♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし -4 / 大嶋重徳

2017年02月28日 | Weblog
2017/2/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神様と人との間に結ばれた約束があります。
 今月から十戒を通して聖書の語る神様を学んでいきたいと思います。

 十戒に最初に出てくる第一戒は、私たち人間が罪の奴隷の家にいたことを語り、自由を失い、真理を失い、生きる意味を失った奴隷状態にあることを伝えます。十戒は、人間はどこまでも罪人であり、人間の罪の悲惨さの中にあることへの自覚を促します。しかし私たち人間は、神様を信じることなどよりも自分を信じていたいものです。人類の可能性を信じ人類の進歩を信じたいものです。しかし世界は、二度の世界を巻き込んだ戦争を経験し、更に今だ止むことのない人間の殺しあう現実が続いています。オリンピック選手たちが、最後は自分を信じて、と言いました。しかし私たちは、自分ほど信じられないものはないほどの弱さを抱えた自分のことも否定できません。あるいは所詮世界なんてこんなものだ、人生なんて真理などない、本当に正しいものなどない、結局良いものなど何もない、と諦めてしまおうとするかもしれません。世界を悲観的に見つめ、自分を含めた人間を諦めてしまうと思っているかもしれません。

 しかし十戒は人間は、罪の奴隷だと語りながらも、同時にあなたを奴隷のままで終わらせないと宣言するのです。十戒を人間に与えようとした神様は、あなたを諦めずあなたを救い出す、そんな神様がいるのだと十戒を手にする私たちに今日も語るのです。この世界には神がおられる。神は世界と人間とを計画をもって造られた。その人間が罪を犯し約束を破ってしまって罪の中に居るけれども、今もあなたを罪の奴隷の家から救い出すことを諦めていないと神は言うのです。もしあなたが、私の人生は所詮こんなものだ、と奴隷のような感情に縛りつけられて変わることを諦めてしまいそうになっていたとしても、神様はあなたを救い出す。そのために十戒を与えたのだと語ります。この神様の情熱が私たちの前にあるのです。この救いの神に生かされて今日を歩みたいと思います

  ( PBA制作「世の光」2017.2.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■み国がきますように/関根弘興

2017年02月27日 | Weblog
2017/2/27放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様は御自分と共に生活していた弟子たちにどのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では「主の祈り」として毎週、礼拝で祈られているものです。

その中でイエス様は「御国が来ますように」と祈れ、と教えられました。「御国」とは神様が支配してくださるところです。ですから、「御国が来ますように。」という祈りは、「神様、あなたが私の全人生を、またわたしの関わりがある一人ひとりの人生も支配してくださいますように。」という祈りなんですねえ。

 私たちの人生は誰かにあるいは何かによって支配されています。いや、その事はない、私は誰にも支配されていない、自分の人生は自分で決めている、そう考えている方もいらっしゃるかもしません。でも、そういう方は、自分の人生は自分で決めるのが一番良いという考え方に支配されている訳です。私は神など信じないという方は、神は居ない、神は必要ない、という考えに支配されているだけなんですねえ。人は必ず何かに支配されているんです。

 ですから問題は、何によって支配されているかということです。それによって人生は大きく違ってきます。怒りや憎しみに支配されていたら人生は悲惨なものになるでしょう。また物質に支配されていたら物質を失うとすべてが終わってしまったかのように感じるでしょう。でも、もし愛と真実に満ちた神様があなたを支配してくださるなら、それはどんなに平安が待っていることでしょうか。そしてその支配が永遠に続き、決して移り変わることが無いとするなら、私たちにとって最も大きな安心ですね。

 「御国が来ますように。」と祈ることは、毎日の生活の中で神様の愛と真実の支配を受け入れて歩んで行きます、という祈りなんです。そしてその神様の支配が私の周りの一人ひとりにも及んで行きますように、と祈る訳ですねえ。

 またこの祈りは、私たちがこの地上の生涯を終えてからも永遠の神様の御国に住まうことができるように、という祈りでもあります。聖書は、私たちは天に国籍を持つ者とされている、と教えています。私たちは「御国が来ますように。」と祈り、やがて来る天の御国を待ち望みながら今を生きていくことができるんですね。

 (PBA制作「世の光」2017.2.27放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■喜んで神に仕えよ / 羽鳥頼和

2017年02月25日 | Weblog
2017/2/25放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書申命記28章からお話しします。28章にはイスラエルの民に対する神の祝福と呪いが語られています。その内容はこのようなものです。

 神の命令に忠実に従うなら神は素晴らしい祝福を与える。しかし神の命令に従わないなら神は恐ろしい呪いを与える、というのです。そこには特徴が二つあります。一つは呪いについての文章が祝福のそれよりもおよそ5倍も多いということです。それだけではありません。二つ目の特徴は、それらの呪いのことばは最初の文章は神の命令に従わないなら神は恐ろしい呪いを与えるという文章なのですが、その次からの文章は全部、神の呪いが起こると言われているのです。このように「呪われる」と断言しているのはイスラエルの民が神に逆らい続けてきたという事実があるからです。それでモーセは、絶対に神に従わなければならないのだ、という強い信念でこのように語っているのです。

 モーセはまたこのようにも言っています。
 「あなたがすべてのものに豊かになっても、あなたの神、主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので、あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。」(申命記 28章47節、48節)
 神に仕えようとしないので、あなたは敵に仕えることになる、というのです。モーセはこのように言いながら、神に心から喜んで仕えるように、と強く勧めているのです。

 旧約聖書詩篇51篇12節に、このような神への願いがあります。
 「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。

 神によって救われた事を忘れずに、むしろその喜びをいつも覚えて神に喜んで仕えるなら、本当に幸せな人生を送ることができ、どんな苦難にも耐える神の支えがあるというのです。

 私たちも同じです。イエス・キリストによって救われたことをいつも感謝して神に喜んで仕えようと願うなら、神は幸せな人生を与え、私たちを支えてくださるのです。

 明日は日曜日です。救いの喜びを得るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.2.25放送でのお話より )
 
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が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■人生を変える恵みの出会い  竹田俊造 / 岩井基雄

2017年02月24日 | Weblog
2017/2/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、先月は松江バンドを導いたバークレー・バックストン宣教師について学びました。今日は彼に導かれた竹田俊造について学んでみましょう。

 明治6年、和歌山で徳川家の漢医の息子として生まれた竹田俊造は、大阪の泰西学館で学ぶ時、クリスチャンの宮川館長に導かれ、16歳でイエス・キリストを信じ洗礼を受けます。そして新島 襄が開いた同志社大学に入学し、在学中にバックストン宣教師と出会うのです。そしてこのバックストンの愛と恵み溢れる説教に感銘を受け、改めて神の前に自分の罪を認め、心から悔い改めました。そして大学を中退し、松江市でバックストン宣教師からの訓練を受けて行くのです。

 さらに彼にとって最大の出会いは、明治30年、鳥取県境港で迎えたパゼット・ウィルクス宣教師との出会いでした。牧師の次男として生まれ、オックスフォード大学で学んだウィルクスはバックストンからのチャレンジを受け、福音宣教のために来日したのです。竹田俊造はその後27年間彼と一緒に働く事になります。

 一つの出会いが人生を変えます。竹田俊造は神様の御手の中、様々なクリスチャンと出会い、愛と恵みを伝え続けていく器へと整えられていきます。バックストンの帰国後、竹田俊造はウィルクス宣教師を中心に、他の牧師たちと共に神戸に日本伝道隊を組織します。その働きの中心は神戸聖書学校におかれ、校長に竹田俊造が就任します。そして多くの伝道者を育て行くのです。

 キリストと出会い、二人の宣教師を通して人生の転換を迎えた竹田俊造はキ、リストの愛と恵みを大胆に伝え、また人を育てる器として用いられていったのです。

 あなたの人生もイエス・キリストとの出会いを通して豊かな愛と恵みに導かれていくことができます。どうぞあなたもお近くのキリスト教会に行き、愛といのちへの新しい人生を始めてみませんか?

 聖書のことば
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
    新約聖書 コリント 第二の手紙5章17節

 PBA制作「世の光」2017.2.24放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
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■万軍の主がそれを計り / 福井 誠

2017年02月23日 | Weblog
2017/2/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「万軍の主がそれを計り」です。それではイザヤ章23章9節から読んでみましょう。

 「万軍の主がそれを計り、すべての麗しい誇りを汚し、すべて世界で最も尊ばれている者を卑しめられた。

 地中海の東沿岸の都市ツロに対するメッセージが語られます。実に興味深く思うのは、イザヤは、自分の国イスラエルだけではなく、イスラエルを取り巻く周年の国々に広く神のことばを語り伝えている所ですね。というのも、神はイスラエルだけの神ではないのです。人類を造られだ神は全人類の主であり、全世界の一人ひとりに愛の心を注いでおられますね。すべての人が神の愛の対象なのです。

 さて、それらの国の一つであるツロはイスラエルの沿岸から550メートル離れた小さな島に建てられた港町です。神様の関心はそんな小さな離島に注がれていました。そして神のことばがイザヤを通して伝えられます。地中海の西の端にあるタルシシュ、現在のスペインからツロに向かう商船がその旅の途上で行き先のツロが滅ぼされてたという驚く知らせを聞くようになるだろうと。誰もそんな話に耳を傾ける人は居なかったようですね。実際、当時栄え賑わっていたこの小さな都市が滅びて交易船が行き先を失って海上を漂うなど誰も想像し得なかったのです。けれどもそれが起こるのだ。神がご自身の主権によってそれを起こすのだと言うのです。恐るべきは神の主権ですね。神は誰も起こり得ないと思わざを行うお方です。私たちが平安に暮らせるのも神の守りがあればこそです。しかし私たちの多くは自分たちの努力で安心を得ようとしていますね。これで大丈夫だと思うよな生活や仕事を得ようと努力しています。繰り返しますがそうした安心や安全を与えてくださるのは神様です。神様がお許しにならなければ突如足をすくわれるハメになります。逆に言えば、何の保証が無い様にも見えても、全世界の支配者である神を認め、神に信頼して生きるならば、神様に守られるのです。神を恐れ、神の導きと守りを覚えてへりくだって歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.2.23放送でのお話より )

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■岩から水を / 板倉邦雄

2017年02月22日 | Weblog
207/2/22放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「岩から水を」という題でお話ししましょう。

 岩から水を出して家畜や人々の渇きを救ったモーセの話です。

 さてイスラエルの人々がチンの荒野に入り、カデシュに宿営しました。その頃、人々は水が不足して得ることができなかったので相談し、集団でモーセとアロンに迫りました。
 「なぜあなたがたは神の民をこの荒野に導いて私たちと私たちの家畜とをここで死なせようとするのですか? どうしてあなたがたは私たちをエジプトから連れ出してこんな悪い所に導き入れたのですか。ここでは種も蒔けないし、果物は取れない。それに飲む水すらないのです。」(民数記20章4節、5節参照)

 そこでモーセとアロンは会衆の前を立ち去り、神の幕屋の入口に行って主なる神様の前にひれ伏しました。すると主なる神様の栄光の輝きが二人を包み込むように現れ、モーセに語りかけられました。
 「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。(民数記20章8節)

 それからモーセとアロンとは一緒に会衆を岩の前に集めて言いました。「反逆者たちよ、聞きなさい。私たちがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのか!」 モーセは手を挙げて杖で岩を二度打ったのです。すると水がたくさん湧き出たので人々と家畜は飲み、癒されました。(民数記20章10節、11節参照)

 ところでこの水を出して人々と家畜を癒した岩はイエス・キリストであると新約聖書で解説されています。
 「わたしたちの先祖は・・・・みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。」 
    第一コリント人への手紙の10章の4節にあります。

 イエス・キリストはこう言われました。
 「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。       ヨハネの福音書8章の37節と38節
 
  (PBA制作「世の光」2017.2.22放送でのお話より )

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■十戒 -自由への励まし- 3 / 大嶋重徳

2017年02月21日 | Weblog
2017/2/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神様と人との間に結ばれた約束があります。
 今月から十戒を通して聖書の語る神様を学んでいきたいと思います。

 十戒に出てくる最初のことばに、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(出エジプト記 20章2節)ということばがあります。神様は私たち人間を造るとき、「これを取って食べてはならない」(創世記 2章17節参照)という約束を与えられました。これは人間が約束を守って生きる存在として造られたことを表しています。しかし、人間はこの約束を守ることができずに、取って食べてはならない、と言われた木から取って食べ、神様との約束を破り、罪を犯しました。その時から私たちは、神様の愛の中で自由に生きることができなくなりました。そして、したいと思う良いことを行うことよりも、かえって、したくない悪を行うようになってしまいました。本当は夫のことを大切にしたい、でもでききない。あの人に謝りたい、でも自分からごめんなさいと言うことはできない。私たちは大切な人を愛したい、大切にしたい、と願いながらも、私たちの口から出ることばや行動は周りの大切な人を傷つけたり関係を壊してしまったり。また傷つけられたり、辛い思いに落とし入れられたりします。そこは自分の願っている生き方からほど遠く不自由です。かえってしたくないをさせられ、窮屈で悔しく悲しいもので、それはエジプトの地で奴隷のように生きているような毎日かもしれません。

 しかし十戒があなたに生きて欲しいと願っていることは、あなたがその奴隷のような生き方から抜け出すことで、そのための指針を与えようとしているのです。そして何よりもまず十戒は私たちに、あなたは奴隷の家にいた罪人なのだ、救われなければならない、そことを自覚させようとするのです。

 あなたは今日いかがでしょうか。私は自由だ。何にも縛られずに生きている、と言えるでしょうか。もし言えるならば、あなたのその自由奔放な生き方のために誰かが犠牲になり誰かを痛めつけている現実に気が付いていないのかもしれません。十戒が最初に語るのは、あなたは罪の中にいる。その罪の中から解放される道筋がある。その自由への道に共に生きて行こうではないか、ということなのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.2.21放送でのお話しより )

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■み名があがめられますように / 関根弘興

2017年02月20日 | Weblog
2017/2/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様は御自分と共に生活していた弟子たちにどのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では「主の祈り」として毎週、礼拝で祈られているものです。

 イエス様はまず、「天にいます私たちの父よ。」(マタイ 6章9節)と呼びかけることを教えられ、「御名があがめられますように。」(マタイ 6章9節)と祈りなさいと教えられました。御名とはお名前ということですね。これは神様ご自身を表しているんです。ですから、神様があがめられますように、という意味ですね。

 ではなぜ「神様が」ではなく、「御名があがめられますように」と言っているんでしょう。 旧約聖書の十戒の中には、神様の御名をみだりに唱えてはならない、という戒めがあります。ユダヤの人たちはその戒めを厳格に受けとめて、聖書の中に神様のお名前を表すことばが出て来ると、そのまま発音することをせずに、「主」、ヘブル語では「アドナイ」と読み変えたんです。それと同じ理由から、「神様」とはっきり言う替わりに「お名前」ということばを使うことがよくあったんですねえ。ですから「御名があがめられますように」というのは、神様があがめられますように、という祈りなんです。

 それでは、「あがめられますように」とは具体的にどういうことなのでしょう。このことばは「聖なるものとされる」という意味があります。と言っても神様は初めから聖なる方ですから私たちの祈りによって神様が聖なるものとなりますようにと言うそんな意味ではありません。そうではなくて、神様が聖なる方であることをすべての者が認めるようになりますように、というそういう祈りなんです。

 私たちが、「御名があがめられますように」と祈る事は神様がきよい聖なる方であり主なる方であることをすべての人々に知らせ、すべての人が認めていきますように、そういう祈りなんです。私たちの現状はどうあれ、神様の力は変わることがありません。神様の偉大さも決して変わることがありません。だから私たちが神様の完全さや力を疑ったり否定したりするのではなく、神様、あなたはすべてを良きにしてくださる主であり、偉大なるお方です、とあがめていくのです。そしてその祈りによって確かに神様は主であり、そして力強い方であることをあなた自身がこの祈りを通して味わうことができるのです。

 (PBA制作「世の光」2017.2.20放送でのお話しより)

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■モアブ人を救う神 / 羽鳥頼和

2017年02月18日 | Weblog
2017/2/18放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
聖書には、これは厳しいなあと思うようなことばがあります。今日は申命記23章にあるそんな神の厳しい命令についてお話しします。

 エジプトを脱出し、荒野を40年間さまよい、やっと約束の地に入ろうとしているイスラエルに、神は厳しい命令を言われました。「モアブ人は主の集会に加わってはならない。」(申命記 23章3節) そして神はその理由を語られました。「この命令を下すのは、モアブの王がイスラエルを呪うためにまじない師を雇ったからである。」(申命記 23章4節参照)  実際には呪い師バラムの祈りに神は耳を貸さず、返って神はイスラエルのために呪いを祝福に変えられました。それは神がイスラエルを愛しておられたからでした。イスラエルを呪うようなモアブ人は神の民イスラエルに入ってはならない、と神は言われたのです。このように神が厳しく言われるのはモアブがひどいことをしたからです。

 それでは神はモアデ人を愛しておられないのでしょうか。そうではないはずです。聖書を読むならば、神はモアブの人々も救おうとされていることが分ります。神はモアブをも救われます。

 ルツという女性がその良い例です。ルツはモアブの女ですがイスラエルの神を信じてボアズと結婚します。そして彼女はダビデの祖父であるオベデを生むのです。新約聖書のマタイの福音書の1章に記されているダビデの子孫イエス・キリストの系図にルツは入ることができました。神の民に入れられ、その上、救い主の系図に名を連ねるという栄誉を受けたのです。

 更に旧約聖書のエレミヤ書48章47節には、「終わりの日に、わたしはモアブの繁栄を元どおりにする。」という神の約束が記されています。神はモアブ人も愛しておられるのです。

 新約聖書のテモテへの手紙第一2章4節もこう言っています。
 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

 神はあなたが救われることを望んでおられ、救いの道をイエス・キリストによって用意してくださっています。

 明日は日曜日です。神の救いを知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

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■安息日の主 / 岩井基雄

2017年02月17日 | Weblog
2017/2/17放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。前回は、新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるような命あふれる人生の祝福を学びました。今日はそれに続く箇所です。

 この背景には安息日律法と呼ばれる問題があります。神が創造のわざを休まれたことを覚える安息日は人が働きを止め、神を心から礼拝するという目的がありました。しかし律法学者たちはその趣旨を離れ、安息日には働くな、と口伝の律法を作り、安息日に歩ける距離や仕事を制限し、人を癒すことも禁じたのです。そのため、彼らはキリストが安息日に手の萎えた人を癒すかどうかを注視しました。聖書はこう語っています。
 イエスは手のなえたその人に、手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
   新約聖書 マルコの福音書3章3節から5節

 キリストの心の中心は、人を癒し解放する愛でした。癒された人の喜びや感動を共有せず、安息日に人を癒したことを責める律法学者たちは、キリストに怒りを覚えます。しかしこの癒しこそ彼らに対するキリストの愛のわざでした。彼らを含めすべての人が自分の心の闇を認め罪を認める必要があるからです。自分の罪を認め、赦しと恵みに生かされていくとき、どんな人も新しいぶどう酒に表わされる命溢れる人生へと変えられていくことができるからです。

 キリストはこの奇跡のわざと共に、愛の光を通して彼らの心の闇を照らしてくださったのです。律法学者たちの問題は、自分の心の闇を認めない頑なさでした。高慢で固い心は真の愛や命に気がつかずに、恵みと愛と赦しを過ぎ去らせてしまうことがあるのです。あなたも心を開き、自分の心の闇を認め、イエス・キリストの愛と恵みのチャレンジを受け取って行きませんか? あなたは愛されているのです。

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