♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■最初のプロテスタント宣教師… ベッテルハイム/岩井基雄

2015年07月31日 | Weblog
2015/7/31放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンやキリシタンの生涯から学んでいますが、今日は明治期、最初の(プロテスタント)宣教師として沖縄、当時の琉球王国に来て神の愛を伝えたベッテルハイムについて一緒に学んでみましょう。

 日本にプロテスタントの宣教師が来たのは沖縄が最初でした。英国人宣教師であり医者でもあったベッテルハイムは1846年に琉球を訪れ、家族と共に那覇市の護国寺に滞在します。彼の到着当時、琉球ではキリスト教は禁じられていました。ベッテルハイムは退去要請を受けます。彼が到着する2年前に、フランスから来たカトリックの宣教師たちがフランス海軍の武力を背景にした布教活動を行なったことへの抵抗もあったそうです。しかしベッテルハイムは忍耐強く交渉を続け、イギリス本国も協力し、彼は琉球に住むことができました。しかしそれでも琉球国王の葬儀に参列しようとした時に、人々にとり囲まれ、殴打されたこともあったのです。それでも彼は、人々を愛し仕え続けました。キリストの愛を伝える傍ら、彼は英語も教え、また聖書を琉球語に訳し発行するなど、多岐にわたる愛の働きを続けました。また医者としてイギリスで発見された天然痘の予防接種なども日本人の医師に伝えたのです。誤解を受けても傷付けらることがあっても人々愛し、仕え続けたベッテルハイムの姿は人々の心にキリストの愛の姿を深く届けていきました。それはイエス・キリストが人々を命がけで愛し仕え、十字架にかかって人々の罪の裁きを身代わりに受けるまで愛を表してくださったからです。
 聖書のことば
 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」 新約聖書 マルコの福音書 10章45節
 
 あなたもイエス・キリストの命がけの愛、本物の愛で愛されています。その愛によって喜んで人に仕えるその歩みを始めてみませんか? キリストの愛はあなたを愛の人、喜びの人、喜んで人に仕える人に変えていくのです。愛の人への一歩を あなたも歩み出しませんか?

 (PBA制作「世の光」2015.7.31放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■飛びかける鳥のように/福井 誠

2015年07月30日 | Weblog
2015/7/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「飛びかける鳥のように」です。それではイザヤ章31章5節からお読みしましょう。
 「万軍の主は飛びかける鳥のように、エルサレムを守り、これを守って救い出し、これを助けて解放する。
 
 先週は、イスラエルがエジプトと同盟を結ぶために動き出そうとした時にイザヤが反対していた、そんな場面からお話をしました。今日はもう少し時間が経って同盟の話が具体的に進んでいった時の事です。

 イスラエルからエジプトの中部まで遠い道程を派遣された者たちは同盟締結が間近であることに沸き立ち、アッシリヤの脅威に対してエジプトの馬や戦車の助けに期待していました。しかしイザヤはそういう人間のはかり事がどんなに賢くても無益になるのだ、と語ります。物事がうまく動きそうに見えても、人間が考える通りには物事が進まない、すべては万物の支配者の神の御心によるのだ、という訳です。

 イスラエルの指導者たちはエジプトの強力な軍事力、馬、戦車、騎兵隊に守られようとしました。それは何よりもの最善に見えました。しかし神はエジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も肉であって霊ではない、主が御手を伸ばすと助ける者はつまづき助けられる者は倒れてみな共に滅び果てる、と言います。そして逆に神を求めるならば、「万軍の主は飛びかける鳥のようにエルサレムを守り、これを守って救い出し、これを助けて解放する。」という訳ですねえ。

 一体どうやって?と思う方もいるかもしれませんが、神様は私たちの思いを超えたことをなさるお方なのです。私たちが信じる神様は、この世界を創造し支配しておられる神様です。人類の歴史を始められ、人類の歴史を終わらせる神様です。その人間と歴史のすべてを支配しておられる神様が私たちの味方になってくださることこそ私たちは求めなくてはなりません。そうすれば機会を狙ってさっと飛びかけるて来る鳥のように私たちの助けとなってくださる、と言うのですね。ぜひ聖書を続けて読んで、この神様を知っていただきたいと思います。

 (PBA制作「世の光」2015.7.30放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■過越し祭/板倉邦雄

2015年07月29日 | Weblog
2015/7/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「過越しの祭」という題でお話ししましょう。

 8月15日は私たちの国にとって敗戦記念日です。今から70年前になりますでしょうか、消して忘れてはならない日です。

 さてイスラエルの人々にとって忘れてはならない記念日を祭りとして守らなければなりませんでした。即ち「主の過越し」です。主なる神様はモーセに命じたのです。 
 「この過ぎ越しの日はあなたがたの記念となり、あなたがたは主の祭りとして過越しの祭りとして守り行いなさい。七日の間、あなたがたはイースト菌の入らないパンを食べる。(---荒野での旅は乾燥したパンは腐りませんでしたから。---) ですからこの祭りは種無しパンの祭りと呼ばれるであろう。この日わたしがあなたがたをエジプトの国から導き出したからである。正月の14日の夕方にイースト菌の入らないパンを食べ、その月の21日の夕方まで続ける。七日間は家にイースト菌を置いてもイースト菌を入れたパンを食べてはならない。食べた人はイスラエルの会衆から除外されるでしょう。」(参照出エジプト記 12章14~19節 )

 以上が主の過越しの祭り制定でした。パンだけの規定ですが子羊の血の規定や焼いて食べる規定もあったことでしょう。

 さてキリスト教会では月の初めや毎週大事に守っている祭りがあります。カトリック教会ではミサ、キリストの祭りと言い、プロテスタント教会では主の聖晩餐とか聖餐式と呼んでいるものです。この祭りを制定したのはイエス・キリストでした。いつ制定されたかと言いますと、主の過ぎ越しの祭りの最後の晩餐の時だったのです。イースト菌の入らないパンを食べ、赤いぶどう酒と子羊を焼いた肉を食べている時でした。イエス・キリストはおもむろに乾いたパンを取り、感謝してパンを裂き、弟子たちに与えて言われました。「とって食べなさい。これはわたしの身体である。わたしを記念してこの祭りを行いなさい。」(参照1コリント 11章24節 ) 食事の後、杯を取り、「この杯から飲め。この杯はわたしのの血による新しい契約である。多くの人の罪を赦すために流されるものである。わたしを記念してこの祭りを行いなさい。」(参照1コリント 11章25節 )

(PBA制作「世の光」2015.7.29放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■主の祈り 26 / 大嶋重徳

2015年07月28日 | Weblog
2015/7/28放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。 主の祈りには「御国を来たらせたまえ」という祈りがあります。

 私は学生伝道(※大学生にキリスト教信仰を伝える)の仕事をしていますが、ある時期、何のためにこの仕事をしているんだろうか、ということで悩んだことがありました。そしてその頃、マレーシアに自分と同じように学生伝道の働きを始めたばかりの世代が集まってトレーニングを受ける機会があったのです。悶々として自分は、いろんな人に、何のためにこの仕事をしているんですか?と聞いて回りました。すると、空港に送ってくれたタクシーの運転手をしているクリスチャンの方で、運転をしながら、「神の国を建てているんだよ」と言われたのです。格好いいなあ、と思いました。

 「御国を来たらせたまえ」と祈るクリスチャンは、自分が置かれている場所で神の国の建設をなします。ある人は医療関係者として、ある人は教育の現場で、ある人は営業先で、ある人はリンゴ農園で、今日の自分の一日が神の国の建設をなすとはどうすることだろうか、と考えながら生きるのです。また父親として母親として夫として妻として子どもとして、神の国を建てあげると一体何なのか、と問い続けながらキリスト者はこの日常を生きるのです。

 その生き方は周りの人たちに問いを生み出します。なぜあの人はそんなに忠実に仕事をするんだろうか、なぜこのような状態に陥ってもなおあの人は心の平安を失わないのだろうか、なぜ多くの人が平気で不倫をし浮気をする中であの人はひとりの妻だけを愛し抜こうとするのだろうか。そして周りの人は思うのです。ああ、彼は彼女はクリスチャンだからか。だからこのような失望せざるを得ない状況の中でも祈り続けることができるのか。・・・

 「御国が来ますように」という、神の国の実現を願うクリスチャンの生き方はこの世界にクリスチャンとして生きる魅力を伝えながら生きることとなるのです。

 あなたが今日家族のためにお弁当を作り、早起きして朝ご飯の準備をし、包丁でトントントンと大根を切るまな板の音は、神の国の柱のくぎを打つ音と一つのことだ、と神様は数えてくださるのです。あなたが病床で「御国が来ますように」と祈る祈りは、神の国の建設のために何よりも必要なことをしてくれた、と神様が喜んでくださる祈りとなるのです。

 このようにして生きるキリスト者の生き方を通して神の国の建設はなされ、神の国は実現していくのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.7.28放送でのお話しより )

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■確信を持って生きる 4 / 関根弘興

2015年07月27日 | Weblog
2015/7/27放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちが不安になってしまう原因の一つは、明日のことが分からないということにあるかもしれませんね? 明日のことが分ればいいのに・・・、でも分からないのが現実です。ですから占いなどのブームに火をつけているのかもしれませんね。ま、それだけみんな不安なんですよね。

 ある裕福な家庭の奥さんが悩みがあるので聞いて欲しいというので、一人の牧師がその家を訪問しました。「奥さん、どういう悩みがあるんですか?」 「はい、私にはたくさんの財産があるんです。」 「ああ、いいじゃないですかあ。それで?」 「実はうちの主人が、」 「あっ、旦那さんに何が悪いくせでもあるんですか?」 「いいえ、違うんです。本当に良い主人なんです。」 「それじゃ別に悩むことないじゃないですかあ。」 「いやあ聞いてくださいよ。うちの息子、」 「ああ、息子さんに問題があるんですか?」 「いいえぇ、息子は一流大学を出て一流会社に就職しています。もう言うことなしの息子なんです。」 「それじゃあ一体、何が不安なんですか?」 「ええ、だから聞いてください。私は今幸せなんです。でもいつこの幸せが終わるかと思うと不安で不安で夜も眠れないんです。」 まあ、こうおっしゃったというんですねえ。贅沢な不安ですよね。でもこの方の気持ちもよく分るように思います。いつ幸せが終わるかと思うと不安で不安でしようが無い。先がどうなるか分からない、そんな不安を抱えている訳ですね。

 「わたしについてきなさい。」と言われたイエス・キリストは、何とこの世界の動きやまた将来の世界の流れを明確に把握されていました。

 ある時、弟子たちがイエス・キリストの元にやってきまして、「イエス様、イエス様。世の終わりにはどんな前兆があるんでしょうか。」 そんなですねえ質問をしたのです。
 そうするとイエス・キリストは細かな事例を出して、はっきりと世の終わりにはこういうことがあるんですよ、ああいうことがあるんですよ、とお答えなったんですね。イエス様は、この世には初めがあって終わりがあるのだということを明確に知っておりました。

 そして何と自分のゆくべき将来についても明確に知っていたのです。これはすごい事ですよね。
 イエス・キリストはこうおっしゃいました。マタイの福音書の6章の34節
  「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
 何とすごいことばでしょう。私たちは心配の多い日々を送っています。でもイエス様は、あなたが明日のことが分からなくても大丈夫だよ、わたしがちゃんと知っているから、と語りかけてくださるのです。明日のことを心配するのはやめましょう。

 (PBA制作「世の光」2015.7.27放送でのお話しより)

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■主を怒らせたマナセ王の非道/羽鳥頼和

2015年07月25日 | Weblog
2015/7/25放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 旧約聖書列王記第二21章に、ユダの国のマナセ王が行なった悪について語られています。彼は偶像崇拝を行いました。国の各地にバアルの神の祭壇を建て、エルサレムの神殿の庭には太陽や月や星のための祭壇を建てました。そして神殿の中にはアシェラの神の祭壇を建てたのです。また彼は、神が行なってはならないという外国の慣わしを行いました。彼の行なった恐ろしい罪は彼にとどまりませんでした。国民も同じように罪を犯すようになったのです。そしてマナセの子アモンは王となって父と同じように罪を犯し続けました。罪は伝染病のように人々に伝染し、そして次の世代へと伝染していくのです。そしてその人に必ず死をもたらします。マナセの罪は神の怒りを引き起こしました。そして神の災いがマナセとユダの国の上にもたらされました。

 列王記はこのように、人の罪の恐ろしさを語っています。同じ出来事を記録している旧約聖書の歴代誌第二33章では、神の災いがもたらされた時のことをもう少し詳しく語っています。

 アッシリヤがユダの国に攻めてきたのです。そしてマナセは捕えられてバビロンに連行されてしまいます。異国の地で囚われの身となった彼は、自分の罪を悔い改めて神に祈ったのでした。神はマナセの祈りを聞き、彼はエルサレムに戻ることができました。そしてマナセは自分の建てた偶像のための祭壇をすべてぶち壊しました。マナセにとって神の怒りによる恐ろしい災いは、神に立ち帰る回心の機会となりました。そして神は彼の悔い改めを受け入れてくださったのです。

 自分の罪を悔い改めることは人に救いをもたらします。旧約聖書のイザヤ章55章7節に、悔い改めることのすばらしさが教えられています。
 「悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
 
 明日は日曜日です。神のもとに帰りましょう。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.7.25放送でのお話より )
 
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■いのちをかける愛 ジョバンニ・シドッチ/岩井基雄

2015年07月24日 | Weblog
2015/7/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は江戸時代の後期、明治の前、最後の宣教師とも言われたジョバンニ・シドッチについて学んでみましょう。

 徳川時代、キリシタンへの取り締まりや弾圧は他の国に比べても類を見ない程過酷で徹底したものとなりました。幕府はどんな残酷な処刑もキリシタンたちの信仰を捨てさせるには効果が薄いと知るや対策を変え、捕えた宣教師たちを説得し拷問し、そして彼らを信仰から離れさせた方が良い、と考えました。日本での宣教師の殉教がヨーロッパに伝えられる中でイタリアのシチリアにいた青年ジョバンニ・シドッチは日本への思いを抱き、マニラでの四年間の訓練の後、宝永5年、1708年、ついに日本にやってきました。

 髪型を変え、和服に大小二本刺しという侍の姿に変装した彼は屋久島に上陸するや否や捕えられ、取り調べを受けた後、江戸に連れて行かれてしまいました。彼は当時、幕政の実力者で儒学者であった新井白石の尋問を受けますが、どんな尋問を受けようとも日本での福音宣教が目的であるとのことばを変えませんでした。多岐にわたる白石の尋問の際、シドッチは白石に対して地理、歴史など最新の世界の情報だけではなく何よりもキリストの愛、キリスト教の知識、聖書の教えを語りました。白石はシドッチの人格と学識に感銘を受け、敬意をもって接し、後に彼との交流から『西洋紀文』を記します。シドッチは決して信仰を捨てませんでした。幕府は囚人として彼をキリシタン屋敷に収容することにしましたが、彼に敬意を抱く召使い夫婦に洗礼を施したということが発覚し、この屋敷の地下牢に幽閉され、1714年10月そこで天に帰りました。命がけで日本を愛し、46年の生涯を閉じたのです。彼のように、あらゆる迫害や苦難にも負けず、イエス・キリストの福音と愛を語り伝えてくださった多くの宣教師の方々の存在が今の私たちの恵みに繋がっているのですね。

 聖書のことば
 「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」 新約聖書 ヨハネの福音書12章24節

 あなたも神の愛に生かされる歩みを始めませんか?

 (PBA制作「世の光」2015.7.24放送でのお話しより)

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■落ち着いて信頼すれば/福井 誠

2015年07月23日 | Weblog
2015/7/23放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「落ち着いて信頼すれば」です。

 それではイザヤ書30章15節をお読みしましょう。
 「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。

 預言者イザヤは当時エジプトと同盟を結ぼうとしたイスラエルに警告を発しました。「どんなに謀り事をめぐらしても、また同盟を結んでも、わたしによらず---つまり神様抜きに---ことを進めるならばそれは決して思い通りに結果となることはない。」(参照 イザヤ書 30章1節)と。

 当時のイスラエルはエジプトと同盟を結ぶためにエジプトの古代都市ツォアンと更にナイル川を遡った奥地にあるハネスという町まで出向いて、エジプトの王様に貢物を納めようとしました(参照 イザヤ書 30章2、4節)。しかしそんなに苦労しながら奥深くエジプト中部にまで貢物の財宝を運んでいくイスラエルに対して、そんな行為も神様を抜きにするならば虚しいばかりか、一層のこと「恥となり、そしりとなる。」(イザヤ書 30章5節)、と言うのです。

 またイザヤは特定の国 エジプトとの同盟に反対している訳ではありません。かつてイザヤはアッシリヤと同盟を結ぼうとしたアハズ王に反対しました。またアハズ王に反対して他の国と同盟を結ぶ事する者たちにも反対しました。つまり、神様以外の何ものにも頼ろうとすることに一切反対したのです。

 そして言います。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」 落ち着いて、目に見えない神様に信頼すれば、あなたがたは力を得る、という訳ですねえ。

 人生に於いてあなたを守り立てる神様を認めなさい、という訳です。人は目先の脅威にどうしても具体的な何かに頼らざるを得ない気持ちになるものでしょう。神様とは言っても、目に見えないものはあてにはならない、それが私たちの心の現実ですね。 しかし目に見えないものにこそ目をとめなくてはいけません(参照 詩篇 33:16、17節 2コリント 4章18節)。目に見える現実を支配する目に見えない神の働きにこそ心を留めなくてはいけません。私たちがこの現実について手に負えないと思う時はなおさらですね。

 落ち着いて神様を信頼し、神様の祝福に与るものでありたいですね。

(PBA制作「世の光」2015.7.23放送でのお話より )

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■主の過越し/板倉邦雄

2015年07月22日 | Weblog
2015/7/22放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「主の過越し」という題でお話ししましょう。「主」とは神様の名前です。「過越し」とは英語でパスオーバー passover とも言えますが、トランプゲーム におけるパスです。

 さて主なる神様はモーセと兄アロンに言いました。「この四月をこの年の正月としなさい。この月の十日、一家族ごとに小羊一頭を取りなさい。小羊は傷のないもので一歳の雄でなければならない。そしてこの次の十四日の夕暮れに小羊を屠り、その血を取り、家の入口の二つの柱と家の鴨居に血を塗らなければならない。そしてその夜、小羊の肉を火に焼いて食べ、イースト菌の入らないパンと、エジプトでの苦役を忘れないように苦菜を添えて食べなければならない。しかも足に靴を履き、手に杖を取って旅支度をしたまま食べなければならない。これは主の過越しである。 この夜、主であるわたしはエジプトの国をめぐってエジプトの国にいる人と動物とのすべての初子を打つ。またエジプトのすべての偶像の神々に審判を行うであろう。わたしは主という名である。小羊の血はあなたがたがいる家々であなたがたにとってのしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの上を過越すであろう。わたしがエジプトの国を打つとき、災害が臨んであなたがたを滅ぼすことはないであろう。」 (参照  出エジプト記 12章2~13節)

 さて、この主の過越しの出来事から約1400年後、洗礼者ヨハネはイエス・キリストを見て人々に言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」 (ヨハネ 1章29節)洗礼者ヨハネはイエス・キリストは主の過越しの小羊、屠られる羊だと言っているのです。私たちの罪のために身代わりとなり、十字架で尊い血潮を流してくださる神の小羊です。この十字架の血潮の元に逃れるすべての人々は一人も滅びることなく、永遠のいのちを得るのです。

 聖書のことばです。
 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネの福音書3章16節 (口語訳聖書)

 (PBA制作「世の光」2015.7.22放送でのお話より )

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■主の祈り 25 / 大嶋重徳

2015年07月21日 | Weblog
2015/7/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。主の祈りには「御国を来たらせたまえ」という祈りがあります。

 造られた最初の人アダムとエバには「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。地を従えよ。」(参照 創世記 1章28節)と、神の国の建設という使命が与えられました。アダムとエバは、「神様、今日はどこを耕しましょうか」と神様と相談しながら労働をなしたのです。まさに世界は神が造られた砂場のようなものでした。

 私は数年前まで小さな息子と砂場で遊びに行くことがありました。息子が私と遊ぶその目はキラキラと輝き、「お父さん、一緒にこの砂でケーキ作ろう!」 そして「木の枝でローソクを立ててフーッて消して!」 息子の様子は私と遊ぶことがもう楽しくてしょうがない、まさに神の国の建設はこの世界で人間にとって人生の喜びそのものでした。

 しかし創世記の3章で人間は罪を犯し、生きる意味を見失ってしまいます。働くことは虚しさに変わり、額に汗して食べるための労働へと変わってしまいました。神の国の建設という使命を失い、むしろ自分の国の実現のために面白おかしく生きようとするようになったのです。

 しかし神様はご自分の創られた世界と人間を諦めることをなさいませんでした。

 イエ様が福音宣教の働きを始められた最初のことばは、「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めで福音を信ぜよ」(参照マルコ 1章15節)と語られたのです。イエス様がこの地上に来てくださり十字架にかかり、私たちの罪を解決してくださったのは、私たちが救われて、もう一度神の国の建設という使命を取り戻すためにだったのです。

 私たちがクリスチャンになると言うことは天国への片道切符を手に入れてあとはそれを落とさないようにドキドキしながら生きるためにクリスチャンになったのではありません。私たちがクリスチャンになったのは、「御国が来ますように」と主の祈りを祈りながら、自分の人生はもう自分の国の実現のためにあるのではない、神の国の実現のために生きるのだ、と私たちは造られた使命を取り戻し、毎日をそのように生きるためなのです。

 「御国が来ますように」という祈りは、神様が神の国を建てようと願っておられることを本気で信じ、そのためには自分は何ができるだろう、とワクワクしながら今日の一日を真剣に、楽しんで生きることへとこの祈りは私たちを導いてくれているのです。

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