2020/10/7放送
世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
今日も旧約聖書のモーセの生涯から学んでみましょう。 昨日は聖書が語る神様がエジプトを裁かれた時の神の招きを考えました。エジプトに対する神の裁きは全部で十ありますが、今日は七から九番目です。先の六つの裁きによって、全てに主権を持つ神様のわざが見事に現され、エジプトが偶像視していたものに神の裁きが下ったのです。
第七の裁きは未経験の規模の雷と雹でした。天候を司る神々に豊作を祈っていたエジプトの農作物が大打撃を受けたのです。 この裁きは災害が先に予告され警告されていました。それを聞き入れたエジプト人は被害に遭わなかったのです。半信半疑でも神の言葉に従った者は守られました。神のことばを聞かなかったエジプトの王は、「今度は私が間違っていた。【主】が正しく、私と私の民が悪かった。」(出エジプト記9:27)と告白します。 しかし、災いが去るとまた心を頑なにしたのです。
第八の裁きはイナゴの大群でした。 先の裁きを免れた農作物も想像で絶する大軍の前にはひとたまりもありませんでした。 エジプトでは、この飛ぶイナゴは偶像視され、礼拝の対象でした。しかし、そのイナゴが大切な農作物を食べ尽くしたのです。エジプトの王は、「どうか今、もう一度だけ私の罪を見逃してくれ。おまえたちの神、【主】に、こんな死だけは取り去ってくれるよう祈ってくれ。」(出エジプト記10:17 )と語ります。 そこで神は強い風でその大群を追い払われましたが、王はまたもや心を頑なにしたのです。
第九の裁きは暗闇でした。それは人の交わりを完全に遮断する暗黒でした。聖書はその裁きについてこう語ります。
「人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエルの子らのすべてには、住んでいる所に光があった。」
旧約聖書 出エジプト記10章23節
光が失われたエジプトでしたが、神の民のところには光があったのです。何という憐れみでしょうか。神の民も愚かさを抱えたままでした。しかし、神は民を憐み、光を与え、導き続けられたのです。闇や裁きはエジプトに対するまことの光への招きだったのです。
あなたも招かれているのです。
(PBA制作「世の光」 2020.10.7放送でのお話より )
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