♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■神の契約の箱 / 板倉邦雄

2016年08月31日 | Weblog
2016/8/31放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神の契約の箱」という題でお話ししましょう。

 アメリカ映画で「失われたアーク」という題名の映画があったと記憶しています。このアークとは神の契約の箱のことです。

 神の契約の箱の中には、モーセがシナイ山で主なる神様からいただいた十のことば、すなわち十戒の二枚の石の板が入っていました。また将来は祭司アロンの杖が入ることになります。

 さて、こうしてイスラエルの人々は「神の山」と呼ばれたシナイ山を旅立ちました。神の契約の箱は三日間の旅路の間、イスラエルの人々の先頭に立って行きました。人々のために休息の場所を尋ね探し求めたのです。

 こんにち神の契約は箱の中ではなく書物となって私たちの手に渡されています。すなわち古い神の契約の書である旧約聖書、そして新しい神の契約の書である新約聖書です。

 この契約の書の中には、私たちが休息するために私たちの休息場所を尋ね探す主なるイエス・キリストが登場して参ります。イエス様はこう言われました。
 「わたしは失われた人を尋ね出して救うために来たのだ。」

 さらに、「すべて重荷を持って苦労している者はわたしのもとにきなさい。あなたがたをお休ませてあげよう。」

 ところで、神の契約の箱が進む時、モーセはこう言いました。「主よ、立ち上がってください。あなたの敵は打ち散らされ、あなたを憎む者どもはあなたの前から逃げ去りますように。」

 また神の契約の箱がとどまる時、モーセはこう言いました。「主よ、帰ってきてください。イスラエルのすべての人に。」

 キリスト信徒たちは一日の初めにまず静まって神の契約の書すなわち聖書を読みます。一日の戦いに進まなくてはなりません。どのような敵が向かって来るか分からないからです。「主なる神よ、あなたが立ち上がり先頭に立って戦ってください。」と祈るのです。

 「主よあなたの時は私の敵です。あなたを憎む者は私を憎むからです。」

 そして一日の戦いを終えて休息する前も祈るのです。「主よ帰ってきて私たち一人ひとりに安息を与えてください。」と。

 「あなたが私たちと共にいて戦ってくださったことを感謝します。すべてをあなたにお委ねいたします。アーメン。」


  (PBA制作「世の光」2016.8.31放送でのお話より )

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■本当に必要なたった一つのもの -5 / 大嶋重徳

2016年08月30日 | Weblog
2016/8/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
ルカの福音書には、イエス様の足元にじっと座り込んでイエス様をもてなす手伝いをしない妹マリヤに腹を立てたマルタという姉妹の物語が出てきます。

 そしてそんなマルタにイエス様は、「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」」(ルカ 10章42節)と言われました。

 長旅をし、喉が渇きお腹が減ったイエス様と弟子たちも確かにご飯を食べなければなりませんでした。ここの箇所は、もてなしの準備などしなくても良い、というようなことではありません。

 しかしここでイエス様が一番したかったことは、残された地上の人生の中で神のことばを余すことなく語りきることでした。

 自分のために気遣って食事の準備をすることよりも、自分の足元で神のことばを聞いて生きる人が一人でも増やされることこそ、イエス様が一番願われていることだったのです。
 
 マリヤという人は、今イエス様が何を願っておられるのかを誰よりもずば抜けて分かっていた人だったのです。周囲も姉マルタもマリヤの姿を非常識極まりない振る舞いだと非難しても、何が本当に重要であるかを判別する力、つまりイエス様に対する信仰と愛の鋭い感覚は、この主の足元に座るところから生まれてきたのです。

 またここで、マリアの聞き方にも注目したいと思います。 マリヤの「聞き入った」という姿勢は、それは自分の何の役に立つかどうかで取捨選択して聞いたのではなく、すべてを受け取ろうとして聞いたのです。

 この箇所をある人は、マリヤのいる場所について注目します。足元とは低い位置です。水が高い所から低い所へ流れ込んでくるような位置、ここにマリヤのへりくだった姿勢があるのだと。決してイエス様よりも高い頭の位置の方では聞かない。

 同じみことばの聞き方でも上の立場に立って聞くという聞き方もあるでしょう。分析しながら自分に役に立つことばかどうか、自分にとって良い話かどうか。

 しかし足元で聞き入るとは、語られたことばを丸ごと全部誠実に受け取ろうとする姿勢がここに表わされています。

 今朝私たちはイエス様のことばをどの位置で聞こうとしているでしょうか。イエス様の足元で、イエス様の願われていることを一番出来る場所で、一日を始めていきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2016.8.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■怒りを治める / 関根弘興

2016年08月29日 | Weblog
2016/8/29放送


  世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日も聖書のことばを紹介しましょう。エペソ人への手紙4章26節から27節のことばです。
 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。

 人の怒りが適切に治められていかないと、結局悪魔の手下に悪魔に、機会を与えてしまうんだ、と聖書は警告しているんですね。

 旧約聖書の創世記4章という所に、カインとアベルという兄弟のことが書かれています。

 ある時、この二人は神様への捧げ物をもってきました。しかし兄のカインが捧げたものは神様への感謝のない心のこもっていないものを支えたんです。一方の弟アベルは、心からの感謝をもって神様に最上のものを捧げたんですねえ。当然ながら神様は、アベルの捧げ物をご覧になり、大変喜ばれたんですが、カインの捧げ物には目を留めませんでした。

するとその事で、カインは怒り出したんです。冷静に考えれば当たり前の話なんですが、カインの怒りは収まりませんでした。

 すると神様はカインにこう言われたんです。
 「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記 4章6、7節)

 このように神様はカインに言われたんです。つまりカインよ、あなたのその怒りをずっとそのまま放っておくと罪が戸口で待ち伏せしているから取り返しのつかないことへと繋がってしまうぞ。だから今の内にその怒りをちゃんと治めなさいね、と警告したんですね。

 しかしカインはその警告を無視して、結局弟アベルを呼び出して、何と殺害してしまうという大事件を起こしてしまうんです。

 繰り返しますが、怒ることは誰にでもあります。しかしヤコブの手紙1章19節と20節にあるように、
 「愛する兄弟たち。・・・聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

 神の義を実現するのは決して怒りではありません。聞くには早く語りるには遅くとあるように、愛の心を神様からいただいて歩んでことなんですね。そんな関係づくりを身の周りから始めていきましょう。

  (PBA制作「世の光」2016.8.29放送でのお話しより)

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■二年間神のことばを語り続けたパウロ / 羽鳥頼和

2016年08月27日 | Weblog
2016/8/27放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日も先週に続いてパウロのことをお話しします。

 先週のお話しではパウロがカイザリヤで2年間、裁判の判決を受けられないまま牢獄に入れられていたことをお話ししました。そして今日は、そのパウロがローマで2年間、キリストの福音を宣べ伝えた事をお話しします。

 カイザリヤでパウロが上告をしたのでパウロはローマで裁判を受けることになりました。船旅の途中で、嵐に遭いながらもパウロはローマにたどり着きました。パウロは番兵つきの家があてがわれました。人の出入りの自由が許さたので、パウロはローマに住んでいるユダヤ人を自分の家に招きました。ユダヤ人たちはパウロに対する非難を聞いていましたが、直接パウロと会って彼の話を聞いてみようと考えました。

 パウロは、神の国のことと旧約聖書に預言されている救い主がイエス・キリストであることを熱心に語り続けました。

 ある人々はキリストの福音を信じましたが、ある人はなかなか信じることができませんでした。パウロはどうしたでしょうか。

 聖書は言っています。
 「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒 28章30、31節)

 イエス・キリストはかつて言われました。
「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ 1章15節参照)

 パウロも同じことを2年間語り続けたのです。キリストによって私たちの近くに神な国が来ています。私たちがキリストを信じるならば、この神の国に住むことができるのです。

 人がキリストを信じるのには長い時間がかかるかもしれません。でも大丈夫です。私自身、子どもの頃からキリストのことを聞いていましたが、しっかりとキリストを信じるようになったのは高校生になってからです。

 とすると私は10年以上もキリストのことを聞いていたことになります。そしてやっとキリストを信じることができたのです。それまで多くの人々が私にキリストを語り、私のために祈ってくれていたのです。

 明日は日曜日です。イエス・キリストのことを聞くために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.8.27放送でのお話より )
 
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■平和への架け橋を夢見た 新渡戸稲造 / 岩井基雄

2016年08月26日 | Weblog
2016/8/26放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は新渡戸稲造について学んでみましょう。

 1862年、文久2年、岩手県に盛岡藩士の三男として生まれた稲造は札幌農学校の2期生の時に、イエス・キリストを自分の救い主して受け入れ、内村鑑三らと共にハリス宣教師から洗礼を受けます。1884年には私費でアメリカのジョンズホプキンス大学に留学し、後に妻となるメリーと出会います。彼は「太平洋の架け橋にないたい」という使命を果たすその歩みへと向かっていったのです。その後、ドイツのマルチン・ルター大学などから農業経済学の博士号を得た彼は、メリーと結婚し、1891年に帰国し、札幌農学校の教授となります。しかしそこで夫婦共に体調を崩し、失意の中、療養のために渡米し、療養中に英文で書き上げた『武士道』は後に日本人の心を世界に知らしめる架け橋のような本となりました。体調も回復する中、1900年のパリ万国博覧会に審査員として参加した新渡戸稲造はパリで日本の女子に大学教育をと願っていた安井てつと出会います。日本の女子教育の必要性を早くから示唆していた新渡戸は北米のキリスト教会の援助のもと、1918年にミッションスクールとして東京女子大学を開学し、初代学長に就任します。彼は女性に対して閉ざされていた大学の門戸を開放し、キリスト教主義に立脚した最高の教育を目指すなど、他にも多くの大学教育に参与して行きます。1920年、大正9年の国際連盟設立に際し、新渡戸は事務次長に選ばれ、人種的差別撤廃提案をいたします。過半数の支持を受けつつも否決されてしまいますが、聖書に基づいた考えで7年間国連の事務次長を務めあげるのです。晩年は軍国思想が高まる日本で、明確に反戦を説き続けます。人生を賭けて人々の人権と平和そして真の教育と世界の架け橋となりたいとの夢を歩み抜いていったのです。

 聖書のことば
  「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
       新約聖書 ヤコブの手紙 3章18節

  (PBA制作「世の光」2016.8.26放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■立ち向かう / 福井 誠

2016年08月25日 | Weblog
2016/8/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「立ち向かう」です。それでは第一サムエル記17章45節から読んでみましょう。

 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」

 今年の3月、イスラエルに行きました時、ここでダビデがペリシテ人ゴリアテと戦ったと言われるエラの谷へ行ってきました。深い渓谷をイメージしていましたが、実際には小高い山に囲まれた平地が広がる古戦場のような場所でした。そうかあ、小高い山側にそれぞれイスラエル軍とペリシテ軍が相対峙して、このだだっ広い平地の真ん中にダビデとゴリアテが向きあっていたのかと思うと、何となくその時の雰囲気が分るような気がしました。ともあれ、ダビデはまだこの時、十代の若者であったとも言われますし、それが身長2メートル半以上もある巨人に一人で立ち向かったのですから、その勇気や賞賛に値しますねえ。実際、イスラエル人は巨人ゴリアテを見て恐れをなして、誰一人一騎打ちで戦おうという者はいなかったのですから。けれどもダビデがそのような勇気を持ちえたのには理由があります。

 ダビデは自分が一人ではないことを心得ていました。ちゃんと自分の力の不足を補ってくださる神様が一緒に戦ってくださると信じていました。そこで今日お読みした箇所ですけれど、ダビデは「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」と語ったのですね。ダビデが信じているのは気休めの神ではありません。天地万物をお作りになって、全世界を支配し、正しいことを行われる神が共におられると信じていました。

 あなたの神様はどんな神様でしょうか。世俗的な小さな願いを叶えてくださるだけの神様ですか? 本当の神様は、万軍の主、この世界を支配し、すべて正しいことをなさる神ですね。その神があることを素直に信じて人生に勝利を得ていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.8.25放送でのお話より )

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■私たちの目となって下さい / 板倉邦雄

2016年08月24日 | Weblog
2016/8/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「私たちの目となって下さい」という題でお話ししましょう。

 私たちの教会で英会話のクラスを持っていた時です。生徒8人でアメリカを旅行しました。その時、英会話の先生が私たちの目になってくれたことを忘れることができません。

 さてモーセは砂漠の遊牧民ミデヤンの妻を持っていましたねえ。その妻の兄弟であるホバブにお願いしました。「私たちはかつて主なる神様が私たちに約束された場所に向かって進んでいます。あなたも一緒においでになってください。あなたが幸福になれるようにいたしましょう。主なる神様がイスラエル民族に幸福を約束されたのですから。」

 ホバブさんはモーセに答えました。「私は行きません。私はミデヤンの国に帰って親族のもとに行きます。」

 するとモーセは再びお願いしました。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは私たちが荒野のどこに宿営すべきかを御存知です。どうか私たちの目となってください。もしあなたが一緒においでくださるなら、主なる神様が私たちに賜る幸福をあなたにも及ぼしましょう。」

 こうして、モーセの妻兄弟ホバブさんは荒野の40年の旅路においてイスラエルの人々の目になったのです。(民数記 10章29~32節参照)

 イスラエルの人々が荒野の40年を無事に旅をするために、三つの道しるべがありました。昼と夜に渡る雲の柱。モーセという指導者。そして荒野のガイドのプロ・ホバブさんです。

 さて私たちの荒野の人生においても私たちの目になってくれるような人々が主なる神様によって用意されているのです。私たちの父や母、祖父母や兄弟姉妹たちですね。そして学校の先生や友達、職場の先輩や同僚後輩と様々でしょう。私は高校2年生の17歳の秋、人生に迷い途方に暮れて寂しさと不安の中にあった時でした。後輩の友人が、「先輩、私の行っている教会へ行きませんか?」と導いてくれました。それ以来彼は私の目となってくれたのです。荒野のような私の開拓教会で召される34歳まで一緒に歩いてくれました。
  (PBA制作「世の光」2016.8.24放送でのお話より )

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■本当に必要なたった一つのもの -4 / 大嶋重徳

2016年08月23日 | Weblog
2016/8/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
新約聖書ルカ福音書には、「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ 10章42節)とイエス様が言われた聖書のことばが出てきます。

 私たちは人生において何を本当に必要だと思っているでしょうか。現代は迷子になっている時代ではないかと思います。かつて日本において高度成長期には、これから社会はどんどん良くなっていくと思えたのかもしれません。そして一所懸命働けばいい人生、一所懸命勉強したら良い学校に入れる、そういう価値が取り囲んでいました。しかしその良いとは何を意味したんでしょうか。多くの給料でしょか? 役職でしょうか? やりがいのある仕事だったでしょうか。確かにそれらも一つの人生の量りになっていたと思います。 しかし、それらの良い会社ではリストラの時代が来て、良い人生だと思っていた家庭が壊れ、また絶えず周りが自分をどのように見ているのかに心が惑わされ、心が思い患ってしまう。いろんな良いとされる価値に心が振り回され、バラバラになってしまっている、そんな疲れ果てた日々の中に私たちはいるのだと思います。

 しかしイエス様は本当に必要なものは神のことばを聴き入ることなのだと語ります。私たちは今日、人と自分を比べて落ち込んでしまっていた所から、聖書のことばを読むと、神様はあなたを高価で尊いと見ていてくださることを知ります。また、誰かのことを裁いていた所から聖書のことばはあなたもまた一人の罪人なのだと語りかけます。あなたは決して完全な存在じゃない弱さがあるのだと語りかけて来るのです。そしてあなたにも今日、キリストの救いが必要なのだ、と語るのです。そして聖書のことばは、私たちが何のために生きているのか、何のためにそこにいるのか、ということを教えてくれるのです。そういうものが聖書から私たちは受け取ることができるのです。

 なくても良い多くのことがなくてはならない唯一のものを私たちから取り去ろうとすることの多い時代と生活の中で、聖書は私たちのバラバラにちぎれてしまっていた思いや価値を一つにしていってくれるのです。だからこそ私たちはこの朝も聖書のことばを聞いてから一日を始めていきたいと思います。聖書のことばこそあなたの人生に必要なたった一つのものだからです。

  ( PBA制作「世の光」2016.8.23放送でのお話しより )

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■悪魔に機会を与えるな / 関根弘興

2016年08月22日 | Weblog
2016/8/22放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを紹介いたしましょう。新約聖書エペソ人への手紙4章26節から27節のことばです。
 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
  聖書は、怒りを持つことが悪いことだとは言っていません。イエス・キリストは大変柔和な方ですよね。でもエルサレムの神殿でいけにえの動物を売る者たちや両替人たちが不正な利益を得るために商売している姿を見て激怒されました。そして彼らを追い出し、彼らの台を倒して、「ここは祈りの家と呼ばれている。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言われましたよね。また当時の宗教家たちに、「あなたがたは偽善者だ。白く塗った墓のようだ。」と厳しく批判なさいました。

 不正や悪に対して怒りが起こるのは当然のことです。正しい事が曲げられている時、怒るべきですよね。しかし私たちが怒りを感じた時には気をつけなければならないんだとパウロは警告しているんです。それは怒りを適切にコントロールし処理することはできないと、それが罪を生み、悪魔に機会を与えることになってしまうのだよと教えているんです。

 ところで、この「悪魔に機会を与える」と一体どういうことでしょうか。「悪魔」と訳されることば、それは「中傷する者」とか「訴える者」という意味があるんです。つまり聖書が教える悪魔とかサタンと呼ばれる者の働きは、人を中傷すること、訴えること、そしることなんですね。つまり怒りというものが適切に治められていかないと、それこそあなたがサタンの、悪魔の手下となって、「お前の人生なんか意味がない。お前なんか生きている価値がない。お前は神様を信じているなんて言うけど、その生きざまは何だ。」と言ってですね、あなたがいつも人を訴えるだけの者になってしまう、悪魔の手下になってしまう、と警告しているんです。

 私たちは誰も完全な者なんて誰もいませんね。間違いを犯し、過ちも犯します。そして激怒することもあるでしょう。しかし一呼吸を置いて、「ああ神様は私に赦しと愛の眼差しを向けているんだ」ということを考えるのです。そして怒りを静めて行くんですね。もちろん相手に対して正すべきことは正しながら、しかし怒りを持ち越し、悪魔に機会を与えるような言動ではなく、神様の助けを得ながら歩んで行きたいですね。

  (PBA制作「世の光」2016.8.22放送でのお話しより)

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■キリストのことばとパウロ / 羽鳥頼和

2016年08月20日 | Weblog
2016/8/20放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日はユダヤ人から訴えられ裁判を受けることになったパウロについてお話しします。
 パウロはカイザリヤで総督ペリクスから裁判を受けました。しかしペリクスはすぐに判決を出さず、裁判を延期し続けました。結局パウロは2年間も牢屋に入れられることになったのです。

 さて2年後にペリクスに替わってフェストが総督に赴任しました。彼は就任するとすぐにパウロの裁判を始めたのです。有能で真面目なフェストが調査すると、この裁判の論点が十字架で死んだイエスの復活のことであることが分りました。綿密な調査をしたフェストはパウロが死罪に当たることは何もしていないと確信したのです。そこへフェストはパウロにエルサレムで自分が裁判を行うことを提案します。フェストはパウロを無罪にしようと考えました。しかしパウロはローマでの裁判を希望しました(使徒 25章11節参照)。

 どうしてパウロはわざわざい異国のローマでの裁判を希望したのでしょう。パウロは2年間も放っておかれて怒っていたのでしょうか? そうではありません。パウロにとってこの2年間は新しい働きのための準備の期間でした。キリストに信頼しキリストのことばに従う準備をしていたのです。

 2年前、パウロは反発する人々に殺されそうになったところをローマ軍の兵士に助けられ、それで裁判を受けることになりました。実は助けられたその夜、キリストがパウロに現れてこう言われたのです。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」(使徒 23章11節)

 2年間、パウロはこのキリストのことばを忘れず祈っていたのでしょう。そしてフェストのことばを聞いた時、キリストのことばを思い出し、勇気を出して「ローマで裁判を受けさせてください」と申し出たのです。こうしてローマへの道が開かれ、キリストの福音が世界に広がっていくことになるのです。

 パウロはキリストのことばを聞き、それに従う人生を送りました。パウロはコロサイの人たちにも、「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせなさい」(コロサイ 3章16節)、と勧めています。私たちもキリストのことばを聞き、そして勇気をいただいてキリストのことばに従う歩みをさせていただきましょう。

 明日は日曜日です。キリストのことばを聞くためにお近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.8.20放送でのお話より )
 
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