♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■人生に落胆していませんか? / 阿部頼義

2024年08月31日 | Weblog

2024/05/25放送

 「世の光」の時間です。神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチの牧師、阿部頼義です。今週は聖書の詩篇からメッセージをお届けしています。今日はまず旧約聖書 詩篇23編6節をお読みします。

 「まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
  私はいつまでも 主の家に住まいます。」

 この詩篇23編は聖書の中でも特に有名で、世界中で愛されていることばの一つです。なぜなら、どんなに辛いことがあってもイエス・キリストが羊飼いのように私たちを守り導いてくださるという信仰が表されているからです。

 今日ご紹介することばはこの詩の最後の部分です。そこには「主の家に住まいます」という表現があります。これは神様が招いてくださる場所で、その恵みをいただくという意味があります。つまり、神様がおられるところにこそ本当の祝福があるんだという信仰を表しているのです。

 この詩の作者とされるダビデは古代イスラエルの王様として立派な宮殿に住んでいました。しかし、彼は自分の家には本当の平安を見出すことができなかったのです。彼の人生は一見すると成功したかのように見えましたが、実際は多くの失敗をし落胆することがあったのです。時には実の息子に王座を狙われ、家から追われ、逃避行をしなければいけないこともありました。
 しかしダビデはそのように家から追われるという挫折と落胆の中で大切なことに気づきました。どんなに成功し素晴らしい家に住むよりも、神様がともにいてくださることを知る方が自分の心を満たすということでした。だから神の家に住み神とともに生きて行きたいと願ったのです。

 皆さんは人生に落胆することはありますか? 長い人生の中では願いがかなえられなかったり、自信を失ったりするようなことがあるかも知れません。
 しかし神様はあなたが欲しいと願うものを与えることはないかもしれませんが、あなたに必要なものを与えてくださる恵み深い方なのです。

 皆さんも神様に信頼し、神様の恵みが溢れる家に住んでみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.5.25放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■プレッシャーに負けていませんか? / 阿部頼義

2024年08月30日 | Weblog

2024/05/24放送

 「世の光」の時間です。今週の世の光を担当している神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチの牧師、阿部頼義です。今日は旧約聖書の詩篇23篇1節から5節をお読みします。

 「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
  主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
  主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
  たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。
  あなたが ともにおられますから。
  あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
  私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。
  私の杯は あふれています。」

 この詩篇23篇は私たちと主イエス・キリストとの関係を表しています。この詩の作者は「私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え」とうたっています。敵に狙われているような状況において神が食卓に招いてくださるという光景をうたっていますが、これは一体どのような状況なのでしょうか?

 古代イスラエルでは友情の印として親しい友人を食事に招くということがありました。ある聖書学者によると、その家の主人は客人が安心して楽しむことができるように安全を守ることも当然の義務として考えられていたそうです。つまり、この表現は敵が迫ってくるような状況の中でも自分の人生の主人である神は食卓に招いてくださり、安全を提供してくれるのだという信仰をうたっているのです。

 皆さんの生活の中でもプレッシャーが重くのしかかるような状況があると思います。職場の上司や部下からのプレッシャー、また子育てのプレッシャー。そして何よりも、自分で自分にかけているプレッシャーがあると思います。ああ自分の力ではどうしようもできない・・・と感じることはないでしょうか。もし自分が人生の主人だとしたら、自分の力では耐えきれない状況で絶望するかも知れません。

 しかし、あなたがプレッシャーに負けそうになるときも主人であるイエス・キリストがあなたを守り、心に平安を与えてくださるのです。

 皆さんもイエス・キリストに信頼してみませんか?

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.5.24放送でのお話しより )


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■孤独を感じていませんか? / 阿部頼義

2024年08月29日 | Weblog

2024/05/23放送

 「世の光」の時間です。神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチの牧師、阿部頼義です。今週は旧約聖書にある詩篇23篇からメッセージをお届けしています。今日は詩篇23編の1節から4節をお読みします。

 「主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません。
  主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。
  主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
  たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。
  あなたが、ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」

 この詩篇23篇は世界中で多くの人に慰めを与えてきた詩です。実は私にとっても思い出深い詩の一つです。私が牧師になりたての頃の話です。末期癌で余命1ヶ月の85歳の男性を訪問する機会がありました。私は経験も浅く何を話せば良いか分からなかったので、とりあえず詩篇23篇のことばを紙に印刷し病室に持っていきました。そして寝たきりになり天井を見つめるこの男性に紙を見せながら詩篇23篇を朗読したのです。
 私が4節の「たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。」という箇所まで読み進めると、その男性の目から一筋の涙がこぼれ落ちました。死に向き合い、孤独を抱えていた心にイエス・キリストがともにいてくださるという希望の光が差し込んだのかもしれません。そして私にこう言いました。「イエス様のことばは優しいなあ・・・」 それから数日後、この方は病床で洗礼を受けクリスチャンとなり、天に帰っていかれました。

 私はこの経験を通して、イエス・キリストがともにいてくださるという希望は死を前にした人の孤独さえも癒すことを知りました。

 皆さんは孤独を感じることはありますか? そのようなときは今日のことばを思い出してください。イエス・キリスト皆さんがどのような試練の中におられるとしても共にいてくださるからです。

 皆さんの心にキリストの平安があるようお祈りします。


 ( PBA制作「世の光」 2024.5.23放送でのお話しより )


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■道に迷っていませんか? / 阿部頼義

2024年08月28日 | Weblog

2024/05/22放送

 「世の光」の時間です。神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチの牧師、阿部頼義です。今日はまず詩篇23篇1節から3節をお読みします。

 「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
  主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
  主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。」

 この詩は聖書の中でも特に有名な箇所で、世界中で愛されていることばの一つです。多くの人たちが人生の岐路に立たされた時に、このことばによって励まされてきたのです。

 皆さんも長い人生の中では岐路に立たされたことがあると思います。進学や就職の進路について悩んだり、結婚について悩んだり、家の購入について悩んだりと、大人になればなるほど悩み事も複雑になっていきます。
 そのような人生の岐路に立たされたとき、道を誤り、「ああ、あの時、なんであんな選択をしてしまったんだろう?」と思うことがあるかもしれません。
 価値観が多様化し選択肢が増えている現代においては正しい道を選ぶことの方が難しいのかもしれません。
 しかし、そのように多様化し複雑化する世の中だからこそ、私たちには人生の道先案内人、人生のガイドが必要なのではないでしょうか。

 この詩を作ったとされるダビデは一国のリーダーとして様々な岐路に立たされてきた人物でした。決して立派なリーダーだったわけではなく、道を誤ることも多々ありました。
 しかし、失敗を繰り返す中で彼は大切なことに気づいたのです。それは、自分が道を誤ったとしても、いつも神様が正しい道へと導いてくださっていたのだということでした。まるで、神様は道に迷っている羊を正しい道に戻す羊飼いのようだと悟ったのです。

 皆さんは道に迷っていませんか? もしそのように感じているなら、ぜひ聖書をお読みください。聖書には、イエス・キリストこそ正しい道であり、真理であり、真の命を与えてくださる方だと書いてあります。そしてキリストは皆さんが道を誤ったとしても正しい道に導いてくださる人生のガイドなのです。

 皆さんもキリストとともに人生の道を歩んでみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.5.22放送でのお話しより )


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■ちゃんと休んでいますか? / 阿部頼義

2024年08月27日 | Weblog

2024/05/21放送

 「世の光」の時間です。神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチの牧師、阿部頼義です。今日も旧約聖書 詩篇23篇からメッセージをお届けします。まず1節と2節をお読みします。

  「主は私の羊飼い。 私は乏しいことがありません。
    主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。」

 これは古代イスラエルの王ダビデがうたったとされる詩です。この中でダビデは私たちと神との関係を羊と羊飼いに例えて表しています。ダビデは若い頃、羊飼いとして生活していたので、その頃の情景を思い出しながら思いを込めて詩を書いたのでしょう。

 緑の牧場というと広大な牧草地で羊が静かに草を食べている様子を思い浮かべるかも知れません。しかし、当時彼が住んでいたパレスチナ地方は岩場の多い丘陵地帯が広がっていました。ですから、羊飼いはゴツゴツとした荒野を歩きながら、斜面に気をつけ、水のある場所に羊たちを導いたのです。羊飼いは羊たちが休むのにちょうど良い場所を知っていました。ですから、羊たちはただ羊飼いに従っていけば良かったのです。

 私たちの人生は平坦な道ばかりではなく、荒野を歩くような状況があると思います。心配ごとが頭の中をぐるぐる回り、自分自身に落胆し、なかなか心が休まらないこともあると思います。

 みなさんはちゃんと休めていますか? もしかすると、その疲れは心の渇きから来ているのかもしれません。心配や不安は、あなたの心から潤いを奪い、元気も奪っていきます。そのようなときは今日の詩篇23篇を思い出してください。私たちにとっては先の見えない荒野のような状況であっても、私たちの羊飼いであるイエス・キリストは私たちが行く道をよく分かっており、心に休息を与えてくださるのです。

 もし今、心が休まらない状況が続いているのであれば、一言祈ってみてください。
 「羊飼いなるイエス様、私をいこいのみぎわに導いて、心に平安を与えてください。」

 皆さんの心にキリストの平安が与えられるようお祈りします。


 ( PBA制作「世の光」 2024.5.21放送でのお話しより )


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■心配しすぎていませんか? / 阿部頼義

2024年08月26日 | Weblog

2024/05/20放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチの牧師、阿部頼義です。今週は旧約聖書の詩篇23篇からメッセージをお届けします。まず23篇1節をお読みします。

  「主は私の羊飼い。 私は乏しいことがありません。」

 このことばは世界中の多くのクリスチャンによって愛されている聖書の一節です。なぜでしょうか? それはこの詩が私たち人間とイエス・キリストの関係を表しているからです。つまり、イエス・キリストは羊飼いのように私たちに必要なものを備えてくださる方だという信仰を表しているのです。

 皆さんは自分に足りないものを考えて心配になることはないでしょうか。 私は時々将来のことを考えて、貯金は足りるか、どこに住めば良いのかと心配になることがあります。心配することは決して悪いことではありません。しかし、心配しすぎて頭が心配ごとで一杯になると、同じことばかり考えて気持ちが後ろ向きになってしまうことがあります。
 そんなとき今日の聖書のことばを読むと、心が少し軽くなります。なぜなら、イエス・キリストは私の羊飼いのような存在で、私に必要なものを用意してくださる神様だと再認識することができるからです。

 ここで比喩として使われている羊飼いは、羊を外敵から守ったり、牧草や水のあるところに導いたりする存在です。暗い夜には、外敵が襲って来ないように見張り、昼には牧草や水があるところに羊たちを導きます。羊たちが気づかないところで、羊飼いは羊たちの安全を守っているのです。当然のことですが、羊には見えていないことも羊飼いには見えているのです。
 同じように、私たちが先が見えないようなとき、暗いトンネルの中を通っているように感じるときも、イエス・キリストは羊飼いのように私たちを見守り、私たちに必要なものを備えてくださる方なのです。

 皆さんは今、心配しすぎていませんか? 心配や不安で心が一杯になりそうなときは今日の聖書のことばを思い出してください。あなたには見えていないことも羊飼いなるイエス様には見えておられるのです。皆さんもイエス様に信頼してみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.5.20放送でのお話しより )


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■年に一度の宥めとキリストの十字架 / 羽鳥頼和

2024年08月24日 | Weblog

2024/05/18放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今週は、旧約聖書 出エジプト記27章から30章で、神を礼拝するところである幕屋と幕屋で奉仕する祭司について神が命じられていることをお話ししています。

 神の幕屋も幕屋で奉仕する祭司もイエス・キリストととても深いかかわりがあり、私たちの救いにも関係があることが分かってきました。

 今日は、出エジプト記の30章で神が命じられていることについてお話しします。

 神は、「香をたくための祭壇を作れ」と命じておられます。
 この祭壇は、幕屋の中の契約の箱の手前に置いて、毎日祭司がそこで香をたかなければなりませんでした。
 契約の箱は、神がそこにおられることを表すもので、契約の箱の蓋は「宥(なだ)めの蓋」と呼ばれていました。
 この祭壇は、その「宥めの蓋」の前に置くように命じられ、神の怒りを宥めることと深い関係がありました。大祭司が年に一度だけ、この祭壇で宥めを行うように神が命じられたのです。

 そして、宥めが行われたことを記念して、神が定められた重さの銀を「償い金」として納めることも命じられています。この償い金は幕屋のために用いられました。

 この日は「宥めの日」と呼ばれました。この日は大祭司が幕屋の垂れ幕を通って一番奥にある至聖所と言われるところに入って人々のために宥めを行ったのです。

 新約聖書には、イエスが十字架にかかって死なれたとき、当時の神殿の至聖所に通じる垂れ幕が上から下に裂けたことが語られています。

 新約聖書のへブル人への手紙は、イエス・キリストが大祭司として来られ、完全な幕屋を通り、ご自分の十字架の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたと教えています。

 キリストの十字架による救いは完全です。人はもう、いけにえをささげなくても良いのです。
 私たちはキリストによってきよめられ、神との関係を回復されているのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.5.18放送でのお話しより )


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■大祭司として今も働いておられるキリスト / 羽鳥頼和

2024年08月23日 | Weblog

2024/05/17放送

 「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今週は、旧約聖書出エジプト記27章から30章で、神を礼拝するところである幕屋と幕屋で奉仕する祭司について神が命じられていることをお話ししています。

 今週、この番組を続けて聴いてくださっている方は、神の幕屋も幕屋で奉仕する祭司も、イエス・キリストととても深いかかわりがあり私たちの救いにも関係があることが分かってきたと思います。

 昨日は、出エジプト記の29章で語られている祭司の任職式について、式のために準備するものと祭司自身の罪をきよめるためのささげ物について神が命じられていることをお話ししました。

 29章には、さらに任職式で捧げる全てを焼いて捧げる「全焼のささげ物」である雄羊と、それに添える最良の小麦で作った三種類の、イースト菌を入れないナンのような形をした種なしパン、そして任職の雄羊をいけにえとして捧げることが命じられています。

 このように任職式のことが命じられた後、次に神は祭司の職務について命じておられます。

 祭司は毎日、朝と夕にそれぞれ一歳の雄の小羊を全焼のささげ物として祭壇で捧げて、民のために神との関係を回復する執り成しをしなければなりませんでした。この祭司の執り成しによって人々はきよめられて神に会い、神と交わりを持つことができ、神が民の中に住み、いつも共にいて下さるのです。

 新約聖書ローマ人への手紙では、キリスト・イエスが私たちの大祭司として執り成しをしていてくださることが教えられています。
 「よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」
          ローマ人への手紙 8章34節

 キリストは大祭司として、私たちが神との関係を回復し、神に喜ばれる者となることができるように毎日とりなしをしてくださっているのです。私たちはキリストによって大胆に神に近づくことができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.5.17放送でのお話しより )


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■宿営の外で焼かれる罪のきよめのささげ物とキリスト / 羽鳥頼和

2024年08月22日 | Weblog

2024/05/16放送

 「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今週は、旧約聖書 出エジプト記27章から30章で、神を礼拝するところである幕屋と幕屋で奉仕する祭司について神が命じられていることをお話ししています。

 今日明日は、29章で語られている祭司の任職式について神が命じられていることをお話しします。

 まず任職式のために準備するものが命じられています。
 準備するのは、若い雄牛一頭、傷のない雄羊二匹、また、種なしパンというイースト菌を入れないナンのような形のパン、それと種なしパンに油を混ぜた輪形のパン、そして種なしパンに油を塗った薄焼きのパンでした。

 これらのものを準備して、祭司となる人たちの全身を水で洗いきよめます。それから神の定められた装束を着せ、彼らの頭に油を注ぎます。それから準備した若い雄牛を「罪のきよめのためのささげ物」として神が定められた通りに捧げるよう命じられています。

 まず雄牛の上に手を置いてその人の罪を負わせ、その雄牛を屠ってその血を祭壇の四隅の突起物に塗り、その血を祭壇の土台に注ぎます。雄牛の内臓を覆っている脂肪などを取り出して、これらを祭壇の上で焼いて煙にします。それ以外の雄牛の肉や皮と汚物は、祭壇ではなく宿営の外で焼かなければなりません。これらのことを行うのが「罪のきよめのためのささげ物」であり、このささげ物は、祭司たちの罪をきよめるために行われました。

 この宿営の外で焼かれる「罪のきよめのためのささげ物」はキリストの十字架を指し示すものであると新約聖書のへブル人への手紙が教えています。

 へブル書13章12節にこのようにあります。
 「それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。」

 キリストは十字架の血によって私たちの罪をきよめて下さったのです。


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■大祭司キリストと十字架 / 羽鳥頼和

2024年08月21日 | Weblog

2024/05/15放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今週は、旧約聖書出エジプト記27章から30章で、神を礼拝する所である幕屋と、幕屋で奉仕する祭司について、神が命じられていることをお話ししています。

 今日は昨日に続いて28章から大祭司についてお話しします。

 神は、幕屋で奉仕する祭司たちの服装を、神の栄光と美を表す聖なる装束として職人が作るように命じられました。その職人は、神の命令をしっかりと聞き、神からの知恵を用いて最善を尽くして作るように命じられました。

 出エジプト記の28章には、昨日お話した祭司の装束の一部であるエポデと、それにつなげる肩当てに続いて、胸当てとそこにつける12個の宝石、そしてエポデの下に着る青服とその裾の飾り、そして「主の聖なるもの」と彫られた純金の札をつけたかぶり物のことが命じられています。

 これらの装束が神の指示通り作られたら祭司たちにそれを着せ、彼らの頭に油を注ぎ、彼らを祭司職に任命するように命じられています。そうすることによって祭司たちはきよめられ、神に仕える者となれるのです。

 祭司は神と人との関係を回復し、よりよい関係を結ぶことができるように執り成しを行います。その執り成しの方法は神が定められたものなのです。

 新約聖書のへブル人への手紙7章24節、25節は、イエス・キリストがまことの大祭司であることを教えてこのように語っています。

 「イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」

 イエス・キリストは、今も生きていて私たちのために執り成しをしてくださり、私たちを完全に救ってくださいます。

 執り成しをしてくださるイエス・キリストに出会うために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 

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