♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して67年の
「世の光」を文字で 

■水が破れ出るように / 福井 誠

2019年07月17日 | Weblog
2019/6/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開きましょう。歴代誌第一14章11節から 「水が破れ出るように」と題してメッセージをお伝えいたします。

 彼らはバアル・ペラツィムに攻め上り、ダビデはそこで彼らを討った。ダビデは言った。「神は、水が破れ出るように、私の手を用いて私の敵を破られた。」
 
 先週も語ったことですが、歴代誌はサムエル記や列王記と一緒に読まれる必要があります。そうすれば歴代誌が書かれた事の意図がより良く見えて来るからです。ここではサウルの死後、ダビデの王位が確立していく様が描かれています。しかしダビデの王位が確立するのは即時に起こったことではありませんでした。ダビデは協力や戦いを通してその王位を確立していくのです。ダビデは神様が自分をイスラエルの王として堅く立ててくださることを信じていましたが、その実質が伴って来るのはまだ先のことだったのです。またダビデの王権が盛んにされたのは、ダビデ個人が祝福されるためではなく、ダビデを通して主の民イスラエルが祝福されるためでした。これが歴代誌の著者が一番伝えたかったことなのでしょう。大切な点です。サムエル記ではダビデの私的なエピソードが描かれ、私たちはダビデの姿に自分を重ね、教訓的に読むことが多かったかもしれません。しかし歴代誌ではダビデは組織の長として祝福されているのです。神はダビデ個人を祝福されたのではなくて、ダビデを通してイスラエルを祝福されたという訳です。

 そのダビデは常に神に伺いを立て、祈りながら事を進めています。著者が言いたいこともそこです。自分の祝福のためではなく、皆の祝福のために絶えず祈りつ物事を進めていく、そこに神の祝福がとどめることのできない水の勢いに喩えられて表わされていく、と。主の水が破れ出るような、もはや妨げることのできない勢いのある祝福を神は私たちを通して人々に注いてくださいます。神の恵みは実に豊かなものです。自分のことのみならず、自分を通して他者も豊かにされることを覚えたいものですね。

 (PBA制作「世の光」2019.6.12放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■教会は前進した / 板倉邦雄

2019年07月16日 | Weblog
2019/6/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「こうして教会は前進した」という題でお話ししましょう。まず使徒の働き9章31節を朗読します。

 「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。
                            (口語訳聖書)

 この聖書のことばはいかに初代教会が前進し成長していったのか、その秘密が語られています。

 まず第一に教会の前進は平安が保たれたことでしょう。平和と安らぎが保持されることです。どんなに豊かであっても争いと不安があるならキリストの教会は前進することはないでしょう。

 イエス様も言われました。「平和を作り出す人は幸いです。その人は神の子と呼ばれる。」(マタイの福音書5章9節参照)

 また、かつての迫害者サウロは語っています。「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」(ローマ人への手紙12章18節 口語訳聖書)

 次に、教会の前進は基礎が固まることでしょうか。家を建てる際にも目に見えない基礎工事こそ大切ですね。上物がどんなに立派であっても基礎が強固でなければ地震や洪水で上物は簡単に壊れてしまいます。

 キリスト教会の前進と成長のためには目に見えない基礎が固まることです。

 目に見えない基礎とは何だったのでしょうか。使徒働きを学んできて、四つのことばで言うことができるでしょう。信仰、希望、愛、そして忍耐。目には見えませんがキリストの教会にとっては大事な基礎です。

 そして第三に、教会の前進は主を恐れ、聖霊に励まされ続けるという継続性ではないでしょうか。

 当時ローマ皇帝は主---キュリオス---と呼ばれ、神として恐れられ、崇められていたのです。ところがキリスト教会の信徒たちは、イエス・キリストを主---キュリオス---、神として恐れ敬っていました。ですからキリスト教会には聖霊の励ましが日々必要でした。聖霊の火に燃やされなければ主イエス・キリストに仕えることはできません。初代キリスト教会の前進と増加の秘訣は現代のキリスト教会の前進と増加に当てはまるのです。

  (PBA制作「世の光」2019.6.11放送でのお話より )

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■神を恐れ、いのちを尊んだ助産婦 / 岩井基雄

2019年07月15日 | Weblog
2019/6/10放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第二週の月曜日は、旧約聖書に登場する信仰者の人生について学んでいます。これまでは創世記からアブラハム、ヤコブ、ヨセフについて学んできましたが、今日からは出エジプト記からモーセの生涯を学んで行きましょう。

 エジプトで大臣として働いたヨセフのことを知らない王がエジプトに誕生する中、神の民イスラエルは多くの子を産み、そして増え、非常に強くなりました。それゆえ彼らの存在はエジプトで脅威となり、王は更にイスラエルの民に苦役を課しますが、神の民は神の祝福を受け、なおも人口が増え続けたのです。そのため王はイスラエルの助産婦たちに、産まれたヘブル人の男の子を殺すように命じました。
 
 聖書はこう語っています。
 「またエジプトのはヘブル心の中散布金利、友人の女の出産を助ける論由美大の飢えを見てもし男の子なら殺さなければならない女の子なら生かしておけ10アンプたちは神を恐れエジプトの大神イサク通りには市内で男の子を生かしておいた
 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。・・・「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。 」 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。
     旧約聖書 出エジプト記1章15節、17節

 神を恐れるイスラエルすなわちヘブル人の助産婦たちは王の命令に背き、ヘブル人の男の子を生かしておいたのです。彼女たちは王を恐れず、聖書が語る神様を正しく恐れて、神様が与えられた大切な命を尊んだのです。

 そのあとのことを聖書は次のように語ります。
 「神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
     出エジプト記1章20節、21節

 この助産婦たちの神への信仰と姿勢を神は何よりも喜ばれたことでしょう。それゆえ神は彼女たちの家だけではなく、神の民全体をも祝福し、神の民はなお増え続け、力を増し加えていったのです。

 あなたも神を正しく恐れ、人にではなく神に従うときに、神はあなただけではなくあなたの家族もあなたの民をも祝福してくださるとも言えるでしょう。人の目や評価を恐れやすい私たちです。しかし、人を恐れることから離れ、正しく神を恐れ敬い、神に喜ばれる歩みを選びとっていきたいと願います。

  (PBA制作「世の光」 2019.6.10放送でのお話より )
 
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■家族も救われる / 羽鳥頼和

2019年07月13日 | Weblog
2019/6/8放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は新約聖書マタイの福音書10章で、イエスが弟子たちに語られたことばからお話しします。

 イエスは弟子たちに言われました。
わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。
わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。・・・
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

           (マタイの福音書10章34、35、37節 )

 かなり物騒な言い方ですが、確かにイエスの弟子となることは厳しいことです。弟子となることに家族が反対したり妨げとなるなら、家族を捨ててわたしに従いなさい、とイエスは言うのです。そのような覚悟でなければイエスに従うことはできないのです。

 実際はどうだったのでしょう。ペテロとその家族のことを見てみましょう。新約聖書のマルコの福音書1章に、イエスの弟子となったペテロと彼の姑のことが語られています。

 イエスが漁師であったペテロに、「わたしについてきなさい。人間を獲る漁師にしてあげよう。」と言われた時、ペテロはすぐに網を捨ててイエスに従いました。ある時イエスたちがペテロの家があるカペナウムに来た時のことです。イエスは会堂で教えられました。会堂の近くにはペテロの家がありました。イエスたちは会堂を出ると、ペテロの家に行きました。家ではペテロの姑が熱を出して寝込んでいました。その事を聞いたイエスは彼女のそばに近寄り、手を取って起こされました。すると彼女は熱が引き、元気になって人々をもてなしたのです。

 弟子たちに「家族を捨てなさい」と言われたイエスは、その家族のことを覚えてくださっているのです。

 新約聖書 使徒の働き16章31節で、このように語られています。
 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」

 このみことばの通りのことがペテロの家族に起こったのです。私たちの家族にも同じように神は救いを与えてくださいます。主イエスを信じましょう。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.6.8放送でのお話より )
 
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■行いによるのでなく / 関根弘興

2019年07月12日 | Weblog
2019/6/7放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書の福音書の中に、イエス・キリストのもとに、ある金持ちの役人がやってきたことが記されています。彼はユダヤ社会の若きリーダーの一人だったようです。その役人がイエス様に「私は何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか」と質問してきたんです(参照マタイ19章16節、マルコ10章17節、ルカ10章25節 )。自分が何かを行うことによって永遠のいのちを受けようとしていた訳ですねえ。つまり自分の力で救いを得ることができると思っていたようです。

  するとイエス様は、「もし自分の行いで救いを得たいなら神様の戒めを守りなさい」とお答えになりました。するとこの役人は「そのような戒めは 小さい時から守っております」と即答したんですねえ。ま、よほど自信があったのでしょうねえ。彼は真面目で、戒めを厳格に守り、人々の評価も上々でした。自分のような人間が永遠のいのちを受けずして誰が受けることができるのか、と思っていたかもしれません。しかしそんな彼の思いはイエス様の次のことばで完全に崩れてしまいました。

 イエス様はこの役人に、「あなたにはまだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人に分けてやりなさい。そうすればあなたは天に宝を積むことになります。そのうえでわたしについてきなさい。」とイエス様は言われたのです。イエス様はあなたが自分の行いによって永遠のいのちを得ようとするなら、実際に完全な行いをすることによってそれを示してみなさい、と言われているようですね。彼はこれを聞いて「非常に悲しんだ」と書かれています。他の福音書では「悲しんで去って行った」(マタイ19章22節参照)と書かれているんですねえ。

 実は、これが、人間が自分の力で救いを得ようとする限界なんですね。もし自分の行いによって永遠のいのちを受けよう、救いを得よう、とするならそこには必ず失望と悲しみが襲って来るだけだと聖書は教えています。

 パウロという人はエペソ人への手紙2章5節からこう記しています。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。・・・この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ人への手紙2章5節、8節、9節)
 そうなんです。永遠のいのちは、それはイエス・キリストを単純に信じる信仰によって得ることができるんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.6.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒  自由への励まし-108  偽証してはならない / 大嶋重徳

2019年07月11日 | Weblog
2019/6/6放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。

 私たちは偽りの証言や情報が拡散されようとする時代に対して神様の真実を語る責任を帯びています。なぜなら神様のことばの真実に出会った者たちは偽りなき神のことばを語る者となっていくからです。しかし聖書を見ていくとき、十戒第九戒の「偽りの証言をしてはならない」から産み出される生き方は、クリスチャンであっても自明のものではありませんでした。実に旧新約聖書の中で、いつの時代も偽預言者が絶えず現れてきたからです。旧約聖書に出て来る預言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエルたちは、「このまま神に従わないならばこの国は滅びる」と命賭けで語ったのに対して必ず対抗するように、「あなたがたに災いは決して来ない」と語る偽預言者が出てきました。彼らは平安が無いのに、「平安」と言って人々を惑わしたのです。

 イエス様はこの世の終わりに偽預言者が出て来ることを語られました。偽キリストも出て来るのだと。彼らは自分の心のままに主の御告げを語ります。そんな彼らの姿を神様は怒っておられるのです。十戒第九戒はそのような時代の中で、教会が真理を語らなくなることへの警告をしています。第九戒、偽りの証言の禁止は嘘を言わないことだけではなく、偽りの情報が語られ間違ったことが公で言われている中、教会が沈黙したり、聖書が語っているにもかかわらず災いは来ないと言ったりする私たちの姿も第九戒の違反となっているのです。

 キリスト教会には、さばいてならないですよね、と正しく見えながらまた愛に見せかけた欺きがあり偽りが正当化されることが起こり得ます。それははたから見ると、心配りや言葉遣いにも配慮が行き届いているような親切な姿に見えることもできるでしょう。しかし教会の犯す罪の隠蔽や牧師の不祥事の隠蔽も起こり得ることがあるのです。私たちはいつも神様の前で誠実でいたいと思います。気がつかないうちに偽預言者のように偽りの証言をしていることのないようにしたいのです。そのために必要なことは、神様のことばを聞きながら自らの過ちを認め易い者でいることです。そして絶えず悔い改め易い者とさせられたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2019.6.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■勇士たちであった / 福井 誠

2019年07月10日 | Weblog
2019/6/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然と養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開きましょう。歴代誌第一7章2節から 「勇士たちであった」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「トラの子は、ウジ、レファヤ、エリエル、ヤフマイ、イブサム、シェムエル。これらは彼らの父トラ一族のかしらたちで、その家系の勇士たちであった。
  
 歴代誌はサムエル記、列王記と非常によく似た内容でありながら、書かれた時代は異なります。それはイスラエル王国が滅亡してバビロン捕囚という悲しい出来事が起こったのと、エズラという律法学者によって書かれたとされているものです。ということは歴代誌の著者エズラは聖書に新たな歴史を加えるにあたり、サムエル記、列王記を参照しながらそれらとは違う意図を込めて書いたということになります。

 そこで考えたいのは、この書を手にして読んだ最初の人々はバビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰還し、エルサレムを再建しようとしている人々であったことです。彼らは廃墟と化したエルサレムを再建する困難に直面した人々で、励ましと目標を必要としていました。ですから当然そのような意図があったと言えるでしょう。実際、読み進めてみると、この7章は私たち日本人には単なる名前の羅列にしか見えませんが、ユダヤ人には特別な意図を感じるものでした。

 例えば、勇士ということばが繰り返し出てきます。それはイスラエル再建を目指すために捕囚の地から引き上げてきた者たちに対して、あなたがたの先祖たちには勇士がいた、あなたがたも勇士であれ、と語りかけて来るものです。

 また14節から19節には、マナセの子孫の名前が出てきますが、ユダヤ人には親しみのある名前です。彼らはこの名前を読むたびに、ヨシュア記17章に取り上げられている弱い権利が保護されたエピソード思い出すわけです。それが繰り返し取り上げられているのは、神の恵み深さを読者に覚えさせる効果があります。実に聖書は困難を抱えてる人々に、神の恵みの原則を語りかけて来るのです。神は恵み深い、と信仰を持って歩みたいものですね。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.6.5放送でのお話より )

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■慰めの子 / 板倉邦雄

2019年07月09日 | Weblog
2019/6/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「慰めの子」という題でお話しします。私たちを慰め励まし助けてくれる人がそばにいてくれたら私たちはどんなに嬉しいでしょうか。「慰めの子」とあだなで呼ばれているバルナバの再登場です。使徒の働き9章の続きです。

 さて、ダマスコの町でキリスト信徒に改宗したサウロはユダヤ人たちに命を狙われましたねえ。そして夜、ダマスコの町を逃亡し、エルサレムに着きました。そしてエルサレム教会の仲間に加わろうと努力しましたが、みんなの者はサウロをキリスト信徒とは信じられませんでした。むしろ恐れて近づこうともしなかったのです。当然です。つい最近までサウロがエルサレムの教会の人々に何をしたか知っていたからです。執事のステパノを殺害し、男や女を引きずり出し、次々に獄中に放り込み、改宗を迫り、教会を荒らし回っていた人物でした。ところがバルナバ---慰めの子--- はサウロの世話を買って出たのです。ペテロ、ヤコブ、そしてヨハネという使徒たちの所へサウロのために執りなしの説明をしてあげたのです。

 まずダマスコへの途中で、復活された主イエス様がサウロに現れて直接に語りかけた事。第二に、アナニヤさんから手を置いて祈りをしてもらって失明した目を治してもらい、イエスを信じてバプテスマ---洗礼---を受けた事。第三、その後サウロはイエスの名で大胆に神の国の福音を宣べ伝えた次第を。イエスの弟子である使徒たちに説明して聞かせたのです。

 このバルナバの仲介以来、サウロは使徒たちの仲間に加わることができました。そして教会の人たちと交わり、主イエスの名によって大胆に神の国の福音を語りました。しかし彼らユダヤ人たちがサウロを殺そうと狙ってたのが分りましたので、教会はサウロを故郷のタルソへと送り出しました。

 ところで、あなたにとってのバルナバ---慰めの子---は誰でしたか? また、あなたも誰かのためにバルナバ---慰めの子---となれるのです。

  (PBA制作「世の光」2019.6.4放送でのお話より )

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■苦難からの叫びに応える神 / 岩井基雄

2019年07月08日 | Weblog
2019/6/3放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 第一週の月曜日は詩篇から学んでいますが、今日は詩篇107篇の前半から「苦難からの叫びに応える神」と題して神に信頼する人生に心を留めてみましょう。

 この詩篇も先の105篇や106篇と同様に、バビロン捕囚から帰還した人々に対し、主が様々な危機に際して恵みを示されたことに感謝をささげるように呼びかけている詩篇です。バビロン捕囚とは神の民イスラエルが神に従わなかったゆえにアッシリアや新バビロニアによって滅ぼされ、神の民が捕虜として敵国に曳いていかれたことを示しています。確かにバビロン捕囚は神のさばきでした。主権者なる神様に従わず罪を犯し続けた神の民を神ご自身が戒められたのです。しかし敵国にあっても彼らは守られ、敵の王からも信頼され、政治に関わる者も起こされていったのです。特に苦難の中でこそ私たちの信仰は守られ支えられていくのですね。しかも神様は御自身の民を憐れみ、敵国から解放し、約束の地へと戻してくださったのです。

 それらのことをこの詩篇は次のように歌っています。
 「飢えと渇きによって 彼らのたましいは衰え果てた。
  この苦しみのときに 彼らが【主】に向かって叫ぶと
     主は彼らを苦悩から救い出された。
  ・・・
  【主】に感謝せよ。その恵みのゆえに。
     人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
  まことに主は 渇いたたましいを満ち足らせ
     飢えたたましいを良いもので満たされた。
」 
  旧約聖書 詩篇107篇5節、6節、8節、9節

 神の民は敵国で肉体的、精神的また霊的に苦しみました。文字どおり魂が衰え果てたのです。しかしその苦しみの中でこそ彼らは主に向かって叫び、神様への信頼を取り戻したのです。そして主は彼らを苦悩から救い出され、そればかりか魂を満ち足らせ、良いもので満たしてくださったのです。

 聖書が語る神様はあなたにも敢えて苦しみを与えます。しかしその中であなたはまことの神である主に向かって叫び求めるとき、あなたを苦悩から救われるのです。それはあなたも神である主に愛されているからです。

  (PBA制作「世の光」 2019.6.3放送でのお話より )
 
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■神にささげる礼拝 / 羽鳥頼和

2019年07月06日 | Weblog
2019/6/1放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書詩篇65篇1節から4節のみことばから、神への礼拝についてお話ししたいと思います。
 1節でこのように語られています。
 「神よ 御前には静けさがあり シオンには賛美があります。 あなたに誓いが果たされますように。

 神の前にある静けさとは礼拝を捧げる者の礼拝前の姿勢であると思います。御前の静けさとは静まること、黙って神に心を向けることです。神に礼拝をささげようとする人は自分の罪を顧みて、神を恐れ敬い、黙って神に平伏すのです。そして「私の罪をお赦しください」と神に祈るのです。

 1節は続けて神に礼拝をささげることによって神への誓いを果たそうとしていることが語られています。神を信じる者は「神のことばに従います」と誓います。そして神の助けによって神のことばを行うことができるのです。そのような神に感謝して神に礼拝をささげるのです。

 更に2節では、「みもとにすべての肉なる者が参ります。」と語られています。「みもと」とは神の前にということです。神の所にやってきて神に礼拝をささげるのはイスラエル人だけではありません。世界中の全ての人が神に礼拝をささげる事が覚えられているのです。「肉」ということばは罪を表すことばです。しかしこれは神によって造られた肉なるものである人間が神に罪を赦されて神に礼拝をささげるために世界中から神の所にやってくると語られているのです。

 私はイエス・キリストのことばを思い出しました。イエスは言われました。「わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。・・・今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。」 新約聖書 ヨハネの福音書4章21節、23節

 明日は日曜日です。私たちも父なる神を礼拝しましょう。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.5.25放送でのお話より )
 
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