♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-124 / 大嶋重徳

2023年04月29日 | Weblog

2023/2/4放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 今週はルカ福音書から安息日とは何かということを考えてきました。

 安息日の礼拝は、現在日曜日になっています。それは、安息日に主人公のイエス様が復活をなさったのが日曜日であったからです。金曜日に十字架につけられ三日間、イエス様は深い「よみ」という場所にくだられて、私たちが受けるべき罪のさばきを受けてくださいました。しかしイエス様は死んだままでは終わらない方でした。復活の神の力を帯びて、三日目の日曜の朝にイエス様はよみがえり、弟子たちのところに現れてくださいました。その時以降、弟子たちはイエス様への礼拝を日曜の朝に行うようになったのです。

 しかし当時から日曜日にも労働はありました。特にローマ帝国内で働く者たちにとって、朝の働きに行くまでの時間に礼拝を捧げるのか、あるいは労働を終えて礼拝に駆けつける。そんな礼拝の日々でした。

 新約聖書にある「使徒の働き」というところには、その礼拝中に眠りこけ窓から落ちるユテコと言う人が出てきます。彼は必死に礼拝にやってきて命を落としましたが、しかしそこで復活の命に生かされる経験もしました。やがてローマ皇帝がクリスチャンになってから、日曜日が休みとなっていきます。クリスチャンたちの命がけの伝道と宣教が、日曜を休むという生活を世界中に広げたのです。

 ラジオをお聴きの皆さんも、ぜひ日曜日は礼拝にお越しいただきたいと思います。礼拝ではあなたの生きる力が回復します。教会はあなたの魂のいのちを得るために、あなたの住む地域に建てられています。牧師はあなたのいのちに寄り添うために教会にいます。あなたが神の前に立ち上がってあなたの祈りに神が答えてくださるように、(と)牧師はあなたのために祈ってくれます。また教会にはあなたのために祈ってくれるほかの人たちもいます。

 どうか心疲れた皆さん、あなたが本当の安息を得る場所を持ってほしいと思います。新しい週をまた生きる力を得るために、六日働いて神の前に出るという信仰のリズムを作ってください。

 今週、あなたは安息日の本当の意味を受け取ってもらえたでしょうか。あなたのいのちが守られて、あなたの魂に安らぎが訪れますように、お祈りをしています。


    ( PBA制作「世の光」 2023.2.4放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■ルカの福音書-123 / 大嶋重徳

2023年04月28日 | Weblog

2023/2/3放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 引き続きルカ福音書を順番に読み、安息日の意味を考えてきました。

 私たちには、いくら体を休ませても取ることのできない疲れがあります。テレビのドラマやバラエティー番組を見たり、YouTubeのおもしろ動画を見ていると、束の間は夢中になれます。辛かったことを忘れるようにも思います。気の置けない仲間たちと旅行に行ったり、コンサートに行ったり、美味しいものを食べるならば、リラックスすることもできます。しかしそれらが終わると、一晩眠って目が覚めると、現実は何も変わっていないことに気付きます。再びその疲れのたまる日常に飛び込んで行かなければいけません。私たちは魂に疲れを抱えています。

 この疲れは、安息日に神様を神様とする生き方を始めない限り取ることができない疲れです。取り去ることのできない、罪人の持つ悲しさが人間にはあるのです。人間にはみんな、休んだって取ることのできない罪の問題があり、魂の疲れとを抱えてしまっている。

 しかし、イエス様は言われました。
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしが休ませてあげよう。」

 先日、教会にある方が誘われていらっしゃった。そんな人が説教中に、ぽろぽろぽろぽろ泣いておられたのです。
 私は「なぜ初めて教会に来たのに、今泣いているんでしょうか?」
 「聖書のお話は、自分のことを言われたように思います。こんなにも自分の心が敏感に反応するとは思いませんでした。」
 そして、ご家族のこと、子どもたちのこと、自分がやんなきゃと必死に生きてきて疲れきっている現況をお話くださったのです。

 これは神のことばに出会う時にしか起こらない感情だったでしょう。聖霊の神が働かれて心に平安が訪れたのです。

 イエス様は仰います。安息日はいのちを救う日だと。
 「あなたは立って、真ん中に出てきなさい。手を伸ばしなさい。」

 安息日は座り込んでいたあなたが立ち上がる日です。動かなくなっていた心が動き出す日です。罪の中に生きていた私たちがいのちを得る日です。私たちは、この日を失ってはいけません。安息日に礼拝に出ることで、あなたはあなたの人生の真ん中へと進み出ることができます。人は神のことばを聴き、礼拝をすることによってでしか癒せない魂の場所があるんです。

 ぜひ次の日曜日、教会にお越しください。


    ( PBA制作「世の光」 2023.2.3でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■ルカの福音書-122 / 大嶋重徳

2023年04月27日 | Weblog

2023/2/2放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
引き続きルカ福音書を順番に読んでいます。

 今週は、いのちを救う安息日の意味を考えてきました。この安息日の物語には、もう一人登場人物が出てきます。それは安息日に会堂に来ていた腕の動かない人でした。

 安息日に「癒す」という仕事をするかどうかイエス様をギラギラと見張っていた律法学者たちをものともせず、イエス様は手の動かないその人に言われました。
  「立って、真ん中に出てきなさい。」

 すると、その人は起き上がって会堂の真ん中に立ちました。

 この人は自分から「イエス様! 手を直してください。」とも言えない人でした。イエス様が「真ん中に出てきなさい」と言われたということは、会堂の真ん中に座ることもできず、ただただ会堂の片隅でじっとしていた人物です。彼は会堂に来ていても、神の癒しを期待する事も無かったのでしょう。ましてイエス様の目線に入るような場所に座ることもしませんでした。

 しかしイエス様は会堂の真ん中で彼を迎えて、「手を伸ばしなさい」と言われました。「すると彼の手は元どおりになった」とあります。

 安息日に癒しをなさるイエス様は私たちにも、「真ん中に出てきなさい。わたしの前に出てきなさい。端っこに座って自分の手は治らないと決めつけて諦めてそこに座り込んではいけない。」と言われます。

 安息日に神様がもたらそうとされていることは、あなたのいのちを救うことです。たとえあなたが期待をしていなかったとしても、会堂の真ん中に座ることもせず、端っこの方で後ろの方で卑屈になって座っていたとしても、「あなたの人生の真ん中に出てきなさい」とイエス様は言われるのです。

 「あなたの精一杯の愛と真実をもって神を礼拝しなさい。そこで与えられる平安の中を生きてほしい。」 人を愛せない悲しさや、自分を愛せない切なさに苦しんでいたとしても、イエス様は今日あなたに、「神の前に出てきなさい。そして、あなたの手を伸ばしなさい。硬くこわばってしまった生き方から、あなたの人生を伸びやかに伸ばしなさい。」

 礼拝とは、そのようにあなたの人生の動かなくなった場所を伸ばしてくれます。礼拝とは、疲れきった魂が伸びやかにホッとできる場所です。是非、あなたも次の日曜日、礼拝に行って欲しいと思います。そこで、大きく伸びをすることができるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2023.2.2放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-121 / 大嶋重徳

2023年04月26日 | Weblog

2023/2/1放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 引き続きルカ福音書を順番に読んでいます。

 ルカ福音書6章では、イエス様一行が安息日の戒めを破った、と律法学者たちは言いがかりをつけました。しかし、イエス様は安息日には必ず会堂に行き、礼拝をささげ、また律法の書の朗読をされました。安息日を軽んじることなど一度もありませんでした。むしろ、自分たちが作り上げた安息日規定にガチガチに縛られている律法学者たちもまた自由に解き放たれて安息日の本当の意味を生きてほしい、と願われたのです。

 私も子どもの頃、教会に母に連れられ礼拝に出ていました。そこでいつも思っていたことは「あんなつまらない話を一時間近くもよく聞いていられるなあ」と大人たちを見て思ってました。しかし今、礼拝こそが自分の人生のかけがえのない時間なのだということはよくわかります。母は、礼拝に出ないといけないから出ているのではなく、礼拝に出ざるを得ないほどに夢中になって神のことばを聞いていたのです。礼拝でまことの安息を得ていたんです。

 私の息子が小さな頃でした。ミニカーが大好きで、礼拝中にも車をシャーッと走らせる。なかなかの音が周りに響きました。そこで礼拝中でしたが、息子と会堂の外に行きました。

 「もし、お父さんがあなたの大切なプラレール壊したらどう思う?」

 「絶対に嫌だ!」

 「今さぁ、お父さんは礼拝出ててさ、プラレールしてるぐらい楽しい時間を過ごしているんだよね。
  でもミニカーを走らせる音で、お父さんの心のプラレールが壊れそうになっちゃうんだ。」

  プラレールというのは息子が大好きな電車のおもちゃでした。怒るのではなく、叱りつけるのでもなく、息子に話しました。


 「へ―っ、そうなんだぁ、わかった。」

 そして、翌週から息子は駐車場ごっこに切り替えてくれたのです。

 「礼拝は静かにしなさい」と言うだけでは子どもたちは神様を嫌いになるでしょう。また、礼拝の間放っておくならば、「神様なんて、こんなものか。」と神様を軽んじる子どもになるでしょう。全力で神様を愛する礼拝者の姿を子どもたちに見せたいと思います。そして礼拝の喜びは義務ではない、喜びと楽しさに溢れたものだ、と子どもたちに経験して欲しいと思います。

 今日もあなたの心に、神様からいただける本当の安息が与えられますようにお祈りしています。


    ( PBA制作「世の光」 2023.2.1放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-120 / 大嶋重徳

2023年04月25日 | Weblog

2023/1/31放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 引き続きルカ福音書を順番に読んでいます。ある安息日に、イエス様の弟子達が麦畑を通っているとき、彼らは麦の穂を摘んで手でもみだして食べていました。安息日は何もしてはいけない、という安息日の戒めを破った、と律法学者たちが言いがかりをつけたのです。

 そもそも私たち日本人の感覚だと、誰かの麦畑の麦の穂を勝手に摘んで食べることもどうかと思います。しかし、聖書の律法では、旅人が食べるものがなくお腹が減ったときに麦の穂は摘んでよい、とされていました。
 また、貧しい人たちが麦畑の麦の穂から麦を摘んで食べても持ち主は止めてはいけない、という律法がありました。ただし、麦を刈り取って袋に入れて持ち帰ると盗みの罪となるのです。
 つまり律法が本来示そうとしているのは、貧しい人へのあるいは旅人への憐れみに満ちたものでした。

 イエス様は言いがかりをつけてきた律法学者に、「あなたがたに聞きますが、安息日にして良いのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか。どうですか。」と問い返されました。律法の目的は飢えていのちを失うことではなく、いのちを守るために律法は作られたからです。

 安息日の戒めもまたそうです。「創世記」、旧約聖書にあるその聖書には、神様が六日間働かれて七日目に世界を祝福し、神様が休まれたから私たちも仕事を休むんです。それまでの六日間、せっせと働いていた手を止めて、ひたすらに神様を仰ぎ、神様と一緒に休む。この日は、あなたもあなたの息子も娘も奴隷も在留外国人も、家畜も休ませなさい、と記されています。自分の家族も一緒に働いている人も休む。むしろ、親が働きすぎることなく子どもたちと自分の両親と一緒に過ごす時間を守ろうと神様が与えてくださった戒めなのです。自分もまたきちんと休める人生を歩むためのものでした。

 聖書は人間を縛るためのものではありません。戒めを破ったら地獄に堕ちるというような地獄に落とすために律法はあるのではありません。あなたのいのちを救おうと願う神が、今週もあなたを守ろうとしておられる。聖書を読み、ご一緒に神の守りの中を歩んでいきたいと思います。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.31放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-119 / 大嶋重徳

2023年04月24日 | Weblog

2023/1/30放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 少し間が空きましたが、引き続きルカ福音書を順番に読んでいこうと思います。福音書では何度もイエス様と律法学者たちとの対立が描かれます。律法とは聖書に記されているもので、神様が人間のいのちと生活を守るためにこうしなさいと命じられたものです。

 しかし、律法学者という人たちは律法をガチガチに守ることで神の救いを得ると考えていました。そして、聖書の言っていることば以上の解釈をし、聖書の数倍にものぼる戒律を作り出し、人々にも守るように求めていたのです。

 旧約聖書で神様が与えられた十の戒めの一つに、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」という教えがあります。そして、その日はいかなる仕事もしてはならない、と記されていました。律法学者たちはこの教えを守るために、仕事とは一体どこからどこまでが仕事なのかと考えたのです。つまり、何を仕事でそれをしてしまったら罪なのか、と考えました。
 例えば何歩以上歩くとそれは仕事になるんだろうかと考え、安息日に行ける範囲はここまでだと自分の歩数を数えることで聖書の教えを守っていると考えたのです。

 ある日の安息日に、イエス様の弟子たちが麦畑を通っているとき、麦の穂を摘んで手でもみだして食べていました。また、イエス様が別の安息日には、会堂に入って教えておられたとき、右手の動かない人を癒されました。するとパリサイ人たちが、「なぜ、あなたがたは安息日にしてはならないことをするのか」と文句をつけたのです。彼らはお腹が減っている人の苦しさや、手が動かずに苦しんでいる人のことが目に入ってはいません。時に宗教というのは、自分自身の主張を肯定するために弱者が犠牲になることも厭わないところがあります。そして、これを守らないと地獄に落ちる、と脅して恐怖を利用し、宗教に没頭させようとします。

 しかしイエス様はそんな束縛に満ちた宗教性を打破しようとされました。「聖書の神様とは、そんな神様なんかじゃない」「神様を信じる信仰はそんな信仰ではない」 イエス様の怒りが聞こえてくるような今週の箇所です。ご一緒に見ていきたいと思います。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.30放送でのお話しより )


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■主の祝福がありますように / 吉行孝彦

2023年04月22日 | Weblog

2023/1/28放送

 宮崎市佐土原町にあります佐土原キリスト教会の牧師吉行孝彦です。

 「主があなたを祝福し、あなたを守られますように」

 礼拝の終わりに祈られる祝福の祈りの一部です。この「神の祝福」ということが、私には長く、何か現実味のないものに思われていました。

 しかし一組のご高齢のご夫妻が、神の祝福の現実を私に教えてくださいました。このご夫妻は、かつて施設のお子さんを一定期間自宅に預かり家庭の温かさを味わってもらう、そのような活動をしておられました。

 あるとき、また一人のお子さんを預かりお世話をされました。

 ところが施設に返す時になったら、その子が「帰りたくない。このままここで暮らしたい。」と言い出したそうです。すでに退職する年齢であったご主人は、ご自分たちの年齢を考えたとき、「この子を大きくなるまで育てられるのか・・・」 そう考えると自信がなかったそうです。やはり施設に返そうと施設に連れて行きました。

 ところがそんなある日、ご主人は夢を見ました。小さな天使がやってきて膝の上に乗り、彼の胸を揺さぶりました。そしてどこからか、「最も小さい者たちの一人にしたのが、わたしにしたのです。」というイエス様のことばが響いてきました。そこで目が覚めたとき、「引き取るのが神のみこころや! 神の憐みにすがろう。」と決めて、そのお子さんを引き取りに施設に行きました。

 お子さんの手を引いて施設を出るとき、空を見上げたら、東の空から西の空までキリストが手を広げて立っておられるのが見えたそうです。「その子の責任はわたしが持つから、あなたがたができることをやりなさい。」 そういう神様の励ましだったのではないでしょうか。

 私がご夫妻にお会いしたときは、そのお子さんはもう結婚しておられましたが、ご夫妻はお子さんを引き取った後の歩みを振り返って、よくこう言われました。「あの子を育てるために必要なものは全部、神が備えてくださった。何も困らなかった。神が全部してくださった。」

 もちろん、たくさんの愛情を注ぎ、苦労して育てられたはずです。しかし振り返ったとき、「神が全部してくださった」と言わざるを得ないほどの神の助けを経験されたのだと思います。それが神の祝福の現実です。

 私はご夫妻との出会いによって、神の祝福の現実、私たちを生かし、助け、支えていくその現実を教えられました。そして、考えてみれば私自身も今日までその祝福に生かされてきたことを思います。

 ですから番組をお聞きの皆様のためにも私は心から祈らせていただくことができます。
 「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。」 旧約聖書 民数記6章24節

 

    ( PBA制作「世の光」 2023.1.28放送でのお話しより )


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■主イエスの救い / 木田博文

2023年04月21日 | Weblog

2023/1/27放送

 「世の光」の時間です。日向キリスト教会牧師の木田博文です。

 はじめに聖書のことばを読みます。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 使徒パウロとシラスは、商業の町ピリピでキリストの福音を宣べ伝えました。そのために捕らえられ、投獄されます。その晩、突然の地震が起こりました。看守は囚人が皆逃げてしまったと思い、責任を感じて自殺しようとしたのです。

 そこでパウロは、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる!」と叫びました。

 看守はパウロに尋ねます。
  「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか?」

 それに対してパウロは先ほどのことばを語ったのです。看守は自殺を思いとどまり、パウロの導きを受け、主イエスを信じました。そして家族も救われたのです。

 救いというと、ある人は貧困、病気、災害などの苦しみからの救いを考えるかもしれません。 しかし、キリスト教の救いは人間ではどうすることもできない罪と死の支配からの救いなのです。罪の赦しと永遠のいのちが与えられる救いなのです。このために主イエスは十字架にかかり、三日目によみがえられました。ですから、誰でも主イエスを信じることによって救われるのです。

 三重県熊野市にサカナイマサルさんというクリスチャンがいました。マサルさんは生まれてから間もなく脳性小児麻痺にかかり、話すことも歩くこともできません。体の自由と言えば、耳とわずかに見える目、辛うじて動く両手でした。マサルさんの心にはいつも不安と恐れがありました。また、自分のことで家族の間に争いが起こり、辛い日々を過ごしました。
 ある日の早朝、ラジオを聞いていると、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」の聖書のことばが聞こえてきたのです。その後、マサルさんはラジオ番組の聖書通信講座を申し込みました。マサルさんは神の前に罪を悔い改め、主イエスを信じたのです。マサルさんの心に神の光が臨み、平安と喜びに変えられていきました。マサルさんの祈りを通してお母さん、お父さん、弟さんが主イエスを信じて救われました。

 神のみことばは真実です。あなたとあなたの家族の上に主イエスの救いが及びますようにお祈りをいたします。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.27放送でのお話しより )


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■心を開く場所を / 山口英希

2023年04月20日 | Weblog

2023/1/26放送

 本日番組を担当する宮崎県宮崎清水町教会の牧師山口英希(ひでき)です。

 平日の午後、教会の中に「先生、ただいま!」という声が響きます。学校帰りの小学生が自ら手をかざして自動ドアを開き、顔を見せてくれるのです。少しの時間ですが、ある子は宿題をやり、ある子は楽器を触り、ある子は絵を描き、ある子はお喋りして帰っていきます。 下手に道端で声をかけると不審者扱いされる時代、静かに見守ると同時に、子どもたちが心を開くことができる場所を提供していく大切さを感じています。

 聖書、イエス・キリストが子どもを招きよせて祝福する場面をお読みします。マルコ10章13節から16節
 「イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』 そして、子どもたちを抱き寄せ、手を置いて祝福された。」
 
 当時、子どもは知識も力も不十分、無価値な存在とさえみられていました。しかし、よくよく子どもたちの世界を見ていると、お互いに宿題を教え合い、ひょんなことから新しい遊びを生み出し、たとえ喧嘩しても「ごめん」と仲直りできる。つまり、お互いの存在価値を高め合うことができる一人ひとりなのだと大人が気づかされるのです。そこには、恐れが逃げ去り、信頼がつくり上げられていきます。

 「神の国とはこのような者たちのものだ」とイエス様は宣言しました。そして子どもを抱き寄せて祝福された場面から、こんなことばが響いていきます。
 「あなたがたは天のお父様の光り輝く宝物です。あなたがたがどんなに怖い闇の中を歩くことになっても、信頼が光となります。神を大切にし、家族を、そしてお友達を大切にしなさい。」

 そろそろ夜明け。闇が光に変わりますね。イエス様の祝福のことばを握りしめ、扉を開けて出かけていきましょう。そして、一日を終えた時、私たちもこの方のもとに、「ただいま」と帰ってきてよいのです。


    ( PBA制作「世の光」 2023.1.26放送でのお話しより )


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■どんな時でも / 印 慶子

2023年04月19日 | Weblog

2023/1/25放送

 「世の光」の時間です。今日は宮崎で牧師をしています印慶子が担当いたします。
 年が明けると、「良い年になりますように」と私たちは願うことでしょう。特にここ数年、私たちはコロナや戦争、自然災害と悲しいニュースばかり耳にしてきました。だからこそ、「今年こそ」と思ってしまいます。

 聖書にこんなお話があります。それはイエス・キリストの話をしたため牢屋に入れられたパウロという人のお話です。

 その夜、彼はこれから自分がどうなるのか分からない中でも、神をほめたたえる歌を歌っていました。そして周りにいた人々はその声に聴き入り、穏やかな夜を過ごしていたのです。

 そんな時、突然地震が起こりました。しかも、この地震のため牢屋の戸が開いてしまったのです。慌てた看守の人は、囚人たちがみんな逃げたと思い、自殺しようとします。しかし、ここでパウロは、「みんなここにいますよ」と言うのでした。

 そこで看守は先ほどまでの歌声、そして、の地震の中でのすべての出来事からパウロにこう尋ねます。「救われるためにはどうしたらいいのでしょうか」と。そしてパウロは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と答えるのでした。

 確かに私たちは幸せな日々、安定した生活を求めます。でもそれらが一瞬にして無くなる世界を私たちは見てきていることでしょう。だからこそ、どんな時でも私たちの心がいつも穏やかに過ごすことができたら、どんなに良いでしょうか。

 実はパウロはとても優秀な人でした。そして頑張って神様に従おうとしていました。 でも、彼は必死に頑張っていく生き方ではなく、自分のいのちを投げ出してまでも私たちを罪から解放することを望まれた主イエス・キリストと出会ったとき、この主と共に生きる解放された心、自由な心で豊かに過ごすことの喜びを知ったのでした。

 今年もまだ始まったばかり。きっと皆さんの365日が良い時もあれば、悲しい時、辛い時もあることでしょう。しかし、どんな時でも神をほめたたえ賛美して行くとき、主はいつもあなたと共にいてくださいます。

 良き一年となりますようお祈りいたします。

 
    ( PBA制作「世の光」 2023.1.25放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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