♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■星に導かれて -9 / 大嶋重徳

2017年01月31日 | Weblog
2017/1/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストの誕生の際に、星に導かれて東の方からやってきた博士たちの物語が記されています。博士たちは星をじっと見つめてメシアのもとへとたどり着きました。しかし星は明るい昼間には見ることができません。自分の足で歩くことのできる昼間に星に出会うことができないのです。むしろ周りが暗くなり、自分の視界が十分に確保できなくなった場所でこそ、小さな星の輝きが目に入って来るのです。

 私たちの人生にも真っ暗な闇のようなところを歩くことがあります。手探りで一歩踏み出すことに不安で、悲しくて苦しくて、どうにもならない、まるで死にたくなるような現実があります。しかしそのような中でこそ、あなたは星の輝きに出会うのです。むしろあなたの闇が深くなっていく中で、その星の輝きは増していくのです。

 イエス様の生き方は暗闇の中で出会う星のような輝きがあります。お金こそが自分を幸せにするという暗さの中で、イエス様は「貧しい人は幸いです」(ルカ 6章20節参照)と語られました。人をだましてこそ自分が生き残れるという嘘ぶく声の中で、嘘をついてはならない、と語られました(ルカ 3章13節、14節参照)。男なんて浮気をするものだ、と言う訳の分からないことばに取り囲まれても、妻を愛しなさい、夫を愛しなさい(エペソ 5章25節、33節参照、コロサイ 3章18-19節参照)、という聖書のことばは、この時代の中でより一層輝きを増しています。人に従うよりも神に従いなさい(使徒 5章29節参照)。そこでもたらされるのは世の中の空気に支配され、人の目を気にして生きる人生からの自由です。誰に愛されているかという不安から神に愛されている安心がもたらす自由がここにあります。世の中の暗闇を見ると、祈った所でどうしようもない、と言われることがあります。しかしイエス様を見つめて生きる時、祈ることの力を信じる信仰が生まれて来るのです。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1章5節)とある通りです。

 あなたが今日、どれだけ暗闇の中を歩いていたとしても、イエス様のことばが記され、イエス様の生き方が記されている聖書のことばにじっと耳を傾けていただきたいと思います。そこには暗闇に輝きあなたを自由にする神のことばがあなたに語られているのです。今朝もご一緒に聖書からこの輝きを与えてくださったイエス様を見つめていきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■愛は人を生かす / 関根弘興

2017年01月30日 | Weblog
2017/1/30放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
聖書の世界というのは神様がどのような方かをはっきりと教えているんです。聖書の書き出しは、「初めに、神が天と地を創造した。」、この一文をもって始まります。
 ちょうど新聞の大見出しのようなものですね。この世界を創造された神様がまず紹介されるわけです。

 そしてこの一文によって分ることが二つあります。
 一つは、聖書の神様はすべてを造られたのだから、すべてのことを一番よく知っているということです。そして二つ目は、私たち一人ひとりは神様によって造られた者。だから造られた者としての大切な意味と目的があるということ。これが分るわけですね。そして聖書を読んで行きますと、聖書は神様は愛であると教えるんです。つまり神様に愛される者として生きるということが私たち一人ひとりの目的でもあるということを教えるんですねえ。

 聖書にこう書かれています。
 第一ヨハネ4章9節
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
 
 実は神様の愛が私たちにはっきりと分る形で表わされたのは、イエス・キリストを通してなんです、と聖書は教えます。ご承知の通りイエス・キリストは十字架について死なれました。でもイエス・キリストは十字架につけられるような罪を犯した訳ではありません。でも十字架によって愛が示されたということは、その十字架が私たちにとって特別な意味があるということでもあるわけですよね。

 私たちは皆自分の姿を見たら、正しい神様の前に立つことのできる人など誰もいないと思います。聖書は、「罪から来る報酬は死である」(ローマ6章23節参照)と書かれていますから。ですから本来私たちは、自分の罪のゆえにみな十字架につけられても仕方のない、神様の前ではみな罪人の一人です。でも、愛はいつも生かし、生きることを願うんです。イエス様が私たちの罪とその罰を、すべてを身代わりに引き受けてくださったんです。それはあなたが罪が赦され生きるための壮絶な出来事でした。そればかりかイエス様は三日目に復活され、今も生きておられるんです。このイエス様によって私たちは愛されていることを知り、今も生きておられるこのキリストと共に歩むことができるんですね。

 (PBA制作「世の光」2017.1.30放送でのお話しより)

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■門柱に書き記せ / 羽鳥頼和

2017年01月28日 | Weblog
2017/1/28放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の申命記11章からお話しします。
 申命記11章には、神のみことばをしっかりと覚えるように、との勧めが語られています。

 「あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、・・・それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」(申命記11章18-20節)

 このことばをユダヤ人たちは今も守り行なっています。エルサレムに行った時、泊まったホテルの部屋の扉の横に、長方形のものが斜めにつけられていました。斜めになっているので不思議に思って尋ねると、これはネズーザーという物だということでした。その中には聖書のみことばが書かれた紙が入っていて、部屋から出るとき入るときにそれを撫でながら、その聖書のみことばを唱えるのだそうです。

 このメズーザーということばは門柱という意味です。つまり先程の申命記のみことば、「これをあなたの家と門柱と門に書き記しなさい」から名づけられ、このみことばを実行しているものなのです。敬虔なユダヤ人は、自分の家の玄関にネズーザーを架けて家の出入りの時にそれを撫でながら聖書のことばを唱えます。その聖書のことばは申命記の6章4節と、同じ申命記11章13節から21節です。私もこのメズーザーを買って、日本の自宅の玄関に置きました。

 申命記6章4節はこのように勧めています。
 「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。

 そして申命記11章13節はこのように語っています。
 「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、
 そうすれば神からの恵みが豊かにある、というのです。

 そして申命記11章16節はこのように語っています。
 「気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。

 私はこの聖書のみことばを守り行いたいと思いました。明日は日曜日です。聖書が勧めているように、神を愛し神を礼拝するためにお近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.1.28放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■わらじ履きの宣教師 B.F.バックストン / 岩井基雄

2017年01月27日 | Weblog
yono2017_0127わらじ履きの宣教師B.F.バックストン/岩井基雄

2017/1/27放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

月の最後の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は横浜、札幌、熊本バンドに続き、日本のキリスト教会に大きな影響を与えた松江バンドの創立に貢献したバークレー・バックストンについて学んでみましょう。

 バークレー・バックストン(1860年 - 1946年)はイギリス貴族のクリスチャン家庭に生まれ、ケンブリッヂ大学で学びました。バックストン家の家訓は、あなたの手元にあるなすべきことはみな自分の力でしなさい、という旧約聖書の伝道者の書9章10節のことばだったそうです。このみことばの通り、バークレーは神の愛を伝える使命を受けた後、自費の宣教師として妻や長男たちと1890年に来日し、島根県松江に遣わされ、翌年自宅と集会場を自費で建てました。神の愛のために自分の力でできる限りのことを彼はしたのです。当時、靴を履く人が殆どいなかった中、バックストンは雪が降る松江の町をわらじ履きで歩き、一軒一軒キリストの愛といのちを宣べ伝えていきました。貴族育ちのバックストンが厳しい環境の中、キリストの愛を説く姿に、多くの人々が感銘を受けます。まだキリスト教への差別や迫害がある中で、彼は多くの人に愛を伝え、松江バンドを創立し、多くの伝道者やクリスチャンを愛と忍耐をもって訓練していったのです。彼の秘書を務めた米田豊(よねだ・ゆたか、1884年-1976年)氏は彼のことをこう語っています。
 「バックストンは神のきよき人だ。身近にいると暖かで、それでいて神々しい。この人こそ聖者だ。」と。
 バックストンは帰国後も再三来日し、各地で神様の愛を宣べ伝え、きよさを求める幸いを行いと真実によって伝え続けたのです。彼が生涯の指針とした聖書のことばをお読みします。
 「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。
  旧約聖書 ゼカリヤ書4章6節 

 自分のできる限りの力で神の愛を伝え始めたバックストンは何よりも神の愛と恵み、そして神の霊によって生かされ、救いといのち、そして神にあるきよさを伝え続けました。あなたも神様からの愛と希望を受け取って、輝きと恵みの人生を歩み始めませんか? 神はあなた用いてくださるのです。
 
   (PBA制作「世の光」2017.1.27放送でのお話しより)

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■愛が目覚めたいと思うときまで / 福井 誠

2017年01月26日 | Weblog
2017/1/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「愛が目覚めたいと思うときまで」です。それでは雅歌の3章5節から読んでみましょう。

 「エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。

 今日は雅歌を取り上げます。雅歌は端的に言えば恋愛詩です。しかし聖書のこの恋愛詩は世俗的なものではなく、むしろ神と人の愛の関係を歌うものとして読まれてきました。
 少し全体の流れが分からないと雅歌は構成が複雑で理解しにくいところがありますねえ。いろいろな説がありますが、私は登場人物は主として二人、ソロモンとシュラムの女で、そこに合唱隊としてのエルサレムの娘たちが加わって進む歌劇の台本と理解すれば読みやすいと思っています。そして繰り返し出て来るフレーズがありますね。今日読んだフレーズ、「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。」(2章7節、3章5節、8章4節)がそれで、恋愛感情を抑えながら二人の愛の成就を導くようにストーリーの塊を展開させていく極めて重要なフレーズです。

 そしてこの3章は心のすれ違った二人がお互いに必要を認め、関係が深められ、最後に婚姻へと導かれ、二人の愛が実を結ぶ場面ですね。

 ここから何を学んでいくのか。先程も言いましたように、単なる世俗の恋愛詩ではなく、やはり私たちと神の愛について語っているものであるとすれば、ここでシュラムの女の姿に重ねて、私たちを愛される神を積極的に探し出していく、求めていくことが勧められていると言えるでしょう。

 神はいつでも私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられるのですが、私たちはなかなかその愛の尊さを理解できず、自らそれを探し求めることもなかったりします。愛は一方通行ではありません。相互に求め合い、満たし合うものです。そして求め合う時に更にその深さが分るものでしょう。神の私たちに対する愛も同じです。神を信じるというのは、信者になること以上のものです。神は私たちを愛の対象として考えておられます。私たちは神に愛され神を愛することができるのです。ぜひ聖書を読み続けて神の愛の深さを知り、神を愛することを学んでいただきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.1.26放送でのお話より )

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■皆生きたまま陰府に下り / 板倉邦雄

2017年01月25日 | Weblog
207/1/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は死後の話を聖書からお話します。すなわち、皆生きたまま陰府(よみ)に下るのです。

 さて先週は、主なる神様を侮辱し指導者モーセに反逆したコラとダタンとアビラムに警告したモーセのことばで終わりました。もう一度紹介しましょう。

 「もしあなたがたが普通の死に方で死ぬのであれば、主なる神様が私を遣わしたのではありません。しかし今この地面が裂けてあなたがたとあなたがたに属する人々が生きたまま陰府(よみ)に下らせられるならば、あなたがたは主なる神様を侮辱したのだと言うことを知らなければなりません。」(民数記 16章29、30節参照)

 ところで陰府(よみ)とは死んでこの世を去った魂が死後集められる場所です。要するに聖書では、すべての人は死んだ後も霊魂は生きたまま陰府(よみ)に下ると言っているのです。死後もいのちがあるのですね。

 モーセがこれらの警告のことばを語り終わった時でした。反逆者たちの下の地面が音を立てて崩れ裂けたのです。地面はパックリと口を開けて、反逆者とその家族、コラに属する仲間たちと所有物をすべて飲み尽くしました。すなわち、皆生きたまま陰府(よみ)に下っていったのです。

 ところでイエス・キリストは十字架で死なれ、墓に葬られた後、陰府に下られました。イエス様も私たちと同じように、死んだ後、魂は生きたまま陰府(よみ)へ下られたのです。そして三日目に主なる神様によって陰府から帰られました。ですから「よみがえり」とはよく言ったものです。十字架で死なれ、三日目に陰府(よみ)から帰られたイエス・キリストを信じる人々は誰でも、死んで魂は生きたまま陰府(よみ)に下りますが、イエス様と一緒に陰府(よみ)から帰ることができるのです。

 イエス様のことばです。
 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
       ヨハネの福音書 11章25節、26節

  (PBA制作「世の光」2017.1.25放送でのお話より )

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■星に導かれて -8 / 大嶋重徳

2017年01月24日 | Weblog
2017/1/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストの誕生の際に東の方からやってきた博士たちの物語が記されています。

 博士たちはメシヤ・キリストに出会った時に人生が変わりました。自分たちの生活を支えていた黄金と乳香と没薬をメシヤのために捧げたのです。この捧げ物がこの後のこの若い夫婦とイエス・キリストのエジプトへの逃避行を支えたと言われています。そしてそれから夢で、ヘロデの所に戻るなという戒めを受けたので、博士たちは別の道から自分の国に帰っていった、と聖書にあります。

 本来、博士たちはこの幼子の様子をヘロデ王に報告するように求められていました。そしてヘロデの残虐な噂を考えると、ベツレヘムで生まれたこの小さな命の情報をヘロデに伝えた方が自分たちの身の安全を確保できるでしょうし、非常に豊かな財宝を持っているヘロデからの報酬を手にすることもできたかもしれません。しかし彼らは、自分の人生で従うべきなのはヘロデではないと考えたのです。彼らは誰かの思惑に支配される生き方から別の道を歩き始めました。

 現在私たちの生きる世界には、自分の意に添わない人間を排除し自分の気に入った人だけを周りに置き、それを何とも思わないような出来事が幾らでもあります。またヘロデ王を取り囲んでいた祭司長や学者たちのように、強い権力のリーダーシップの空気を読み取ることこそ優先されているように思います。気がつくと私たちもまた、結局そうしかこの世界で生きていく方法はないのではないか、と諦めてしまっているのかもしれません。

 しかし私たちがイエス・キリストに出会うとき、私たちには別の道が見えて来るのです。誰か人の思惑に従うのではなく、神の御心に従う別の道が見えて来るのです。博士たちはヘロデを王とするのではなく、イエス様を礼拝する道へと歩き出しました。

 そして今朝、私たちも私たちを取り囲む価値観・世界観とは違う別の道を歩き始めたいのです。それはイエス様に従う道です。イエス様の後をたどる道へと踏み出したいのです。それは自由への道です。喜び生きる道です。礼拝の道であり祈りの道です。この道を歩いて行こうとする時、私たちは誰かの思惑から解放されて自由になるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.24放送でのお話しより )

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■主を待ち望む者 / 関根弘興

2017年01月23日 | Weblog
2017/1/23放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。まず聖書のことばをお届けいたしましょう。今日は旧約聖書 哀歌3章25節
 「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

 私たちは時には希望を失い失望の中を通ることがあります。今日紹介した旧約聖書の哀歌も大変な困難の中で書かれたものです。しかしこの作者は大きな困難の中にあっても主を待ち望みつつ生きていったようでした。

 この「待つ」というのは一見消極的に見えるかもしれませんね。実は私たちはなかなか待つことができないんです。結論を急ぎすぎて闇雲に焦ってしまうなんていう事もよくありますね。しかしそうした焦りが何も良いものを生み出さないことも経験しているのではないでしょうか。

 「待ち望む」というのは決して諦めることではありません。現状を仕方なく受け入れることでもありません。神様が最善を成し遂げてくださることを信頼し、期待して待つんです。そしてその「待つ」という経験の中で、神様がどれほど慈しみ深いお方で私たちを愛してくださっているかということを知ることができるんです。ただし、待つことは忍耐が必要ですよね。忍耐を学ぶことは私たちの一生のテーマであると思います。

 新約聖書のローマ人への手紙5章3節から(4節に)こんなことばがあります。
 「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す
 と書かれています。
 神様は私たちを成長させるために時々待たせることがあるんです。でも忍耐は私たちに豊かな人生の実を実らせるものになるんだっていうことも知っておいてください。

 旧約聖書イザヤ章30章15節には、
 「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。
 と書かれています。
 私たちにとっての大きな問題は、余りにも待てない、立ち帰って静かにすることができない、ということがあるかもしれません。だからこそ落ち着いて神様に信頼する毎日を送っていきたいですねえ。

 詩篇のことばを最後にお読みします。
 「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
                     (詩篇 27篇14節)

 (PBA制作「世の光」2017.1.23放送でのお話しより)

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■申命記のモーセの十戒 / 羽鳥頼和

2017年01月21日 | Weblog
2017/1/21放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の申命記5章からお話しします。

5章で語られているのは有名なモーセの十戒です。十戒が最初に語られたのはシナイ山での麓でした。彼らはそこで神と契約を結んだのです。シナイ山の麓で十戒を聞いた大人たちはみなその後の荒野の旅の途上で死んでいました。申命記で十戒を聞いているのはその次の世代の人々です。

 神はまずこう言われます。
 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(5章6節)
 まず神がイスラエルの民を救い出されたのです。そして自由とされた民に神は自分のことばに従うように語りかけます。民には自分の意思で神に従うことが求られているのです。

神は民に言われます。
 まず、神と人との関係について。
 「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 ・・・
  あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。・・・
  安息日を守って、これを聖なる日とせよ。・・・
」(7~15節参照)

 そして次に、人と人との関係について。
 「あなたの父と母を敬え。・・・
  殺してはならない。
  姦淫してはならない。
  盗んではならない。
  あなたの隣人に対し、偽証してはならない。
  あなたの隣人の
ものを欲しがってはならない。・・・」(16~21節参照)

 イスラエルの民は神によって奴隷から解放されました。救いの神は民に自由を与えられました。それは民が自分の意思で喜んで神に従うためだったのです。

 新約聖書のガラテヤ人への手紙5章1節はこう言っています。
 「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
 
 キリストはご自分が十字架で死んで、罪の奴隷であった私たちを解放してくださいました。ですから、自由を与えられた私たちは感謝をもって神に従うのです。神に従うことを最もよく表すのが神への礼拝です。

 明日は日曜日です。キリスト教会では神の救いに感謝して神に礼拝を捧げます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.1.14放送でのお話より )
 
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■新しいいのちに生かされて / 岩井基雄

2017年01月20日 | Weblog
2017/1/20放送

世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。先月は、キリストの弟子たちが断食を行わないのを見て彼らを裁いたパリサイ人たちにキリストが、花婿の友人は花婿が一緒にいる時には断食を行わない、と語られた箇所から学びました。キリストと共に歩む人生は豊かな喜びに溢れ、悲しみを表現する必要が無いこと、そしてキリストは愚かな私たちを友人として祝宴に招いてくださるという祝福について考えました。そのようにキリストと共に歩むということは、今までとは違う視点で自分を理解し、新しい価値感で輝きの人生を歩むことなのです。

 キリストはこう語られました。
 「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」 新約聖書 マルコの福音書2章22節

 キリストを信じて従う新しい人生にはいのちが溢れ、新しいぶどう酒のように勢いがあり、古い考え方や固まった枠組みを打ち壊してしまう力があるのです。

 当時、人々から学者と呼ばれたパリサイ人・律法学者たちはキリストの愛の歩み、いのち溢れる言動を理解できませんでした。だからこそ彼らは前回学んだように断食をしないキリストの弟子たちを自分たちの基準や枠組みで裁いたのです。しかしキリストの愛と恵みに生かされる人生は本当の力といのちに満ちるのです。そしてキリストのいのちは私たちにどうしても止められなかった悪習慣を止める力などを与え、人の目や評価を恐れず、どんな中にあっても神の前に正しいこと、愛のわざを行う喜びなどを豊かに与えてくださるのです。神様はあなたをも心から愛しておられます。

 この神の愛とキリストによる救いを自分のものとして受け入れ、生かされ、どんな状況の中をも力強く歩み、人々に愛と恵みを届ける人生へとあなたも進んでいきませんか? 
 新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるようないのち溢れる人生へとキリストはあなたの人生を内側から造り変えてくださるのです。

   (PBA制作「世の光」2017.1.20放送でのお話しより)

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