♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■鍛え上げられる信仰 / 舛田友太郎

2024年05月31日 | Weblog

2024/02/16放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 愛知県稲沢市にある愛ホープチャーチの牧師、舛田友太郎です。

 日本刀を作るには鉄を鍛える必要があります。刀は砂鉄から作られた「玉鋼」と呼ばれる美しい鉄を使います。それをおよそ1,000度に達する燃える炭火の中へ入れます。鉄が赤く染まったところで取り出し、打ち叩きます。この時、鉄の中に含まれていた不純物が火花になって飛び散っていきます。この工程を繰り返すことで鉄の純度が高められていきます。

 聖書には信仰の真髄について次のように語っています。
 「試練で試されたあなた方の信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光とほまれをもたらします」 ペテロの手紙第一 1章7節

 先程、日本刀の製作において鉄を鍛えるという話をしました。実は、イエス・キリストを信じる者たちの信仰も鍛え上げられるのです。人生における試練や苦難こそが信仰の純度を上げるために用いられるのです。

 さて、キリスト教はとても不思議です。何が不思議か? それは、たとえイエス・キリストを信じたとしても人生うまくいくとは限らないということです。それでも数え切れない程の方々が信仰を貫いています。いのちをかけて。

 もちろん私もまた幸いな人生を送りたい、そして家族にも送って欲しいと願っています。
 しかしそれ以上に、私は永遠の祝福が与えられる約束を信じ見つめて今を生きています。神様は、イエス・キリストを信じるすべての者たちに、永遠のいのちと永遠の祝福をお与えになります。

 そうです。キリスト教の信仰はまるで刀のように試練や苦難を通し鍛え上げられるのです。
 そして最も価値あるものとして神様に捧げられるのです。
 熱いのも痛いのも勘弁、もっとお手柔らかにして欲しいと思われるかもしれませんが、あなたもぜひ教会にいらしてみませんか? 

 また「世の光」の放送を続けてお聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.16放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■あなたを造られた神様 / 舛田友太郎

2024年05月30日 | Weblog

2024/02/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。愛知県稲沢市にある愛ホープチャーチの牧師、舛田友太郎(ゆうたろう)です。

 東海地域にあります愛知、岐阜は焼き物の名産地です。瀬戸焼、常滑焼、美濃焼そして織部焼など古くから焼き物が作られてきました。私は美術大学で学びました。ですから、人の手で作られた作品が大好きです。時々、妻と一緒に岐阜県の多治見市に行き、焼き物を見てまわります。

 以前、友人の牧師が心に残る話をされました。この方の教会には食品サンプルを作る職人が通っておられるそうです。食品サンプルとは、よくレストランの前に置いてあるサンプルのことです。この職人の方が次のように言われました。「どんなに同じ商品が並んでいても、私が作ったものは絶対に分かる。色の塗り方や、ちょっとした形の違いがそれぞれ違うからです」と。
 私はこのことにとても共感をしました。私も自分が作ったものなら、たとえ他のものに紛れたとしても、見つけられる自信があります。なぜなら、精魂こめて作ったので、作品に対し特別な愛情を感じるからです。

 さて聖書にはこのようなことばがあります。
   「主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです」 イザヤ書64章8節

 神様はこの世界を造られたお方です。ある意味で物作りの職人の親方のような方です。そして神様の作品の一つがあなたなのです。神様はあなたを心を込めてお造りになり、いのちをお与えになりました。
 たとえあなたがたくさんの器の中に埋もれてしまっていても、神様はあなたを見つけ出すことが出来ます。そしてあなたを両手で大切に包み込み、こう言われます。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節 )と。

 あなたがお茶碗を手に取られるとき、ぜひこのことを想い起こしてみてください。
 あなたも、ぜひ教会にいらしてみませんか? 
 また、「世の光」の放送を続けてお聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.15放送でのお話しより )


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■わたしを信じなさい / 入江 告

2024年05月29日 | Weblog

2024/02/14放送

 「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。愛知県豊田市にある豊田神池キリスト教会の牧師、入江告(つげる)がお話しします。

 私が人生で最初に神の存在を感じたのは小学校2年生の時でした。近所を歩いている時に、突然一匹の犬が激しく吠えながら走ってきました。私は無我夢中で逃げました。しばらくして振り向くと犬はいなくなっていました。その時何が起きたのかは分かりませんが、(( 神様が守ってくださったんだ、そうに違いない )) という不思議な思いが私の心に広がって残りました。

 この放送を聞いてくださっている方は多かれ少なかれ神の存在について考えている方ではないでしょうか。「信じる」とまではいかないけれど、なんとなく神について考えているかもしれません。

 ヨハネの福音書4章に登場するサマリア人女性もまた神を感じ、礼拝すらしている人であったと書かれています。しかし本当の神様を知らなかった。

 イエスはこの女性に言います。「女の人よ。わたしを信じなさい」(4章21節参照)。

 この女性は5回結婚と離婚を繰り返し、愛を欲しながらも手に入れられない日々を送っていました。
 結婚したからと言って愛が常にあるとは限りません。離婚しないだけで夫婦の心が冷めきっているということもあります。親子の愛もそうです。子どもは親に無償の愛を求めますが、いつもいつも親は子を愛せない。様々な疲れから、「あなたがいなければ私はもっと自由に生きられたのに」と口走ってしまう。そんなことばを聞きながら人生を送ってきた、という人もいるかもしれません。

 イエスはそこで、「わたしを信じなさい」と言います。
 彼女の問題の中心は、男性の愛、人の愛を信じながらも神の愛を信じていないということでした。イエスの愛、すなわち「わたしはあなたを愛しているよ。あなたはわたしの大切な存在だよ」というイエスの声を信じず、人の愛こそが自分の心を潤すのだ、と求めていった結果、裏切られ、ますます愛に飢え乾く。

 問題の解決はイエスの愛を信じることから始まります。それは聖書の知識を全て知った上で信じるということではありません。人間の知識や理性の限界の外側から語りかけるイエスの愛を受け取ることです。そのとき、あなたの心がイエスの愛で潤う、そんな人生が始まります。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.14放送でのお話しより )


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■話したくない話題こそ / 入江 告

2024年05月28日 | Weblog

2024/02/13放送

 「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。愛知県豊田市にある豊田神池キリスト教会の牧師、入江告(つげる)がお話しします。

 私には幼稚園に通っている子どもがいますが、この前、幼稚園の歌を教えてくれました。「ケンカのあとは」という歌で、その中にこんな歌詞があります。
 「ケンカの後は悲しいな・・・ 本当はとっても好きなのに 嫌いだなんて言っちゃって・・・ごめんなさいが言えなくて」(https://www.oricon.co.jp/prof/214478/lyrics/I064014/)。

 多くの人は愛情を求めます。しかし愛を求めたとき、必ずしも思い通りの愛が返ってくるわけではなく、かえって愛されないという経験をします。

 ヨハネの福音書4章に登場するサマリア人女性もまた同じ経験をしていました。

 井戸の傍(かたわ)らで飲み水の話をしていたイエスは、突然、「あなたの夫を呼んできなさい」と言います。

 女性は一言だけ「私には夫がいません」と答えます。
 この女性にとって夫の話題は最も話したくない話題でした。なぜなら彼女は5回結婚と離婚を繰り返し、今は結婚していない男性と暮らしていたからです。
 彼女は結婚式で愛を誓いながらも相手を愛せない経験をし、逆に男性たちからも愛されない経験をしました。ケンカをし、罵り合い、やがて会話もできない冷え切った関係になり、破綻していく。次こそは、と希望を持っては裏切られることを繰り返し、いつしか彼女にとって「愛」とは誰にも話したくない事柄になりました。

 ではなぜイエスはこの話をしたのでしょうか。それは彼女の話したくない話題こそ最も癒やしを必要としている心の傷だ、とイエスは知っていたからです。

 イエスは他の箇所で言っています。
 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」
                (マルコの福音書2章17節)

 聖書が語る罪とは犯罪というより病のようなものです。
 愛し愛されたいのに上手くいかない。なぜなら結局誰もが自分を一番にしたいからです。
 しかしその先には魂の渇きがあります。

 イエスはこうも言いました。
 「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」
                (ヨハネの福音書4章14節)

 あなたが最も話したくない話題は何でしょうか。
 イエスはその魂の渇きを癒やしたいと願っています。

 このイエスのいのちの水を受け取ってみませんか?

 

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.2.13放送でのお話しより )


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■憎しみに触れるイエス / 入江 告

2024年05月27日 | Weblog

2024/02/12放送

 「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。私は愛知県豊田市にある豊田神池キリスト教会の牧師、入江告(つげる)です。

 先日ニュースを見ていると、戦争で争っている国々のそれぞれの言い分が紹介されていました。その中には(( 明らかに自己中心的だなぁ )) と思えるものもあれば、(( 確かにそちら側から見ればそう思っても仕方ないかもしれない )) と考えさせられるものもありました。

 人の憎しみ、ということを言えば、私たちも日々生きる生活のどこかで人の憎しみにぶつかります。しかも心の奥底で (( 本当は仲良くしたい。本当はこの人を愛したい )) という思いがあるのに、その思いを裏切られた時や無視された時に憎しみが抑えられないということもあるのではないでしょうか。

 イエス・キリストはある時、人々の憎しみの真ん中に来られました。ヨハネの福音書4章5節で、イエスはサマリアという町に行かれ、そこにある井戸に腰掛けます。
 すると一人のサマリア人女性が井戸の水を汲みにやってきました。時間は日差しが暑い、昼の正午頃です。
 この女性にイエスは「水を飲ませてください」と言いました。
 しかし、女性は怪訝な顔をします。「あなたはユダヤ人なのにどうしてサマリア人の私にお願いするのですか?」

 当時、イエスを含めたユダヤ人とサマリア人は大変仲が悪い状態でした。長い歴史の中でお互いに憎み合い、相手の土地に入ろうとしない、一緒に食事もしない、会話もしない。そうやって「あの人たちはこうだ」と決めつけ、憎み合っていました。

 これは私たちの姿でもあります。どこかの国の話ではなく、身近な夫婦や親子、兄弟や友人に対して (( どうせあの人は変わらない。何を言っても無駄だ。期待するだけ自分が傷つくから関わることをやめよう )) と相手を決めつけ、諦め、憎んでいく。そこには長年蓄積された (( 私のことを大切にしてくれなかった )) という傷ついた思いがあることでしょう。

 イエスはその憎しみと悲しみの心のそばに来てくださいます。井戸に腰掛け、「水を飲ませてください」と言ってあなたの心を解きほぐし、決めつけや偏見であなたを見ず、あなたという一人の人格を知ろうとしてくださる。そして、憎しみにがんじがらめになっている私たちを愛に満ちた生き方へと導こうとされます。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.12放送でのお話しより )


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■禁止事項 / 関根弘興

2024年05月25日 | Weblog

2024/02/10放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今週は聖書の創世記の中から、人間とはどのような存在なのか、ということをご一緒に考えてきました。

 神様は人を大地の塵によって造られ、エデンの園に住まわせました。神様は、人を深く眠らせて、彼のあばら骨の一つを取り、一人の女をお造りになりました。エバです。アダムとエバはエデンの園で暮らすことになりました。エデンの園は不自由のない潤いに満ちた場所でした。

 しかし神様は二人にこう命じたのです。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と。これは一体どういうことなのでしょう。
 それは、善悪の絶対的な基準は神様の領域にあるのだ、ということをはっきりと示すために、神様は善悪の知識の木を園の中央に置かれたわけです。
 要するに、神様は人の領域と神様の領域とをきちんと区別なさったわけです。人が勝手に神様の領域に手を伸ばしていくなら、結局自分の本来の存在価値を見失い、自らを滅びへと招くことになるのだと言われた訳です。
 神様ははっきりとした意図を持って善悪を知る木の実を園の中央に置かれたわけです。そしてはっきりと「それを取って食べると死ぬ」と警告なさいました。

 でも、こうした箇所を読んで、「なんで神様はそんな木を中央に置いたのか。置いた神様が悪い!」なんて言い出す人もいるんです。
 でも例えば、あなたがお子さんと道を歩いている時、警告するでしょう? 「絶対、道に飛び出しては行けませんよ!」と。そのときに子どもが、「どうして道なんかあるんだよー。こんなもの作らなければいいのにー。作った人が悪い!」と言ったらおかしな話ですねえ。
 また、高圧電線が通っている場所に「立ち入り禁止」の札が掛けられています。「どうして電気なんか流すんだよー。電気なんて流す人が悪い!」「僕は高圧電線に触ったってへっちゃらだ!」と言って立ち入り禁止区域に入ったらどうなるでしょうか。大変なことです。
 「なんで神様はそんな木を置いたのか!」と言うのは、「なんで道なんか作ったのさあ。作った方が悪い!」と言っている子どもと同じ発想なんですね。

 神様は、私たちが許される領域と、神様にお任せすべきものとをきちんと区別することが大切なのですよ、と示されたのです。しかしこの領域をなんとか侵し、神様に背を向けさせようとする誘惑者が近づいてきたのです。その誘惑こそ人を滅びへと向かわせるものとなっていくのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.10放送でのお話しより )


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■世界最初のラブソング / 関根弘興

2024年05月24日 | Weblog

2024/02/09放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今週は聖書の創世記の中から、人間とはどのような存在なのか、ということをご一緒に考えています。

 神様は人を大地の塵によって造られました。そして、人をエデン園に住まわせたのです。そこには食べるのによいさまざまな実をつける木々が生え、人は自由に取って食べることができました。園を潤す川も流れていました。

 しかし、足りないものがありました。人にふさわしい助け手が見つからなかったのです。

 そこで神様は、人を深く眠らせて、彼のあばら骨の一つを取り、一人の女をお造りになった、と書かれています。女性は男性のあばら骨から造られたんですねえ。これはとても大切な意味があると思いませんか? 

 もし、男性の足の骨から造られた!というのでは、女性はいつも踏まれるばかりの存在のような感じがしますよね。まるで奴隷のようです。また、頭の骨から造られたら男性を支配するような存在となったかもしれません。

 しかしあばら骨から造られたということは、お互いが対等の存在として造られたということ、そして最も大切な心臓に近い骨から造られた女性は本来、男性にとってとても大切な存在だよ、ということでもあるわけです。

 最初の人アダム、そしてアダムにふさわしい助け手として造られたエバの、二人の人生がスタートしました。創世記2章23節では、アダムはエバに向かってこう歌っています。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉」

 いやぁこれは世界最初のラブソングと言ってもいいですよねえ、「骨からの骨、肉からの肉」と歌ったわけです。二人はエデンの園でお互いに麗しい絆で結ばれて生活していきました。

 しかし、その麗しい姿が失われる出来事が起こっていったのです。蛇がこの二人を誘惑するためにやってきました。

 古代オリエントの世界においては、蛇は神秘的な力を持つものとされていました。エジプトでは蛇は知恵の神、生命の神として崇められていました。首を持ち上げた蛇が冠に付けられたり絵に描かれたりしていますよね。

 しかし聖書は、知恵の神とされていた蛇を、人に災いを及ぼす誘惑者サタンの姿とだぶらせて登場させたのです。そして人間が抱える根本的な問題、聖書が教える「罪」というものがどのようにもたらされていったのかが記されていくのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.9送でのお話しより )


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■創造の完成 / 関根弘興

2024年05月23日 | Weblog

2024/02/08放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今週は聖書の創世記の中から、人間とはどのような存在なのか、この世界はどのように造られたのかをご一緒に考えています。

 創世記には、種類に従ってこの世界が創造されたことが記されています。創世記2章1節には「こうして、天と地とその万象が完成した」とあります。

 完成と言っても、神様は全く動かない置物を造られたわけではありません。植物は花を咲かせ、木々は生長し、人も動物も増えて生き続けていくわけです。ですから、「世界が調和のとれた、自然の営みが育まれていくものとして完成された」という意味です。

 創世記には、この世界は六日で創造されたと書かれています。この六日をどのように解釈するかはいろいろな違いがあります。
 一つの時代の区分としての一日という理解もあるのですが、大切なのは、神様がこの世界を種類に従って創造されということです。

 そして創世記2章3節を見ると、「神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである」と書かれています。

 神様が創造のわざをやめられたとありますが、一体どういうことでしょうか。
 「やめられた」とは「何もしない」ということではありません。造られたこの世界が完成したので新たな別のものを創造することはなさらなかったという意味なのです。

 今でも、神様の介在がなければ、この世界の運行、すべての営みは一瞬たりとも継続できません。神様は、創造の初めから今に至るまでこの世界を治め、支えて続けてくださっているのです。

 さて、創造のわざが六日で完成し、神様はこの七日目を祝福されたと書かれていますねえ。この「七日目を祝福された」ということば葉にはどういう意味があるのでしょう。
 それは、神様は七日目は、創造されたすべてのものを祝福することに専念された、ということです。
 これまで第六日までは、「夕があり朝があった」ということばで締めくくられていましたね。でも七日目にはこのことばはもう出てきません。
 つまり神様の祝福は創造の完成した後は、今に至るまで絶えることなく継続しているのですよ、ということなんです。私たちはこの祝福の延長の中に生かされているということなのですねえ。

 こうした約束に造られた人はどう応えていったのでしょう。それは次回のお楽しみ。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.8放送でのお話しより )


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■人は土くれ / 関根弘興

2024年05月22日 | Weblog

2024/02/07放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週は聖書の創世記の中から、人間とはどのような存在なのか、ということをご一緒に考えています。

 人は神様に似せて造られた、と創世記には記されています。神様は人をご自分に似たものとしてお造りになるとき、どんな材料を使われたのでしょう?
 創世記2章7節には、「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」と書かれています。

 人間の材料は、なんと、大地の塵だって言うんですね。辞書で「塵」の意味を引いてください。こう書いてあります。「利用価値のない、こまごまとした汚いもの。全く値うちのないもの」、このように記されています。神様は全く価値のない塵から、土くれから人を形造られたという訳ですね。
 
 もし神様がダイヤモンドから人を創造されたなら、なんだかきらきら輝いていて、何がぶつかってきてもその強度で相手を跳ね返してしまうでしょうね。また鉄や鋼で造られていたらどうでしょう。まるでスーパーマンのような存在になったかもしれません。でも、ひんやりと冷たい存在になったかもしれませんねえ。
 しかし神様は私たちを最も価値のないそして吹けば飛んでしまうような塵から造られたと言うのです。私たちをダイヤモンドや鉄のような強靱な存在としてではなく、壊れやすい弱い存在として造られたということです。

 しかし神様は、そんな弱い、壊れやすい、塵に過ぎないような人をご覧になって、「それは非常に良かった」と言われたのです。

 私たちは、健康で、物事がすべてうまくいっているときには、「それは非常に良かった」と考えます。すべてが完璧なときこそが非常に良い状態なのだと考えますね?

 でも神様は、人を塵から創造され、弱さを持った存在として造られたのです。そしてその弱さを持った一人一人に対して、「非常に良かった」と言ってくださるのです。

 聖書が教えていることは一体何でしょう。人は塵で造られた弱く脆(もろ)い存在であることを自覚することが大切なのですよ。だからこそ自分を造ってくださった神様を信頼しない独りよがりの人生は甚(はなは)だ危険なんですよ、ということを知らなければならないのです。

 人は本来、自分では生きていけない、神様に拠り頼みながら生きていく存在として造られました。しかし神様は、そんな弱い私たちを、非常に良い価値ある存在として見ていてくださっているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.7放送でのお話しより )


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■神のかたちに造られた? / 関根弘興

2024年05月21日 | Weblog

2024/02/06放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週は聖書の中から、人間とはどのような存在なのか、ということをご一緒に考えていきましょう。

 創世記1章26節には、「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう』」 このように書かれています。
 人は神様のかたちに似せて造られたと教えています。ここで神様はご自分のことを「われわれ」と言っておられますが、これはすべてを治めておられる神様は威厳に満ちた方ですので、威厳を表す「威厳の複数」という書き方をしているのです。
 そしてもう一つ大切なことは、私たちの神様は三位一体なる神様です。聖書の神様は、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神、という三つの位格がある。ま、人間で例えるなら人格のようなものですよねえ。
 そしてこの、父、子、聖霊は同じ本質をもっておられ、いつも一つの思いと目的を持って共にみわざをなされる。だから本当の意味で一体なのである、ということなんです。

 いやぁこれはあのぅ私たちの頭では理解することがなかなか難しいんですよねえ。でも聖書の神様は三位一体の神様であるということを、どうぞ心に留めておいてください。

 その神様に似せて造られたとはどういう意味なのでしょう。

 第一は、「人は神様に向かって祈り、叫び、賛美し、あがめ、礼拝することのできる存在、すなわち神様とコミュニケートすることのできる存在として造られた」ということです。それは人間が単に肉体だけの存在でなく霊的な存在として造られているからです。

 第二は、私たちの神様は完全な調和に満ちたお方です。ですから、この神様に似せて造られたとは、人は他の人と関わり調和を持って歩むことができる存在として造られているんですよ、ということなんです。人は孤独に生きるようには造られていません。

 第三は、人は知的な存在として造られました。神様は人に、すべてのものを管理し、神様がお造りになった生き物に名前を付ける仕事をお任せになりました。つまり、人はそれぞれの特性を知り、見極め、養い、最終的に神様の素晴らしさがあがめられるように管理することができる能力が与えられ、造られたのです。

 さてこのように人は造られたのですが、人が造られたその材料となったものは一体何だったのでしょう。

 それは明日のお楽しみ。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.6放送でのお話しより )


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