♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■アビヤ王の名乗り / 羽鳥頼和

2011年07月30日 | Weblog
2011/7/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 戦国ブームと言われてますね。私の住んでいる名古屋には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のゆかりの地があります。また小牧長久手の戦い、桶狭間の戦いなどの古戦場があります。古戦場跡に行くと昔の戦のことを想像します。

 戦の時に武士が「やあやあ、我こそは」と大声で叫ぶことがあります。これを名乗りと言います。名乗りとは戦において武士が敵に向かって自分の名前、身分、家系などの素性、功績、戦における自分の主張や正当性などを大声で告げることです。聖書の中に出てくる戦いの中でこの名乗りを上げている場面が幾つもあります。今日はその一つ。歴代誌第二の13章にあるアビヤと言う王様が上げた名乗りについてお話ししたいと思います。

 時はイスラエルの国が北と南に分かれていた時代、南王国の王であったアビヤは北王国のヤロブアム王と戦うことになりました。アビヤは山の上からヤロブアムと北王国のものどもよ、私のいうことを聞け、と名乗りをあげたのです。アビヤはまず自分の家系の正当性を主張しました。「神はダビデとその子孫に王権を与えると約束された。私はそのダビデの孫である。それに比べ、ヤロブアム、お前は前の王の家来の子ではないか。」 続いてアビヤは自分が神様に従い、正しい信仰持って国を治めていることを主張しました。そして自分に比べヤロブアムの行っている不信仰な行いを指摘しました。「ヤロブアム、お前は自分で金の子牛の像を作り、これを神とした。」と。そして最後に、「神様は私たちと共にいる。あなたがたは、まことの神と戦ってはいけない。」と名乗りを締めくくったのです。

 アビヤは勝利しました。聖書はこの勝利の理由を「彼らがまことの神に依り頼んだからである」というふうに説明しています。人は誰でも頼りになる存在を必要としています。自分を愛し支え、共に歩んでくれる存在が必要なのです。そして聖書は人が頼るべき存在がまことの神様であることを教えているのです。神様はあなたを理解し、愛し、支え、共に歩んでくださるお方です。まことの神様を知るためにぜひキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.7.30送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■深い喪失の中で / 岩井基雄

2011年07月29日 | Weblog
2011/7/29放送

 世の光の時間です。おかわりありませんか? 岩井基雄です。

 福島第1原発から5キロ以内にある福島第一バプテスト教会の牧師・佐藤 彰先生は3月11日の大地震・津波の問題が起こる中、原発の問題が生活を直撃し、すべてを置いて退去せざるを得ませんでした。2年前にあたらしく建築した新会堂を後にして、すべての生活を手離して避難なさったのです。

 まさに今まで積み上げてきたもののすべてを奪われ失うような現実を経験する中で、佐藤先生はあるインタビューに答えて次のようなことを話していらっしゃいました。「すべてを奪われ、すべてが失われるような現実の中でしか分からない恵みを経験しました。今まで当たり前だと思っていたものを失うことを通して本当に大切なものが何かを深く考えさせられ、また神様の深い恵みと愛を経験したのです。」と。

 私たちは様々なものを失ってみて初めてその大切さやその事にどれくらい依存してきたかに気がつかせられることがありますねえ。病気になってみて初めて健康の大切さを理解したり、大切な人との別れを経験する中で私たちがどれほどその方にお世話になり依存していたかに気が付くことがあります。自分の手で何かを握り締めてしまっていて手放すことができないでいることに気が付くのもそれを失うような場面に出会う時が多いですよねえ。あなたはいかがでしょうか。

 聖書にはこんなことばがあります。
 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 新約聖書 ペテロの手紙第一 5章7節 

 私たちは多くのことを心に留め、握り締め、心配し、ときには思い煩うこともあります。しかし、聖書が語る神様は私たちに自分が握り締めてしまっているものを手放して委ねるように任せるようにと語っています。それは神様があなた自身の事を心配し、あなたのことを配慮して導いてくださるからです。神様はどんな状況の中にあるあなたをも愛で満たし、平安で満たし、恵みで出してくださることがおできになります。様々なものを失うとき、私たちは握ってしまっているものを手放して神様に心からの信頼を置くことができるんです。あなたも思い煩いをあとにして本当の信頼の道へと進みませんか?

   (PBA制作「世の光」2011.7.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■国は汝のもの / 福井 誠

2011年07月28日 | Weblog
2011/7/28放送
  
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか?

 今日のバイブル・メッセージは「国は汝のもの」です。それではマタイの福音書6章13節から読んでみましょう。
 「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。

 山形県に鶴岡市という所があります。実は私も小さい頃そこに何年か住んだことがあるのですが、その鶴岡の町に明治開国の時代、ガルストという宣教師がいたそうです。彼は単税太郎( たんぜい たろう)とあだ名をつけられていました。それはクリスチャンの経済学者ヘンリージョージが唱えた単税論を日本で実践するように社会運動に力を入れた宣教師であったからです。ガルストは鶴岡市にやってきて宣教活動をしているうちに、小作人の余りに悲惨な暮らしを知るようになり、伝道しながら単税主義という経済理論で社会改革を進める必要があると考えるようになったのでした。

 単税主義のむつかしい説明をする必要はないと思いますが、ガルストが見知らぬ日本の片田舎で思い切った社会運動を起こした理由はよくわかります。それは土地は神のもの、国は神のもの、その土地や国を神様の御心に従って正しく用いなければならない、悪用してはならないと考えたからですね。国は汝のもの、つまりこの国の行政組織も会社組織も学校組織もすべては神様・あなたのものであるという信仰から社会の様々な矛盾を改革していく励ましも得られる訳です。

 しかし、国は汝のものというのは別の言い方をすれば、この国で起こるあらゆることに神の支配があることを認めることです。会社の人事移動にしても学校のクラス分けにしても近隣の人との出会いにしても一つ一つに神の支配がありすべてが主の許しのもとで起こっているということを認めるということですね。

 もしこういう信仰がしっかりしていれば私たちは会社や学校で起こる目先の事柄にあまり振り回されなくなることでしょう。いろいろと難しい状況が起こってもすべては神の支配にあると信じることができるならば、その難しい状況を神様が必ず良い方向に動かしてくださるはずだと期待することができるからです。神の支配を信じた歩みをさせていただきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.7.28放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■食べるに良く / 板倉邦雄

2011年07月27日 | Weblog
2011/7/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「食べるに良く」という題でお話しましょう。女性エバは悪魔の誘惑を受けました。神様のことばを疑いました。神様への不信が心に広がったのです。今日は誘惑の結果をお話しましょう。旧約聖書の創世記3章の続きです。

 まず第一に女性エバは「その木を見た」とあります。悪魔の誘惑は私たちを「見る」だけの人生へ駆り立てるのです。「見える」だけがすべてになるのです。「絶対」になっ行くのです。見えないものに目を注ぐことができないのです。聞く耳を持たなくなるのです。聞く耳がなければ信仰も生まれないのです。「信仰は聞くことから始まる」と聖書は言っていますね。 

 次に女性が木を見ると、その実は「食べるのに良く思われた」とあります。次に悪魔の誘惑は私たちをパンだけの人生へと駆り立てるのです。食べて飲んで寝る。仕事も食べるために働く。そして死んでゆくのです。それはちょっと人間としてむなしい。私達はパンだけで生きてゆけない存在です。イエス様は言われました。「人はパンだけで生きるものではなく、神のことばによって生きるものである。」マタイの福音書の4章4節です。

 さらに女性は「目には麗しく」思われたのです。美しいという文字は羊の下に大と書きますねえ。この文字の原意は大きな羊を神様に捧げることから派生したことばです。神様に捧げる美しさを女性エバは自分の目に捧げてしまったのです。まさに目の欲・自分の美だけを追求するようになっていくのです。

 最後に女性エバは「賢くなるには好ましく」思えたとあります。あれを食べたら、あれを飲んだら、美しくなれる。それだけじゃなく、何でも良く分って人よりも賢くなれると思えてきたのです。もう矢も盾もたまらなくなり、とうとう木の実をもいで食べてしまいました。そして側にいた夫アダムにも分けてやり、一緒に食べたというのです。

 この時から夫と妻は逆転しました。夫は妻に従うようになり妻は夫に従わなくなったようです。ですから聖書はこう勧めます。「妻よ、夫に従いなさい。夫よ、妻を愛しなさい。」エペソ人への手紙5章にはあります。

  ( PBA制作「世の光」2011.7.27放送でのお話より )


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通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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■希望に生きる喜び / 山中直義

2011年07月26日 | Weblog
2011/7/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 荒野を旅している時、人が最も必要としているのは希望だと言います。この荒野はやがて過ぎ去って、安全で豊かな地に必ずたどり着く、そんな確かで確実な希望があるとき、人は喜びを持って歩み続けることができるのです。

 旧約聖書レビ記2章に「穀物の捧げもの」ということが教えられています。人が感謝と喜びを持って神様と共に歩み続けるために神様はイスラエルの民に穀物の捧げ物を捧げるようにと命じられました。小麦粉に油と乳香を添え、それを焼いて神様に捧げるというこの捧げものです。

 しかし、当時のイスラエルの民は定期的に穀物が得られる状態ではありませんでした。彼らは奴隷として苦しめられていたエジプトを離れ、約束の地に向かって旅をしている最中でした。農耕地をまだ持たない流浪の民、そんな彼らはともすれば未来への希望を失い、今を生きる喜びを失いそうになりました。そんな彼らだからこそ穀物の捧げ物を捧げるようにと神様は命じられたのです。「やがてあなたがたは安全で豊かな地に必ずたどり着く。わたしがあなたがたを導くのだ。そこであなたがたは豊かな穀物を得るようになる。」 神様は彼らにそう約束しておられました。必ずその日が来る。穀物の捧げものを捧げることを通してイスラエルの民はその希望を持ち続けたということができます。

 私たちも荒野を旅しているような気持ちになることがあるのではないでしょうか。明日への希望を見いだすことができず今を生きる喜びを持つことができない。そんな私たちに神様はもし神を信じるなら神が共に歩んでくださること、そして神様が必ず安全で良い地に私たちを導くということを約束してくださっています。

 聖書のことばをお読みします。新約聖書ローマ人への手紙4章21節のことば
 
 「神には約束されたことを成就する力がある・・・」

 どうぞあなたも神様のことばを信じ希望を持って歩んでください。

    (PBA制作「世の光」2011.7.26放送でのお話しより )

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)



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■真直ぐに生きよう / 関根弘興

2011年07月25日 | Weblog
2011/7/25放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 えー、聖書を読んでいくと、たびたび出てくることばの一つに罪ということばがあります。聖書は、すべての人は罪をおかしている、神の前では皆罪人だ、と教えています。でもこの罪ということばは時々誤解を与えることばですよね。

 「あなたは罪人です。」なんて言うと「冗談じゃないよ。今まで人様から後ろ指指されたことなんてありませんよ。」とか、「お巡りさんのお世話などにはなった事がありません。」 まあこう考えることがあります。また時には、人と比べて「いや私より何々さんの方がよっぽど罪人ですよ。」と考えることがあるかもしれません。

 でも聖書は皆罪人だというのですが、もともとこのことばはどういう意味があるのでしょう。それはですねえ、罪ということばは「的外れ」という意味なんですね。「本来の状態からずれてしまっている」という意味なんです。要するにまっすぐではなく、ずれてしまっている状態を指しているというわけですね。

 ちょっと身体のこと考えていましょう。例えば体調がおかしくて病気になるということはどういうことでしょう。それは正常な状態からずれてしまっているということですよね。血圧が正常値よりも高いとか、血糖値が高いとか、本来のあるべき状態からずれを起こすことによって身体は病気になってしまうわけです。

 それでは私たちの心は一体どうでしょう。あなたは今日心に平安がありますか?

 また本来、人は愛されるべき存在ですよね。愛に生きるという姿は正常な姿です。しかしそれがずれていたらどうなるでしょう。そこには憎しみが増し分裂が始まります。そしてその結果大きな痛みを持つようになることでしょう。

 また生きる意味が分からなければ空しさが出てきます。でも本来、人は神様に創造されたものですから生かされているだけで存在そのものに意味があるし価値があるんです。でもズレが生じているとどうなるのでしょう。生きていてもしょうがない、自分なんて価値がないと勝手に見積もってしまうんですね。

 罪人とはズレ人のことなんですね。身体がずれていればすぐに病院に行って治療をしますよね。とするならば罪の解決のためにそのずれのためにあなたは一体どうしたらいいのでしょう。

 聖書のことばをお聞きください。
 ローマ人への手紙6章23節
 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 実はイエス・キリストが一人一人に与えてくださる救いこそ、罪の赦しとまっすぐな人生を、生き方をあなたに与えてくださると約束しているんですね。

 (PBA制作「世の光」2011.7.25放送でのお話しより)

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■エペソの町の騒動 / 羽鳥頼和

2011年07月23日 | Weblog
2011/7/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 使徒パウロが、伝道旅行をして、エペソという町に行きました。そこでの出来事が新約聖書の使徒の働き19章に記されています。

 エペソの町ですぐに12人の人がイエス様を信じました。パウロはそのあと3ヶ月間おもにユダヤ人に福音を語りました。しかしパウロの話を聞いて怒り出すユダヤ人が現れたので、パウロは別の所で毎日語るようになりました。エペソでの伝道は2年間続きました。これによって、エペソの町だけでなくエペソの町のあるアジア地方の人々もイエス・キリストの福音を聞くこととなりました。多くの人がイエス様を信じました。信じた人々は自分のしていた悪いことを告白し、自分が持っていた魔術の本を持ってきて人々の前で焼き捨てたのでした。イエス・キリストの福音が人々を大きく変えたのです。

 そんな時エペソの町で騒動が起こりました。アルテミスの神殿で神殿の模型を作って売っている人々が、パウロはアルテミスの神を軽んじている、と訴えたのです。町は大騒ぎとなりました。人々はパウロの仲間たちを捕えました。パウロは彼らの所に行こうとしましたが、余りに危険なのでパウロの弟子たちがパウロを止めなければいけませんでした。人々はますます熱狂的になり、危険な状態になってきました。その時、町の書記役の男が群衆をうまくなだめて落ち着かせ、彼らを解散させました。パウロはエペソのクリスチャンを励まして次の街に向かいました。

 パウロはよく騒動に巻き込まれました。しかしどこでも自分から騒ぎを起こすようなことはしませんでした。パウロは熱心にイエス・キリストを語りました。議論をすることはありましたが、人をバカにしたり批判することはなかったのです。

 パウロは自分が書いた手紙の中で、神は混乱の神ではなく、平和の神です(1コリント 14章33節)、と言っています。この平和の神に仕える者としてパウロは暴力を使うことをしませんでした。争いが多いこの世にあって人を大きく変えるイエス・キリストの福音は神との平和をもたらす良い知らせとして平和のうちに語られていくのです。

 聖書のことば

 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。   ヤコブの手紙3章18節

  ( PBA制作「世の光」2011.7.23送でのお話より )

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■本当の平安 / 岩井基雄

2011年07月22日 | Weblog
2011/7/22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 私たちは皆どこかで心の平安を求めていますね。私たちを取り囲む社会は私たちの心に様々な不安を与えるからでもあるでしょうか。この平安についてイエス・キリストは不思議な表現を用いて語りました。

 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 新約聖書 ヨハネの福音書14章27節

 イエス・キリストが十字架にかかられる前に弟子たちに語られたことばですが、ここには世が与える平安とキリストが与える平安の二種類があることが語られています。またキリストの平安をいただくときに心を騒がせることも恐れる必要もないことが語られています。どういうことでしょうか。

 平安ということばを広辞苑で引くとこう書いてありました。
「【平安】無事でおだやかなこと。安穏。」と。
 何事も問題がなく穏やかで安心できる状況を平安というのですね。

 しかし、キリストが与える平安は違う、と言います。実際キリストは荒れ狂う嵐の中の舟でぐっすりと休まれていました。弟子たちが慌てふためき、死をも覚悟するような恐怖の中でキリストはとっても平安だったのです。キリストの平安は、問題がないという平安ではなく、問題があっても嵐のような状況の中でも死さえ覚悟するような痛みの中でも安心で穏やかでいることのできるいのちと力のある平安なのです。

 キリストにこそ永遠のいのちと愛と力があります。その方があなたの罪のために十字架にかけられた。あなたの代わりに神のさばきを受けられたこと、そして三日めに死からよみがえられたことによって完成した真の平安こそがキリストの平安なのです。あなたの問題を全部引き受け、赦しと勝利を成就し、いのちと力ある平安をキリストは完成されたのです。

 だから今あなたがどのような苦しみや痛みや恐れの中におられようと、このキリストの平安を受け取るとき、あなたは恐れる必要がない真の平安を自分のものとすることができるのです。

 それではまた聴いてください。 

   (PBA制作「世の光」2011.7.22放送でのお話しより)

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■逃げるが勝ち / 福井 誠

2011年07月21日 | Weblog
2011/7/21放送
  
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。
 今日のバイブル・メッセージは「逃げるが勝ち」です。それではマタイの福音書6章13節から読んでみましょう。
 
 「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

 私たちは「試みに会わせず」というよりは試みに打ち勝つことの方をいつも考えているものではないでしょうか。「頑張ろう、為せば成る。」 そんな掛け声で苦しいところを乗り越えていく、そういう生き方が良いのだと考えていることはないでしょうか。

 戦国時代の武将で山中鹿之助という人がいましたが、その武将は三日月が出ると、三日月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったと言います。様々な苦しみや悩みを克服して強くなることを求めたのだと言われます。どうやら苦しいところを乗り越えていくのが善であるという発想が日本人の DNA にはあるのかもしれませんねえ。

 しかし聖書の教える事は、試みに打ち勝つよりも試みに会わないように求めることですね。一言で言えば「逃げるが勝ち」という感覚が教えられているような気がしますね。

 イエス様は私たちに「私たちを試みに打ち勝たせてください。悪に打ち勝たせてください。」と精魂込めて祈るようにはお勧めになりませんでした。むしろ「私たちを試みに会わせないで悪からお救いください。」と祈るように勧めたのです。戦闘的な生き方ではなくてむしろ逃げの姿勢で生きることが許されているというのは驚きですが、ある意味でほっとするところですねえ。

 イエスの使徒パウロも、神様は試みに耐えることができるように脱出の道を備えてくださる、と語りました。脱出ですね。逃げ道を用意してくださっているというのです。

 それは物事には変えられるものとそうでないものがあるからなのかもしれません。変えることのできないものを変えようと努力することほど辛いものはないですね。努力が必要な時もあれば、あっさり逃げてしまうことが良しとされることもある。神様はいつでも私達にふさわしい助けを用意してくださっているということを信じて、肩肘張らずに歩ませていただきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.7.21放送でのお話より )

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■堕落の原因 / 板倉邦雄

2011年07月20日 | Weblog
2011/7/20放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「堕落の原因」という題でお話しします。

 今日から創世記の3章に入ります。1章から2章は、天地万物の創造、人間の創造、そして結婚の制度が描かれていました。しかしこの3章からは人間の堕落が描かれています。まずは人間の堕落の原因を観察したいのです。置かれた物が落ちるには必ず原因がありますよね。さて突然、最も悪賢くてずるい蛇が登場してきます。この蛇は動物の蛇ではありません。聖書では悪魔とかサタンと呼ばれ、全世界を惑わす霊的な存在者です。堕落した天使のボスと言っても良いでしょうか。天使ですから光の天使に偽装することだってできるのです。その光輝く天使に偽装した悪賢くずるい悪魔が女性のエバに近づいたのです。

 惑わしの声はこうでした。園にあるどの木からも取って食べるなと本当に神は言われたのですか? 悪魔の誘惑の第一は、私たちに疑いを持たせるということでした。女性エバは慌てて答えました。「そんなことはありません。食べるのはちっとも構わないのよ。ただね、園の中央にある木の実だけは食べちゃいけないの。そればかりか触ってもいけないの。さもないと死んでしまうって神様はおっしゃった。」

 さて狡猾な悪魔の第二番目の声は断定的でした。「あなたがたは決して死ぬことはない。その実を食べたら善と悪の見分けがつき、神様のようになっちまうもんだから。・・・おどかしをかけてるんですよ。」 私たちの罪の堕落と死とは私たちより巧妙で悪い賢くて力のある、天的な悪魔から来たものです。それだけに私達人間は自分の知恵や力では解決できない深刻さを持っているんですね。私たちの罪の堕落と死からの救出は、堕落天使・悪魔よりも力のある天の神様からくるのです。

 聖書のことばです。
 「イエスもまた同様に、それら(血と肉)を備えておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。
  ヘブル人への手紙2章14節と15節

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