参照)

 キリストはもうすぐ再臨されるのです。そして全ての人を裁かれます。そして報いを与えるのです。罪あるものには滅びが報いとして与えられます。そしてキリストを信じて救われた者は神の国に生きることが報いとして与えられるのです。
 ですからキリストはこう言われました。
 「救われて門を通って神の都に入るようになる者は幸いである。」(14節参照) 

 キリストは神であられるお方であるのに人となってこの世に来てくださいました。クリスマスは神であるキリストが人となられたことを記念する時です。

 そして人となられたキリストは私たちに救いを与えるために十字架にかかって身代わりとなって死んでくださいました。そして三日目に復活して天に帰られました。そして間もなく、もう一度キリストはこの世に来られるのです。

 キリストは人々に伝道する時、その初めからこう言われていました。
 「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」(マルコ1章15節参照)
 自分の罪を悔い改めてキリストを信じる者は神の国に入ることができるのです。

 あすは日曜日です。キリスト教会ではクリスマス礼拝を行います。キリストの福音を聞きにぜひお近くの教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2017.12.23放送でのお話より )
 
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■平和の君 / 関根弘興

2017年12月23日 | Weblog
2017/12/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

今から2000年前、ベツレヘムという小さな村で一人の男の子が生まれました。この知らせを初めに聞いたのは、夜、野宿をしながら羊の世話をしていた羊飼いたちでした。主の使いが突然現れ、まばゆいばかりの栄光が彼らを照らしたのです。そして御使いはこう告げました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ 2章11節)

 羊飼いたちは驚きと感動を持ってこのことばを聞いたことでしょう。なぜなら、「あなたがたのために」に、つまり私のために救い主がお生まれになりました、と聞いたからです。すると今度は、天の御使いたちと一緒に天の軍勢が現れて、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ 2章14節)と、天にも響く素晴らしい賛美が歌われたのです。

 この賛美の中にクリスマスの意味が示されています。それは、地の上に平和があるように、というメッセージです。聖書は、イエス・キリストは、平和を与える王の王、救い主である、と記されています。

 私たちの人生は何によって支配されているか。これがとても大きな問題です。ある人はむなしさに支配されています。また孤独感であったり、憎しみや怒りによって支配されている人もいます。また自分さえよければよいという自分かってな生き方に動かされて生きている人もいますね。しかし、平和の君と呼ばれるキリストが、あなたの人生の救い主、王となってきてくださるなら、そこに麗しい神の国があなたのただ中に到来するのです。

 キリストの平和はあなたの心の罪が赦されることによってもたらされる平和です。キリストの平和は、キリストがあなたを離れずいつも共にいてくださると約束する心の安息です。キリストの平和は人生の困難が襲ってきた時、勇気と希望を生み出す平安です。死を乗り越えてもなお続く平和であり、平安であり、安息なんです。

 このクリスマス、イエス・キリストを救い主として受け入れ、このキリストの平和があなたの心に豊かに溢れていきますように
 
  (PBA制作「世の光」2017.12.22放送でのお話しより)



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■特権が与えられる / 大嶋重徳

2017年12月22日 | Weblog
2017/12/21放送

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 先週は、いのちのことば、光のことばなるイエス様のことばが私たちの間に住んでくださるクリスマスのお話をしました。

 しかしそのように準備万端整え、満を持して私たちの所に来てくださったイエス様に対して、「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネの福音書 1章11節)と聖書は語ります。

 私たち人間がイエス様にとった態度は、一言で言えば拒絶ということでした。私たちを愛してくださる神の愛の語りかけを、私たちは受け入れず拒んだ。これが人間の罪なのです。罪とは言いかえれば、神の愛に対する恩知らずとも言えるでしょう。愛されたのにその愛をいとも簡単に忘れること、愛されて当然だと居直ること、愛されているのにその愛を認めず私は愛されていないと絶えず愛に満足できないこと、私たちは自らの心の内を覗きこむとき、そのような心があるのではないかと思います。

 ところがそのような御知らずの私たちの罪の現実にもかかわらず、聖書はこう語ります。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書 1章12節)
 イエス様こそ私たちの救い主だと信じた人々には神の子どもとされる特権が与えられると御言葉(みことば)は語ります。特権とは特別な身分という意味です。神を知らず受け入れもしなかった恩知らずな私たちを、信じる者としてくださり救い出してくださった。そしてそれだけではなく、神の子どもという特権が与えられたです。神の子どもとされたということは、神様との関係が、もはや奴隷のような、主人の顔色をうかがいながら生きることをしなくてもよいのです。いつ捨てられるか、いつ不必要とされるか、そういう恐れの中を生きる必要が無いのです。子どもの特権とは、親の愛を信じて疑わず、安心して生きられることです。自分が受け入れられ尊ばれ喜ばれ、その愛を疑わずに生きられる。それが神の子どもたちに与えられた幸いなのです。

 クリスマスに私たちは教会でも食卓を囲みます。その食卓で私たちは父なる神様の子とされた特権に与かっていることをお祝いするのです。一番上のお兄ちゃんはイエス様です。このイエス様からいのちのことば、光のことばのスピーチを聞くのです。この事がたまらなく嬉しい、たまらなく誇らしい、このクリスマスの恵みをぜひ拒絶することなく受け取っていただきたいと思います

   ( PBA制作「世の光」2017.12.21放送でのお話しより )

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■悔い改めて福音を信じなさい / 福井 誠

2017年12月21日 | Weblog
2017/12/20放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「悔い改めて福音を信じなさい」です。マルコの福音書1章15節を読んでみましょう。
 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。

 いよいよクリスマスですねえ。なぜクリスマスが喜ばしいのか。それは先週もお話ししましたが、神様が私たちに新しい王国を備えてくださっているというところにありますねえ。私たちは今日本に住んでいますが、この地上の国の様々な矛盾の中で悩んでいる者です。まったく別の新しい国の住人になりたい、そんなことはないですか? 私はありましたね。で、聖書は今の地上の王国のような矛盾も悲しみも苦しみもない新しい王国にあなたも入れられる、それが近づいているのだから悔い改めなさい、と言っています。確かにそんな素晴らしい王国に入れるとしたら、今の自分のままでそこに入ろうとするのは難しいかもしれませんねえ。自分自身もか変わらなくてはいけないのではないでしょうか。皆がありのままに良(い)い思いのできる新しい国に入ったら、結局元の国と同じです。(そしたら)天の御国はこの世と何ら変わりはありません。やはり変わらなくてはいけないのですね。

 だからヨハネは言うのです。「神の国が近づいた。悔い改めなさい。」と。悔い改めることは過去の罪や過ちを後悔することではありません。それは間近に迫った救い主とお会いする日に備え、神の前で悔い、心を入れ替え、歩みを改める行為です。だから基本的に神を認め神に対する恐れと信仰がなければ悔い改めというのは出てこない行為ですね。

 しかも悔い改めて自分を変えようと思って変えられる人もいません。皆さん心のどこかに覚えがあるでしょう。今日からこうしよう、ああしようと思って出来たためしはないという人間の弱さを。大事なことは、悔い改めの勧めと同時に、福音つまり良い知らせを信じるように勧められていることです。神を認め悔い改める者には神は新しい人生を生きる力を与えてくださる良き知らせがありますね。

 ぜひこのクリスマスの日に教会へ行っていただきたいと思います。そして私たちが信じべきとされる良き知らせ、福音にじっくり耳を傾けていただきたいと思います。「神の国は近づいた」 このことばは真実だからです。

(PBA制作「世の光」2017.12.20放送でのお話より )

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