♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ソリ・デオ・グロリア「神にのみ栄光があるように」 / 羽鳥頼和

2022年08月31日 | Weblog

2022/3/30放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は、聖書が語っている「栄光」についてお話ししたいと思います。

 「栄光」とは、ある国語辞典では「困難を克服して大事業を成し遂げた時の、金では買えない喜び、誇らしさや高揚した心の状態」と言っています。また「幸いを現す光」「輝かしい誉れ。光栄」とあり、それに付け加えて、「キリスト教では、神の顕現・臨在を表すのに用いる言葉」とありました。神が栄光そのものであるというのです。

 聖書で「栄光」と訳されていることばの代表的なものは(ヘブル語の)「カーボードゥ」で本来の意味は「重たい」ということばです。人にも使われることがありますが、人の栄光は脆いものであるとされています。栄光とは神にこそふさわしいことばなのです。

 そして、新約聖書では、栄光は殆どがキリストの栄光を指して用いられています。聖書は、栄光はまことの神また神の御子キリストにこそふさわしいことを教えています。

 ところがそれだけではありません。聖書は、神はご自分の栄光を人に与えて下さると教えています。

 新約聖書ローマ人への手紙8章30節にこのようにあります。
 「神は・・・義と認めた人たちには・・・栄光をお与えになりました。」

 イエス・キリストを信じ、キリストの十字架によって義と認められた人に、神はご自身の栄光を与えて下さるのです。

 「音楽の父」と呼ばれるバッハは多くの讃美歌を作りました。彼は自分の作品の自筆楽譜の最後に「SDG」とサインしました。それはソリ・デオ・グロリア「神にのみ 栄光があるように」という意味のサインです。バッハは神を讃美する素晴らしい作品を作り出しました。そしてそれが神から与えられた栄光であり、その栄光は神にお返しすることが最も良いことであると確信していたのです。
 
 聖書のことば
 「私たちにではなく 主よ 私たちにではなく ただあなたの御名に 栄光を帰してください。」
        旧約聖書 詩篇115篇1節


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.30放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■いのちへの水を与えるキリスト / 羽鳥頼和

2022年08月30日 | Weblog

2022/3/29放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 聖書には「いのちへの水」ということばがあります。水は生きるのに絶対必要なものだからです。雨があまり降らないイスラエルにおいて水はとても貴重です。フォークダンスの「マイム・マイム」はご存知でしょう。「マイム・マイム」はイスラエルの歌です。マイムとは「水」のこと。歌詞の中に聖書のみことばがあります。 旧約聖書イザヤ書12章3節のみことばです。

 「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。」

 水はいのちであり、水があることは救いなのです。

 旧約聖書 詩篇114篇8節には「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。」とあります。

 この詩篇の作者は、出エジプトの出来事を振り返り、神がなしてくださった素晴らしいみわざを覚えています。

 エジプトを脱出した時、海の水が真っ二つに分かれました。人々は海を渡ることができました。荒野の旅を終えて約束の地に入る時、同じようにヨルダン川の水が真っ二つに分かれました。人々は川を渡り、約束の地に入ることができました。

 この詩篇の作者は神の偉大なわざを見て、神を恐れつつ感謝しています。

 その詩篇114篇の最後に、「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。」とあるのです。

 このことは、荒野を旅する中で水がない時に、神が岩から水を湧き出させてくださったことを覚えているのですが、それだけではありません。神がいのちを与えてくださる方であることを、神をおそれつつ感謝しているのです。

 私はイエス・キリストのことばを思い出すのです。

 新約聖書のヨハネの福音書4章14節 
 「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

 イエス・キリストは、荒野のようなこの世にあって飢え渇いている人の心に、永遠のいのちとなる「いのちの水」を与えて下さるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.29放送でのお話しより )


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■聖書(ゼカリヤ書)による終末の預言 / 羽鳥頼和

2022年08月29日 | Weblog

2022/3/28放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 新型コロナウィルスのパンデミック、それだけでなく地震、台風、竜巻、噴火と津波、自然災害も変わらずに起こっています。災いの多いこの時代、「この世の終わりが近い」といわれて、不安になってしまいます。

 そこで、今日は聖書からこの世の終わりである「終末」のことについてお話したいと思います。 旧約聖書のゼカリヤ書14章で語られている終末についてお話をします。

 聖書で「預言」と言われているのは、神が人にご自分のことばを預けるという意味で、預金の「預」が使われています。神がご自分のメッセージを人に託して、その人が神のことばを人々に語ることを言います。

 ゼカリヤ書は、今から2500年以上前にゼカリヤに神が預けたご自身のことばが記されています。ゼカリヤは「見よ、主の日が来る。」と語りました。「主の日」とは、まことの神である主キリストが全世界を完全に支配するようになる日です。そのために、キリストは再び来られるのです。

 終末の時代は、神に敵対する勢力がまことの神を信じる者を滅ぼそうとするので、神の民は苦しみます。そこに主は来られて、敵対する者を滅ぼされます。そして、主は王として地上を支配されるのです。

 主に支配されている地上では闇がなく、いつもいのちの水が流れていて、人は皆安らかに住み、主を礼拝するようになります。

 聖書は、救い主がいつ来るのかは教えていません。そうではなくて忍耐して、期待して主を待ち望むことを教えています。いつ実現するかわからない神の国が、必ず主キリストによって実現することを信じて期待して待ち望むのです。

 まことの王である主キリストが再び地上に来られる時、悪は滅ぼされて、神を信じる者が、いつも安心して、安全に住むことができる神の国が実現し、人々は神を礼拝することができるようになるのです。

 主は必ず来てくださいます。主を待ち望みましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.28放送でのお話しより )


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■心から行いなさい / 山本陽一郎

2022年08月27日 | Weblog

2022/3/26放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 夏になると、信州・八ヶ岳の麓にあるクリスチャン・キャンプ場で過ごす。私たち家族はそれを毎年続けてきました。白樺林と美しい湖。聖書のメッセージを聴き、皆と過ごす時間はかけがえのないものです。

 若い頃からそのキャンプで奉仕をするようになりました。朝4時半、まだ薄暗い時間に起きて、トイレ掃除に取りかかり、それが終わるとチャペルの掃き掃除と椅子並べをします。そうやって、100人ほどいるキャンパーの皆さんが一日気持ちよく過ごせるように、色々な場所を整えるのです。

 若い頃のことでしたが、私は仲間たちとチャペルの椅子を並べていました。早く次の作業に取り掛かりたかったのでスピードを上げていたところ、チーフからこう指導されました。

 「汚ないなぁ・・・これ並べた人、やり直し! いいかい、単に椅子を100席つくるのではなくて、ここに座る一人ひとりのキャンパーを思い浮かべて、心を込めて並べるんだよ。」

 もちろんスピードも大切です。しかし、それ以上に大事なことがあるのだと知りました。

 新約聖書コロサイ人への手紙3章23節に、こうあります。

 「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」

 座る人を思い浮かべて整える。それだけでなく、もしこの椅子にイエスさまが座られるとしたら、どう作業するか、どれだけ心を込めてするか。これは、私たちの働きに、大切な視点を与えてくれる聖書のことばです。

 今日する仕事についても、出会う人々に対しても、何をするにしても、イエスさまに仕えていることにつながっている。そのことを心に留めて行なっていきたいものです。

 毎週、私は礼拝の前日に教会堂のイスを整え、玄関にスリッパを並べ、掃除をします。今は除菌作業もします。その時、あの若い日にチャペルで教わったことが思い出されます。

 「心から行いなさい」

 私たちには今日一日、いろいろな働きがあるでしょう。心を込めて料理をし、心を込めて数字を数え、心を込めておむつを取り替えましょう。イエスさまは、あなたのその働きを見ていてくださいます。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.26放送でのお話しより )


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■苦しい時にどこを見つめるか / 山本陽一郎

2022年08月26日 | Weblog

2022/3/25放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、山本陽一郎です。
 新型コロナ感染拡大の影響で、苦しい状況に置かれている方が少なくありません。こういう大変な時代の中、今番組を聴いてくださっている皆様の生活と健康が守られるように、心からお祈りいたします。

 聖書を開くと、悩みや苦しみの中にいる人が実は大勢登場してきます。数多くの詩がまとめられた「詩篇」という書物には、ただ感謝や喜びだけが述べられているのではありません。意外に思われるかもしれませんが、苦しみや嘆き、苛立ちなどを表している歌が次から次へと出てくるのです。

 そうなのです。苦しみの時や悲しみの時を誰もが経験するのです。信仰生活の中でも、辛くてたまらない時があります。そんなとき、どうすればよいのでしょうか。

 三つのことを心に留めたいと思います。

 第一に、自分のありのままの思いを、神様に打ち明けることです。詩篇の作者たちは、苦しみがないふりはしていませんし、我慢もしていません。むしろ、自分の感情を神様の前で正直に打ち明けて、すべて受け止めていただいています。詩篇77篇1節に、こうあるとおりです。「私は神に声をあげて 叫ぶ。私が神に声をあげると 神は聞いてくださる。」

 第二に、神様を見つめるときに私たちの心が変えられるということです。問題や状況、自分ばかり見ていた心が引き上げられ、その問題をご存知のお方、生きて働いてくださる神様を信頼する心に変えられていきます。

 そして第三に、神様のみことばを聴くということです。出エジプトや十戒で有名なモーセは遺言の中でこう語りました。「これは、あなたがたにとって空虚なことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。」申命記32章47節

 生きる中には、喜びの時も、また苦しみの時もあります。どのような中にあっても、私たちの思いを受け止めてくださる神様に正直に打ち明け、いのちのみことばに生かされて歩んでいきましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.25放送でのお話しより )


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■待っていてくれた / 山本陽一郎

2022年08月25日 | Weblog

2022/3/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、山本陽一郎です。

 スマートフォンを初めて使った時、「これはすごいものが出てきたなぁ」と感じました。個人的に気に入ったのは、本体に付いているホームボタンでした。どの画面を開いて作業していても、とにかくこのホームボタンを押せば、どこからでも最初の画面に戻ってこられるようになっていました。

 ところで、スマホなんて無かった2000年前に、私たちにもちゃんとホームがあると教えてくれた方がいました。そのお方、イエス・キリストは、世界中の人々に、神がどれほど私たちを愛しておられるかを示してくださったのです。神のみもとにいること、それが私たちのホームなのだと。

 イエスさまのメッセージの中に、有名な放蕩息子のたとえ話があります。父から財産の分け前をもらうや否や、遠い国へ行ってしまった息子が遊び呆けてお金を使い果たしてしまい、改心して父のもとに帰ってくる話です。その時、父、すなわち神様はこう言って盛大に祝うのです。

 「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」
       ルカの福音書15章24節

 失われたものが本来の場所に帰る喜び、神の愛を鮮やかに描いた話です。

 私には若い頃、色々なことがあって、教会からも神様からも離れていた時期がありました。「どうせ自分は忘れられているだろう」と思っていました。

 ところがある時、ちょっとしたことから教会へ行くことになったのです。だいぶ休んでいたので罰が悪く、恐る恐るドアを開けてみると、私に気づいた方々がダーッとこちらに駆け寄ってきたのです。驚いたことにみんな泣いていました。いいえ、泣いてくださったのです。そして、私の手を握りながら口々に話してくださったのです。私が立ち直れるように、また教会に戻って来られるように、ずっと祈っていてくださったことを。神様の愛が見えるような気持ちがしました。「よく帰ってきたね。ずっと待っていたんだよ」と言って神様が抱きしめてくれたように感じられたのです。

 神様といっしょに生きる。それが私たちのホームです。遅すぎることはありません。神様は今日も私たちのことを待っておられます。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.24放送でのお話しより )


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■勝負どころ / 山本陽一郎

2022年08月24日 | Weblog

2022/3/23放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、山本陽一郎です。 

 今日は父との記憶を辿ってみたいと思います。高校の音楽教師だった父は、幼い私をときどき職場や演奏会に連れていってくれました。合唱や吹奏楽を指導し、生徒さんたちに慕われている父を見ながら、「大きくなったら自分も学校の先生になりたいなあ」と思っていました。

 ところが思春期、さらに不登校になった頃から、私は父とあまり喋らなくなりました。この時期にありがちな何とも微妙な関係性です。うまくいかないことばかりで悩む中、周囲に当たることも増えた私は、「親にとってはかなり接しにくかっただろうなあ」と思います。それでも父は、あまり動じる様子を見せずにいてくれたので、こっちはある意味で安心して葛藤できたのかもしれません。

 そんな中、一度だけ父と文字どおりの大接近をしたことがありました。実はある時、私はすっかり希望を失ってしまい、人生から降りようとしてしまったことがあったのです。あの夜、うなだれたままの私を父は自分の腕に受け止めてくれました。「自分の子がこんなに苦しんでいるのを見て、父さんは断腸の思いだ」 そう言って、涙を流しました。そして、もう親よりも背が高い息子を自分の布団に入れて、朝まで添い寝をしてくれたのでした。「今日は一緒に寝るぞ」と。布団の中で、いつ以来の父の臭いだろう、と思ったのを覚えています。

 お互い、もう格好をつけるような状況ではありませんでした。あれは勝負どころでした。けれども、こんな惨めな自分でも、迷惑しかかけていないような自分でも、「大切な息子だ」と言って受け止めてくれた父の不器用な愛が、何にもない自分の心に沁み込んできました。私を支えてくれました。

 神様は言われます。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
             イザヤ書43章4節

 30年前、父がどんなに私のことを心配して、全身全霊で子どもを生かそうとして本気で寄り添ってくれたのか、祈ってくれていたのか。自分も今、親になって、言い表せない感謝と尊敬の思いが湧いてきます。

 そして、私が叫び探し求めていた神様は、父を通しても、ご自身の本気の愛を私に教えてくれていたのです。ああ、「神は愛なり。」


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.23放送でのお話しより )


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■信じ、待つ / 山本陽一郎

2022年08月23日 | Weblog

2022/3/22放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 教会に行くようになるには、人それぞれの物語があるのだと思います。たとえば、誰かとの出会いを通してとか、挫折がきっかけでとか。さらに、イエス・キリストを信じるまでにも、色々な出来事があるのではないでしょうか。

 私の場合は、クリスチャンの親のもとに生まれ、幼い頃から教会に通っていたので、自然と聖書や神様のことを知っていきました。ところが、高校時代に不登校になりました。うまくいかないことが続きもがく中で、ある思いが心に浮かび上がってきたのです。

 「神様を信じていることで何かが解決したか? 神様は自分の祈りを聞いてくれているのか? いや、もそも神って本当にいるのか?」 

 いつの間にか、日曜日は家族が教会に行くのを見送る日に変わりました。教会にも行かず、学校にも行かない私を家に残し、日曜日になると父と母は普段どおりに教会の礼拝へ出かけて行くのでした。でもきっと本当は「普段どおり」ではなかったのだと思います。あの時、両親も戸惑っていたはずです。息子にどうやって接したらよいのかと。

 そんなある日のこと。家の冷蔵庫に何か取りに行った私は、リビングから小さな声が聞こえてくることに気づきました。そっと見てみると、母が聖書を開いて心を注ぎ出すように祈っていたのです。

 「神様、陽一郎が苦しんでいます。どうか解決を与えてください。」

 今でも私は、あの母の姿を思い起こすことがあります。母も苦しみながら、待っていた。自分は祈られてきたことを実感するのです。だからこそ今、自分もあの人、この人のために祈りたいと思っています。

 イエス・キリストは言われます。「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22章32節)

 人の歩みは決して平坦な道のりではありません。嵐の時期もあるし、成長に時間が要ることもあるでしょう。それでも信じて祈ってみませんか? ご一緒に祈りましょう。誰よりもまずイエスさまが私たち一人ひとりのために祈っていてくださり、成長させてくださるのですから。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.22放送でのお話しより )


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■失敗しない人などいない / 山本陽一郎

2022年08月22日 | Weblog

2022/3/21放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 「私、失敗しないので」と言う外科医をドラマで演じた女優さんが、あるトーク番組で「実際の私は失敗の連続です」と話していました。確かに、テストでも仕事でも間違いは無いに越したことはありません。けれども、うまくいかない経験を通して大切な学びをすることもあります。あの発明王エジソンは、いつもたくさんの失敗を糧にして成功へと近づいていきました。「失敗は人生の母」。大切なメッセージですね。

 一方で、聖書によると、私たち人間には例外なく罪があります。「法律を破ったことはないつもりだけど」「そういう失敗はしてないよ」という方も多いことでしょう。しかし、聖書が語る「罪」とは「的外れ」のことなのです。私たちを造られた神様に背を向けている状態、それが罪なのですね。

 盗みで捕まると罪になるのではなく、罪があるから盗むのです。罪があるから嘘をつき、罪があるから悪口を言う。まず内側に問題があるから、外側の行いが出てくる。これが聖書の「罪」という概念なんです。

 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは、自分のいのちを守るために、エジプトの王に対して自分の妻を「妹だ」と言って嘘をつきました。イスラエル最高の王ダビデも、忠実な部下をわざと激しい戦闘の最前線へ送って死なせ、その間に彼の妻と寝るという恐ろしい罪を犯しました。イエスの弟子のリーダーだったペテロは、イエスが捕らえられたとき、怖くなってイエスのことを「そんな人は知らない」と三度も言ってしまいました。枚挙にいとまがないほど、聖書に出てくる人々も失敗しています。取り返しのつかないような大失敗もあります。

 あなたはどうでしょうか。間違った選択をしましたか? 信仰のバランスを失ってしまいましたか? もしそうなら、神様は私たちに赦しを与え、やり直すチャンスを与えてくださることを、まず心に留めていただきたいのです。誰でも失敗をします。罪を犯します。しかし、イエス・キリストの十字架と復活は、私やあなたの罪を赦し、希望を与え、再び立たせてくださるためにあるのです。決して失敗したら終わりではありません。私たちの過去・現在・未来のすべての罪・過ちを神様は赦し、いのちを与えてくださるお方です。
 
 さあ、このお方のもとへ行きましょう。新しい出発はそこにあります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.3.21放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-94  これからだ / 大嶋重徳

2022年08月20日 | Weblog

2022/3/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 5章で、「深みに漕ぎ出して網を下ろしなさい。」とイエス様に言われ、そのことばに従ったペテロの網には破れそうになるほどの魚が入っていました。

 するとペテロは、イエス様の足もとにひれ伏して、「『主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。』と言った」とあります。

 イエス様のみわざに触れたとき、私たちは自分のことを誇ることなど出来ません。神様の圧倒的な神わざの前にひれ伏すより他ない心境になります。むしろ、自分の罪深さに気が付かされていくんです。

 そのペテロにイエス様は「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」と言われました(ルカ5章10節参照)。「大丈夫だペテロ。私はあなたの罪深いことなど最初から知っている。でもわたしはそんなあなたとともに、私はこの国の魂の深みに漕ぎ出したいと願っているんだ。」

 イエス様は「これから後(のち)だ」と仰いました。これまで私たちがどれだけの弱さを抱えていたとしても、「深みになんて漕ぎ出しません。」と言っていたとしても、「自分はそんな賜物がありませんから」と自分に自信がなかったとしても、イエス様は言ってくださるんです。「わたしがこれから後、あなたを人間をとる漁師として造り変える。」 

 私たちには「これから後」があるんです。まだまだ「これから後」がある。今うまくいっていないことがあったとしても、今、深みが怖くて前に進めなかったとしても。聖書のことばを信じてイエス様のことばに従えなかったとしても。今まだイエス様のことばを信頼し信仰を持てなかったとしても。洗礼に踏み出せなかったとしても、イエス様は「これから後」あなたを人間を捕る漁師にあなたを変えて下さる、と言うんです。

 「これから後」あなたはあなたの人生の深みへと漕ぎ出していける。そしてあなたもまた誰かの人生の深みにイエス様とともに踏み出していけるんです。このイエス様のことばに期待して、自分の弱さに失望していたとしても、信じて歩んでいきましょう。ペテロが「ひれ伏した」とは礼拝したという意味です。神様を神様として生きたんです。あなたにも「これから後」ということばを信じるチャンスがある。あなたもイエス・キリストの救いを受けとっていただきたいと思います。


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.12放送でのお話しより )


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