♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■楽しみと喜びがある/福井 誠

2015年12月31日 | Weblog
2015/12/31放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「楽しみと喜びがある」です。
 それではイザヤ書51章3節からお読みしましょう。
 「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。

 イザヤのメッセージは単純ですね。繰り返し、祝福の神に目を向けよ、ということですね。けれども当時のイスラエルの民は預言者イザヤを通して語りかける神様のことばに耳を貸そうとはしませんでした。というのも、当時イスラエルはアッシリヤという国に征服される脅威にあり、神の奇跡的な救いを必要としていましたが、それでも神の助けがあるということばを受け入れる者はいなかったのです。確かに目に見えない神などあてにはできないという気持ちも分からない訳ではありません。私たちですら敵に囲まれていて窮地に立たたせられているような時に、神の救いがあると言われても、それを素直に受け入れられるかどうか、あやしいものですね。自分たちが終わりだと思うような時に、神の助けを素直に信じられるかといったら、そんなことはない、逆に、神も仏もないというやぶれかぶれの気持ちになったりするのではないでしょうか。

 イザヤはイスラエルのために神のことばを伝えて言います。「あなたがたの先祖イスラエルの父や母と言われるアブラハムとその妻サラがどのように祝福されたのか考えてみよ。」(参照 2節)と。あと継ぎもなく何の祝福の可能性もないままに、ただ不器用に神に従ってきただけの夫婦がどのように祝福を受けたのかと。そして「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。」と神の約束を伝えています。

 頑なな私たちの心に染み入るように神様は聖書を通して私たちにも語りかけてきていますね。ご自分を信頼せよ。「荒野をエデンのようにし、砂漠を主の園のようにする」という約束を信じなさい、と。  私たちに必要なのは、「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ 9:24 )と素直になって神のことばに耳を傾けることではないでしょうか。神が語っておられることに注意深く耳を傾けるなら必ずや神に対する信仰も与えられるのです。

(PBA制作「世の光」2015.12.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
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■アマレク人との戦い/板倉邦雄

2015年12月30日 | Weblog
2015/12/30放送


世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「アマレク人との戦い」という題でお話ししましょう。

 私たちの人生は戦いの連続と言って良いでしょう。生活との戦い、老いとの戦い、病との戦い、そして人との関係との戦いもありますね。時に、アマレク人がイスラエル人と戦うためにやってきました。エジプトを脱出しての初めての外からの戦いだったでしょう。モーセは若いヨシュアに命じました。「私たちを守るために戦闘員を選び、出て行ってアマレク人と戦いなさい。私は明日、神の杖を手に取って丘の頂上に立つであろう。」(参照 出エジプト記 17章9節)

 ヨシュアはモーセに言われた通りに出ていってアマレク人と戦いました。モーセは約束通りアロンとホル(※新改訳聖書は「フル」)を従えて丘の頂きに登り、立ちました。モーセが手を挙げて祈っているとイスラエル人は勝利しました。疲れて手を下げるとアマレク人が勝利するという、一進一退の攻防が繰り広げられました。しかしモーセの手がだんだん重くなってきました。手を挙げることができません。このままでは負けてしまいます。そこでアロンとホルの二人は石を取ってモーセの足元に置きました。その石の上にアロンとホールは座ります。そしてアロンは右に、ホルは左に座り、モーセの手を支えたので、モーセの手は日没まで下がることはありませんでした。そのおかげでヨシュアは剣を持ってアマレク人の兵士たちを打ち破ることができたのです。

 さてここで実際に戦っているのはヨシュアと戦闘員たちでした。しかし勝つか負けるかの勝敗の鍵を握っていたのはヨシュアたちではなく、丘の上で両手を上げて神に祈るモーセと疲れたモーセの両手を支えたアロンとホルの二人のサポートでしたね。神への祈りの生活こそ人生の戦いに勝つ秘訣ではないでしょうか。16世紀の宗教改革者マルチン・ルターは、忙しければ忙しいほど多くの時間を祈るために捧げた、と言われています。祈りという天の神様とのパイプを通して、全知全能の神の力をいただきたいのです。そして神の力に押し出されて日々の戦いに向かって参りましょう。

 (PBA制作「世の光」2015.12.30放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■ヨセフを変えた神の夢 5 / 大嶋重徳

2015年12月29日 | Weblog
2015/12/29放送


 世の光の時間です。ご機嫌いかがですか? 大嶋重徳です。今月は12月ですので主の祈りをお休みにして5週に渡ってイエス・キリストの父ヨセフが見たクリスマスの夢のお話をしてきました。
 この聖書の箇所にはこうあります。
 「ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
 このクリスマス・ストーリーの難しい所は夢であったということでしょう。夢の難しさは眠りから覚めるということです。ああ夢だった、と終わらせることもできるからです。夢は手応えも手触りもありません。余韻しか残らない。後に残るのは不確かな記憶のみです。しかし、ここで「夢から覚めたヨセフは主の使いから命じられた通りにした」とあります。

 なぜそうすることができたのでしょうか。実はこの物語が記されているマタイの福音書にこの物語の前にキリストの家系図が紹介されていることには大きな意味があります。ユダヤ人であるヨセフは、自分がイスラエルの王ダビデの家系であることを当然知っていました。更に、自分の家系からメシアの誕生があり、そのメシアがイザヤ章7章14節で「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」と記されていることも会堂で何度も読まれ、知っていたはずなのです。ヨセフは本当の所、この出来事の中で、イザヤ書のことばが何度も頭をよぎったことでしょう。ここで大切なことは、ヨセフは夢を見る前から既に神様のことばを知っていたということなのです。そして神のことばを知っていることと神のことば通りに生きることは違うのです。ヨセフが夢の中で見た主の使いのことばは、まさに神のことばを知っていたというところから神のことばに従って生きることへと、励ましてくれたのです。

 今日、私たちが1年間ラジオの前で聴いてきた神様のことばがあります。あなたはこの一年、どんな神様のことばを聴いてきたでしょうか。ヨセフは夢から覚めた時に、主の使いのことばの通りにイエス・キリストを受け入れたように、私たちも今年一年、聴いてきた神のことば、聖書のことばを夢のような思いで終わらせるのではなく、かけられたことばに生きる一歩目を踏み出したいと思うのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.12.29放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■希望溢れて / 関根弘興

2015年12月28日 | Weblog
2015/12/28放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今年も残り少なくなりました。この年の終わりに届けたい聖書のことばがあります。それはクリスマスの時に必ず引用される天の御使いが神様を賛美した時のことばです。
 ルカの福音書2章14節
 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。
 イエス・キリストがお生まれになった当時、それはローマ帝国が広大な領土を支配していた時でした。そして「すべての道はローマに通ず」と言われ、「ローマの平和」が築かれていました。当時の人々はローマ皇帝を「ローマの救い主」と言ったほどでした。しかし聖書には当時ローマで大絶賛されていた皇帝をもてはやすことばなど一つもありません。彼がもたらしたローマの平和を絶賛することばは一つもなく、家畜小屋でお生まれになった救い主イエス・キリストのもたらす本当の平和を記していくのです。

 ローマの平和は一体何をもたらしたのでしょう。もちろん物質的な豊かさをもたらしました。しかしその陰に多くのひずみも生じさせていったのです。

 私たちは今世界中のニュースを見聞きすることのできる時代に生きています。しかし情報が伝われば伝わるほど、人間の高慢と愚かさ、そして自暴自棄な行動、便利な世の中に住みながら本当の平和って一体どこにあるんだろうと考えさせられてしまうような、そんな情報をたくさんこの一年も見ました。

 しかし聖書は「地の上に平和があるように」と記しているようです。これはローマのもたらした平和とは違います。聖書の語る平和とは一体何でしょう。文語訳聖書では「地には穏やか、人には恵みあれ」とこの所を訳しています。文語訳では平和を「穏やか」と訳しているんですねえ。平和と一体何でしょう。愛と恵みに満ちておられる神様との親しい隔たりのない関係からくる穏やかさ平安なんです。

 旧約聖書の預言者イザヤは、救い主は「『平和の君』と呼ばれる」と告げています。イエス・キリストは「平和の君」として世界中すべての人のために来てくださいました。そしてイエス・キリストを信じる一人ひとりの罪を赦し、イエス・キリストは一人ひとりを愛してくださっているのです。愛されている平安を、赦されている穏やかさを与えてくださるんです。新しい年を迎えようとしています。栄光が神にあるように、そしてラジオを聴いているあなたの心の中にも穏やかさと恵みが溢れますように。

 (PBA制作「世の光」2015.12.28放送でのお話しより)

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■神の奇しいみわざ/羽鳥頼和

2015年12月26日 | Weblog
2015/12/26放送


 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
  主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。

                           イザヤ書 9章6節

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 昨日のクリスマスはどのように過ごされたでしょうか。今日はクリスマスにおける神のみわざについてお話しします。

 「みわざ」とは神の行われること、神の働きを言います。旧約聖書の詩篇86篇8節と10節には、神のみわざについてこのように語られています。
  「主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比ぶべきものはありません。
   ・・・まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。

 ここでは神のみわざは、他に比べることのできない比類のないものであり、奇跡のように不思議なすごいことである、と教えています。この詩篇で神のみわざとして覚えられているのが天地創造と人の救いです。神は何もない所からすべてのものを造りました。そして人が罪を犯してしまったので、人を罪の滅びから救うために、神は働かれたのです。神が考え実行された救いのみわざは、罪のためにいけにえが捧げられてその身代わりの死によって人が罪を赦され救われるということでした。

 しかし、いけにえが動物では一匹につき一つの罪しか赦されません。そこで神が行なったのは、神が人となって身代わりのいけにえとなることでした。

 この神が人となるという奇しいみわざが行われたのがクリスマスです。神が人となって生まれたことは、神の救いのみわざです。人となった神キリストは私たちの身代わりとなって十字架にかかって死んでくださいました。キリストの十字架こそ神の救いです。

 人を造られた神が人となるとは何と不思議なことでしょう。私たちを救うためであると知るならば、神が人となるとは何と恐れ多いことでしょう。神はそれほどまでにあなたを愛しておられたのです。クリスマスこそ神の愛を知る時です。

 明日は今年最後の日曜日です。キリスト教会では救いの神に礼拝をささげます。神の愛を知るためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
 


 (PBA制作「世の光」 2015.12.26放送でのお話より )
 
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■平和を告げ知らせる クリスマスの喜び/岩井基雄

2015年12月25日 | Weblog
2015/12/25放送

 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」イザヤ書 9章6節

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。岩井基雄です。
 あなたはどのようにこのクリスマスを祝っていらっしゃいますか? 旧約聖書のイザヤ書に次のようなことばがあります。
 「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、『あなたの神が王となる。』とシオンに言う者の足は。」
  旧約聖書 イザヤ書52章7節
 
 クリスマスの喜びは、まことの平和を告げ知らせる喜びであり、その喜びの原点には救いの喜びがある、と語られています。預言者イザヤが預言した南王国ユダの滅亡とバビロン捕囚は、イスラエルに対する神様の裁きであると共に、神様の不思議な守りでもありました。それは奪われた宝以上の祝福をもって神の民は約束の地へと戻ることになるからです。そしてペルシャに残った神の民にも神の救いの喜びとまことの平和と平安がその地で告げ知らされていきました。

 そして、数百年後に救い主イエス・キリストが誕生した時、このペルシャに近い地方から東方の博士たちが救い主の誕生を祝い、真の王を礼拝するために贈り物を携え、あらゆる犠牲を払って旅をしてきたのです。イザヤが語ったように、「あなたの神が王となる」という預言はこの時、見事に成就しました。

 このイエス・キリストこそ天地万物を創造された神ご自身であり、すべてに主権を持つ真の助言者、指導者だからです。そしてキリストは神のあり方を捨てて人となってこの地に来てくださり、命がけの愛を示してくださいました。この方こそ私たちの罪の裁きを十字架上で身代わりに受けてくださった平和の君なのです。それゆえあなたがこの救い主イエス・キリストをあなたの人生の主権者、王とする時、あなたの人生は恵みと祝福と喜びに包まれるのです。

 最初に礼拝した羊飼いたちや遠くからイエス・キリストを礼拝しに来た博士たちと共にあなたも心からこの救い主の誕生を祝いませんか? あなたの希望はここにあるのです。
(PBA制作「世の光」2015.12.18放送でのお話しより)

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■私たちに与えられる/福井 誠

2015年12月24日 | Weblog
2015/12/24放送

  「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」イザヤ書 9章6節

 世の光の時間です。クリスマス、おめでとうございます。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私たちに与えられる」です。

 今年のクリスマス、私の教会では小学校6年生の子がバプテスマ---キリスト教の洗礼---を受けます。正直私には、まだ早いかなあと思うところもありましたので、一年間準備クラスを持ってきましたし、またイエス様の十字架の話をしながら決心の内容を何度か確認する時を持ちました。

 イエス様は2000年前にこの地上にお生れになり、十字架の上でその尊い命を私たちの罪の赦しのために犠牲として捧げてくださいました。本来ならばこの私が神様の罰を受けなければならなかったのに、イエス様が身代わりとなって神様の罰を受け、苦しんでくださった。そのイエス様の大きな愛の行為によって今私たちは神様の子とされ神様の恵みを受け継ぐ者とされている。

 ま、そんなことを二人で確認したのです。その後、面白いエピソードがありました。その子は教会の執事のもとに行って「クリスマスの日に話す救いの証しの原稿を返して欲しい。ちょっと書き直したいから。」と話したのです。理由を聞くと、「今まで自分はイエス様は僕たちの罪のために十字架にかかったのだと思っていたけど、そうじゃなかった。僕たちじゃなくてこの僕のために死んでくださったと分かったので書き直したい。」のだと。

 イザヤは「一人のみどりごが私たちに与えられる」と言います。そのみどりごは私たちが困り果てた時に素晴らしい知恵を与えてくださる不思議な助言者です。人間の解決が尽きた時に神の解決をもたらす力ある神です。私たちに親の心をもってとこしえに寄り添ってくださる永遠の父、そして私たちの人生に平和を生み出す平和の君と呼ばれる素晴らしいみどりごは私たちに与えられるのです。けれども実際には私たちと言うよりは私たち一人ひとりのために与えられるのです。このクリスマスの日に、神はあなたのためにこそ御子を遣わされたことを、ぜひ教会の集会に出かけて知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2015.12.24放送でのお話より )

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■主権はその肩にあり/板倉邦雄

2015年12月23日 | Weblog
2015/12/23放送

  「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」イザヤ書 9章6節

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「主権はその肩にあり」という題でお話ししましょう。

 主権とは辞書を引きますと、「国家を統治する最高の権力」とあります。さてここでの聖書の主権は「神の主権」のことを言っています。イエス・キリストの肩に神の主権がかかっている、と言っているのです。神の主権とは神様がこの世界の営みをすべて計画したこと、そしてその計画に従ってこの世界を創造されたこと、そしてこの世界の営みと歴史を支配し、私たちの救いを成し遂げた事です。ちなみに神の主権が乗っかっている肩は単数ですからイエス・キリストはこの天地万物の創造と天地万物の支配と統治の権力を片方の肩で支えておられるのです。この神の主権を片方の肩で支配し統治することのできる方がイエス・キリストと言う人となってこの世に来てくださいました。そして迷える羊である私たち罪人を救う救い主としてこの世に来られたのです。

 ある時、取税人や罪人たちが皆イエス様の話を聞こうとして近寄ってきた時でした。すると分離主義者のパリサイ人がつぶやいて、「このイエスは罪人たちを迎えて一緒に食事をしている。」と言ったのです。そこでイエス様は一つの例え話をお話になりました。

 あなたがたの内に100匹の羊をもっている者がいたとしましょう。その一匹がいなくなったら、いなくなった一匹を見つけるまで探し歩かないでしょうか。そして見つけたら喜んで羊を自分の肩、---この肩は両肩です---、自分の肩に乗せ、家に帰って来るでしょう。

 イエス様は自分勝手で迷える私たちを両方の肩に乗せて迷いの道から救い出してくださるのです。
 イエス様のことばです。
 「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。
   ルカの福音書 19章10節 (新共同訳聖書)

 (PBA制作「世の光」2015.12.23放送でのお話より )

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■ヨセフを変えた神の夢 4 / 大嶋重徳

2015年12月22日 | Weblog
2015/12/22放送


 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『』不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」イザヤ書 9章6節

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。大嶋重徳です。
 聖書には婚約者マリヤの妊娠に思い悩み、婚約破棄しようとするヨセフに夢の中で現れた主の使いの物語が出てきます。

 主の使いはヨセフに語ります。
 「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる」(マタイ 1章21節)と。

 ヨセフは正しい人でした。神様に従って生きて行こうと一所懸命な人でした。人間的に言えばマリヤの犯したとみられる罪をかばうことにも一所懸命でした。ですが、ここで主の使いはヨセフの罪を問題にしているのです。

 この「罪」ということばの前には正しい人ヨセフの人間的な精一杯な判断の中にも神の前の完全な正しさなどはありません。実際ヨセフはマリヤが幾ら「聖霊によって身ごもったの」と言っても、マリヤを信じることはできませんでした。マリヤを守ろうとしたと言っても、それもまた自分が深く傷つかないように自分を守る自分中心の罪深い自分でしかなかったのです。この出来事でヨセフは自分の正しさ中にどうしょうもない限界を知らされたのです。自分の愛の弱さ、自分の愛の限界を知らされたのです。だからこそ主の使いの「ご自分の民を罪から救う」ということばがヨセフを捉えたのです。「ヨセフ、あなたもまたこの救いを受け取りなさい。あなたの罪の赦しを受け取りなさい。」 ヨセフにはこう響いたのです。

 自分の正しさに生きることに破綻したヨセフ、それは今日ラジオの前にいる私たちの姿でしょう。どこまで行っても愛のない自分、自分の正しさで大切な人を傷つけてしまう自分、自分の計画を握り締め、神様に従うことを拒む自分がずっと居続けているでしょう。
 クリスマスは私たちに、「この方にあなたの罪から救っていただきなさい」と語ります。「救われ続けなさい」と語るのです。「正しい顔をして自分でやっていけるような顔をするな」と。私たちはクリスマスを迎えるたびに、このご自分の民を罪から救ってくださる方によって何度も何度も赦され続けたいと思います。そして罪から赦された喜びに満ち溢れてこのクリスマスを過ごしたいと思うのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.12.22放送でのお話しより )

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■喜び溢れて/関根弘興

2015年12月21日 | Weblog
2015/12/21放送


 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
 主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

                             イザヤ書 9章6節

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 
 クリスマスそれはイエス・キリストの誕生を記念する時です。イエス・キリストはベツレヘムという村でそれも家畜小屋でお生れになりました。そんな寂しい場所で誕生なさった救い主のもとに最初にやってきたのは貧しい羊飼いたちでした。なぜなら羊飼いたちは、イエス・キリストがお生まれになった時、御使いのことばを聞いたからです。こんなことばでした。
 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ福音書 2章11節)

 当時の社会では羊飼いたちは貧しく軽んじられていた人たちでした。誰一人として羊飼いたちに「あなたがたのために救い主が来られるよ」なんて言ってくれる人などいませんでした。ところが御使いは、いの一番に羊飼いたちに「今日あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げたのです。

 「あなたのために」ということばは嬉しいですよね。他の人のためじゃないんです。「あなたのため」なんです。「イエス様はあなたの救い主なんですよ。」 そういうことばを聞いたんです。それもいつ来るか分からない救い主ではなく、「今日来てくださったんですよ。」と告げられたのです。

 クリスマスのこの時、あの羊飼いに語られたことばはラジオを聴いているあなたには実は語られていることをあなたは御存知ですか? 他の人ではなく、あなたのために救い主は来てくださったという、天からのメッセージです。

 クリスマスはどうして喜びが溢れるのでしょう。それはあなたのために救い主が来てくださったから、そこに喜びが湧き起こるのです。当時の羊飼いたちは貧しく、社会的地位も財産も何もない無名の人たちでした。しかし彼らは大きな喜びに満たされました。そして喜びを知った彼らは今度は多くの人に喜びを知らせる伝達者となっていきました。まさに人生の大逆転がクリスマスに起こったんです。そしてそれはあなたの人生にも起こるのです。

 (PBA制作「世の光」2015.12.21放送でのお話しより)

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