♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■バベルの塔 / 関根弘興

2025年01月25日 | Weblog

2024/09/14放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 今週は旧約聖書の創世記を読んできました。あのノアの箱舟の出来事から歴史はさらに進んでいきました。

 この時、人々は一つのことばを使って生活していた、と書かれています。彼らは互いに、「さあ、町を建て、頂が天に届く塔を建てよう」(創世記11章4節参照)と呼びかけて、一致団結し、高ーい塔を建て始めたのです。
 彼らは優れた技術を持っていました。協力しあい、熱心に高い塔の建設を進めていったのです。

 しかし彼らの動機が問題でした。それは、「頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(創世記11章4節参照)というものだったからです。
 つまり、自分たちが神の高さにまで達し、神と同じようになろうとする高慢な思いだったのです。

 するとどうでしょう。神様は何と彼らのことばを通じないようにされたのです。
 これは、それまでの発音やアクセントが瞬時に変わって外国語のようになってしまったということかもしれませんが、それよりも互いにコミュニケーションが取れなくなってしまった、というふうにも考えられるわけです。心が通じ合わなくなってしまったわけですねえ。

 これまで心を一つにしてレンガを積み上げていった人たちが互いに耳を貸さなくなり、分裂が起こっていきました。「名をあげよう」と頑張っていたけれど、なんであの人の名前が一番最初にくるのだ! 互いに自己主張をし始め、不平不満は溢れ出て行きました。
 そしていつしか、分裂が分裂を呼び、結局、「神のようになるために天にも届く塔を建てる」という壮大な事業は頓挫し、団結心も失われ、彼らは地の全面に散ってしまったのです。

 これは有名なバベルの塔の話です。

 でも、今日でも同じようなことが日常的に起こっているように思いませんか? 人間の高慢さは互いのコミュニケーションを破壊し、混乱を招いていきます。

 私たちは神の高さまで上るために天にも届く何かを作る必要などありません。
 なぜなら神様ご自身が天から私たちのもとに下って来てくださったからです。
 それは神の御子イエス・キリスト。イエス・キリストは私たちと同じ人として来てくださいました。

 高慢は人を混乱させ散らしていきました。
 しかし、このイエス・キリストを通して私たちは真の謙遜の姿を知ることができるのです。  
 そしてこの方によって様々な違いを超え、新しく分かり合える世界が生まれていくのです、と聖書は約束しているのですね。

 分裂ではなく一致をもたらす鍵はこのキリストの謙遜にあるのですね。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.14放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■ノア <約束の虹> / 関根弘興

2025年01月24日 | Weblog

2024/09/13放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 今、創世記に出てくるノアの箱舟の出来事からご一緒に人生を考えています。

 大きな大きな箱舟によって大洪水から免れたノアたちは、洪水後、まず神様に礼拝を捧げ、神様への感謝と祈りを捧げて新たな人生を出発していきました。

 神様はそんなノアたちに大切な約束を与えてくださいました。それは、大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない、という約束でした。

 ノアたちにとって大洪水による約1年間は、日常生活が出来なくなってしまう異常事態の極みのような時でした。しかし神様は、「これからは、種蒔く時も、刈り入れの時も、暑さも寒さも、夏も冬も、昼も夜もやむことはない。」と約束してくださいました。
 自然のサイクルの中で様々な穀物が育ち、産物が実るわけですが、そうした自然のサイクルの中に神様の約束を見ることが出来るんですよ、ということですね。
 もちろん地域的な洪水や氾濫は季節ごとにやってきます。
 しかしそれは季節の巡りであって、裁きのしるしではない、というのです。
 また時々起こる自然の災害自体も決して神様の裁きの手段ではないのですよと、教えているのです。

 するとノアたちは、雲の中に何を見たのでしょう。七色に輝く虹を見たのです。神様はその虹はわたしが約束したことのしるしとなるのです、と言われました。
 虹というのは、雨が上がり光が差し込むときに現れますね。つまり、嵐の後の平和と安息の象徴です。
 神様は、「わたしを信頼し歩んでいきなさい。人生に大きな困難が襲ってきても、必ず雨はやみ、光が差し込み、平和が、憩いが、安息が訪れる」という希望の約束のしるしとして、虹を見せてくださったのです。
 虹は、私たちが決して失望に終わることのない約束の象徴です。

 そして今私たちは、イエス・キリストご自身が私たちの人生の光となり、暗闇を照らすまことの光となって来てくださっているのだということを知っています。
 私たちは空に虹を見るとき、この自然界に働かれている神様の恵みを思い起こします。
 また私たちの人生においても、暗闇の中にキリストの愛と癒やしの光が差し込み、平安の虹を見せてくださるのです。
 だからいつも、希望を告白し歩んでいきたいですね。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.13放送でのお話しより )


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■ノア <救いの箱船> / 関根弘興

2025年01月23日 | Weblog

2024/09/12放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 旧約聖書の創世記を読んでいます。昨日からノアの箱舟、あのノアについて話しています。
 神様はノアに、これから大洪水が起こるから箱舟を作りなさい、と命じられました。

 さあ、遂に大きな大きな箱舟は完成しました。神様はノアに、つがいの動物たちそして食糧を箱舟に乗せるように命令なさいました。
 そして最後にノアとその家族が船に乗り込みました。

 すると7日目に遂に雨が降り出したのです。聖書には大変象徴的なことばが記されています。
 「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」と。

 神様は一番浸水しやすいその戸をしっかりと閉ざし、決して浸水しないようにしてくださいました。
 しかしそれは同時に、ノアを馬鹿にしあざ笑いノアのことばを拒否し続けた人たちの救いの道が閉ざされた、という厳しい現実を意味するものでもあったのです。

 新約聖書第二コリント6章2節に、こう書かれています。
 「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」

 神様の恵みのことば、招きのことばが語りかけられている間に、そのことばに応答して救いを受けることはどれほど大切なことでしょう。
 しかし残念ながらノアの家族以外の人たちは神様からの招きを無視して、箱舟に乗ろうとはしませんでした。
 雨は40 日40 夜降り続き、すべてが水に覆われてしまったのです。ノアたちが箱舟から出られるようになるまでに、何と丸1年もかかってしまいました。

 ノアたちの長い長い箱舟生活がやっと終わると、神様は彼らに、もう一度この自然を管理し豊かにしていくように命じられました。
 神様は、「この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」と約束してくださいました。

 さて、ノアの家族が箱舟から出て最初に行ったことはなんだったのでしょう。それは祭壇を築いて礼拝することでした。
 「神様、これからあなたに人生を委ね、任せながら生きていきます。」と神様に祈り、礼拝を捧げたのです。
 ノアたちにとって再スタートは、神様に礼拝を捧げるということからでした。

 あなたの人生に再スタートがあるとするなら、あなたは何から始めますか? それは聖書が示すとおりに、永遠の救いの約束を無視するのではなく、それを受けとり、神様を心から崇め礼拝すること、ここから歩み始めていきませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.12放送でのお話しより )


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■ノア <暴虐の時代> / 関根弘興

2025年01月22日 | Weblog

2024/09/11放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 旧約聖書の創世記を今読んでいます。あなたはノアの箱舟の話をご存知ですか? ノアが生きた時代は、人々はただ自分の欲望のままに生き、地は暴虐で満ち、神様を信頼し生きていこうなど誰も考えようともしない、そんな時代でした。
 神様はそんな人々の姿をご覧になって心を痛められました。なぜなら、このままの状態が続くなら、結果的に人は自らを滅ぼしてしまうからです。

 そんな混沌とした時代に、ノアは神とともに歩んだ人として聖書に紹介されています。
 ノアは、混乱と暴虐に満ちた時代の中にあって、愛と真実の神様に拠り頼まなければ生きていけないと強く感じていたのでしょう。
 神様はそんなノアにこう命じられました。
 「地は、暴虐で満ちている。だから、わたしは彼らを滅ぼそうとしている。あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。」(創世記6章13、14節参照)
 つまり、大洪水がこれから来るので箱舟を造りそこに乗れば、ノアと家族は滅びから救われると言われたのです。

 でもノアは船を造る専門技術など持っていなかったと思います。神様からの指示を受け、内部が三階建てのまるでタンカーみたいな舟を作りはじめたのです。
 もちろんこの大事業は家族の協力が不可欠でした。家族総出で造っていくわけですね。それも長い年月をかけて作っていくのです。

 考えてみてください、あなたが家族の一員だったら、「お父さんは神様の命令だっていうけど勝手に思い込んでるだけじゃないですか?」「こんな大きな船を造って無駄でしょう」 ま、長い間、大変な苦労をしてですねえ箱舟を造っていくうちには反発や疑いを抱くこともあったでしょう。また周りの人たちはノアをあざ笑い、変わり者としか見ていませんでした。

 しかしそれでもノアは箱舟を作り続け、嘲る人々に神様の警告を伝え、自らの救いを考えるようにと訴え続けたはずです。
 しかし人々はまったく聞く耳を持ちませんでした。

 救いのために備えられている船があるなら、そこに乗り込むことは決して難しいことではありませんよね。
 聖書には、「今日、もしみ声を聞くなら、心を頑なにしてはなりません。」(ヘブル人への手紙3章15節参照)と書かれています。

 ご存知ですか? あなたのために用意されている永遠の救いの船があるということを。それは救い主イエス・キリストです。 聖書は「主イエスを信じなさい。そうすれば、救われます。」(使徒の働き16章31節参照)とはっきりと約束されているのですから。

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.9.11放送でのお話しより )


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■神と共に歩んだ生涯 / 関根弘興

2025年01月21日 | Weblog

2024/09/10放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 旧約聖書の創世記を今読んでいます。前回は聖書に出てくる最初の系図を紹介しました。
 そこには考えられないほどの長生きした人たちのことが記されていましたね。

 しかしこの系図には普通は含まれていない独特な表現が出てきました。それは「こうして彼は死んだ」という表現です。つまり、人はどんなに長寿、長生きであったとしても、死という現実に直面しなければならないということを教えているわけです。

 しかしこの系図には、一人だけ、「こうして彼は死んだ」という表現が使われなかった人がいました。それはエノクという人です。
 彼はこの系図に載っている人々の寿命と比べると、まだまだ若い働き盛りの人でした。
 しかし、まだこれからという時に、「死んだ」とは記されず「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」(創世記5章24節)と書かれているのです。

 エノクという人の生涯は聖書に殆ど記載されていません。
 しかし、エノクが神とともに歩むきっかけとなったのは、自分に子どもが与えられたことからだったようです。
 赤ちゃんの誕生はとても神秘的ですよね。いのちの誕生を通して、いのちを与えてくださる神様を信頼し生きていこうと人生を方向転換したのでしょう。

 新約聖書のヘブル人への手紙11章5節には「信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。」 こう書かれています。

 神様とともに歩み、神様を信頼し生きていくということは、誰にも襲う死さえも神様が永遠の場所に移してくださる通過点なのだということなのですねえ。

 桁外れの寿命が列挙されている系図の中にあってエノクの生涯は短い生涯でした。私たちは、皆それぞれの寿命は違います。しかし、イエス・キリストは「わたしを信じる者は死んでも生きる」(ヨハネ福音書11章25節)と約束されました。そしてイエス・キリストは、「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。」(ヨハネ福音書14章1-2節) と約束しています。

 イエス・キリストは今日も、あなたに対して「神を信じ、またわたし(イエス)を信じ、歩んでゆきなさい」と勧めています。

 人生にはいろいろなことがあります。それぞれの寿命も違います。しかし、神様とともに歩むとは神様があなたの傍らにいつもおられるということなのですね。今もこれから先もずうっとです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.10放送でのお話しより )


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■こうして彼は死んだ / 関根弘興

2025年01月20日 | Weblog

2024/09/09放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 旧約聖書の創世記を今読んでいます。この世界の誕生、人間の誕生、そして神様に背を向けてしまった人の姿、この書にはさまざまなルーツが描かれているのです。

 そして創世記5章には、アダムから始まった最初の系図が記されています。
 でもその系図を見ると、なんと登場人物が考えられないほどの長寿、長生きなんですね。
 例えば、「アダムは930年生きた」とか、「セツは912年生きた」という具合です。

 ですからある人は、当時の年数の数え方は今と違うのではないかと考えたり、当時は地球の環境や空気中の酸素濃度などが今と違っていて長生きができたのではないかとか、いやいや遺伝子がまだ今ほど劣化していなかったので長生きできたのではないかと考える人もいます。

 しかし聖書に最初に出てくるこの系図について、寿命の長さをあまり詮索する必要はありません。それよりもこの系図には普通は含まれていない独特な表現が出てくるのです。それは、「こうして彼は死んだ」という表現です。

 系図は死んだ先祖の名前を記録していくものですから、「死んだ」ということはわざわざ書く必要がありません。しかしこの系図には丁寧に「こうして彼は死んだ」と繰り返し記されているのです。つまり、人はどんなに長生き、長寿であったとしても、「こうして彼は死んだ」という決して避けることの出来ない死という現実に直面しなければならないのだということを教えているわけですね。

 しかしもし聖書が、「人は何年生きて・・・こうして彼は死んだ」「人生とは何年生きようが結局死んでおしまい」とだけ記す書物なら、そこには何の励ましも慰めも希望もありません。

 私たちは旧約聖書を読み、また新約聖書を読んでいます。新約聖書にははっきりとこう記されています。救い主イエス・キリストはこう言われました。

 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ福音書11章25節)

 人は生き、そして死にますよね。でも、イエス様は、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と約束されたのです。
 つまり、「関根弘興はキリストとともに生きた。こうして彼は死んだ。そしてその後も、キリストとともに生きるのだ。」ということになるわけですよねえ。
 死は決してすべての終わりではありません。死を越えるいのちがあることをイエス・キリストは約束しているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.9放送でのお話しより )


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■待って良いですか ⑥ / 大嶋重徳

2025年01月18日 | Weblog

2024/09/07放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当する今週は、聖書のルカ福音書7章から学んできました。今週の箇所には、信仰が揺らいだ洗礼者ヨハネが出てきます。

 揺らぐことは問題ではありません。もっと問題なのは、「自分は大丈夫だ」と自分の誤解している神イメージに支配されたまま長く長く信仰者をやっていることのほうが問題です。自分の期待している神像にあぐらをかいたまま、本当にイエス様が示されている神の姿を受け取ろうとしないことのほうが問題なのです。

 イエス様はヨハネの弟子たちに言われました。「あなたがたが見聞きしたことをそのままを語りなさい。そのまま歪めずに、その姿をいたずらにオーバーに語ることもせずに、きちんと語りなさい。」と言われるのです。

 イエス様の12弟子もそうでした。イエス様が十字架にかかり復活され、聖霊が降られるまで、彼らの心は、彼らの信仰は、揺れに揺れたのです。本当の十字架の意味まで弟子たちは見えていませんでした。

 私たちもまたそうです。まだ神様のなそうとされていることの意味まで見えないことがあります。ずうっと祈っていることがあり、その祈りの実現を待っている。しかしまだ見えない。だからこそ今日、私たちは祈るのです。「待っていてよいのですね? 他の何も待ちません。」 そして、「あなたでいいのですね?」と、みことばを求めるのです。

 イエス様は揺らぐ日常の中であなたの躓きやすい場所を示してくださいます。「下ばかり見ていないで、わたしを見ていなさい。だから転ぶんだよ。まっすぐ入ってきなさい。」

 その意味では世界中の他の何に躓いてもいいんです。私たちが期待していて裏切られることはあるでしょう。親しい夫婦の間でもそうですし、親子関係でもそうです。互いに抱いている期待を勝手に持ちます。

 しかし思い描いていた自分の子どもの人生から裏切られるという事が起こるでしょう。夫に期待していたのに全く違うと言って、そこに躓くのです。恋人に裏切られ、信頼していた先生に裏切られ、誤解して失望することもあるでしょう。

 しかし、イエス・キリストにさえ躓かなければ、他の何に躓いても怖いものはありません。いかなる人間に躓こうともキリストには躓かない。何より、たとえ自分に躓こうとも、恐れるに足りないのです。キリストに躓かないものは幸いです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.7放送でのお話しより )


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■待って良いですか ⑤ / 大嶋重徳

2025年01月17日 | Weblog

2024/09/06放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当する今週は、聖書の福音書ルカ7章から学んでいます。今週の箇所には信仰が揺らいで躓(つまず)いた洗礼者ヨハネが出てきます。

 ヨハネは、母親エリサベツとイエス様の母親のマリアが親戚関係にありましたので、二人(※ヨハネとイエス様)は幼馴染であったと十分考えられます。
 ヨハネには自分なりのイエス理解があったはずです。「自分の知っている姿」があったでしょう。ヨハネにはさらにメシア・救世主とは何かと聖書から思い描くメシア像もあったでしょう。そしてそこで思い描いていたこととイエスは違う、という経験をしたのだと思います。

 (※イエス様は)当時の宗教指導者であった律法学者と平気で喧嘩をする。そこまで戦わなくていいのではないかと思う。安息日に麦の穂を摘んで食べたら、やっぱり弟子にも注意したほうがいいのではないか。イエス様をさばく思いが芽生えていたのだと思います。実際イエス様は自分の持っているメシアイメージからはみ出している。

 私たちもまた自分好みのイエス様像を勝手に作り上げてその通りにキリストがしてくれないと、躓くということをするのだと思います。そしてその場合いつも悪いのは躓いてしまった自分ではなく、躓かせたほうが悪いと思う。自分を正当化してしまうのです。
 もしかすると牧師であっても理想的な教会のイメージを作り上げて、信徒に躓くということもあるでしょう。信徒は信徒で、「牧師とはこういうもんだ」と思い込み、そのリクエストに答えない牧師に私は躓いた、と大声で言ってしまう。

 躓く理由は、イエス様のことを正確に聖書から求めようとしないところで生まれます。イエス様の言っていることば通りに受け取るのではなく、自分の人生観に収まりやすいイエス様に切り替えてしまう。自分好みのイエス様像を作り上げていく。そしてイエス様に躓く。

 しかしここでヨハネは耐えられなくなりました。「待っていてよいのですか?」 イエス様その者からことばを聞こうとしたのです。ここにヨハネの信仰がありました。

 揺らいだからこそ求めようとするところに私たちもヨハネに倣っていきたいと思います。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.6放送でのお話しより )


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■待って良いですか ④ / 大嶋重徳

2025年01月16日 | Weblog

2024/09/05放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 私の担当する今週は、聖書のルカ福音書7章から学んでいます。今週の箇所には、信仰が揺らいだ洗礼者ヨハネが出てきます。

 洗礼者ヨハネは、イエス様が救い主・救世主なのかどうかを直接確認せざるを得ない状況になっていました。そして弟子たちを介して、イエス様にお聞きしたんです。「あなたを待っていて良いのですね?」

 ここでヨハネはさらに挑戦的に聞きます。「それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか?」

 「他の方」、つまりヨハネはイエス・キリストよりも他の誰かのことも見えていたのかもしれません。だからこそ、あなた(※イエス)でいいということばをあなたから聞きたい。

 イエス様はそのヨハネの求めを受け入れられました。牢にいるヨハネのために、二人の弟子に、多くの人々を病気と苦しみと悪霊から癒やし、また多くの盲人を見えるようにされているところをお見せになったのです。
 そして言われました。

 「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足の動かない人が歩き、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。」

 あなたがたが今ここで見たことも聞いたこともヨハネ先生に伝えなさい。
 これらの光景は、ヨハネが人々に語ってきた旧約聖書イザヤ書61章の救い主の預言でした。旧約聖書の成就が今事実起こっているとヨハネに伝えるように言われたのです。

 「ヨハネ。あなたが言ってきたとおりになっているだろう。神の約束の成就が今、ここで起こっているよ!」

 その上でイエス様がおっしゃいました。

 「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」

 「つまずく」・・・ 躓いて倒れてしまう。そのような人生の危機の中にヨハネがいたことをイエス様は知っておられました。
 ヨハネだけではありません。私たちもそうです。いつでも人生が躓いてしまう危険があります。イエス様は人生に躓きそうになる者たちを心配しておられるのです。

 私たちはもっともっとイエス様のなさった御業(みわざ)に目を留めていかなければ、いとも簡単に躓きます。「他の何か」があるのではないか・・・。「他の何か」を求めそうになるのです。
 しかし福音書で描かれているイエス様と出会い直していく時、「他の何か」ではない「このお方だ」という確信が私たちには与えられることが出来ます。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.5放送でのお話しより )


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■待って良いですか ③ / 大嶋重徳

2025年01月15日 | Weblog

2024/09/04放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当する今週は、聖書の福音書ルカ7章から学んでいます。今週の箇所には信仰が揺らいだ洗礼者ヨハネが出てきます。

 私は母がクリスチャンで、幼い頃から教会に通い、教会学校でもイエス様のことを聞いて育ちました。そして自分なりに見聞きしたことで、「神様はおられるなあ」と思ってきたのです。友だちを教会に誘うこともしました。しかしやがて成長し、神など信じない友達たちに囲まれて、果たして聖書の神は本当の神なのか?と、はたと立ち止まりました。
 これも健全なことだと思います。このときすべきことはきちんと疑うということです。大人たちも子どもたちの疑いの場所を奪ってはいけません。本気で信じようと思うからこそ疑いは生じるのです。

 この時、ヨハネは他の誰に聞くのでもなくイエス様に直接聞かざるを得ませんでした。どうしても本人に問うてみたいと思った。それは自分の信じているものを確認するための問いでした。もう一度新しく受け取り直すための問いとも言えるでしょう。自分の人生を思い起こすときに、自分の人生を「これで間違っていないよ」と保証してくれることばに出会いたかったのです。

 そして、この道で良いのだ、この道で良かったのだ、とヨハネに言うことができるのは弟子たちではありません。誰か聖書の専門家のことばを聞いて安心できるのでもない。偉そうに言う誰かのことばで自分の心が左右されたりはしたくない。自分の人生をかけたイエス・キリストにこそヨハネは言っていただきたかったのです。 ・・・あなたをこのまま待っていてよいのですね・・・ ヨハネにとって尋ねざるを得ない戦いがここにありました。

 私たちは迷いの中で、誰かから又聞きのキリストではないイエス・キリストに出会い直します。神と出会い直すということは、信仰を持ってからも何度でもあるのです。この神との出会い直しこそ神への信頼を深めていく作業となります。

 正しく揺れることは信仰に健全さをもたらします。自分自身が勝手に作り上げてきた神イメージが打ち砕かれてこそ健全な信仰を持つことができます。

 今日ラジオをお聴きの皆さんも、イエス・キリストを知っていく上で、あなたの神イメージが壊れていくこと、それは健全なことです。ぜひ、みことばに直接向き合っていただきたいと思います。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.4放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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