♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■その道は狭くても

2005年02月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 三浦綾子さんの小説に、『広き迷路』という題のものがありますねえ、『広き迷路』。普通迷路というのは、狭くって、くねくねと曲がって人が迷ってしまうから迷路な訳ですけども、三浦さんは、いや狭い迷路じゃなくって、広い迷路があるんだ、とこう言っている訳なんですねえ。日本は今、まあ景気が今一つと言われていても、前から見ると全体は豊かになってきている訳ですし、働く健康と意志さえあればまず何とか食べるに事は欠かない。どんな仕事をしてでも食べていけるという時代ではありますよねえ。

 で、教育を考えてみても、その気があれば高校・大学と進むことが出来て、そういう教育の面でも門戸が開かれていて、自由に学びをする事ができるというふうに、こうなってきている。

 で、道徳の面で言うと、本当にもうどんなものかと思うような事ですけれども、例えば不倫ということばも多くの人は何の恥じらいもなくって、良心の咎めもなしにもう使ったりしていてですね、時にはそれが麗しいものであるかのようなそういうストーリーが横行してたりですね、本当にこうあらゆる面で自由を謳歌しながら生きることができているそういうふうな時代というふうに言われる訳です。

 しかし、そういう中で、すべてが許されていると思うことが実はかえって自分の首を締め、新たな迷いを生じるようなことになっていないだろうか、というまさに広き迷路という事なんですねえ。

 ところが聖書は、「狭い門から入りなさい、滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そしてそこから入っていく者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者は稀です。」と、これを言ったのは、イエス・キリストというお方ですよね。

 この時期、狭い門というふうな事がよく言われる時期ではありますけども、それは、イエス・キリストというお方を通して初めて私たちは神の国に到達する事ができる真の幸せに到達する事ができる。なぜならば、ただ何か窮屈な道徳的な堅苦しさに縛られてという意味ではなくって、イエス・キリストを信ずる事によって罪赦されて、キリストが開いてくださった天への道を歩んでいく事ができる、この道を踏みはずさないで歩んでいく生活。それが大切なことなんだと教えている、その事をぜひ知っていただきたい。心からそう思ってやみません。

 ( PBA制作「世の光」2005.02.28放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかな。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


==== 三浦光世氏 講演会情報 ====

「綾子からのメッセージ」と題して

  作家・三浦綾子さんの終生の伴侶 三浦光世氏 講演会


2005年 5月15日(日) 開場2:30 開演3:00

於 愛知県西春日井郡西春町 西春町文化勤労会館 大ホール

定員 650名

入場チケット 1500円(前売り1200円)

お問い合わせ 西春師勝キリスト教会
       三浦光世氏講演会を実現させる会 代表 北澤
       0568-23-0803  




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■狭き門より入れ

2005年02月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 兵庫県三田市にお住まいの高橋しょういちさんは、新約聖書ルカの福音書13章24節のことばをお寄せくださいました。

 「力を尽くして狭き門より入れ。」文語訳です。

 あの経験は、26歳の時病気で入院し半年経っての事でした。大学を出て造船会社に就職し、これからという時入院。肺結核でかなり進んでいました。ベッドにいながらこれからの人生の事、いろいろと考えました。行く先真っ暗と思いました。その頃の事でした。隣の病室に、高校出の19歳の文学青年が入ってきました。プライドの塊のような青年でした。 ある時、廊下で些細な事から彼と口げんかになりました。彼のことばはするどく、適格に私の心臓に突き刺さってくるのに、私のことばは少しも彼にダメージを与えられないのです。こちらは真っ赤になって怒り狂っているのに、彼はうすら笑いを浮かべているのです。私は悔しさのあまり、手に持っていた本を彼にぶっつけましたが、自分の部屋に帰っても悔しくてたまらず、7歳も歳下のものにプライドを踏みにじられて実にみじめな気持ちでした。その時です。心の中にポッカリとことばが浮かび上がってきました。「力を尽くして狭き門より入れ。」とのことばでした。何年か前にアンドレ・ジイドの「狭き門」という小説を読んだその本の扉に書かれていたことばです。突然、その意味が分りました。相手を愛することだ。 たとえ相手が憎んでいても相手を愛する事。私は、彼の所に行って謝ることには大きな抵抗がありましたが、一歩踏み出して隣の部屋に入って行きました。「さっきはごめんな。」彼は、「いやー、僕の方こそ。」と言いました。この経験のあと、私は新約聖書を買い求め、そして読んでいるうちに、イエス・キリストを私の救い主として信じました。

 高橋しょういちさんの心に残る聖書のことば
力を尽くして狭き門から入れ。
ルカの福音書13章24節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.02.26放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■美しさの中に見る神

2005年02月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、美しい心はどうして育つか、という事についてお話しします。

 まあ顔とか体の美しさもありますが、心が美しいというのはもっと大切ではないでしょうか。なぜなら、それは顔も体も生き生きとさせるからです。

 偉大な発見をしたアルバート・アインシュタインは、こんなふうに言っています。「我々が経験するもので、美しいものは神秘的である。それは、すべての真の芸術や科学の源泉である。このことが分らない人、驚いて立ち止まったり畏敬の念に打たれて立ち尽くす事がなくなってしまった人は死んでいるのと変わらない。」ってこんなふうに言うんですね。自然の中にある素晴らしさ、美しさ、神秘的なものに感動する心がまあどんなに大切かって言うんですねえ。

 私の住む埼玉県では、数年前から青少年健全育成プロジェクトっていうのをやっています。そのモットーの一つに、自然を見て感動する心を育てる、とあります。そのためには何よりも、両親や大人 が自然の中に美しさ神秘さに感動することではないでしょうか。それが子どもに伝わっていく。

 新約聖書でイエス・キリストは、美しい景色の丘の上で弟子たちに、自然の美しさの中に自然の秩序、不思議さ、神秘さ、そしてそれを創造し治めている神様を覚えなさい、って言っています。

 ま、そのことばを部分的に引用しますと、マタイによる福音書の6章にありますが、
 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

 まあだから、心配や思い煩いで心を乱すなという訳です。自然の中の秩序、確かさ、神秘の中に、創造者なる神様を感じ、聖書のことば、キリストのことばに心を留めていく時、心が感動していく。神様の愛と導きの確かさの中に、心が、生活が、仕事が、整えられて豊かになっていく。そんな心の美しさ、力、それは、自然の中にある神秘の力、それと神のことばだというのです。


( PBA制作「世の光」2005/02/25放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会もPBAで紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■強力なゴキブリが現われた

2005年02月24日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 ゴキブリ!って言いますと、イヤだ!っと反応するほどにですね、嫌われていますよねえ。あんまり好きな人はいないと思いますが。ちなみに国語辞典でですね、「ゴキブリ」引いてみたんです。するとですね、「台所をはじめ住宅のあらゆる所に住む油色の平たい害虫。触ると臭い。」とありました。辞書にもですね、イヤなやつってあったんですよ。

 ところで、亡くなられましたけれど、淀川長治さんによりますと、ゴキブリも神様から託された使命がある、と言うんですね。「あちこちを汚していると私が出て来ますよ。きれいにしておきなさい。」という神様のメッセージを携えてゴキブリは登場するっていう訳です。

 さてそのゴキブリですが、殺虫剤が全く効かない強力なゴキブリが現れているそうです。ハエや蚊の家庭用の殺虫剤の売上げは夏の天候に左右されるようですけど、ゴキブリの殺虫剤はですね、一年中売上げが安定しているっていうんです。その理由にはですね、冬の寒い時期も部屋の中は常に暖房で暖かいって事もあるようです。こういう事からゴキブリとの戦いは季節を問わず続いていますが、無念ながら、その戦いはゴキブリ側に優勢になりつつあるようです。と言いますのはですね、一度にたくさん生まれるゴキブリの子どもたちの中には生まれっつき殺虫剤に抵抗力を持つ子どもがわずかながらいるってんです。その殺虫剤の総攻撃に遭って多くの仲間が戦死していくんですけれども、強い子どもたちが生き残り、家族を増やし、子孫を増やしていきます。こういうような事で、殺虫剤が全く効かない強力なゴキブリが現れているという訳です。

 まあ今日はとんだゴキブリ談義になってしまって、まあ気分を害した方もおられるかもしれません。まあゴギブリは害虫ですが、どうぞ「ゴキブ」ンを「害」さないように。ま失礼をお赦しいただきたいと思いますが、 実は強くなるのはゴキブリだけで(あって)はならない、とこう私は感じている私です。

 私たちは日頃大変強がりを言っていますが、以外と弱いんですよねえ。 風邪をひいて熱が38度、39度も出るとフーフー言ってしまいますし、誰かの一言が気になって眠れないってな事もありますし、 健康の事や家族の事、仕事の事、まあ数々の心配があります。しかし私はいつも思うんです。聖書の中に出てくるこの雄叫びが自分のものになりさえすれば大丈夫だ。実はそのことばは、これです。

 「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

 パウロがローマ人への手紙で語っていることばです。 神様が今日も私の味方だ。受け止めてまいりましょう。


(PBA制作「世の光」2005.02.24放送でのお話しより )

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■神は真実ですから

2005年02月23日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光はまず皆様から寄せられたお便りの紹介です。

 神戸市東灘区にお住まいの、松村こうじさんからいただきました。
 
 私は去年の11月に、自分の罪の問題について御相談の手紙を書いた者です。それから、罪から赦され解放される喜びを数々経験しました。私は先生が再び世の光に復帰された事を心から嬉しく思っております。私はいつもタイマー録音して拝聴しております。そして昼間や夜寝る前に繰り返し録音されたメッセージを聞いております。先生、84歳になられたそうですね。いよいよお元気でいてください。

 松村さん、スタジオにまで来てくださった事、よく憶えて祈っております。ありがとうございました。

 さあ今日の約束のことばです。新約聖書ヨハネの手紙第一 1章9節のことばです。
 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 「神は真実ですから」と聖書は言います。「真実ですから」には二つの意味があります。聖書の言ったことば、神の御生涯はうそ偽りのない事実ですという事ですね。イエス・キリストの誕生の出来事も、イエス・キリストの十字架上の苦しみと死も、その墓の中への埋葬も、 よみがえりも昇天も、みんな事実だという事です。事実には力があります。

 第二には、そんな神のなさる事はまったく真実誠実だという事です。今日の約束のことばは、私たちが何回罪を犯しても、心からありのままその罪を言い表わすならば、神は真実な方ですから、すべての罪を赦すばかりか、私たちの罪の汚(よご)れからきよめてくださる。神のお役に立つ者と再びしてくださるという事です。

 真実な神のお約束のことば、今日の約束のことば。
 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
ヨハネの第一の手紙 1章9節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.02.23放送でのお話しより )

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■体験から自覚

2005年02月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごししょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日も聖書のことばを紹介しますけれども、私の願いは、聖書のことばが、単なることば、壁に架けておく飾り物のようなことばではなくて、まあ生きたことばとして、あなたの生活の中に、より具体化されていくことを願っているんです。ものごとが生活に密着していく、まさに具体化されていくためには、幾つかの段階があります。

 まず物事に対する理解です。次に理解に基づく体験。更に、体験によって自覚というものが生まれる訳ですよね。そして自覚が生まれると、より生活の中に具体化されていくものが出てきます。

 例えば結婚ということについて考えて見ましょう。結婚するとどちらかの名字が変わりますよね。それは誰でも知っています。例えば結婚前の名前は鈴木だったのに、結婚式の翌日からは山田さんなんて呼ばれる訳です。最初は誰のことを言っているんだろう?と思いますよね。頭では分かっていても、理解していても、ピンと来ない訳です。しかしそれが毎日毎日体験化されていきますと、新しい名前が自分の生活の中に溶け込んでいく、つまり生活の中に密着し、具体化されていく訳です。このように物事が具体化されていくためには時間がかかるんですねえ。これは聖書のことばがあなたの生活の中に具体化されていくという事においても少し似ていると思います。聖書のことばを紹介しましょう。

マタイの福音書7章7節と8節。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

 まあこのことばはですねえ、厳密に言うならば、求め続けなさい、捜し続けなさい、たたき続けなさい、という継続を表していることばなんですね。どちらかというとどうでしょう、私たちは即効的なことのみを求めがちではありませんか? 「聖書を読むのは面倒臭い、てっとり早く奇跡が見たいんですよ。とにかく問題解決があればいいんですよ。」こんな具合です。聖書のことばを知ろうともせず、受け入れようともしない。継続するという事を私たちは、案外ですねえ、したくないと思うんですね。でも聖書は、求め続けなさい、そうすれば与えられるという現実がありますよ。捜しなさい、そうすれば見つかりますよ。たたきなさい、そうすれば開かれるんですよと告げているんです。継続がなければ決して具体化されない、そういう世界なんですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.02.22放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないでしょうか。ちょっと勇気を出すと、案外気軽な所ですよ。近くの教会を紹介してくれるので、PBAに問い合わせてみるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■乗り合い家族?

2005年02月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、最近の家庭、家族ですね、これがだんだん本来の姿から見ると崩壊しつつあるんではないか、というようなことがよく言われますよねえ。

 あの心理学者の小此木啓吾って方は「幻想家族」-- 一見幸せそうに見えるけれども、でも幻想じゃないのか(と)。例えばその中で「ホテル家族」というような言い方があって、それぞれ個室の中に入りこんでいて自分だけの世界を、みんな同じ屋根の下にいるんだけれども持っているというふうな状況。または「劇場家族」-- お父さんはお父さんらしく、家の中にいる時には。またお母さんはお母さんらしく、妻らしく。子どもは子どもらしく。それぞれ演技しあっている中でそこが一見平和のように見える家族。本当のそれは必ずしもホームというのとは違う、というふうなそういぅ表現がされていますね。

 またある方は、乗り合いバスに乗り合わせた乗客のように一つ屋根の下に住んではいるんですけれども、下車してしまったら目の前にいた人の顔さえも憶えていないというような、てんでんばらばらな家族のことを「乗り合い家族」なんていうふうな言い方もされたりしていますですねえ。で、そんな家庭から聞こえてくることばと言えば、旦那さんの「メシ!」「風呂!」「寝る!」の三つだけだとか、子どもの方は「金!」あとは「うるせえ!」「むかつく!」とかね、奥さんの方は「いいかげんにしてよ!」というふうな、これでは全然会話にならない。で、この乗り合い家族に共通している事は、「おはよう」から始まって「おやすみなさい」「行ってまいります」そして「ただいま」とかですね、「ごちそうさま」「ありがとう」というふうな、もう全く日常茶飯事の何でもないような当たり前の挨拶が当たり前になっていないというのが問題だ、というふうに言われたりしている訳なんですね。

 で、イエス・キリストによる救いというのは、-- 有名なことばの中で、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」ということばがあるんですね。-- イエス・キリストを信じて罪赦されて、ああ自分は天国に行けるようになったというだけの事だけでなくって、その人を取り巻く家族の中に、互いに赦し合い、いたわりあい、そして受け入れ合っていく、その素晴らしいハーモニーが生まれていく、救いが生まれていく。これが聖書が教えている救いなんだという事ですねえ、(この家族生活を)ぜひ送ってみて欲しい、そう思うんです。

 ( PBA制作「世の光」2005.02.21放送でのお話しより )

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■私を祝福してくださらなければ

2005年02月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 千葉県白井市にお住まいの武隈恵理佐さんは創世記32章24節から30節までのことばをお寄せくださいました。少し長いので、お話しの要点を紹介しましょう。

 ヤコブは自己主張で突っ張り屋、自我の強い性質の男でした。兄のエサウを騙し、遠い所に旅に出ます。夢の中に神の使いが現れ、ヤコブは神の使いと格闘して勝ちそうになります。神の使いが彼のもものつがいに手を触れると、グラグラっと崩れてヤコブは負けました。去ろうとする神の使いの衣を押さえて、「私を祝福してください。それまでは私はあなたを離しません。」と粘ります。神の使いは尋ねました。「お前の名は何と言うのか。」「ヤコブです。押しのける者という意味です。」「お前の名はこれからイスラエルと呼びなさい。」イスラエルとは、神の皇太子という名、長くユダヤ人たちを指す呼び名となりました。ヤコブはそれからまったく変わって祈りの人、祝福の人となるのです。武隈さんは、旧約聖書の中からこの個所を読んだのです。武隈さんは言われます。

 求道中の頃、聖書を読む事を勧められ、開いたものの、長く続かず、聖書は難しいものと思うようになりました。半ば諦めた中からも、創世記を読んでいてこの個所に来ました。しかし、さっぱり意味が分らず、宣教師の土田さとみさんに聞きました。 神様がヤコブの自我を砕かれたのです、と教えてくださいました。私もヤコブのように自己主張で生きている張りぼてのような自分でした。自我の塊でした。とうとう私は神様の前に降参して、神にすがって私はイエス様を心にお迎えし、 洗礼を受けて8年になります。この聖書のことばは、神様が私に下さった宝です。

武隈さんの心に残る聖書のことば。
ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
創世記 32章26節のことばです。

 また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.02.19放送でのお話しより )

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■希望をもって生きる力

2005年02月18日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、希望をもって前向きに生きる、という事についてお話しをさせていただきます。

 長野県にお住まいで、美しい自然を繊細なタッチで書く洋画家の原田まさ子さんていう方がおられます。 その絵は大変心なごむ、また人に励ましを与える絵として知られています。多くのファンの方から、これはほっとする絵だ、希望を与える絵だ、やる気を起こさせる絵だ、っていう便りが来るそうです。まあ絵は、書く人の心を伝えるって言いますから、原田さんの心の中に希望があるからなのでしょう。原田さん自身がインタビューで、こんなふうに言っていました。「自然の中にある神様の安らぎと希望を感じ、それを書きたいのです。」信州の美しい自然の中での体験、実見なのでしょう。

 聖書によりますと、三つの事の中に、希望を見い出し、それを持つことができると書いてあります。第一番めにそれは、生きていることそのこと自体に希望があるというのです。確かに死んでしまったら希望はありませんね。ソロモン王は旧約聖書の伝道者の書9章4節に書いています。「すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子(ライオン)にまさる」って言うんですね。

 第二番目に、この聖書は私たちに希望を与えるために書かれているって言うんです。

 そして三番目、聖書の神は、信じて祈る者に希望を与える計画、約束を持っているって言うんです。旧約聖書のエレミヤ書の29章の11節という所に、こんなふうに書いてあります。
主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに・・・希望を与えるためのものだ。」と言うんですねえ。

 原田さんは3年前に御主人を亡くされ、それからうつ病にかかりました。神様に守られているっていう感謝な思いと共に、寂しく落ち込んでしまう事があるそうです。絵を書こうと思っても書けない。少し書いても納得せずに破ってしまう。夕方に帰るのが辛い。そんな中にも神様を信じていけば、神様は必ず良くしてくださる。万事を益としてくださると信じていこう。必要は必ず神様が満たしてくださる。ま、そう信じて希望を持って一歩一歩、歩んでるって言うんです。こんな希望を持って生きていきたいですね。

( PBA制作「世の光」2005/02/18放送でのお話しより )

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■ いいあしたを

2005年02月17日 | Weblog
 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 明るい日と書いて明日、「あす」「あした」と読みますよね。日本子ども社会学会が全国の小学生5、6年生、3000人以上の子どもたちに調査した結果ですね、明日はきっといいことがあると希望を抱いて眠りについた子どもは何とその内、3割程度だったというんです。5、6年生と言えば中学への夢を抱く頃ですよね。それが詰め込み主義のおかげでか、 明日のことを考えるゆとりもないってんです。それとも、一日一日、刹那主義で生きているのかもしれませんよね。そして今の大人が子どもたちに、いい明日を与えていないんじゃないかなあって、そんなふうに思うと心が痛みます。

 また、イエス・キリストがこうおっしやいました。「明日の事を思い煩うな。」そんなキリストのことばを思い出しました。せめて、いい明日を期待できなくとも、思い煩うことのなく明日を迎える、そんな明日であって欲しいと思うんですねえ。

 ところで、チャップリンのライムライトという映画に、足を怪我したバレリーナが出て来ます。彼女はもう踊れない。もう駄目だ。意気消沈してしまいます。絶望です。ところが山高帽をかぶり、ヒゲをたくわえ、ステッキを片手に持ったチャップリンが言うんですね。「どうしたら生きていけるって? 人生って簡単さ。三つのものがあれば生きていけるさ。一つは勇気だよ。二つめはね、希望だよ。そして三つめはサム・マネー(※お金を少し)だよ。」明日もいいことなんかあるもんかと言って明日を迎えても明日が来ます。しかし勇気を持って希望を持って明日を迎えれば明日は切り開かれていくのではないでしょうか。

 ところでチャップリンが彼女に答えた勇気と希望とサム・マネーという事なんですが、 このサム・マネー、まサム・マニーと言いますか、幾らかのお金という直訳の意味もあるんですけれども、 明日のために必要なお金は神様がちゃーんと備えてくれるから心配なんかないんだよということだと受け止めてみたらいかがでしょうか。

 イエス・キリストがガリラヤ湖のほとりで大勢の人々に語られたことばの中に、「明日のための心配は無用だ。」と力強くおっしゃったことばがあるんですね。なぜ明日の心配は無用だと言うんでしょうか。やはりキリストのことばです。「あなたがたの天の父なる神はそれらがみな、あなたがたに必要であることを知っておられます。」こう言うんです。

 ところで、明日はきっといいことがあるということは一体どういうことなのかなあ。 もしかすると、私たちは自分の思う通りになることや、願い通りになることを考えてはいないでしょうか。だとすると、そのような明日を期待するのは、おかど違いじゃないかなあって、こう思うんですねえ。神様があなたのために一番良い明日を備えてくださいます。


(PBA制作「世の光」2005.02.17放送でのお話しより )

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