♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■父と子の再会に見る神の愛 / 岩井基雄

2018年12月31日 | Weblog
2018/11/12放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。

 私たちの成長に親の存在は重要で、特に父親との関わりが私たちの他の人との信頼関係の原点にあるとも言われますねえ。愛する父ヤコブと生き別れ、ふるさとイスラエルからも引き離され、エジプトで幾度も深い孤独を味わったヨセフでした。しかし苦難の中でもまことの父、創造主なる神に信頼し続け、誠実を尽くし続けたヨセフを神様は用い、エジプトにおいて深刻な飢饉から多くの民をも救う器としてくださったのです。エジプトに来て20数年の月日が流れる中、ついにヨセフはイスラエルという新しい名とされた父ヤコブと再会するのです。聖書はこう語っています。

 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、首にすがって泣き続けた。
 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」 

              旧約聖書 創世記46章29、30節 

 ヨセフの孤独が癒され、20数年の空白が埋められる涙の時でした。更にそれは同時に父ヤコブにも「もう死んでも良い」と語る程の満足を与えたのです。死んだと思っていた愛する息子との再会の喜びを神はヤコブに用意してくださっていたのです。そしてヤコブはエジプトの地で更に豊かな祝福を受け、恵みの17年を愛するヨセフたちとともに過ごします。それは、別れていた20数年をも上回る恵みだったのかもしれませんね。

 神様は悲しみのすべてを包む恵みと祝福を私たちに与える事ができます。私たちの人生にも、時に別れという深い痛みがありますが、神様はその悲しみを癒すだけではなく、死を越えるいのちの喜びを与え、私たちに永遠の愛と喜びを御子イエス・キリストにあって用意してくださっているのです。キリストにあって創造主なる父なる神は、私たちが神のもとに帰るのを待ち続けています。父なる神がキリストに語られた次の言葉は、あなたにも注がれているのです。あなたも父なる神のもとに戻りませんか。神はあなたを愛しているのです。

 聖書のことば
 「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。
          新約聖書 ルカの福音書3章22節

 (PBA制作「世の光」 2018.11.12放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■心に、神への恐れを / 羽鳥頼和

2018年12月29日 | Weblog
2018/11/10放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書箴言から、先週に引き続いて主なる神を恐れることについて教えられましょう。

 まず箴言19章21節から22節をお読みします。
 「 人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。人の欲望は自らへの辱(はずかし)め。貧しい人はまやかし者にまさる。

 箴言は、人の心には多くの思いがある、そのような人の思いは実現せず、神の計画こそが実現する、と教えています。人の心にある欲望は実現することがなく、欲望は人の恥となるというのです。

 次に、「貧しい人はまやかし者にまさる」と教えられています。これはどういうことでしょうか。これは前の文の、「自らへの辱め」と関連しているのだと思います。つまり、貧しいことも恥ずかしいことだが嘘つきよりはずっと良い、と言っているのでしょう。欲望という心の貧しさに私たちの心を向けさせようとしています。物がなくて貧しいよりも、欲望ばかりの心の方が貧しくて恥ずかしいことだというのです。

 このように人の心の貧しさを教える箴言は、続いて心に主への恐れを持つようにと教えています。
  箴言19章23節
  「【主】を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいにあわない。

 主を恐れるとは主を恐れ敬うことであり、主を絶対的に信頼することです。主こそ私たちにいのちを与えてくださるお方であり、幸せな満ち足りた人生を与えてくださるお方です。

 箴言は、先ず心に主を恐れる信仰を持ちなさい、と教えています。
 「【主】を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。
 わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年が加えられるからだ。
」  箴言9章10節から11節

 明日は日曜日です。キリスト教会では主を礼拝します。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.11.10放送でのお話より )
 
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■人の姿(2)/ 関根弘興

2018年12月28日 | Weblog
2018/11/9放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

  今月は聖書中の聖書と呼ばれている新約聖書ヨハネの福音書3章16節のことばを紹介しましょう。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

  この言葉は聖書が伝える素晴らしい素晴らしいメッセージが凝縮されているんです。前回は、あなたは神様に愛されている、という事をお話しをしました。でもそんな神様に愛されている人間の姿は一体どのようなものなのでしょう。

 聖書は、生まれながらの人間は罪の中で滅びに向かっている状態にあるのだ、と教えています。人は滅びの中にいる、と聞いたら反発される方もいるでしょう。でもこの滅びの中にいるという姿は四つの特徴があります。

 一つは、失うという姿です。神様との親しい麗しい関係を失っている状態です。そのために人生の本当の意味や目的を失い、自分の本来の価値や姿を見失い、喜びや満足や真実の愛を失っているような、そんな状態のことです。

 迷うという姿が二番目です。神様と離れてしまった人はまるで迷子のような状態だというんですねえ。迷子になると不安になりますね。どこから来てどこへ行くのかわからない、自分自身の居場所がわからない、そのような迷子の状態を指しているんです。

 三番目は浪費するという姿。神様に与えられた人生を十分に生かして用いることができない状態です。自分勝手で投げやりな虚しい生き方によって自分の人生を浪費しているんです。自分の価値がわからず、まで自分を使い捨ての商品のように扱っている状態、それが浪費する姿です。

 そして四番目の姿は破壊するという姿です。自分を嫌い、自分自身を傷付けたり他人を傷付けたり、自分の欲望のために周りを破壊していくような状態です。

 聖書は、みんな人はこのような滅びの状態の中にあるのだ、と教えるんですね。そして自分ではどうすることもできないのだ、と教えるんです。しかし、一人ひとりをこよなく愛しておられる神様は、私たちがそうした滅びの状態にあることを黙って見てはおられません。神様は愛なる方なので、私たちに無関心ではいられないのです。私たちをその滅びの状態から救うために、救い主イエス様を与えてくださったんです。

     (PBA制作「世の光」2018.11.9放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし84- 姦淫してはならない / 大嶋重徳

2018年12月27日 | Weblog
2018/11/8放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。十戒第七戒には「姦淫してはならない。」(出エジプト記20章14節 新改訳2017)とあります。

この戒めは結婚外の誰かと性的な関係を持つことを禁止する戒めです。では姦淫しなければこの第七戒は何の問題はないということでしょうか。そうでありません。姦淫してはならないという戒めは、そのままこの地上に愛し合う夫婦を築き上げていきなさいという光の生き方へと私たちを導きます。神様が望まれて神様の創造された愛し合う夫婦の愛の実現へと踏み出していきなさい、とこの戒めは勧めているのです。

 もし真面目に生きていて姦淫の罪と呼べる罪を犯したことがないとしても、きよく正しく生きていたとしても、もし夫婦の愛が冷め切っていて相手への愛を失った関係を継続しているならば第七戒の戒めの違反となるのです。このラジオをお聴きの皆さんはご自分の伴侶を大切になさっておられるでしょうか。あるいは独身の方であっても、ご自分のご両親の夫婦関係が冷え切っていたという家庭に育って来られた方も少なくないと思います。そしてそれはクリスチャン同士の夫婦であっても同じことが言えると思います。

 ある牧師とこんな話をしました。罪はアダムとエバの夫婦の間に入ってきたんですよね。それならば救いもまた夫婦において実現しなければ、救いは完成しないのではないでしょうか。つまり、夫婦で罪を犯したのであれば夫婦で救われていくことで救いは完成するのだということです。夫婦で救いが完成するということは神様の造られた最初の夫婦のように神様の愛を表していくようなそんな夫婦となっていくことが必要なのです。信仰は内面の問題だから個人個人で信仰をきよく保っていけば良い、とは聖書は決して言ってはいません。夫婦ぐるみで救われた愛の生活を営んでいくのです。そうする時に、子どもたちは親を見て、あんなふうに愛しあっている夫婦になりたいと思うのです。

 何よりも大切にするべきことは、自分の夫を、自分の妻を大切にし愛していくことでしょう。もし昨夜けんかをしていたのであれば、この朝、自分からごめんなさいと言うのです。そこには十戒第七戒に生きる愛の夫婦の関係が生まれていくのです。

    ( PBA制作「世の光」2018.11.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■永遠の割り当てとする / 福井 誠

2018年12月26日 | Weblog
2018/11/7放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「永遠の割り当てとする」です。
 民数記18章8節から読んでみましょう。
 「今わたしは、わたしへの奉納物に関わる任務をあなたに与える。わたしはイスラエルの子らのすべての聖なるささげ物について、これをあなたが受け取る分とし、またあなたの子たちへの永遠の割り当てとする。」(新改訳2017)

 エジプトを脱出したイスラエルの民は荒野で一つの民族・国家としての体制を整えていきます。それまで奴隷であった人々が解放されて自由にされるだけではなく、彼らは自分たちを救い出した偉大な神を覚え、秩序を持って宗教祭儀つまり宗教的な行事を行う民族として生まれ変わっていくのです。この18章はそんな彼らの宗教的な行事について、それに関わる人々の役割について整理して教えられている部分ですね。

 何となく聖書がつまらないなあと思うのはこういうところかもしれませんねえ。よほどマニアックに聖書の世界が面白いというのでない限り、三千年以上も昔のイスラエルの宗教的慣習など読んでもそんなに興味も関心も湧かないという所でしょうか。しかし、忍耐を持ってこれらを読んでいくと、それが今日のキリスト教会の牧師職についての考え方にも通じる非常に基本的なものであることが分かったりします。そのように私たちの身近な事柄との関連が分るようになると、聖書は面白くなってきますねえ。

 ともあれ、ここでは簡単に言うと、祭儀をつかさどる働き人として祭司とレビ人がいて、祭司はいけにえを捧げる宗教祭儀の中心的な役割を担う人ですが、レビ人はその祭司の助け手とされます。そして彼らはもっぱら聖所な働きをするためだけに献身する人々なので、奉納物の中から彼らのための報酬が割り当てられなければならないと定められます。彼らはこのようにして新しい国の秩序、新しい働きや役割について一つ一つ神に教えられていくのです。

 ここで覚えるべきことは、神様は私たちに知恵を与え、新しい歩みを一つ一つ教えてくださるお方だということです。今自分の人生に何か混沌としている思いがあるならば、迷わず神に祈り、神に導きを求め、知恵を与えていただくものでありたいものです。

(PBA制作「世の光」2018.11.7放送でのお話より )

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■惨劇となったクリスマス クリスマスって実は / 板倉邦雄

2018年12月25日 | Weblog
2018/12/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「惨劇となったクリスマス.クリスマス」という題でお話ししましょう。
 実は今日は目を覆いたくなるような悲惨な出来事をお話ししなければなりません。「クリスマスって実は その3 ヘロデ大王の虐殺」です。

 さてヘロデ大王は王宮で今か今かと東方の博士たちからの情報を待ちわびていました。博士たちをひそかに呼んでこう言いましたねえ。「言ってその幼子のことを詳しく調べ、見つかったら私だけに知らせてくれ。私も拝みに行くから。」 ところが待てど暮らせど幼子の情報を持ってきませんでした。博士たちに騙された、と非常に腹を立て憤ったのです。そして2才以下の男の子をことごとく殺害したのです。

 さて、今年のクリスマスでも世界の空の下では大人たちの自己中心や自分可愛さから幼い子どもたちが虐待され虐殺されているのではないでしょうか。内乱と内戦の続く国はどうでしょうか。また私たちの祖国ではどうでしょうか。弱い者たちが犠牲になっていないでしょうか。子どもたちの惨劇は愛する子どもたちを失った母親たちの悲劇でもありました。聖書はこのように書いています。
 「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった。」(マタイ2章8節 口語訳)
 愛する我が子を失う悲しみと嘆きの深さは失った者でしか分りません。納骨式の墓地で墓石を抱きかかえながら我が子の名を呼び求める親の姿を忘れることはできません。

 さて最後に、なぜ神様はこのような惨劇をお許しになったのか、なぜ神様はベツレヘムの幼子たちのいのちを守ってくださらなかったのかという質問を時々受けることがあります。このような質問に私はこう答えます。「今度は罪のないイエス様が十字架にかかり私たち罪人のために死んでくださいました。そして自分の罪を悔い改め、十字架のイエスを信じるすべての者を神様は救ってくださるのです。」

  (PBA制作「世の光」2018.12.25放送でのお話より )

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■祝福を受け取るクリスマス / 岩井基雄

2018年12月24日 | Weblog
2018/12/24放送

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。岩井基雄です。
 クリスマス・スペシャルの第三週。ヨハネの福音書の1章からの最後は「祝福を受け取るクリスマス」です。

 クリスマスにはよくプレゼントを交換しあいますね。子どもも大人も喜びを覚えますねえ。何かを交換するときは同じくらいの価値のものか、また同等のものでしょう。しかしクリスマスの喜びはとんでもない交換に基づいていたのです。今日の聖書の箇所にはキリストが与える祝福の交換が記されています。お読みします。

 「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」新約聖書ヨハネの福音書1章10節から12節

 これまで学んできた通り、イエス・キリストは全てのものを創造された神ご自身であり、神の御子です。その方が壮大なスケールのギャップを越え、肉体を持ってこの地上に来られました。それは闇が光に変わり(1ヨハネ2章8節参照)、死がいのちにのまれるという逆転であり(コリント人への手紙第二5章4節参照)、そのためにキリストは十字架にかかり、よみがえってくださったのです。

 しかし私たちはこの方を知らず受け入れませんでした。そんな者は裁かれて当たり前でしょう。ところが神はそんな私たちを愛し、罪を認めキリストを信じ受け入れる者に神の子とされる特権を与えられたのです。それは私たちの罪の裁きと神の子とされる特権をキリストにあって交換するような祝福です。宗教学者マルチン・ルターはこれを「驚くべき交換」と呼びました。イエス・キリストを信じ受け入れるとき、あなたも神の子として天の祝福を自分のものとすることができるのです。

 聖書のことば
 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネの福音書1章14節

 栄光と恵みとまことに満ちておられるイエス・キリストの愛をあなたも自分のものとして受け入れませんか? 天の祝福はあなたにも用意されているのです。来たる新しい年も神様の祝福を受け取る人生を歩ませていただきませんか? 神様はあなたを愛しておられるからです。

  (PBA制作「世の光」 2018.12.24放送でのお話より )
 
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■クリスマスって実は、キリストの再臨を覚える時でもあるんです/羽鳥頼和

2018年12月22日 | Weblog
2018/12/22放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 世の光では先週からクリスマス・スペシャルをお送りしています。今日は、クリスマスって実はキリストがもう一度来られる再臨を覚える時でもあるんです、というテーマでお話しします。

 多くのキリスト教会が教会のカレンダーである教会暦でクリスマスまでのおよそ1ヶ月間をアドベントと言っています。このアドベントの時、教会はキリストの誕生であるクリスマスに備えます。そしてもう一つ、この時に覚える事があります。それがキリストの再臨です。クリスマスはキリストがこの世に来られた時です。そのキリストはもう一度この世にさばき主として来られます。それが再臨です。

 キリストはこの世に来て十字架にかかり死んでくださいました。そして三日目に復活され、その後、天に帰られました。そしてキリストは世を裁くために再臨されます。世を裁くとは恐ろしい、物騒だと思われるかもしれません。しかし神の救いには悪への裁きがあるのです。いや、悪を裁かなければ本当に救いはないのです。

 旧約聖書のハバクク書3章にこのようにあります。
 「神は激しい憤りを持って地を行き巡り、怒りをもって国々を踏みつけられます。神は御民を救うために・・・出て来られます。」(13節参照) 
 そしてその神の裁きを覚えて更に語ります。
 「私は主にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもう。」(18節) 

 神の裁きは存在する全ての悪に対する裁きであり、この裁きによって神による救いがまっとうされ、神の正義が実現します。神を信じる者には神の裁きは救いの完成の時であり、大きな喜びの時です。

 キリストは神の裁きを行う者として再びこの地上に来てくださり、神の救いを完成してくださいます。クリスマスに、救い主である神の御子キリストを喜ぶと共に、キリストがもう一度来てくださり救いを完成してくださることを期待しましょう。

 明日は日曜日です。キリスト教会ではクリスマスの礼拝を行います。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.12.22放送でのお話より )
 
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■クリスマスおめでとう/関根弘興

2018年12月21日 | Weblog
2018/12/21放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。そしてクリスマスおめでとうございます。でも、どうしてクリスマスは「おめでとう」なんでしょうねえ。
 その第一は、クリスマスは暗闇を照らす光なるお方が来られたからこそおめでとうなんです。ヨハネの福音書1章4節に、「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(新改訳2017)と書かれています。

 私たちは様々な出来事の中で出口を見いだすことができなくなってしまったり、希望を見いだすことができなくなってしまうということがありますよね。そしてどのように生きていったらいいのか分からなくなってしまう。そんなこともあります。しかしあなたの人生を照らし、導き、あなたの暗闇を取り除いてくださるために、イエス・キリストが来てくださいました。だからクリスマスおめでとうなんです。

 そして第二は、罪からの救いがもたらされるからおめでとうなんですねえ。聖書には、「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(マタイの福音書1章21節)と記されています。

 罪とは的外れ、ずれているという意味です。体のことを考えてみてください。もし背骨がずれていたら、歩くことも大変ですよねえ。血液の値が正常値からずれていたら病をもたらすでしょう。同じように私たちの中にある罪とは神様とあなたとの関係のずれなんです。そしてそのずれは虚しさをもたらしたり、生きる意味や目的を失わしてしまうんです。

 また聖書は「罪から来る報酬は死である」(ローマ6章23節参照)と書かれています。この罪と呼ばれるずれの状態は結局死をもたらすだけだという訳です。しかしイエス様はその罪から救ってくださる方として来てくださいました。神様との本来の素晴らしい関係を回復してくださるために来てくださったんです。だからこそクリスマスはおめでとう!なんですねえ。

 そして第三に、イエス・キリストは今も生きておられるのでクリスマスはおめでとうなんです。普通は誰かの誕生日はその人が生きている時だけお祝いしますよね。イエス・キリスト今から2000年前にベツレヘムでお生まれになりました。そして十字架につけられ三日目に復活されました。そして今に至るまで毎年クリスマスおめでとうと言われるんです。なぜならイエス・キリストは今も生きておられ、あなたに救いを与えあなたと共に歩もうと招いてくださっているからなんですねえ。ですから、いつでもクリスマスはおめでとうなんです。あなたに最後に、クリスマスおめでとうございます!

     (PBA制作「世の光」2018.12.21放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主よ、もう一度来てください/大嶋重徳

2018年12月20日 | Weblog
2018/12/20放送

世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。大嶋重徳です。アドベント、クリスマスを待ち望む時となりました。アドベントとはもともとラテン語で「到来」とか「接近」という意味を持つことばです。クリスマスは既に来てくださったイエス様のお祝いだけではなく再び到来されるイエス様を待ち望む時でもあるのです。

 聖書にはイエス・キリストが再びこの世界の終わりに私たちのもとに来てくださるのだと語ります。約2000年前、ユダヤのベツレヘムという村で、マリヤとヨセフという若い夫婦に一人の男の子が生まれました。この方こそ神の御子であり、待ち望まれた救い主です。イエス・キリストが地上に生まれ、その時からこの世界は変わりました。神様に愛されている世界であることが明らかになり、神様は今も私たちの住むこの世界を忘れてはおられないということが明らかになりました。もちろん今もこの地上ではいろんなことが起こります。悲しいことも起こります。神様、あなたがおられるならなぜこんな事が?、と嘆きたくなることも起こります。しかしあのクリスマスで明らかになったことは過去のことではないのです。昔の終ったことではないのです。今もキリストは再びこの世界に来ようとされている。今一度、私たちに示されようとされているのです。この世界が神様に愛されていることを、神様が私たちのもとを訪れようとされていることを。

 聖書の黙示録にはこういうことばがあります。
 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3章20節、新改訳第三版)

 神様は今遠い場所にいるのではないと聖書は語ります。私たちの部屋の戸の外に立っておられるのです。この世界を完全に変えることができる新しくすることのできる神様がすぐ入ってこられる場所に立っておられるのです。声の聞こえる所に立っておられるのです。私たちには戸を叩く音が聞こえている。

 私はこの神様の愛によって自分の人生が変わりました。今日ラジオをお聴きの皆さんの人生にも新しい人生が始まることを私は信じています。そしてラジオのマイクから神のことばが届けられ、この神のことばと共に神様があなたを今訪ねておられるのです。この声が聞こえて来るとき、私たちは新しくなるのです。変わらざるを得ないのです。このイエス様の迫って来る声の迫力をなお近くに感じることができる。それがクリスマスを待ち望むアドベントの持っている大きな大きな意味なのです。

    ( PBA制作「世の光」2018.12.20放送でのお話しより )

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