♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-55 / 大嶋重徳

2021年08月31日 | Weblog

2021.3.16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 イエス様がバプテスマ(洗礼)を受けられた時のことがルカ福音書3章には記されています。教会の喜びの一つには洗礼式があります。

 私は16歳になった10月の28日、京都の福知山に流れる一級河川の由良川で洗礼を受けました。足を入れたその瞬間からその冷たさに止めようかなと思うぐらい冷え切った川の温度でしたが、川の中で凍えるように立っておられる牧師を見て、早く行かなきゃと思ったのを覚えています。その後牧師と二人でお風呂に入れてもらったことも良い思い出です。さらに父親に洗礼を授けたのも同じく由良川でした。我が家が大きな喜びに包まれた瞬間でした。

 よく、「洗礼を受けないといけないのですか? 神様を信じていればそれで良いのではないですか? 」と聞かれます。確かに洗礼を受けることが救いの根拠ではありません。しかし洗礼を受けることは、イエス様を信じてイエス様に従う第一歩なのです。

 イエス様自ら洗礼を受けられました。神が本当に人となられたことを表すものでしたし、また悔い改めた共同体の一員となることの表明でもありました。そして何より十字架にかかり復活なさったイエス様は弟子たちに、
 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ福音書28章19節、20節)
 とイエス様を信じた者たちには、バプテスマを授けなさい、と言われたのです。

 この教えを守った使徒たちはこう説教しました。
 「罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒の働き 2章38節)
 そしてこのことばを受け入れた者たちがその日三千人バステスマを受けたのです。

 洗礼はイエス様が、信じた者は受けなさい、信じた者には授けなさい、とおっしゃった命令なのです。

 あなたがクリスチャンになり神様を信じたその時の従順の第一歩は、洗礼を受けるということから始まります。もちろんラジオをお聴きの皆さんには、ご家族の反対にあって洗礼をまだ受けられないという人もいるかもしれません。それはその人が救われていないということではありません。しかしいつまでも受けなくてよいということではないのです。いつの日かあなたが喜びの洗礼式を受ける日が来ることを心からお祈りしています。

     ( PBA制作「世の光」2021.3.16放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■ルカの福音書-54 / 大嶋重徳

2021年08月30日 | Weblog

2021.3.15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 ルカ福音書3章では、イエス様がバプテスマを受けられた時のことが記されています。その時、天が開け、聖霊が鳩のような形をしてイエス様の上に降られました。そして天から声が聞こえてきました。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ福音書 3章22節) 神様はご自分の独り子であるイエス様に「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」と、大勢の人が集まっている中で「わたしはあなたを喜んでいる。」とイエス様のことを言われたのです。

 教会で子育て中のお母さんたちを中心に、先輩お母さんと子育てについて聖書から学び分かち合うという時間を持っています。そこで以前私は「自慢のわが子」というテーマでお話をしました。

 私たち親は「お子さんは本当にいい子ですねえ」と言われると、「いやいやいや、家ではもう大変で・・・」、「そんなことないですよ」と言いがちです。しかし海外から来られたあるご家族に「いい子ですねえ」と言うと、「私の誇りなんですよ」と言われたことが印象に残っています。「この子は私の自慢の我が子なんです」と。それを聞いていいなと思いました。そして一緒にいるその子も、まあねという顔をしている。あーこうやって自分に自信を持っていくのだなぁと思ったのです。

 イエス様を信じてイエス様と共に歩む私たちは神の家族とされた。そして今日も神様は「あなたは私の愛する子」と言ってくださるのです。

 神を信じ救われるとは、神の子とされることです。神様から離れて生きてきたのに神様の元に戻ってくるとき、どれだけ罪に汚れていたとしても駆け寄ってきて、抱きしめてくださるのです。そして「あなたは自慢のわが子なんだよ。わたしはあなたを誇りに思っている」と神様は私たちの存在を多くの人の前で喜んでくださるのです。

 そこで私たちは失っていた自信を取り戻すことができるのです。人からどれだけ失望されていたとしても、神様は私の存在を、あなたの存在を喜んでくださる。この神の子とされた事実がある限り、私たちはもう人の目を恐れることはありません。家族のために朝食を作る、仕事をする、静かなこの朝を胸を張って生きることができるのです。

    ( PBA制作「世の光」2021.3.15放送でのお話しより )


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■配流キリシタンの歩み 卯辰山での忍耐 / 岩井基雄

2021年08月28日 | Weblog

2021/3/13放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。前回は配流キリシタンとの出会いによってキリスト信仰へと導かれた長尾八之門の信仰を見ました。今日はこの配流キリシタンたちの金沢での歩みを見てみましょう。

 江戸時代の最後、慶応3年、1867年、隠れキリシタンとして神への信仰を守り続け、キリスト教信仰を表明した長崎の浦上村の村民たちが江戸幕府の指令により捕縛され、拷問を受けました。まもなく江戸幕府は瓦解しますが、キリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって浦上のキリシタンたちは流罪とされ、金沢へも送られました。これが「浦上四番崩れ」と呼ばれる出来事でした。

 金沢では、やってきた500名を超える浦上キリシタンも卯辰山の山中の牢屋に幽閉しました。飢餓と拷問の苦しみを受け命を落とす人も多かった浦上キリシタンたちの現状を見た一人の外国人が、その様子を英字新聞に告発しました。

 その頃、欧米へ赴いていた遣欧使節団は、日本でのキリシタン弾圧が外交の障害となっていた重大さに驚き、本国に打電します。

 それを契機に明治6年、キリシタン禁制は廃止され、259年ぶりに日本でのキリスト教信仰が公認されたのです。

 1998年、金沢卯辰山の工事現場から身元不明の人骨40体が発見されました。それは浦上キリシタン死亡者の骨であるという可能性が極めて高いということが分かったのです。

 激しい迫害の中にあっても信仰と希望を捨てなかった島流しにされたキリシタンたちの歩みが日本でのキリスト教公認の歩みとなり、長尾八之門を始め多くのキリスト教信者を生んでいったのです。

 神の愛に生かされ、苦難を耐え忍ぶ人々の歩みを神さまは豊かに用いてくださったのです。

 聖書のことば

 「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
    新約聖書 ローマ人への手紙 5章3節から5節

 神の愛はあなたにも注がれています。失望に終わらない希望をあなたも受け取りませんか? 

   (PBA制作「世の光」 2021.3.13放送でのお話より ) 


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■神のものは神に返しなさい / 岩井基雄

2021年08月27日 | Weblog

2021/3/12放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 マルコの福音書から学びましょう。今日は12章から、地上における責任についてです。

 キリストの時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にありました。それゆえ、神の民にもローマに納めるべき税金があったのです。それは支配されているという現実を突きつけられる屈辱的なことでした。神の民はユダヤの神殿税は喜んで納めてもローマには税金を納めたくなかったのです。しかし拒絶することはローマへの反逆でした。

 キリストを憎み、何とかして陥れようとしていたパリサイ人たちはこのことを利用して質問しました。
 「ローマ皇帝カエサルに税金を納めることは律法にかなっているかどうか、また納めるべきかどうか。」と質問しました。
 「納めるべきだ」と言えば民の心に逆らい、キリストが「納めなくても良い」と言えばローマへの反逆となるからです。

 しかしすべてを見抜いていたキリストは、納めるデナリ銀貨を持って来させて、「これは誰の肖像と銘か?」と尋ねました。

 そして「皇帝カエサルのだ。」と答えた彼らにキリストはこう命じました。
 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と。

 カエサルの肖像と名前の刻まれた「カエサルのもの」は皇帝に返すべきだ、とキリストは語ります。しかし次に語られた「神のもの」とは神のかたちに造られた人間を示していました。ローマ皇帝も含め全ての人が神のかたちに創造されたゆえに、神に対する責任、神に従う責任がある、ということを語られたのです。

 その答えに人々は驚きました。ことば尻をつかむことなどできるはずもなく、キリストの語られた神の主権と命の尊さを改めて思わされたのです。

 私たちもまた神のかたちに造られた人間です。それはこの地上における責任とともに、神への責任があることをも示しています。そして神に向かう者として造られた私たちは、神の愛の権威に従い、自己中心を後にして神様を中心にした人生を歩むときに、豊かな祝福と喜びがあるのです。
 
 神の愛を心一杯受け取り、その愛に応え、この地上においても神を愛し、また人を愛する者として歩んで行きませんか? 神はあなたを用いてくださいます。

   (PBA制作「世の光」 2021.3.12放送でのお話より ) 


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■ゆるがされることがない歩み / 岩井基雄

2021年08月26日 | Weblog

2021/3/11放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 2011年の東日本大震災より10年を迎えました。先月は強い余震もあり、今なお揺り動かされる現実を覚えましたね。今も深い悲しみを抱えつつ歩んでいらっしゃる方々の慰めを心からお祈りしたいと思います。

 私たちの人生の中には、人生の土台が揺れ動かされるような出来事があります。健康や仕事、家族や会社、ありとあらゆることが私たちの人生も心も揺さぶるのです。そのような揺り動かされる状況の中で、また心の混乱や痛みの中で、私たちは本当に真実なもの、人生の土台とできる確かなものに心を留め、求めていくのではないかと思うのです。

 旧約聖書の詩篇の中に次のようなことばがあります。
 「私のたましいよ 黙って ただ神を待ち望め。
  私の望みは神から来るからだ。
  神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。
  私は揺るがされることがない。」
       旧約聖書 詩篇 62篇5節、6節

 揺り動かされることの多い出来事や戦いの中でこの詩篇の作者は、聖書が語る神様に心を向けています。「神を待ち望む」とは神に信頼し、期待して待ち、神ご自身から真(まこと)の希望と平安を受け取ることです。私たちの心には自分の思いの通りに願いを叶えたい、思いの通りに他の人も神をも動かしたい、という願いがありますね。しかし聖書が語る神様は、天地万物のすべてを創造し、全てに主権を持ってらっしゃるお方です。ですからどんな人生の荒波の中でも、この主権者なる神様を認め、この神様に信頼して歩むとき、私たちは自分の思いや願いに左右されず、揺るがされない人生を歩むことができるのです。

 この詩篇は次のように続いています。
 「私の力の岩と避け所は 神のうちにある。
  民よ どんなときにも神に信頼せよ。
  あなたがたの心を 神の御前に注ぎ出せ。
  神はわれらの避け所である。」
        詩篇62篇7節、8節
 
 あなたに希望と慰め,そして平安と力を与える聖書が語る神様にあなたも信頼しませんか? どんなときにも私たちはこの方に信頼し、心の思いを注ぎ出して祈り、すべてを委ねることができるのです。あなたの本当の避け所は永遠の愛と無限の力を持っていらっしゃる神様なのです。

   (PBA制作「世の光」 2021.3.11放送でのお話より ) 


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■主が戦って下さる / 岩井基雄

2021年08月25日 | Weblog

2021/3/10放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 昨日に引き続き今日も旧約聖書のモーセの生涯から学んでみましょう。昨日は人生の遠回りを考えました。今日は人生の行き詰まりです。

 エジプトで奴隷状態であった神の民は、神が立てたモーセというリーダーを通して解放され、神の約束の地 ---今のイスラエル--- へと向かいます。

 しかしエジプトから彼らが出た後、エジプトの王ファラオはそれを後悔し、軍隊を遣わし彼らを追いかけました。そして海に面した所で彼らに追いついたのです。

 神の民は、前には海、後ろにはエジプトの軍隊が迫り、まさに行き詰まったのです。神の民は混乱し、モーセに対して怒りを表しました。
 「ここまで導いたのは荒野で死なせるためか、荒野で死ぬくらいならエジプトで奴隷として仕えていた方が良かった。」と口々に叫んだのです。

 その挟み撃ちの行き詰まりの状態で、なお神の民が怒りや不安をぶつけてくる中、モーセは民にこう答えました。
 「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。【主】があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」
      旧約聖書 出エジプト記 14章13節、14節

 モーセは行き詰る中で、見るべきものを見、聞くべき神の声を聞くように民を導いたのです。私たちも不平や不満の達人です。しかし全てに主権を持つ神様は、た「だ黙っていなさい。そして主の救いを見なさい。」と私たちにも語るのです。

 この後、民の思いをはるかに超える脱出の道を神は備えておられました。それは海を二つに分け、乾いた地を民は進むという驚くべき道でした。どんなときも愛なる神様は私たちと共にいて道を開き、共に進まれます。私たちはどんな中でも神様に信頼し、神様と共に力強く歩み続けることができるのです。

 聖書のことば
 
 「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
   新約聖書 コリント第一の手紙 10章13節

 あなたも真実な神、愛なる神様と共に力強く歩んで行きませんか? 

   (PBA制作「世の光」 2021.3.10放送でのお話より ) 


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■遠回りの祝福と守り / 岩井基雄

2021年08月24日 | Weblog

2021/3/9放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 
 火曜日と水曜日は旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。人生の旅を歩むとき、遠回りすることがありますねえ。自ら選びとることもありますが、遠回りを余儀なくされることも少なくありません。しかし人生の遠回りの中で私たちは意外な発見や恵みを経験することがあります。

 神の民イスラエルはエジプトにおいて奴隷状態でしたが、神はモーセというリーダーを立て、神の民をそこから救い出しました。しかし成人男性だけで60万人、全体では200万人を超えていたであろう民を導くことは簡単ではありませんでした。神の民は荒野の旅を経験したこともなく、他の民族との争いも未経験だったのです。その民弱さも愚かさも全てをご存知の神様は、彼らをあわれみ、様々な戦いや葛藤を避ける道を導かれたのです。
 聖書はこう語ります。
 
 神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」
 それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。

        旧約聖書 出エジプト記 13章17節、18節

 神は私たちが耐えることができない試練に遭わせることはなさいません。むしろ耐えることができるように脱出の道を備えてくださるお方です。神の民は神の憐れみの道、脱出の道を歩んでいったのです。神様は私たちの弱さも愚かさもご存知で、私たちにとって一番良い道を歩ませ、導いて下さいます。

 私たちは自分の人生の旅路を神様に委ね、信頼して歩むことができるのです。また神様は、荒野を歩む神の民とともに進んでくださいました。こう記されています。

 【主】は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
        出エジプト記 13章21節

 苦難や遠回りの道を歩むときも神様は神の民そして私たちと共にいて一緒に旅を歩んでくださいます。どんな試練の中でもあなたを見捨てない神の御手に信頼して歩むことができるのです。あなたも神様に愛され、その愛の中に招かれているのです。

   (PBA制作「世の光」 2021.3.9放送でのお話より ) 


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■人生の歩みが守られる秘訣 / 岩井基雄

2021年08月23日 | Weblog

2021/3/8放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日は詩篇119篇の二回目として、人生の歩みが守られる秘訣を心に留めてみましょう。

 人生には様々な葛藤や誘惑があり、色々な失敗を私たちは経験しますねえ。失敗からも多くのことを学んできました。しかし取り返しのつかない過ちも他の人に与えてしまった深い心の傷もあるのではないでしょうか。

 私たちはどのようにして自分の人生をきよく保つことができるでしょうか。今日の詩篇にはその秘訣が記されています。お読みします。

 「どのようにして若い人は 自分の道を 清く保つことができるでしょうか。
   あなたのみことばのとおりに 道を守ることです。
  私は心を尽くしてあなたを求めています。
   どうか あなたの仰せから 私が迷い出ないようにしてください。
  私はあなたのみことばを心に蓄えます。」
        旧約聖書 詩篇119篇9節から11節

 機械が壊れるとき私たちは説明書を読み、道で迷ったとき地図を見ます。神の愛によって造られた私たちにとって神のことばである聖書は私の人生の地図であり、心の糧、力なのです。神のことばである聖書のみことばを心に蓄え、それに生かされることこそ人生の旅路を歩む鍵であり力だ、とこの詩篇の作者は語ります。

 アメリカの初代大統領ワシントンも、神と聖書なしにこの世を正しく統治することは不可能であると語り、16代のリンカーンも、聖書はこれまでに神がくださった最上のギフトであると語りました。

 それは私たちをきよさへと導く神の愛こそ挫折や失敗を通る私たちに憐れみと恵みを与えるからだとも言えるでしょう。聖書には神の愛と知恵そして憐れみと恵みが満ちているからです。この神の恵みと愛に励まされてこそ私たちは生きる力を得るのです。今も生きていて私たちを愛してくださっている神のことばは試練や悲しみの中を生きるあなたにも力と勇気と知恵を与え、あなたの人生を豊かに祝福するのです。

 あなたも神のことばである聖書、そのことばを心に深く受けとめ、神の愛と平安に生かされていく人生を歩み続けていきませんか? 

 聖書のことば

 私は あなたのおきてを喜びとし あなたのみことばを忘れません。 
            詩篇119篇16節

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■逃げてしまった弟子たち / 山本陽一郎

2021年08月21日 | Weblog

2021/3/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。 

 イエスの十二弟子で一番有名なのは誰でしょうか。もしかするとイスカリオテのユダかもしれませんね。彼はイエスを裏切り、銀貨三十枚で売り渡しました。そしてイエスは十字架刑に処せられて殺されます。

 このユダを巡っては学者の間でも様々な解釈があります。ただ背景の一つとして、イエスに対する政治的・軍事的な革命運動の期待があったことはあげられるでしょう。これはユダだけでなく当時多くのユダヤ人たちが抱いていたものでした。

 ローマ帝国に支配されていた彼らにとって、待ち望んできたメシヤ(救いの王)がローマを打ち破り新しい王国を築いてくれたら、という願望は強かったのです。しかしイエスの語る神の国はどうもそういうものとは違うと分かり、期待が失望に変わった人もいました。

 でもイエスの元を離れた弟子はユダだけではありません。確かに自分からイエスを売りに行ったユダと他の弟子たちとは違います。けれども皆もイエスを見捨てたのです。

 最後の晩餐でイエスが弟子の裏切りを予告した時、弟子たちは悲しんで口々に、「まさか私ではないでしょう」と尋ねました。ペテロは、「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカの福音書22章33節)と豪語しました。

 しかしゲッセマネの園でイエスが逮捕された夜、実際はどうだったのか。彼らはイエスを一人置いて逃げていきました。勇ましいことばを述べていたペテロも人を恐れ、舌の根の乾かないうちにイエスを「知らない」と三度も言ってしまいました (マタイ 26章70節、72節、74節他 )。

 イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たち。聖書は彼らを通して身勝手で恐れやすい私たち人間の姿を描き出しています。

 けれどもイエスはそんな弟子たちを、そして私たちを愛してくださいました。私たちの弱さも身勝手さも罪深さも全てご存知で、そんな者たちを救うために十字架にかかり、死んで、復活してくださったのです。

 たとい私たちがその手を離してしまうことがあっても、イエスの愛は変わりません。イエスは今日もあなたを愛して、あなたを待っておられます。


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■生まれ変わったザアカイ / 山本陽一郎

2021年08月20日 | Weblog

2021/3/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。 

 聖書にはイエスと出会って新しく変えられた人々が出てきます。エリコという町にいた取税人ザアカイもその一人です。

 当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、納税を強いられていました。その税の取り立てを請け負っていたのがローマに雇われたユダヤ人の取税人たちでした。ザアカイはその頭(かしら)でした。彼らはしばしば不正な取り立てをして自分の懐に入れていたこともあり、ひどく嫌われていたのです。

 ザアカイがどんないきさつでこの仕事を始めたのかはわかりません。でも彼が深い孤独を抱えて生きていたことは読み取れるでしょう。

 ある日のこと、イエスがこの町にやってきました。時の人を見ようと、通りは大勢の人だかり。ザアカイもイエスがどんな方かを見ようとした、と聖書に書かれています。何か真実なものに触れたい、という求めが心にあったのかもしれません。彼は道端の高い木に登り、そこからイエスを見ようとしました。それほど見たかったのです。

 ところがこの時、予想外のことが起こりました。なんとイエスが近づいてきて、彼を見上げてこう言われたのです。

 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」 ルカの福音書 19章5節

 自分の名前を呼ばれてザアカイはどんなに驚いたことでしょう。それは彼がずっと求めていた愛に満ちた響きでした。

 普通、イエスのような指導者が取税人の家に泊まるなどあり得ないことでした。なのに、自分は神にも人にも愛されていない、と思ってきたザアカイをイエスは名前で呼び、何のためらいもなく来て下さいました。この出会いが、イエスの愛が、ザアカイの人生を変えたのです。

 その夜、ザアカイは言いました。

 「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」(8節)

 愛され赦される恵みを知って、ザアカイは生まれ変わりました。イエスのことばを私たちも心に刻みましょう。
 
 「今日、救いがこの家に来ました。・・・
   人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(9節、10節)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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