2022/3/30放送
「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は、聖書が語っている「栄光」についてお話ししたいと思います。
「栄光」とは、ある国語辞典では「困難を克服して大事業を成し遂げた時の、金では買えない喜び、誇らしさや高揚した心の状態」と言っています。また「幸いを現す光」「輝かしい誉れ。光栄」とあり、それに付け加えて、「キリスト教では、神の顕現・臨在を表すのに用いる言葉」とありました。神が栄光そのものであるというのです。
聖書で「栄光」と訳されていることばの代表的なものは(ヘブル語の)「カーボードゥ」で本来の意味は「重たい」ということばです。人にも使われることがありますが、人の栄光は脆いものであるとされています。栄光とは神にこそふさわしいことばなのです。
そして、新約聖書では、栄光は殆どがキリストの栄光を指して用いられています。聖書は、栄光はまことの神また神の御子キリストにこそふさわしいことを教えています。
ところがそれだけではありません。聖書は、神はご自分の栄光を人に与えて下さると教えています。
新約聖書ローマ人への手紙8章30節にこのようにあります。
「神は・・・義と認めた人たちには・・・栄光をお与えになりました。」
イエス・キリストを信じ、キリストの十字架によって義と認められた人に、神はご自身の栄光を与えて下さるのです。
「音楽の父」と呼ばれるバッハは多くの讃美歌を作りました。彼は自分の作品の自筆楽譜の最後に「SDG」とサインしました。それはソリ・デオ・グロリア「神にのみ 栄光があるように」という意味のサインです。バッハは神を讃美する素晴らしい作品を作り出しました。そしてそれが神から与えられた栄光であり、その栄光は神にお返しすることが最も良いことであると確信していたのです。
聖書のことば
「私たちにではなく 主よ 私たちにではなく ただあなたの御名に 栄光を帰してください。」
旧約聖書 詩篇115篇1節
( PBA制作「世の光」 2022.3.30放送でのお話しより )
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