♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■一寸先は光

2008年12月31日 | Weblog
 

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 いよいよ今日は12月31日、今年最後の日となりましたねえ。 大変ないろんなことがあった本当に激動の年であったと思いますけども。

 何かこう大晦日(おおみそか)と言うと除夜の鐘っていうのがですね、ゴーンというような何か寂しい感じで終わりそうな響きがありますけども、あのう、アメリカの方ではですね、この12月31日のことをニュー・イヤーズ・イブと言うんですねえ。 

 で、クリスマス・イブってのは日本でもよく使われて看做さん御存知なんですけれども、向こうの方ではニュー・イヤーズ・イブ。 で、その終わりというよりもですねえニュー・イヤー、新しい年への期待・希望というような、そういう意味合いをもってこの日を迎えるという感じなんですね。 ですから結構賑やかに過ごすんですねえ。 前はこの時には爆竹みたいなものを鳴らしてみたりですねえ、あっちこっちで結構騒いだりなんかしてて、でお祝いみたいにしてですねえ新しい年を迎える。 それも一つの意味はあるかなあというふうに思うんですね。 

 で私たちも、このニュー・イヤーズ・イブという意味でニュー・イヤーに対する期待ですね、そこに過ぐる年・今年は大変であったけれども迎える年は何か神様が素晴らしいこともしてくださるのではないか、というふうな希望を持ってですね迎えたいと思いますし、ニュー・イヤーズ・イブということばには明るさが感じられますしねえ、そしてフレッシュな意味で新しい年を迎えるという、そういう期待感と意味合いとをもって迎えるのではないかなあというふうに思うんですね。

 で、この年を考えてみても、本当に誰も今年の初めに予測した人は無いだろうというような大変なことが世界中に起こりました。 その意味ではまさに、一寸先は闇だ、といういう言い方は当たってるかもしれません。 また迎える年もそういうことが言えるかもしれませんけども、しかし私たちは、一寸先は光だ、というふうに言ってですねえ迎えたいと思うんですねえ。 なぜならばイエス様は、「わたしは、世の光です。わたしに従って来る者は、決してやみの中を歩むことがない」(ヨハネの福音書 8章12節参照)というふうに言われました。 イエス様と一緒なら、どんな困難な難しいことが起ころうとも、そこには必ず光がある。 そのことを思いながらですね、「一寸先は闇」ではなくって「一寸先は光だ」という希望を持って新しい年を迎えたい、とそのように思います。 

 ( PBA制作「世の光」2008.12.31放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




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■わたしはあなたと共にいる

2008年12月30日 | Weblog
 
  世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今年も残す所あとわずかになってしまいましたね。 この一年、どんな一年だったでしょうか。 

 一年を締めくくるにあたり、私は一つの詩を紹介したいと思います。 

  『病まなければ』 河野 進という方が書いた詩です。 


        『病まなければ』 

    病まなければ ささげ得ない祈りがある

    病まなければ 信じ得ない奇蹟がある

    病まなければ 聞き得ない御言がある

    病まなければ 近づき得ない聖所がある

    病まなければ 仰ぎ得ない聖顔(みかお)がある

    おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない

 ある方は病の中でこのラジオをお聞きくださっている方もいるかもしれません。 また、今迄は元気だったのに今年は大病してしまった、そういう方もいるかもしれませんね。 病ではないけれども人生の困難に出くわし、そして、辛いそして寂しい一年を送った方もいたかもしれません。

 私たちの一生は喜びと共に痛みや悲しみを背負いながら、時には、どうして?という人生の矛盾を感じながら生きていくのかもしれませんね。 調子の良い時もありますが、人生の逆境に立たされた時、人は大切なことを学ぶことができるし、そして人の弱さを理解することができるものとされていくのだと、私はこの詩を読む度に思わされます。 

 新約聖書の後半の手紙の多くを書き記したパウロは、素晴らしい働きをしましたが、彼も癒されることのなかった病を抱えていたようでした。 パウロは、この病が癒されるように何度も主に願った、と書かれています(コリント人への手紙第二 12章8節参照)。 しかしその病は癒されませんでした。 その時、主はパウロにこう語りかけるんですね。
 第二コリント12章9節 
 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。

 リビングバイブルという分かりやすく訳した聖書では、
 「わたしはあなたと共にいる。 それで十分ではないか。
 こう訳されています。 

 私たちの人生には健康な時も病の時も不安や悲しみに沈む夜もあります。 でも聖書の約束は、イエス・キリストを信じ受け入れる生涯は決して独りぼっちではない、と約束しています。
 「わたしはあなたと共にいる。 それで十分ではないか。
 これがあなたへのキリストの語りかけです。 

 (PBA制作「世の光」2008.12.30放送でのお話しより)

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■新年への備え

2008年12月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、この時期になるとよく言われることばですけども、本当に今年も残り少なくなりました。 その残り少ない日をですね、有効に意味ある時として過ごしたいなあというふうに思います。

 私たち少なくとも三つのことがそこには必要なことかなあというふうに思わされます。 一つはやっぱり一年間を振り返っていろんなことがありました。 個人的にも、または社会的にもいや世界的にもというようなことではありますけども、しかし聖歌の中に「数えてみよ主の恵み、ひとつずつ」(聖歌 604番 / 新聖歌 172番 「望みも消え行くまでに」)ということばがありますけれども、やはり神様が私たち一人ひとりになしてくださったその恵みはやっぱり数えてみれば幾つも幾つもあるはずで、そのことをですね、なにげなしに終わってしまうというふうなことは申し訳ないことだと思いますね。 数えてみたら数え切れないほどの神様からの恵みがあった。

 すべての恵みを忘れるなかれ(詩篇 103篇2節参照 )、ということばがありますけれども、その恵みというのは必ずしも自分にとっていいことばっかりというのではなくって、英語の聖書でベネフィットということばが使われていますけれども、ベネフィットというのはあなたにとって益であったこと。 私たちは自分の思う通りでなかったとしても神様はいつでも私たちにとって最善のことをしてくださった、その一つひとつのことを思い出して感謝をしたい。 

 二つめのことは、やっぱり反省すべきことが幾つもあるのではないかな、ということですよね。 考えてみましたら、年の始めに自分が決心したり今年はこうでありたいと願ったことをもしチェックしてみますならば、あれもこれも不十分であったことがたくさんあったに違いない。二度と繰り返してはならないようなことをついしてしまったということもあったかもしれない。 そうしたことがらをそのままにして新しい年を迎えるということは、また同じことの繰り返しを重ねることになるかもしれないことを思います時に、きちんと反省すべきものは反省する。

 そして「あなたの神と会う備えをしなさい」(アモス書 4章12節参照) 備えをするということが大切だと思います。 新しい年を迎えるにふさわしく、私たちは新しい年を迎えてからあれやこれや考えるのではなくって、その前に備えをする。 私たちは何よりも本当に身辺を整理し、神様の前に心を整理して、神様とちゃんとお会いすることができる、そして神様の導きに従って歩み出すことができる。 そういう意味で神と会う備えをする、それがこの時、大事なことだなというふうに思わされます。

 ( PBA制作「世の光」2008.12.29放送でのお話しより)

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ


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■キリストの心に触れる

2008年12月27日 | Weblog


世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 マルコの福音書1章という所にツァラートという伝染性の病気に冒された人のことが出てきます。 

 イエス・キリストの時代、ツァラートに冒された人には絶対に破ってはならない掟がありました。 道で通行人を見かければ、自分は病気だ!、と叫んでその人が自分に近付かないようにしなければなりませんでした。 

 ところがこの人は今、その掟を破ったのです。 自分からキリストに近付き、そして跪(ひざまず)いて願ったのです。 「主よ、あなたのお心で私をきよくしてください。」(1章40節参照) それは命がけの叫びでした。 この人はどんなにあがいても自分で自分の境遇を変えることができないことをよく分かっていました。 しかし、だからこそキリストに近付いたのです。 キリストには自分を変える力がある、そう信じたのです。 

 ともすると私たちは自分でどうにもできない境遇の中で、自分に絶望し、やけになりやすいものです。 けれども、望みを持つ、これはどんなに私たちに必要なことでしょうか。 今日、あなたに必要なのは、この命がけの叫びではないでしょうか。 キリストはこの命がけの叫びに答えられます。 「わたしの心だ。きよくなれ。」(1章41節)

 「わたしの心だ」とは「わたしは望んでいます」ということです。 キリストは自分の境遇に絶望し孤独であったこの人に、深いあわれみの心を示されました。 そして誰も触れてはいけなかったこの人にキリストは御自分から手を伸ばし触れたのです。 命がけの叫びにキリストもまた掟を破ったのです。 この人の病はきよくされました。 晴れて社会に復帰できる身となったのです。

 今もキリストは自分の境遇に絶望する者たちに、そのお心を重ねてくださいます。 いやそれ以上に、私たちの罪や汚れの一切を引き受けて十字架の上で御自分の命に代えてきよくしてくださるのです。 あなたは今日、あのツァラトに冒された人と同じように絶望的で孤独で切羽詰まった状況に置かれてはいないでしょうか。 そうであれば、救い主キリストに叫んでください。 「主よ、あなたのお心で私をきよくしてください。」 キリストは必ずあなたを助けてくださいます。 

  ( PBA制作「世の光」2008.12.27放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)


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■静まりの中で、神との交わり --交わりの恵み(3)

2008年12月26日 | Weblog

 次回更新は事情により、1/8(木)の予定です。 その節にまたおいでください。




 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 一年を振り返る時を迎えています。 一時、心を静めてこの一年を振り返ってみませんか? どんな喜びや感謝があったでしょうか。 その中で一番の感謝は何ですか? 更に、どんな痛みや悲しみがあったでしょうか。 その中での一番の悲しみは何だったでしょうか。 そしてその二つにはどんな関連があるでしょうか。 

 聖書はこう語ります。 
 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇 103篇2節)と。

 辛い思い出や悲しみを心に刻みやすい私たちですが、この一年の中で神様がどんな素晴らしい恵みをあなたに与えてくださったのかを振り返り、確認することはとても重要なことですねえ。 

 私にとっての今年一番の感謝は子どもたちの成長、また次女と次男がイエス・キリストの救いを信じクリスチャンとなったことでした。 そして一番の悲しみは、やはり地上での親との別れだったでしょうか。 しかしその悲しみは天を仰ぐ恵みの機会ともなりました。 そしてこの二つの間には、神様の救いと救いの素晴らしさという共通点があったのです。 

 先の聖書はこう続いています。 
 「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」(詩篇103篇3〜5節)と。

 どんな素晴らしい結果や業績よりも神様からいのちを与えられ救いを与えられ恵みを受けているということに目を留めなさい、と聖書は語っています。 そしてあなたがこの一年の中で経験されたどんな悲しみも痛みをも神様がその御自身の手の中にあって益と変えてくださり、良いもので満たしてくださるのです。 気付かない中ですべてを益と変えてくださる神様の手があなたの心に触れ、あなたを感謝や恵みへと導き続けてくださいます。

 あなたもこの神様の愛に触れる交わりに、教会に、いらっしゃいませんか? そして新しい年も愛なる神様と一緒に一歩づつ歩ませていただきましょう。 

 ではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2008.12.26放送でのお話しより)

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■生まれたのは救い主イエス

2008年12月25日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「生まれたのは救い主イエス」です。

 それでは聖書の中のヨハネの福音書3章16節から読んでみましょう。 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 イエスは二千年前のクリスマスの日に神の子としてこの世にお生まれになりました。 神の子であるというのに宮殿ではなく粗末な馬小屋で生まれ、ユダヤの貧しい村ナザレで育ちました。 青年になると父親から仕事を学び、大工として働きました。 イエスの父ヨセフは若くして亡くなりましたから、イエスは長男として母親や六人いたと言われる兄弟のために働き、家計を支えたといいます。

 それから三十歳になってイエスは人々に、悔い改めて正しい人生を歩むようにと、神のことばを伝え始めました。 そして最後に、私たちの罪の赦しのために身代わりとして、十字架上で御自分の命を捧げてくださったのです。 

 イエスがそのように生きてくださったのは、やがて神の前に立って裁きを受けるすべての人々のためでした。

 裸で生まれてきた私たちはやがて死に、裸で神の前に立つことになります。 心を見抜かれる神の眼差しに一体誰が耐えられることでしょう。

 しかし幸いなことに、イエスが私たちと共に神の前に立ってくださいます。 私たちの罪は既に赦された、と神に執り成し、私たちの丸裸の心の恥を覆ってくださるのです。

 イエスは罪の滅びから私たちを救うために神から遣わされました。 そして神は御自分の独り子を犠牲にしてまでも私たちに永遠のいのちを与え、神の国に招こうとされました。 このイエスの十字架の愛を信じる人はやがて恐れることなく神の前に立つことができます。 

 クリスマスの日、ぜひ教会へ行き、この神の愛のメッセージに耳を傾けていただきたいと思います。 そして神の愛を確かに知っていただきたいと思います。 

 (PBA制作「世の光」2008.12.25放送でのお話しより)

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■初めの知らせ

2008年12月24日 | Weblog
 

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 今日はクリスマス・イブですねえ。 ぜひこの日は教会にいらっしゃってみてくださったらクリスマスの本当の意味を知っていただくことができる機会となるかなあというふうに思うんですが。

 一番最初のクリスマスの記事というのがですねえ、ルカの福音書の2章という所に出てきます。 その中の一部をちょっとお読みしてみますねえ。 

  さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」  (8~12節)

 このようなことが書かれているんですねえ。 で、救い主が誕生するということは神様が何千年も前から計画しておられた事です。 そしてある方たちは、いつか、いつかと待っていた、そのことが成就した大きな歴史的な出来事ですね。 

 この大きな出来事を一番最初、誰に知らせようか、という誰が一番最初に知らされるんだろうか、というこれは大きな関心事であるとそう思うんです。

 で、実際には、いわゆる聖書のことをよく勉強している聖書学者でもありませんでした。 もちろん王様でもありませんでした。 そして宗教的な祭り事をしている祭司とかそういう人たちでもありませんでした。 何と意外にも、羊飼い ---羊の番をしているその羊飼い--- 。

 当時、羊飼いというのは、牧草を尋ねて羊と一緒に移動しますから、まあ住所不定のようなですねえ、で、税金もちゃんと納めることもできない、まあう社会性のないって言いましょうか、そういう社会的には蔑(さげす)まれたようなそういうタイプの方たちでした。

 でも神様は人から見たら重んじられない蔑まれてるようなそういう者にこそ目を留めて、その方たちに神様の愛が注がれるのだということを、この出来事を通して表してくださったんですね。 私たちも、私みたいな者は神様の子どもとなれない、天国なんか行けない、って思ってしまうようなことがあったりしますけれども、そういう者にこそ目を留めてくださる方、それがクリスマスの意味だということを知っていただきたいですね。 

 ( PBA制作「世の光」2008.12.24放送でのお話しより )

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■飼い葉桶に寝かされる救い主

2008年12月23日 | Weblog
 
  世の光の時間です。クリスマスの季節を迎えています。いかがお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 

 イエス・キリストがお生まれになったのはベツレヘムという町でした。 しかしヨセフも許嫁(いいなずけ)のマリヤも100キロ以上離れたナザレの町に住んでいました。 聖霊の力によって身重になったマリヤをヨセフは理解し受け入れ、出産の時を待っていました。 

 ところがちょうどその頃、住民登録をせよという勅令が(ローマ)皇帝アウグストから発布されたのです。 ま、税金を課すために行ったものなんですねえ。 そこでヨセフはダビデの家系であり血筋でもありましたので、やむを得ずベツレヘムまで行くことになりました。

 身重のマリヤにとってはそれは危険な旅でもありました。 そしてベツレヘムに着いてみると、人口調査のために戻ってきた人たちで一杯でした。 この若い、そして身重のマリヤたちのために家を提供してくれる人は誰もいませんでした。 しかしマリヤは月満ちて今にも赤ちゃんが産まれそうな状態です。

 そんな彼らがたどり着いた場所は、何と家畜小屋でした。 そして生まれたばかりのイエス様は家畜小屋の飼葉桶に寝かされたのです。

 旧約聖書によれば、キリストは王の王として、ダビデ王の世継ぎとしてベツレヘムでお生まれになる、ということでした。 しかしその生まれた場所は王宮でもなく、暖かい暖炉のある家でもなく、羊たちが戯れる家畜小屋だったのです。

 この家畜小屋でお生まれになったということは、私たちに少なくとも二つのことを教えていると思うんですね。

 一つは、家畜小屋それはこの世界を暗示している、ということです。 当時、家畜小屋は、そこは決して綺麗な場所とは言えませんでした。 でもイエス様はそんなきたない場所に来てくださった。 それはまるでこの世界を、そして私たちの心を暗示しているかのようです。

 そして二つめは、家畜小屋ですからそこには羊がいました。 羊は旧約聖書では人の罪のために神殿に犠牲として捧げられていきました。 イエス・キリストが家畜小屋で生まれたということは、私たちの罪のために羊が犠牲になったように、自らも人の罪を背負う救い主として来てくださったということを暗示しているんです。 神の小羊として来てくださったということなんですね。 

 飼葉桶に寝ておられるイエスという響きは何とも安らかな響きに聴こえます。 しかし神の小羊として人々の罪を背負い、身代わりに十字架につけられるという壮絶な生涯のスタートでもあったのです。
 
 (PBA制作「世の光」2008.12.23放送でのお話しより)

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■神とマリヤを信じたヨセフ

2008年12月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、処女(おとめ)マリヤからキリストが誕生したということについて、つまずきを覚える人は現代もたくさんいらっしゃると思うんですけれども、もっとそれよりもですね信じ難いこととして、これに驚いた人がいるんですねえ。 それは誰かと言いますと、マリヤの婚約者・許嫁(いいなずけ)であったヨセフという人なんですねえ。 

 聖書の中にこういうことばがあります。 マタイによる福音書の1章に書いてあるんですけれども、

 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。 (マタイによる福音書1章18節から22節 口語訳聖書)

 こういう記事が書かれている訳なんですね。 で、ヨセフは婚約者。 当時の婚約というのは、もう正式に婚姻届けがなされているような、そういう公な形ではもう夫婦とされていたのですね。 でも一緒には生活をしてはいなかった。 なのにその婚約者であるマリヤが身重になった、ということを知った時の驚き。 これは想像ができますよね。 ですから離縁しようと決めたというその気持ちも分かる訳です。 でも主の使いがこう言われた。 「心配しないで妻として迎え入れるように。 それは聖霊によって宿ったのだから。」という。 この信じ難いことを、しかしヨセフは、マリヤは絶対大丈夫だということをマリヤに対する深い信頼と共に神様がそうなさったのだということを受け入れた。 ヨセフの信仰ですねえ。 このヨセフの信仰がなかったらこのことは成り立たなかったということは思います時にですねえ、本当にヨセフは自分の妻たるべき人への信頼と神様への深い信頼とをもってこれを受け入れたことによってこのクリスマスは成就したのだということを知っていただきたい。 そう思うんです。 

 ( PBA制作「世の光」2008.12.22放送でのお話しより)

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■永遠のいのちの光キリスト

2008年12月20日 | Weblog


世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 クリスマス、この日世界中の人々が昔ユダヤで生まれたイエス・キリストの御降誕を記念してお祝いします。 そんな人って一体どういう方なんでしょう。 

 ヨハネの福音書1章はこういう出だしで始まります。 
 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(1節)
 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。・・・」(14節より)

 ことばというのは本来、人の心の結晶・心の現れだと思います。 つまりイエス・キリストの弟子であったヨハネは、神の心の結晶すなわち神の愛の現れこそキリストです、そう紹介したのです。

 どのように紹介したんでしょう。 

 このお方は神です(1節)。 このお方はまだ何もない天地創造の前から存在しておられました(2節)。 そしてすべてのものはこの方によって造られました(3節)。 このお方は人の目には見えない神の心すなわち神の愛の現れ・見える姿です(18節)。 このお方には永遠のいのちがあります(4節)。 このいのちは真っ暗闇のこの世界に燦然と輝く救いの光です(5節)。 どんな闇の力もこの光を消すことはできません(5節)。 このお方は真っ暗な罪の世にいるすべての人を救うために人となってこられました(9、14節)。 

 それからヨハネは、こうも書き記しました。 
 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(12節)

 「その名を信じる」というのは、キリストを救い主として自分の心の内に受け入れることです。 キリストを信じると、年齢や生別、人種、宗教上の背景、そういうものに関わらず誰でも神の家族の中に生まれ、まことの神の子どもとしてきちんと迎えられるというのです。 

 クリスマス、イエス・キリストはこの暗闇の世界に永遠のいのちの光として来られました。 あなたが今日、このキリストを救い主として心に迎える時、この永遠のいのちの光があなたの心の中に宿るのです。 もはや罪で汚(けが)れた暗闇の中を歩むことはありません。 いのちの光が行く道を照らすからです。

 あなたもこのいのちの光が溢れているキリスト教会を訪ねてみてください。 

  ( PBA制作「世の光」2008.12.20放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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            (自由ケ丘キリスト教会内)


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