♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神に近づいて申し上げる

2008年01月31日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日は聖書の中の創世記18章23節から読んでみましょう。

 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。

 先日、旧約聖書の哀歌という書を読みました。そこにこんなことばがありました。

 夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。(哀歌 2章19節)

 このことばを読みながら、バンコクに出張した時のことを思い出しました。夜、街を歩きましたら、路上に、ほぼ十メートル間隔に子どもたちが寝転がっています。小銭の入ったと空き缶を小脇に抱え、ぐっすり眠りこけているのです。何とも痛ましい思いがしました。それから一ヶ月後、哀歌を読みながら、そんな記憶も薄れかけていて祈りのない自分を改めて思わされました。「あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。」と、聖書には語られています。街頭で弱り果てている子どもたちを見ながら、社会正義のなさに憤りはしても、神に祈り、祈り続けられない、神の前に本当に不十分な自分というものを思わされました。必要のある子どもたちのために祈る大切さを改めて思わされたことです。

 ここで、アブラハムは神に近づいて申し上げたとあります。神がソドムという町の腐敗と邪悪さを御覧になり、これを滅ぼそうとした時に、アブラハムという人物は神ににじり寄って、町を滅ぼさないでください、と執りなしの祈りを捧げるのです。そこに十人でも正しい人がいたら滅ぼさないでください、と。このように神に執り成す祈り手が今の時代にも求められているのではないでしょうか。

 しかし実は、あなたのために天で執りなしておられるイエス・キリストという方がいます。ぜひこのイエス様をあなたに知っていただきたいいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2008.1.31放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10
         自由ケ丘キリスト教会内
 電話052-762-2196 へ

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■福音の四季 : 神様の御目

2008年01月30日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。宮崎県宮崎市にお住まいの染谷さんからいただきました。

 ---- 先生に贈っていただいた蓑輪れいか先生の、みことばの色紙がありますが、この頃特に心にかかっています。そこに書かれた「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」  詩篇 63篇8節のことばですが、どうぞお元気で。------

 染谷さん、いつも美しい野の花の絵を添えてのお便り、ありがとうございます。蓑輪先生と言えば、私たち三人で共に出版をした『野の花のように』、先生にとって遺作となりましたことは懐かしいですね。

 さあ今日の福音の四季のメッセージは、「神様の御目(おんめ)」というテーマです。聖書は申命記11章12節で、いつも新年になると読む聖句です。

そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。

 昨年夏、同居している身、末娘の所に第四子が与えられました。小学2年生を頭に四人ですから、彼らの母親は、一人ひとりの行動に目を留め、一人ひとりの必要に適格に対処しているのに感心させられます。

 私たちの神様は母親どころではありません。私たちの心の中にまで目を留め、見守ることのできるお方です。

 年の初めから終わりまで、つまり絶えず愛と感心とをもって私たちの国と私たち一人ひとりに目を留め、見守って助けてくださっておられるのです。神様がいつも私たちに御目を注いでいてくださるのは愛の故です。それならば私たちも神様の御心にいつも私たちの心の焦点を合わせているべきではないでしょうか。

 聖書のことば

 「そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。
 旧約聖書 申命記11章12節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2008.1.30放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
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■すべての災いから

2008年01月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日も最初に詩篇121篇のことばから紹介いたします。

 「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。」(7節)
 
 神様はあなたを守る、と聖書では約束しています。そしてその守りはすべてのわざわいからあなたを守るのだ、と教えているんです。本当でしょうか。

 「いやー、私の知り合いは先日交通事故に遇いましたよ、病気にもなりましたよ、会社が思うように行かず倒産してしまいましたよう・・・。数え上げたらきりがないほど人生には災いと思えるようなものが襲ってくるではありませんか。」 こう反論されるかも知れませんね。

 イエス・キリストもこう言われました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書 16章33節)

 イエス様だって患難があるって言っているではありませんか。どうしてすべての災いから守られるなんてことが信じられるでしょう。そう考えますか? ちょっと待ってくださいね。ようく読んでください。すべての災いが起こらない、とは書いてありません。災いがあるけれどもすべての災いからあなたを守る、と聖書は教えているんです。

 私は病の中にあっても現実の困難の中に直面していても守られている多くの人を知っています。確かにこの世にあっては病があるし事故もあるし、突然の悲しい出来事も襲います。これは誰であっても例外なしです。しかしそうした悲しみや困難と思える出来事の中にあってもしっかりと希望を告白し、守られて生かされている人もいっぱいいます。

 私の妹は、今ふたりの子どもがいます。しかし下の子は障碍を持って生まれました。妹にとってそれは大きな悲しみであり、辛い出来事でした。しかし一緒にその子と生活していくうちに、その子のありのままを受け入れ、神様が与えてくださった大切な存在として受け入れ、今は笑顔が絶えない家庭を築いています。

 氷点などの小説を書いた作家・三浦綾子さんは、それこそ病気の問屋のように次から次へ病を背負っていきました。しかし病の中でキリストの愛を、神の愛を多くの人に伝える執筆活動を生涯続けて来られたんです。神様の守りなくしてできることではありませんよね。

 聖書はイエス・キリストに信頼する者は失望に終わらない(ローマ人への手紙 10章11節参照 、ペテロの手紙第一 2章6節参照 )、と書かれています。ですから人生に失望はあります。しかし失望に終わらせない神様の守りがあることを教えているんです。神様に守られて生きるということは、何と大胆なそして積極的な生きざまでしょう。あなたもこの神様の守りの中に生かされていきませんか?

 ( PBA制作「世の光」2008.1.29放送でのお話しより)

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■たとい、倒れても

2008年01月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。

 えー、聖書の中に詩篇の37篇という所ですけれども、こういうことばがあります。

 「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。」(23節、24節 口語訳)

 えー、私はこのことばによって励まされたことがしばしばなんですねえ。で、ここには、「たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない」ということばがあるんですけれども、私たちはしばしば倒れる、失敗する。もしかしてもう立ち上がれないだろうか、と思うようなそういう場面に直面することってある訳ですねえ。でもこの聖書のことばにあるように、たとえ倒れても全く打ち伏せられることはない。そこには、その手を助け支えられるお方がいるからだというこのことばに本当に励まされる訳ですけれどもね。

 イエス様のお弟子さんでペテロという人がおりましたね。この人は本当によく失敗をする人でした。(彼は)ある時には波の上を歩いてというふうな、そんなびっくりするようなことをできたこともあったんですけれども、でも波を見て風を見て沈んでしまって「助けてください!」って。その時にイエス様が手を差し伸べてそのペテロを引き上げてくださったという所が(聖書に)ありますね。

 私たちも、しばしば沈んでしまいそうな時に、手を差し伸べてくださるお方がいる、ということを知ることは幸いなことだと思いますねえ。

 もう今年も新しい年を迎えたと思いましたら、間もなくこのひと月、一月が終わろうとしていますよね。考えてみますと、このひと月の間にも、うーん、初め考えていた計画とは違うなあ、というような、そういう失敗もあったかも分かりません。これからも私たちの歩みの中には失敗したりですね、様々なことがあるかと思うんです。

 でもある人が言っていますように、失敗というのは諦めてしまう時に起こるんだということ。また私たちの人生には、もし私には失敗なんてことはないという方がいたらその人こそ人生の失敗者だというふうな言い方もあります。ですから、失敗はつきものかもしれませんけれども、その失敗を通してもっと素晴らしいものをそこから得ることができると前向きに受けとめてですね、決して倒れたまま失敗のままでは終わらない、ここから得るものがあるのだと、そこに手を差し伸べてくださる主を信じて頑張っていきたい。そう思いますね。


 ( PBA制作「世の光」2008.1.28放送でのお話しより)

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■光はやみの中に輝いて

2008年01月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ、今日の世の光は、皆様からお寄せくださる心に残る聖書のことばの御紹介です。群馬県前橋市にお住まいの岡島さんからは、新約聖書ヨハネの福音書1章5節を戴きました。お読みしましょう。

 「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 ----  二十数年前に聴いたことばですが今だに心に残っています。ラジオ番組で、「暗いと不満を言うよりは、進んで明かりをつけましょう」と聴きました。「まっくらな部屋から自分で暗闇を追い出そうとしてもできません。小さな明かりをつければ、だんだんと見えてきます。闇はどこに行ったのか、光のほうが勝って、闇の存在が分からなくなりました。・・・」 私には病気があり、治そうとしています。散歩をしたり心の平安を保ちながら、治そうとしていますが、それにも増してこのことばを当てはめていきたいと思います。ことに人間関係のいろんな問題などには、よくあてはまります。 ----

 岡島さん、私も群馬県の人間で、親近感を覚えています。少々コメントをお許しください。イエス・キリストは、「わたしは世の光である」(ヨハネの福音書 8章12節、9章5節参照)と言われました。私たちの放送のタイトルも世の光です。世の光であるイエス・キリストを紹介する番組を皆様にお届けしています。

 イエス・キリストは、世の中にある光、電灯やネオンの光などと様々な世の光とは全く違って、唯一の心の暗闇、罪の暗闇、死の暗闇を追い出す・追い払う光です。イエス・キリストは全ての人を照らす「まことの光」(ヨハネの福音書 1章9節、ヨハネの手紙第一 2章8節参照)としてこの世に来られました。しかし人々は罪を暴き出す光を憎みました(ヨハネの福音書 3章20節参照)。もし私たちが自分の罪をイエス・キリストの光の中にさらけ出す時、罪は光となり、罪に打ち勝ち、死をも乗り越えて永遠に生きる新しい人となるのですね(エペソ人への手紙 5章14節他参照)。

 岡島さんの心に残る聖書のことば

 「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
  新約聖書ヨハネの福音書1章5節のことばです。


 それではまた聴いてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.1.26放送でのお話しより )

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  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
(自由ケ丘キリスト教会内)

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■わたしの羊飼い

2008年01月25日 | Weblog

 お元気ですか? 世の光の時間です。岩井基雄(いわい・もとお)です。

 あなたは良く眠れますか? 日本では睡眠に何らかの障害を感じている人が三人に一人はいて、そんな人のためにぴったり合う枕をミリメートル単位で研究し作ってくれる会社があるそうです。

 聖書の中で、私たち人間がよく羊に例えられています。羊も人間も大きな武器を持たず、とっても臆病で、一人では生きられません。更に羊は人間と同じように、なかなかぐっすり眠ることができない動物なのだそうです。周りに危険がなく、おなかが満たされていても、本当に安心しなければ休めないのです。羊にとってぐっすり眠るためには、いつも自分を守ってくれる羊飼いが一緒にいることがとても重要なのだそうです。私たちにも同じようなことが言えるのですね。

 イエス・キリストはある時、こう語られました。「わたしは、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書10章10節参照) 

 当時の羊飼いには羊を所有していない雇われ羊飼いがいました。彼らは羊が迷っても探さず、襲われても守ろうとしませんでした。放っておくのです。でも、本当の羊飼いは自分の羊のことを心から愛し、命がけで守るのです。羊はよく迷子になります。羊は近眼で、目の前のものしか見えないので、いつのまにか迷ってしまうのです。

 私たちも目先のことばかり考え、楽しみ、いつのまにか自分がどこにいるのか分からなくなってしまうことがあります。自らさまよい出て悩み、神など必要ないとうそぶく私たちを探し出して助けるために、この本当の羊飼いイエス・キリストは来てくださいました。そして私たちが神様の愛の中に戻ることができるように命がけで私たちを愛し、助けてくださるのです。私たちの本当の安らぎは、あなたの羊飼いであるイエス様を信頼し、神の愛の中に戻る時に与えられるのです。

 では、またお聴きください。
 
  (PBA制作「世の光」2008.1.25放送でのお話しより )

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■正義を行われる神

2008年01月24日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日は聖書の中の創世記18章20節、21節から読んでみましょう。

 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」

 松本清張という作家の代表作『点と線』がテレビドラマで放映されていました。私が高校時代に一度ドラマ化されたものでしたから、何だか懐かしくなって、思わず二夜連続で最後まで見てしまいました。政界の汚職事件とそれに絡んだ殺人事件。事件解決のために刑事が博多、東京、秋田と奔走します。そしてアリバイが崩れ、事件解決かと思った矢先に、犯人が自殺、政界の汚職は闇に葬られていくのです。最後に一人の刑事が言いました。「戦争が終わり、新しい日本を造ろうっていうのに、悪いやつがトップに立つ。こんなことがあっていいのか。」

 確かにこの世の中には矛盾というか「ねじれ」というか、いろいろと不可解なことがあります。正義が力なのではなく、力が正義だということもあるものでしょう。職場や学校といった様々な組織においてもこんなことがあっていいのかと歯ぎしりさせられるようなことは少なくありません。

 先程お読みしましたように、聖書には、悪がはびこり正義が踏みにじられていたソドムとゴモラという町が神に裁かれ、滅ぼされたエピソードがあります。

 このエピソードで印象的なのは、神が町をお裁きになる前に、その実態を知ろうと天から降りてこられたということです。確かに私たちの神は人間の愚かさに対して単純に怒りの鉄槌を下されるようなお方ではありません。まず私たちの世界に降りてこられ、私たちの悩みや弱さをつぶさに御覧になり、そして正しい裁きを行われるお方です。神はそのようなお方ですから、私たちの小さな訴えですら心に留めてくださっています。ですから私たちは神が正しいことをなしてくださるという希望を抱くことができるのです。

 この神様に望みを抱いて神様に喜ばれる歩みをさせていただきましょう。

 ( PBA制作「世の光」2008.1.24放送でのお話しより)

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■福音の四季 : とてもできない

2008年01月23日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。長野県安曇郡からいただきました。鳥羽李義(とば・すえよし)宣教師からです。

 羽鳥先生、奥様、信越放送で日曜日の朝、世の光いきいきタイムを聴いておりましたら、先生のお元気な声が聴けて嬉しくなりました。ネバールという国へ行って聖書翻訳の働きをしていました。18年めにやっと信じる人が与えられ、教会堂が建ち、今は150人くらいの人々の集まりになり、他に4つの教会も出来ました。

 鳥羽先生、お手紙とお写真、ありがとうございました。沢山の人々が教会に集まっている様子に心打たれました。ここに来てお働きが続けられるようお祈りします。

 さあ、今日の福音の四季のメッセージです。聖書は、旧約聖書サムエル記第一12章23節、お読みしましょう。サムエルのことばです。

私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」 
 
 この「とてもできない」をとってメッセージの題としました。イスラエルの民は神に逆らい、神よりも他のものに依り頼んだために、神はさばきとして、小麦の刈り入れの大事な時に非常に激しい雷雨で民たちを震えあがらせたのです(サムエル記第一 12章18節参照) 。民たちはサムエルに、「私たちは罪を犯しました。どうかあなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてください」と泣いてサムエルに哀願しました(サムエル記第一 12章19節参照)。サムエルは、「役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはなりません。心を尽くして主に仕えなさい。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」(サムエル記第一 12章20-25節参照)

 私はこのサムエルのことばに、いたく反省させられました。祈りを忘れ祈りをやめる罪を犯す罪を犯すことがないように私を祈るものとさせてください、と哀願したのです。

 聖書のことば

 「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」 サムエル記第一12章23節のことばです。

 それではまたお聞きください。

 (PBA制作「世の光」2008.1.23放送でのお話しより)

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■束縛からの解放

2008年01月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日も最初に詩篇121篇の中のことばを紹介いたします。

 「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」(詩篇121篇6節)

 神様があなたを守ると聖書では約束しています。それでは具体的にはどういうものなのでしょう。前回は「あなたの右の手をおおう陰」(詩篇121篇5節)ということばから、あなたが高慢になる時、時には失敗や挫折を通して神様はあなたを守ってくださるというお話しをいたしました。

 今日の箇所は、「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」ということばからです。もちろん神様はあなたを日射病から守ると言っている訳ではありません。この詩篇が書かれた時代は古代オリエントの時代。それは神々の世界、多神の世界です。その神々の中で最も力を持っていたのは太陽の神様です。そして月は精神世界を司る神として祀られていました。ですから多くの人はこうした神々に対して粗相があってはならないと考えていたんです。しかし聖書は何とその神々があなたの打つことはない、と宣言しているんですね。

 どういうことかと言えば、迷信やたたりや呪いなどということばによって惑わされることがないように、わたしはすべてのそうした束縛からあなたを守ると神様は宣言されているんです。このことばは日本に住む者にとりましたら大きな意味がありますよね。

 しばらく前のことですが、私が住んでいたアパートの隣の方が新築されて引っ越しをされることになりました。引っ越しのお手伝いをしようと思い、いつ引っ越しをされるんですか、と尋ねると12月31日だと言うのです。「どうしてそんなに暮れになってしまったんですか」と尋ねますと、「いや実は拝み屋さんで祈ってもらったら、この日以外に引っ越しをすると悪いことが起こると言われて・・・」 私はそのことばを聞いて驚いてしまいました。しかしその方はそう言われたものですから、その日以外には怖くて引っ越しができなかったのです。

 私が高校生の頃ですが、不幸の手紙が蔓延したことがありました。たかが葉書一通です。その手紙の文面を何人かの人に出すように書かれているんです。もし出さなければ、不幸がその出さなかった人に残るという訳ですよねえ。たった一通の葉書から何万通という数になっていきました。どうしてですか? 不幸が留まって欲しくないからです。人は弱いもので、葉書一枚で束縛されてしまう存在なんですね。

 でも聖書は何千年も前からこう宣言します。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」(詩篇121篇6節)

 天地を創造された神様を信頼し生きるということは、迷信がうずまく世界から解放されることにも繋がるんです。
 
 ( PBA制作「世の光」2008.1.22放送でのお話しより)

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■艱難はつきものだけれど

2008年01月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。

 えー、お正月が明けた1月の6日から節分の2月3日までの間を寒の内---寒中とも言うようですねえ。そしてこんな時に、まああのー、寒梅と言うんですか、梅がこう咲いているのを見たりすると、ほっとする思いがいたしますけども、またこの寒の中で、いわゆる寒い中にですね、寒稽古っていう、または寒中水泳ってのがありますねえ。えー、思いますねえ、この寒い時にあの冷たい水の中にどうして入って泳いだりするんだろうか(と)。又は、何ですか滝に打たれてとかですねえ、そういうふうなことをする方もいますよねえ。

 でも思うんですけれども、もしかしてですねえ、私たちの人生には、いつも温泉に浸かっているような生温い湯に浸かっているようなそういうような時ばかりではなくって、こういうその寒中、吹き荒(すさ)ぶような冷たい中を生きなきゃならない現実があるのだという、そういうようなことを想定してですね、そういう厳しさに直面した時でも耐えていけるようにというような一つのこう訓練と言いましょうかねえ、そういうこともあるのかなあと思ったりするんですねえ。

 こんな話しがありますけれども、一人の男性がですね、「私はどうしてこんなに不幸なんだろう。たまには幸せというものを経験してみたいもんだ。」というので、一所懸命こう神仏に祈願をしてた。ある時に一人の女性が訪ねてきて、まあ美しい本当に素敵な方なので「お名前は?」って。「私は幸福と言います。」って。「ああどうぞお入りください。」 (すると)「実は私にはもう一人の妹がいまして、一緒でないといけないんです。」って。 (で、)「どうぞどうぞお入りください。」って言って妹さんが入ってきたら、お姉さんとは全然似ても似つかないようなそういう感じの方だったので、「お名前は?」って(聞くと)。「私は不幸と申します。」 (で、)「ああ不幸は結構です。もう幸福のお姉さんだけで結構です。」って言ったんですけれども、お姉さんは、「いや、私はいつも一緒でないと入れないんです。」って言って、「何でしたら二人で引き揚げてもいいんですが。」って。「いやあ、そうもいかない!」というようなことで、迷った、悩んだというふうな話がありましてね。

 まあとかく幸福と時には不幸と思われるような事とが一緒というようなことがもしかしたら人生なのかもしれませんけれども、しかしながらイエス様はおっしゃいました。「あなたがたは、世にあっては患難がある。悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは世に勝ったのだ。あなたを助け、あなたに力を与えてあげるから。」(ヨハネの福音書16章33節参照 )とおっしゃってくださっている。患難を覚悟しながらも患難のままでは終わらない、そこに必ず幸福に変えてくださるお方がいる、と信じて歩む人生は素晴らしいですね。

 ( PBA制作「世の光」2008.1.21放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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