♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■失敗してもいいんです / 大井 満

2021年10月22日 | Weblog

2021/5/3放送

 世の光の時間です。今週のメッセージを担当しています東京にある板橋教会の牧師、大井満です。

 ヘブル人への手紙7章27節に、「イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。」とあります。

 この聖書のことばは、イエス・キリストの十字架の出来事は一回だけで十分で、繰り返したり追加で何かが必要になるというような不完全なものではないという意味です。

 人間というのは不完全な存在です。私も小さなミスをすることがよくありますし、笑いごとで済まされないような失敗も数々あります。

 小学校五年生の時、父に一発平手で頬を叩かれたことがあります。父が私に手を挙げたのはこの一回だけでした。大好きないとこたちが遊びに来ていたので、私はカブスカウトの活動に参加しないと言い張ったのです。父は「お前には班長としての責任があるのだからカブスカウトに行くように」と強く言い、一発お見舞いされたのです。

 このたった一度の出来事は相当こたえました。何を大事にしなければならないかということを考えるきっかけになりました。尚、私は体罰を認めません。私の成長した四人の子どもたちにも手をあげたことは一度もありません。

 イエス様が十字架で死んでくださったことはたった一度でしたが、一度ですべての人の罪を赦す力がありました。それは何よりもイエス様が神の子・神でいらっしゃるからです。神がこの取るに足りない私のために十字架につけられて死んでくださったのですから、これほど完璧なことはありません。

 昔ユダヤでは民族の罪の赦しを願って、大祭司が毎年毎年、年に一度、神にいけにえを献げていました。けれどもイエス・キリストの十字架は、このような繰り返して行われるいけにえの儀式を無用のものに変えました。ただ一度ですべてを完璧に成し遂げて下さったのですから。

 イエス様の十字架による救いと罪の赦しというすばらしいプレゼントを、ぜひあなたも受け取ってください。

    ( PBA制作「世の光」 2021.5.3放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■誰のせいでもないけれど / 大井 満

2021年10月21日 | Weblog

2021/5/6放送

 世の光の時間です。今週のメッセージを担当しています東京にある板橋教会の牧師、大井満です。

 はるか昔、新婚旅行先で起こった不思議な出来事があります。新婚旅行先で、撮影済みのカメラのフィルムが一本見当たらないことに気づいたのです。自分でゴミ箱に捨ててしまったか、もしくはホテルの掃除係りの人が間違って捨てたのではないかと思い、フロントにたずねてみたのですがフィルムは見つかりません。あれから四十年経ちましたが、今も謎のままです。私としてはフィルムを入れたつもりだけれど、入れ忘れたのではないかと無理矢理納得しているのですが、真実はわからないままです。

 聖書は、私たち人間は神の前に罪人だといいます。ローマ人への手紙3章23節に、このように書かれています。
 「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

 今日この放送を聴いてくださっているみなさん、あなたは「すべての人は罪を犯して」と言われて納得していただけるでしょうか。「いや、そんなことはないはずだ。私は、これまでずっと真面目にやってきた。少しは失敗もしたけれど、罪を犯し、などと決めつけられるのは、嫌だ」と思っていらっしゃるかもしれません。

 私たちは知らないうちに、自分で意図しないままに神様に対して罪を犯してしまっています。それは何か悪いことをしたというよりも、神様を神様としないで生きている、神様との関わりを持たずに生きてきた、そのことを罪と言っているのです。

 先程カメラのフィルムの話をしました。意図的にフィルムを入れなかったわけではありません。意図して捨てたわけでもありません。でも36枚の写真は結果として残っていないのです。

 ローマ人への手紙は、続けてこのように書いています。
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」

 知らないままに罪を犯し罪人となっている私たちを神様は赦してくださいます。私たちを赦すために神様はイエス・キリストを罪人として裁き、その罪の赦しを信じる人を義として正しい者として下さるのです。感謝しかないですね。


    ( PBA制作「世の光」 2021.5.6放送でのお話しより )


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■時を待つということ / 大井 満

2021年10月20日 | Weblog

2021/5/5放送

 世の光の時間です。今週のメッセージを担当しています東京にある板橋教会の牧師、大井満です。

 カナダのバンクーバー島という島から本土に帰ろうとした時のことです。午後2時ごろだったと思うのですが、駐車場に入っていったその時、一隻のフェリーボートが港を出て行きました。2、3時間に一本運行されているということを知っていましたので、特に不安に感じることもなく駐車場に車を停めました。

 そこへアナウンスが聞こえてきました。私の英語力で理解できたのは、ストライキに入ったので解決するまでお待ちくださいということでした。スマホはまだない頃でしたので公衆電話からホテルに電話をかけて、何時になるかわからないけれど宿泊するつもりなので予約をキャンセルしないで欲しいと依頼し、ひたすら待ち続けました。

 ストライキが解決して本土からのフェリーが到着したのは夜の10時ごろだったと思います。「ご不便をおかけしたのでフェリーの食事は無料です。」と言われたのは良かったですが、無事ホテルに到着したのは深夜になりました。

 この小さな経験を通して、私は忍耐して時を待つということを学んだと思います。

 ローマ人への手紙8章25節にこのように書かれています。
 「私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。」

 そして、26節に続きます。
 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」

 待っている時って、不安だったり怒りだったり、様々な否定的な感情が私たちを支配するのではないでしょうか。けれどもそんな私たちの現実を越えて、私たちのさまざまな思いを神の霊である聖霊ご自身がうめきとして神にとりなして届けてくださるのです。

 ですから待つことは良いことです。神様が働いてくださることを経験できるのですから。しかも、これは私たちの身体が贖われるという望みです。目に見える世界の希望ではなく見えない永遠の世界へとつながる希望を持ちませんか。

    ( PBA制作「世の光」 2021.5.5放送でのお話しより )


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■期待と心配は紙一重 / 大井 満

2021年10月19日 | Weblog

2021/5/4放送

 世の光の時間です。今週のメッセージを担当しています、東京にある板橋教会の牧師、大井満です。

 もう三十数年前になりますが、私は妻と幼い二人の娘とともに牧師としての学びを深めるためアメリカに留学しました。ある程度アメリカの生活に慣れて、もうすぐ神学校が始まるという時期に、お世話になってる先生方と話す機会がありました。

 その時、「もうすぐ授業が始まるね。」 「アーユー アンビシャス フォー スクール?」Are you ambitious for School? と尋ねられた私は、確信をもって 「ノー!」No!と答えました。すると先生方は 「ノー?」No? と驚いたような表情で聞き返して来られたのです。

 何が起こったのか私には分からなかったのですが、横にいた妻が 「アンビシャス フォー」ambitious for は「切望する」って意味だよと教えてくれたので、私はあわてて「イエス!」Yes! と言い直しました。アンビシャス ambitious  という単語の意味は、「心配する」だけだと信じ込んでいたのでした。

 「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」という聖書のことばがあります。旧約聖書イザヤ書40章31節です。実は、この直前の30節に、「若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。」とあるのです。

 私たちも疲れてどうしようもない時や、希望が見えない状況の中で力を失っていくことがあります。主である神様がいらっしゃる、助けて下さる、と信じ期待する者に神様が新しい力を与えてくださいます。しかもその力は一所懸命に羽ばたかなくても、高く昇っていくことのできる力です。自分で振り絞っていく力ではありません。ただ受けとめるだけでよいのです。

 心配と期待はまさに紙一重です。同じ「アンビシャス」 ambitious なのに、その後にたった三文字、エフ・オー・アール 「フォー」for とつくだけで「心配」が「期待」に変わるのです。

 あなたも神様を期待し待ち望みませんか? 私の留学は諸事情でごく短期間になりましたが、私にとって神様の恵みを体験する良い機会となり、その後の牧師としての歩みに大きな力を与えてくれました。「心配」を「期待」に変えてくださる神様を待ち望んで生きていきましょう。

    ( PBA制作「世の光」 2021.5.4放送でのお話しより )


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■失敗してもいいんです / 大井 満

2021年10月18日 | Weblog

2021/5/3放送

 世の光の時間です。今週のメッセージを担当します、東京にある板橋教会の牧師、大井満です。

 私は小学校三年生からカブスカウト、六年生からはボーイスカウトに入っていました。教会が地域からボーイスカウトをやって欲しいと依頼されて始めた働きでしたので、日曜日の礼拝に出られなくなるということもなく、楽しい日々でした。

 中学一年生の時だったと思いますが、梅雨の時期の土曜日の夕方からすぐ近くにテント生活の練習に出かけました。小学校六年生の新人隊員にとっては初めてのキャンプでしたけれど、二年目の私は班の次長という役割をいただいていました。テントを張り、飯盒(はんごう)でご飯を炊き、順調なキャンプに思えました。寝袋に入って休みましたが、夜中に雨の音で目を覚ましてからが大変でした。当然やっておかなければならなかったテントの周りに溝を掘るという作業を私たちの班はやっていなかったのです。雨水がテントの中を流れていました。

 イエス・キリストの弟子の一人ペテロは、ある時イエス様に向かってこう言いました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
 するとイエスがペテロに対しておっしゃいました。「下がれ、サタン。」
     マタイの福音書16章22節と23節に書かれています。

 実はペテロはこの時、有頂天だったと思うのです。イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16章15節) と尋ねられ、ペテロが「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16章16節)と模範解答をし、イエスに褒められたばかりだったのです。そのイエス様が、ご自分が殺されることを予告されたので、ペテロは「とんでもないことです。」と言ったのでした。

 人間は調子にのると失敗をします。そしてしっぺ返しを食らうのです。私は惨めなキャンプを味わい、50年以上たってもあの時のことは忘れません。ペテロは厳しい叱責を受けました。彼もこの経験を忘れず、後に生涯イエス・キリストの弟子・使徒として歩むようになりました。

 失敗してもいいんです。その経験をしっかり心に刻んでおけばいいのです。神様はそんな私たちを赦し、受け入れ、神様の御用のために使ってくださいます。

    ( PBA制作「世の光」 2021.5.3放送でのお話しより )


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■父よ彼らを赦したまえ / 関根弘興

2021年10月11日 | Weblog

2021.4.26放送

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 キリスト教会のシンボルマークは十字架です。今週は、イエス・キリストが十字架につけられ発せられた十字架上のことばを紹介しながら、十字架の意味を深く探っていきましょう。

 十字架刑は、両手両足に釘が打ち付けられ、死ぬまで苦しみもだえなければならない残酷な処刑でした。イエス様がその十字架につけられると何と兵士たちはくじを引いてイエス様の着物を分はじめました。十字架の周りには当時の指導者たち、兵士たち、そうした人たちが容赦なくイエス様に罵声を浴びせかけていました。

 壮絶な痛みと苦しみの中でイエス様が最初に発したことばはどのようなものだったのでしょう。何とイエス様は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と、とりなしの祈りのことばを語られたのです。

 人は死が迫っているときにはその人の心の内側が見えてくるものです。イエス様がただ口だけですばらしいことばを語るだけの人なら、死と苦しみの前で彼らを呪うことはしても、とりなしの祈りをすることなどなかったでしょう。

 ところで日本語で「ゆるす」という漢字は二つありますね。許可するの「許」の部分、そしてもう一つは恩赦ということばがありますが、その「赦」の部分ですね。許可するということばに使われる「許す」というのは、条件さえそろえば許されるということです。一方、恩赦の「赦」は、許してはいけないものを特別に赦すという時に使われます。

 罪は本来、許されることがないものです。例えば、おまわりさんが「泥棒しても許しましょう。人を殺しても許しましょう。」と言ったらどうなりますか? 無法地帯になります。神様は正義の神様ですから、どんな小さな罪も許すことはなさいません。本来、人は自らの罪のために神様の前に有罪判決を受けても文句を言えない存在なんです。

 しかし神様は私たちを愛しておられるので御子イエス様を送ってくださいました。そして罪のないイエス様が私たちの身代わりとなって十字架にかかり、罪の罰をすべて受けて下さったのです。だからここに私たちの罪が赦されるという道が開かれていったのです。
      (PBA制作「世の光」2021.4.26放送でのお話しより)
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■使徒16章 自害してはいけない / 福井 誠

2021年10月09日 | Weblog

2021/4/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、使徒の働き16章28節から「自害してはいけない」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「パウロは大声で『自害してはいけない。私たちはみなここにいる』と叫んだ。」

 昨日、キリスト教会初めての公会議エルサレム会議のお話しをしました。その後パウロはこの成果をアンティオキアの教会に伝えるために出発し、さらにその足で二回目の伝道旅行へと出かけています。およそ距離として1700km、東京を起点にすると九州桜島まで出かけ、折り返して福岡あたりまで戻ってきたような感じでしょうかねえ。

 昔は徒歩の旅で約44日間かかったとされています。しかしそのように靴底をすり減らして福音を語り続けるパウロのような人がいたからこそ今日のキリスト教もあったというわけですねえ。

 この箇所を読みながら感謝の思いが湧き上がるのは私ばかりではないでしょう。ともあれ、その旅は気楽なものではありませんでした。反対にあうのみならず牢獄に入れられ、鞭を打たれることもある、そんなエピソードの一つが記録されています。

 牢獄の中で真夜中に神を賛美するパウロ、鞭打ちの後が病んで眠れなかったのかもしれませんね。賛美しながら神と心を通じ合おうとし、この苦難を乗り越えようとするパウロの心を感じる所です。その時突然、大地震が起こり、牢獄の扉が全部開いてしまう大事件が起こりました。

 看守は責任を感じ自害しようとします。神を仰ぎ苦難を乗り越えようとするパウロと、神を知らず地上の出来事で自分の運命を決定しようとする看守が対象的ですね。パウロの大声が響きました。「自害してはいけない。」

 人は、お先が真っ暗という事態が生じた時にしばしば死を選ぶことがあります。しかしどんなに絶望的な崖っ縁に追い詰められたとしても、いのちある限り可能性はあると考えたいものですねえ。

 パウロにとって鞭打ちの傷が病む現実も、神が生きておられる現実も、同じように確かでした。ぜひ聖書通読を続け、神のことばに力を受けて人生を進みたいものです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.4.24放送でのお話しより )


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■使徒15章 主イエスの恵みによって救われる / 福井 誠

2021年10月08日 | Weblog

2021/4/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は使徒の働き15章11節から「主イエスの恵みによって救われる」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」

 15章はキリスト教会にとっては初めての会議の記録です。それはガラテヤ書にあるテーマ「信仰によって人は神に義と認められる」という基本的な教理についての議論であり、キリスト教会が公に原則を確認しあった歴史的に大変重要な出来事でした。

 そもそもの発端は、ユダヤ教的な背景で生まれ育ったユダヤ人のキリスト者がそのような背景のない異邦人のキリスト者の救いについて、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と異議を唱えたことによるものでした。しかしそれは聖書的な考え方というよりも、聖書の教えに自分たちの文化を付け加え、異邦人に押し付けようとする行為でした。

 こうして救いの本質の理解をめぐって教会に議論が持ち上がったのです。そしてこの問題に決着をつけるために教会は会議を開きました。激しい論争の後、ペテロが自らの経験と現実に教会に起こっている出来事に訴えて、異邦人がユダヤ人の文化に倣わずとも救われている事実を示します。そしてバルナバとパウロが、ペテロの話を裏付ける主の異邦人に対するみわざを語っています。

 最後に、エルサレム教会の指導的な立場にあった主の兄弟ヤコブがまとめています。神の与える救いにどんな民族的、人種的、文化的な要件も加えないこと、ただそれらに配慮すべきことが語られていますねえ。

 確かにキリストの十字架にある罪の赦しは完全なものであり、何一つこれに付け加えるべきものはありません。神はただ恵みによって、つまりイエスの十字架のわざのみによって私たちを受け入れて下さったのです。私たちの育ちや家柄、行い、熱心さ、何一つ関係がありません。そうであるからこそ救いは大きな喜びでもあるのですね。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.4.23放送でのお話しより )


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■使徒14章 同じ人間です / 福井 誠

2021年10月07日 | Weblog

2021/4/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、「私たちもあなたがたと同じ人間です」と題してメッセージをお伝えいたします。

 使徒の働き14章15節
 「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちもあなたがたと同じ人間です。そして、あなたがたがこのような空しいことから離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです。」

 パウロの宣教旅行はそんなに簡単な道のりではありませんでした。単純に語ったことに反対されるばかりではなく、悪意ある妨害を受けたり暴力を振るわれたりと、たくさんの障害を乗り越えていくものでした。

 ところが、パウロは決してあきらめない男です。彼は、福音宣教を続けます。そして、リステラという町に来ると、そこで一つの事件に巻き込まれます。

 パウロが生まれながら足の不自由な人を癒す奇跡を起こし、これによって町の人々から人間の姿をとった神とあがめられるのです。というのも、この町には一つの伝説がありました。ゼウスとヘルメスという神が町を訪れ、人々の冷遇に怒り、町を滅ぼしたという昔話です。

 そこでこの驚くべきことをしたパウロとそばにいたバルナバを見て、町の人々はゼウスとヘルメスが再来したと見たのです。彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロをヘルメスと呼びました。それは恐らくゼウスが背の高い堂々としたイメージ、ヘルメスは小柄でフットワークの軽いイメージがあったという背景によるものなのでしょう。

 自分の足元にひれ伏して災いが起こらないようにと拝むこの町の人々に、パウロはそれを制止し語りかけます。「人を神とするのは過ぎ去った時代のことで十分である」と。 つまり迷信的な信仰はもうやめましょう、ということでしょう。

 日本人は宗教的な国民とされ、おみくじ、占いも含めて国民の約70%が宗教行為に関わっていると言われています。その多くは迷信的、ご利益的なものです。信じていることの中身を理解せずに単純に良いことを期待するような信仰からは卒業したいものですね。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.4.22放送でのお話しより )


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■使徒13章 罪の赦しが述べ伝えられている / 福井 誠

2021年10月06日 | Weblog

2021/4/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は使徒の働き13章38節から「罪の赦しが述べ伝えられている」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。」

 今日からパウロの宣教旅行と呼ばれている記録を読んでいくことになります。実際にはアンテオケ教会が派遣した伝道者パウロの活動の記録ですね。パウロはアンテオケ教会の祈りと経済的な支援により今日のトルコとギリシャにある町々を回って精力的な活動をしました。

 その記録を読むと、彼らはまず同労者バルナバのキプロス島を皮切りに、ピシデヤのアンテオケという場所に進んでいますね。そこでパウロは会堂に入ると聖書を開いてイエスのことを語るのです。これは聖書に記録されたパウロの初めての説教です。

 パウロはイスラエルの歴史、イエスの働き、信仰による救いという三つのポイントで語りました。つまりイエスが旧約聖書に約束されたダビデの子孫としてお生まれになった方であること、そしてこのイエスが死に値する罪は何もなかったのに十字架につけられたこと、最後にイエスの死はそれで終わらず復活し、確かに約束のメシヤであることを明らかにされた、と語るのです。

 パウロが何よりも語りたかったことは38節、このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているということです。

 キリスト教信仰を持つというのは聖書を片手に何やら哲学的な思索をし悟りを得ることでも、聖書に書かれた敬虔な戒めに自分を従わせる修道的な生活をし何がしかの人徳を身につけることでもありません。

 それは、神が正しくない私たちのためにしてくださった出来事があることを知ることです。人の罪の赦しのために身代わりとなって神の呪いと罰を受けられた方がおられることを知り、その方に下されるはずだった神の恵みが私たちのものとなることを信じることですね。

 では今日も良い一日となるように祈りなります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.4.21放送でのお話しより )


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