♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしは世の光である / 板倉邦雄

2019年12月31日 | Weblog
2019/12/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
まず始めに、ヨハネの福音書8章12節を読みます。
 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。

 今日はクリスマス・イブですね。ほとんどの教会で夕方から夜にかけて、燭火礼拝・キャンドルサービスをしています。私の教会も毎年5時からしています。キャンドルの灯火はこの暗き世に世の光として来られたイエス・キリストを表しているのです。「わたしは世の光です。」「わたしは世界の光です。」とイエス様が言っているのです。

 この恵みの光はすべての人に注がれます。そこに区別はありません。イエス・キリストはすべての人に恵みを注ぐために、この世に来てくださいました。ですから私たちはイエス・キリストの恵みの光に与かるために二つのことを知らなくてはなりません。

 一つは、私たちはこの世の暗闇の中にいるということ。二つ目は、私たちはこの暗闇の中で心の目が不自由である、ということを知ることです。

 そうしますと次のイエス様の約束が私たちに伴うものです。「わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持」つのです。世の光であるイエス様に従うということはイエス様を信頼して従うことです。自分の人生を光であるイエス様にゆだねて歩むことです。ですからこの世が真っ暗であっても、光があるので道に迷うことなく安心して歩くことができますね。私たちは暗いから不安で心配というのではありません。光がないということが不安なのです。

 東日本大震災の時、まっ暗闇の道路を家路に急いだ時、コンビニ店の明かりがついているのを見てほっとしたことを思い出します。ですから、世の光であるイエス・キリストに私たちが目を向けるとき、私たちの周りがどんなに暗く、どんなにまっ暗闇であったとしても、心騒がし恐れることはありません。この世の光であるイエス様を仰ぎ見て信頼し、従うならば、いのちの光、人生の光を持ち続けることができるのです。

 いかがでしょうか。今晩、思い切って近くの教会で開かれていますクリスマスのキャンドル礼拝へ参加してみたらどうでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2019.12.24放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■クリスマスには、キリスト教会へ / 岩井基雄

2019年12月30日 | Weblog
2019/12/23放送

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。 岩井基雄です。このクリスマスにこそ、ぜひキリスト教会にいらしていただきたい、との思いを込めて教会について学んでみましょう。

 キリスト教会にある特徴的なものは十字架ですね。豪華なパイプオルガンやステンドグラスがある教会もありますが、多くの教会は質素です。しかしどの教会にも十字架があります。それは世の光であるイエス・キリストが闇を照らし、その闇を光に変えるために、私たちのすべての罪のさばきをご自身の身によって十字架で裁かれてくださったからなのです。ですからこの十字架は神の愛と神の御子キリストの愛のしるしです。いのちがけの愛を届けるために、キリストは神御子としてのありかたを後にして、この地上に人として来られ、十字架の死へと向かってくださったのです。そして死に打ち勝ち、三日目によみがえってくださいました。このキリストの十字架と復活を表しているのがキリスト教会の十字架で、キリストの復活の勝利を表すためにキリストのからだはつけられていない十字架が多いのです。

 キリストの復活は日曜日でした。その日曜日の朝にキリスト教会では神への感謝と賛美の溢れる礼拝をささげているのです。教会はすべての人に開かれています。あなたのためにもキリストはこの地上に来られ、十字架にかかり、よみがえってくださったからです。あなたもキリストにある愛と平安と希望をこのクリスマスに教会で味わい受け取りませんか? 小さく貧しくなられたキリストの愛はあなたの心深くに注がれています。それはあなたがこのキリストの愛と希望によって豊かなものとなるためなのです。

 聖書のことば
 「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
      新約聖書コリント人の手紙第二 8章9節

 全世界で祝われるクリスマスは全ての人々のために救い主キリストがこの地上に来てくださった喜びを深く味わう時です。ぜひあなたもキリストの愛を受け取り、豊かな人生を歩み始めるために、キリスト教会にいらっしゃいませんか? キリスト教会はあなたのおいでをお待ちしています。このクリスマスにこそ、どうぞ教会にお出かけください。

 (PBA制作「世の光」 2019.12.23放送でのお話より )

***

このサイトは URL名とかして
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■良い知らせを伝える / 羽鳥頼和

2019年12月28日 | Weblog
2019/12/21放送

 世の光の時間です。羽鳥頼和です。

 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネの福音書8章12節)
 先週はイエス・キリストが世の光であることをお話ししました。今週は、私たちも世の光として生きる、というテーマでお話ししています。今日は、神は私たちを世の光として用いてくださるのでイエス・キリストを信じた人も良い知らせを人々に届けることができる、ということをお話しします。

 この良い知らせとは、神が人を救ってくださる、という知らせです。旧約聖書のナホム書3章を見てみましょう。3章には、ユダの国を滅ぼしたアッシリアを神が必ず滅ぼすとの約束が語られています。このことはアッシリアにとっては恐ろしい知らせでした。しかしアッシリアに滅ぼされるかもしれないユダの国にとっては良い知らせでした。ですから神はユダの人々にはこのように語られました。
 「見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。・・・よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。」(ナホム書1章15節)

 ここで、神は良い知らせを人を通して伝えられる、ということに注目したいと思います。このラジオ番組「世の光」も平和を告げる良い知らせであるキリストの福音を人々に伝えようとしています。私は神がラジオの電波を用いてキリストの福音を知らせておられると思っています。

 こんなことがありました。仙台のある青年がラジオ番組の「世の光生き生きタイム」をたまたま聴きました。その電波は遠く愛知県からの電波でした。それからラジオのメッセージを聴き続けた彼は手紙を愛知県の世の光の事務所に送りました。こうして手紙のやりとりが続きました。そして彼はキリスト教会を紹介され、その教会に通うようになり、イエス・キリストを信じたのです。クリスチャンになった彼はお母さんを教会に誘いました。そしてお母さんもイエス・キリストを信じたのです。

 神は救われた人を、神の救いの良い知らせを伝える世の光としてくださるのです。

 明日は日曜日です。イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスのこの時、ぜひお近くのキリスト教会にいらして良い知らせをお聞きください
 
 (PBA制作「世の光」 2019.12.21放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あなたは世の光です / 関根弘興

2019年12月27日 | Weblog
2019/12/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス・キリストは 「わたしは世の光です。」と言われました。それは、この世はイエス・キリストがいなければ暗闇のままだ、という大胆な宣言のことばなんですね。そしてイエス様は続けて、「わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」と言われたんです。

 新約聖書の後半の手紙を沢山書いたパウロは、エペソ人の手紙5章8節で
あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。
                  光の子どもとして歩みなさい。

 と記しています。これはパウロ自身の姿でもあったように思います。彼の人生は以前はクリスチャンを迫害し、喜びも平安もない、それこそ暗闇の中にいるような人生でした。しかし今は主にあって光となりました、と記しているんですねえ。イエス・キリストの光に照らされ、今度はその光を周りに輝かせる世の光となったというのです。

 でも誤解しないでください。私たちは自分の内側から自分の力で光を発することなどできません。ただ、キリストの素晴らしい栄光を反射させて輝くことのできる者に変えられていくというのです。

 反射望遠鏡をご存知ですか。その中には磨かれた鏡が入っていますよね。その鏡に映し出されたものを拡大していくわけです。ですから鏡がどれほど磨かれているかがその望遠鏡の善し悪しを決めるわけです。

 聖書には素晴らしい言葉が記されています。第二コリント人への手紙3章18節 
 「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、
   栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。
            これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。


 私たちは鏡のように主の栄光を反映させながら生きてことができるんですよ、というんです。ですからどうして自己卑下することがありましょう。どうして人と比べて落ち込む必要があるでしょう。私たち一人ひとりは素晴らしい救い主イエス様の栄光を反射する鏡なんです。そして私たちの内に住んでくださる聖霊の働きによって、私たちは主と同じ栄光の姿に変えられていくと約束されています。何と素晴らしい約束でしょう。このクリスマス、あなたの暗闇をそして虚しさを照らすイエス・キリストを信じ、ぜひ歩んで行ってください。

     (PBA制作「世の光」2019.12.20放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あなたも光として輝く / 大嶋重徳

2019年12月26日 | Weblog
2019/12/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。クリスマスおめでとうございます。
 クリスマスイブ礼拝が近づいています。教会では多くの場所でろうそくをともし、その光を浴びながらキリストが来られたクリスマスを喜び祝います。クリスマスに来られたキリストは
わたしは世の光です」(ヨハネの福音書8章12節)と言われました。そして「あなたがたは世の光です」(マタイの福音書5章14節)とも言われたのです。光であるイエス・キリストを受け入れるとき、私たちは光をも受け入れたのです。私たちの存在そのものがこの光によって明るくなりました。いのちの光を持つ者となったのです。

 私たちは誰かの存在によって励まされ慰められるということがあります。スポーツ選手の頑張りを見て、自分も頑張ろうと思える。お笑い芸人の笑いで慰められ、滅入っていた気分が少し晴れるということもあります。元気をもらえるような存在です。しかしその一方で、自分も同じようになれるか?と思うと、ほど遠いなと思います。

 私の教会では癌の戦いの中にある方がおられます。珍しい癌細胞で、その治療に効く薬はほとんどありません。新しい薬を試す治験のグループに入り、とてつもない副作用に襲われ、本当に苦しまれている。しかしその治療先の同じく入院されてる癌患者にその方がお見舞いし、イエス・キリストの存在を伝え、お祈りし、次は牧師も連れてきますね、と言ってこられる。どんな癌患者の方も驚かれるのです。一体どのようにしてあのように生きられるんだろうか。するとその方は言われます。「皆さんのお祈りのおかげです。祈られていることで私は今こうやって生きていられる。」 その方の存在はただ単純に、励まされる、頑張ろうと思うこと以上に、神がおられること希望を与えるのです。この世界には神がおられて、私たちが祈る時に神が生きて働かれることへの望みが与えられるのです。自分もこの望みを捨てるわけにはいかない。そのような光となってくれる存在です。

 自分にも今日いろんな大変なことがあります。しかしその方のことを思うと、その方のそばにおられる神様のことを私は思い出すのです。光なるキリストに心を向けることのできる光なる存在が私にとってその方です。私にとってラジオをお聴きの皆さんの存在も光なる存在です。ああ今日も聴いていてくださる方がおられる、と思うと心がぽっと明るくなります。あなたのそばにおられるキリストの光を思うと、あなたの輝きがこちらにも伝わってくるのです。あなたもまた光の存在となることができるのです。あなたの光がこのクリスマスの輝きの中で、さらに豊かに輝いていきますように。



    ( PBA制作「世の光」2019.12.19放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あなた方は世の光です / 福井 誠

2019年12月25日 | Weblog
2019/12/18放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。ピリピ人への手紙2章13節から16節 「あなた方は世の光です」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
 
 先週はヨハネの福音書のエピソードから、キリストが光であることを教えられましたね。世に光をもたらすために来られたキリストを仰ぐときに、人生には希望があることを教えられました。確かに世の中には希望のないことは多いものです。何が希望がないかと言えば、上に立つ人が自分のことしか考えないときですねえ。あまつさえ自分の立場を守るために人を利用し、もて遊び、平気で悪を働き、そしらぬふりをしている。そんなことがまかり通っている社会には希望はありません。このような時代に生きていると、人の顔色ばかり見て、少しでも火の粉がかからないように、そして少しでも自分にとってはいい思いができるようにと上目使いで生きるしかないように思えてきますね。そして本当に何が良いことなのかもわからないような人生を生きる羽目にもなるものです。今の時代もイエスの時代も同じようなものであっただろうと私は思います。

 しかし、聖書を開いて毎日読んでいると、そうじゃない、そのようないい加減で腐ったような人生に染まっていく必要はないのだ。たとえ真面目だ等とバカにされても誠実で直ぐな心で生きることが大事なのだなあ、と思わされるものですね。世の光であるキリストを見るときに、自らも光の子として歩む勇気をいただくことができます。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.12.18放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あなた方は世の光です / 板倉邦雄

2019年12月24日 | Weblog
2019/12/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
では始めに、マタイの福音書5章14節を読みます。
 「あなたがたは世の光です。

 イエス・キリストはこの暗き世の光としてこの世に来てくださいました。私たちもイエス・キリストから世の光としてこの世に置かれているのです。イエス・キリストを星に例えるなら太陽でしょう。私たちは月です。私たちは自分から光を発して輝くことはできません。しかし太陽であるイエス・キリストの光を受けて輝くことができます。身近な人たちに笑顔で接したり、慰めや励ましの言葉を与えたりすることは世の光である私たちの働きの一つではないでしょうか。

 そこで、キリストの伝道者となってこの世の一隅を照らす光になろう、と決意した私の証しをしたいと思います。

 私は高校3年生の春にキリスト信徒となりました。そしてその年の夏にキリストの伝道者になりたいなあという願い・志が与えられていました。しかし既に大学への推薦が決まっていました。父親に話したら、親でも子でもないと反対され、母親には大学を卒業してからでも遅くはないでしょうと泣きながら止められました。しかし一日も早く聖書の学びと訓練を受けて、僕のように人生の目的や生きる意味がわからず悩み苦しんでいる人たちにイエス・キリスト様を伝えたい。そして生きる目的を発見し、自分の価値と使命をもって人生を生きてもらいたい、と願うようになりました。そのような悩みの中で、一つの聖書のことばが私の献身を促したのです。
 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」 ピリピ人への手紙(2章13節)のことばでした。主なる神様は私が願わないことをさせない。願いや志を与えてくださるのも神様であって、実現させてくださるのも神である、と確信しました。そして高校卒業後、伝道者育成の学校へ行き、6年間の学びと訓練を受けたのです。あれから55年の伝道者の生涯が過ぎました。教会を通して、またラジオを通して具体的にイエス・キリストの言葉を伝えて参りました。まことに少しですが、この世の一隅を照らす世の光とさせていただいたことを感謝しています。

  (PBA制作「世の光」2019.12.17放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あなたがたを世の光とするために / 岩井基雄

2019年12月23日 | Weblog
2019/12/16放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。クリスマス特集第二週は、世の光であるキリストを通して私たちをも光としてくださる恵みについて考えてみましょう。

 私たちが光とされるのは私たちが輝くというより、まことの光であるキリストの光を私たちが鏡のように照り輝かせる存在となるということを意味します。太陽の光を反射させて輝く月のように私たちも闇の世を照らすことができるというのですね。

 キリストは弟子たちに向かってこう語りました。
 「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
 「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
           新約聖書マタイの福音書5章14節、16節

 弟子たちは弱く欠けの多い存在でした。しかしまことの光であるキリストはその光を通して弟子たちに力を与え、内側から造り変え、人々の光として用いてくださったのです。

 光には四つの働きがあると言われます。それは物を照らし、対象を温め、対象を育て、そして正しく導くという働きです。まことの光であるキリストは人々の心を照らし、罪を示しますが、罪を認め悔い改める者に豊かな愛を注ぎ、内側から温め、正しい歩みへと育み、その人の歩みを通して周りの方々が神をあがめるようにと正しく導いてくださるのです。ロウソクの炎が昼間でも良く見えるのは、ロウの中にある不純物が燃焼するからだと言われます。私たちの罪を光に変えてくださる神様は、私たちが自分の罪を認め、まことの光であるキリストによる罪の赦しを受け取ることを待っていてくださいます。そして罪赦された私たちを神の子どもとして光輝く者へと変え続けてくださるのです。

 聖書はこう語っています。
 「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
  それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、
  また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
  いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。

         新約聖書 ピリピ人への手紙 2章14節から16節

 キリストの光を輝かせる歩みはあなたにも用意されているのです。

 (PBA制作「世の光」 2019.12.16放送でのお話より )

***

このサイトは URL名とかして
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■主が求めておられること / 羽鳥頼和

2019年12月21日 | Weblog
2019/12/14放送

 世の光の時間です。羽鳥頼和です。
 今週は、わたしは世の光です、というテーマでお話しています。イエスはこのように言われました。
 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネの福音書8章12節)
 
 闇の中とは、人の生きるこの世の状態を指していることばです。今の世の中の闇とは何でしょうか。私が一番に思うのは戦争です。20世紀は戦争の世紀と言われました。21世紀になっても戦争は絶えません。神は、戦争の絶えないこの世界について、神がなさることを約束しておられます。今日は旧約聖書のミカ書の神からのメッセージを聞きたいと思います。

  「主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
                ミカ書4章3節

 神は世界をさばき、戦いを無くされ、平和な世界を築いてくださいます。

 どのようにしてこの約束は果たされるのか。神はこう語っておられます。
 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。
                 ミカ書5章2節
  これは、ベツレヘムから出てくるお方が世界に平和をもたらす、という預言です。この方こそ今から二千年前にベツレヘムでお生まれになったイエス・キリストです。このイエス・キリストによって、神の救いが実現するのです。

 そして神が救われた人に求められることが語られています。
  「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
           ミカ書6章8節

 イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスのこの時、神とともに歩み、正しいことを行い、誠実を愛しましょう。
 
 (PBA制作「世の光」 2019.12.14放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■わたしは世の光です / 関根弘興

2019年12月20日 | Weblog
2019/12/13放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 クリスマスの時期がやってきましたね。ヨハネの福音書8章12節のことばを今日は紹介しましょう。
 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。

  イエス・キリストは「わたしは世の光である」と言われたんですねえ。つまりこの世はイエス・キリストがいなければ暗闇のままだ、というとても大胆な宣言のことばなんです。

  聖書が教える「世」とは一体何でしょう。
  それは神様抜きの世界という意味なんですねえ。またそれは私たち一人一人のことでもあると言ってもよいのです。

 昔、小学生の集まりで、もし太陽がなくなったらどうなると思いますか?、と尋ねました。するといろんな答えが返ってきたんです。みんな凍えて死んでしまうとか、何も見えなくなってしまうとか、中には洗濯物が乾かないと可愛らしい答えを出した子もいました。

 光というものは生きる上でとても大切な役割を持っています。私たちはそうした光なくして人生を歩むことができません。実はそれは私たちの人生の道を照らし、行くべき方向を示す光も必ず必要だということなんですね。

 ところが誰もが喜んで光を受け入れるかというとそうではないように思うんです。なぜなら光によって今まで見えなかった汚いもの、自分が見たくないもの、人に見られたくないものまでが光によって照らし出されてしまうということがあるからです。

 冷蔵庫の裏側を懐中電灯で照らしてみてください。想像できるでしょ? タンスの暗い隙間を照らしてみてください。何が見えますか? そう、暗闇にはゴミがたまるんですねえ。光に照らされるということは事実を突きつけられるということでもあるんです。自分の姿をまざまざと見せ付けられることもあるでしょう。それは時にはとても辛いことです。

 しかしイエス・キリストは私たちの心を照らしてくださる方として来てくださいました。すると何が見えますか。醜い自分や、汚い自分や、高慢な自分が見えてくるのです。本当の自分の姿を知ることになるんですね。

 しかし自分と正直に向き合うことなしに本当の赦しの恵みを味わうことができません。光に照らされなければ本当の人生を歩むことができない、と聖書は教えるんです。イエス・キリストは私たちの心を照らしてくださるお方です。そして光に照らされていくなら闇は必ず消えていくんです。

     (PBA制作「世の光」2019.12.13放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする