♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■本当の平安 / 森 敏

2024年01月30日 | Weblog

2023/09/26放送

 「世の光」の時間です。福山市にある高島チャペルの牧師の森 敏です。
 ヨハネの福音者14章27節をお読みいたします。
  「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません」

 聖書は、「神を信じれば、すべてがハッピー!」とは言っていません。キリストは、「あなたがたは世にあっては患難があります」とも仰っています。

 あるユダヤ人聖書学者が、「聖書が言う平安は、正確に英語や日本語に訳せないことばである。あえて訳せば パワフル・ピース powerful peace 力ある平安だ 」と言っていました。

  それは肉体的、精神的状況に左右されない霊的平安です。人間的に見たらどこから慰めが来るのかという、平安とはほど遠い状況にあっても、なおかつ保たれる心の深いところにある平安です。私たちのあらゆる状況、あらゆる困難、それらすべてを覆いつくしてしまう、静かであるけれども力ある平安、それがキリストが仰った「わたしの平安」です。
  
 ではキリストは一体この平安をどのように私たちに与えてくださるのでしょうか。

 私たち家族は10年ネパールで奉仕しましたが、同じプロジェクトにもう一人日本の方がおられました。日本キリスト教海外医療協力会から派遣された外科医・伊藤邦幸先生です。私たちは1992年8月に帰国しました。伊藤先生はその一ヶ月後の9月に一時帰国され、アメリカで地域保健医療短期研修に出かけたその旅先で脳梗塞で倒れられ、ベッドから立ち上がれぬ身となられました。
 年が明け、先生から年賀状をいただきました。次の発作が起きたら天に召されることをご存じで詠まれた歌です。
   「誰見ても とりかえばやとは思わざり 62歳の生涯なれど」

 この死にも打ち勝つキリストの平安はどこから来るのでしょうか。哲学者であり医師であった先生は、単純にキリストの復活を信じ、十字架の罪の赦しを信じ、ご自分の永遠のいのちを信じておられました。キリストが与えると仰った平安は、その信仰を通して与えられます。あなたもその平安に招かれています。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.26でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■私の助けは主から来る / 播磨 聡

2024年01月29日 | Weblog

2023/09/25放送

 「世の光」の時間です。広島市にある日本バプテスト広島キリスト教会の牧師、播磨聡です。

 私たちの人生には、時に辛く苦しい時があります。そのような時に私を支えてくれた聖書のことばを紹介いたします。
詩篇121篇1節から2節です。
 1節 「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか」
 2節 「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」

 これは都エルサレムの神殿に巡礼するときに歌われた詩です。1節には、「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか」とあります。これから巡礼を始めるこの旅人は、目の前に立ちはだかる山を見上げて不安を覚えました。この旅路が決して安全で順調なものではないことを知っていました。エルサレムに着くまでに険しい山をいくつも乗り越えなければなりません。盗賊や事故などの危険もありました。「私の助けはどこから来るのか」と恐れを抱いていたのです。

 ところが2節ではその心は一変しています。「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」と。不安と恐れがすべて払拭されたように、「私の助けは主から来る」と確信して語っているのです。

 私はこの1節と2節の間で巡礼者の心に変化が起こったように感じます。魂の底からの嘆きや不安が尽きたとき、神の側から与えられる助けを確信する信仰に変えられているのです。巡礼者は気づきました。自分が恐れていた険しい山。でも実はその山を造られたのは神ではなかったのか、と。神は「天地を造られたお方」です。この険しい山も神が造られ、神が支配しているものだ、と気づいた時、神の御手がここにもあるという確信に変えられたのです。

 私たちの人生もこの巡礼者の旅と同じようなものです。時に険しい山が目の前に立ち塞がり、危機を覚えるときがあります。しかしすべては神の御手の中にあるのです。私たちもこの気づき、「私の助けは天地を造られたお方から来る」ことを覚えて、危機を乗り越えていきましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.25でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■力ある証し / 板倉邦雄

2024年01月27日 | Weblog

2023/9/22放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「力ある証し」という題でお話ししましょう。

 さて今日は、ヨハネ5章36節から38節です。まず36節を口語訳聖書でお読みします。
  「しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている」
 とイエス様は言われました。

 「今わたしがしているわざ」とは、神殿境内にあるベテスダの池のほとりで、38年間、病気のために悩み苦しんでいる人を「起きて、あなたの床をたたんで、そして歩きなさい」と言われてイエス様が癒やした働き・業(わざ)のことです。この業こそ、父なる神がイエス様をこの世に遣わした証しでなくて何でしょうか。

 次の37節で神の子イエスはこう語ります。
  「また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない」

 あとでイエス様は、弟子たちにはっきりと名言しました。
  「わたしを見た者は、父を見たのです」(14章9節) 「わたしと父なる神は一つである」
 と断言したのです。

 ですから、神の子イエス様の声とことばは父なる神様の声であり、ことばでした。

 そしてイエス様は人々にこう言われます。38節
  「また、神がつかわされた者を信じないから、神のみことばはあなたがたのうちにとどまっていない」

 今、人々の前に、顔のある父なる神様がいます。自分たちと同じ声とことばをもって語っているのです。しかし、人々は神の子イエス様を信じて受け入れようとはしませんでした。ですから、神のことばは人々の心と生活の中にとどまることはなかったのです。

 私たちは父なる神の姿を見たことも父なる神のみ声を聞いたこともありません。しかし私たちは、人となられ顔や手をもっておられる神の子イエス様の力ある証しと働きと、そしてことばを通して、父なる神を発見し神のことばが私たちの心と生活にとどまることができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.22でのお話しより )


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■燃えて輝くあかり / 板倉邦雄

2024年01月26日 | Weblog

2023/9/21放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「燃えて輝くあかり」という題でお話ししましょう。

 洗礼者のヨハネのことを神の子イエス様は、「燃えて輝くあかりであった」と語りました。ヨハネの福音書5章の33節から35節です。

 まず、「燃えて輝くあかり」であったヨハネは、真理について証ししました。
  「あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした」
 とイエス様は人々に語りました。

 古今東西の人々は真理を求めてまいりました。様々な考えや教え、哲学や宗教がある中で、真理とは何かを追求してきたのです。なぜならば、真理の中にこそ平和と自由があるからです。ヨハネはその真理を証ししました。イエス様を見て、「見よ! 世の罪を取り除く神の小羊」と、真理のお方を紹介したのです。私たちが、この真理であるイエス・キリストを信じて、罪が取り除かれて罪が赦され、きよめられるとき、自由と平和が訪れるのではないでしょうか。

 そして、続けて神の子イエス様はこう言われました。
  「ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした」

 洗礼者ヨハネはイエス様が登場する前にこの世に現われました。紀元30年ころのユダヤの国はまさに暗闇のような世相でした。暗黒の中に人々は住んでいたのです。洗礼者ヨハネはそのような世相の中に登場しました。そして、父なる神に自分の罪を告白し、悔い改めて水の洗礼を受けて、きよめられるようにと説き勧めたのです。

 ヨハネは、まさに、暗闇に「燃えて輝くあかり」でした。人々は昆虫のようにその輝くあかりのもとに群がり、喜び楽しんだのです。ヨハネは「道であり、真理であり、いのちである」イエス様を証ししながら、ロウソクのように自らを燃やしながら、暗闇の中にいる人々を照らす明日への希望の光となりました。

 ところで、私たちは何のためにこの世に存在しているのでしょうか。私たちを造られた神様と他者のために存在しています。と同時に、他者は私のために存在しています。そのことによって自分の存在が理解できるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.21でのお話しより )


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■金太郎アメ / 板倉邦雄

2024年01月25日 | Weblog

2023/9/23放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「金太郎アメ」という題でお話ししましょう。

 金太郎アメはどこを割っても金太郎の顔が出てくるのです。実は、旧約・新約聖書のどのページを開いても、そこに神の子イエス様が登場いたします。ヨハネの福音書の5章39節からです。イエス様はこう言われました。
  「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである」

 ここでイエス様が言うところの聖書とは、旧約聖書のことです。新約聖書はまだ書かれていません。(新約聖書は)イエス様が亡くなって復活された後の紀元50年頃から書かれました。ユダヤ人たち、特に宗教指導者また旧約聖書の学者たちは、聖書を通して永遠のいのちを得ることを求めていました。モーセの律法の書や預言者のことばを守ることによって生きると信じていたからです。また、詩篇や知恵の書と言われる箴言や伝道者の書を通して、知恵のある人また知恵ある人生と生活を追求していました。しかし、ユダヤ人の歴史を、旧約聖書を読む限り、神の律法を破り続け、愚かな人生を送り続けたということが分かります。永遠のいのちを求めて聖書を調べましたが、自分のものとすることはできなかったのです。

 旧約聖書は、永遠のいのちを持っておられる神の子イエス・キリストについて証言している書物です。父なる神様は、罪を犯し死ぬべき者となり堕落した私たち人間を、どうやって助け救い出すかを計画しておられました。罪の奴隷でありまた死の恐怖の奴隷である私たちを救出するための手段や方法として、救い主をどのようにこの世に遣わすか、その準備をどう手配するか、旧約聖書はやがて父なる神様がこの世に遣わす生ける神の子救い主イエス・キリストについて証言しているのです。

 しかし、人々はいのちを得るために神の子イエス様のもとに来ることはありませんでした。イエス様はこう言われます。
  「あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとにこようともしない」(40節)

 聖書は、この生ける神の子救い主イエス様をただ信じる信仰によって永遠の命の回復を私たちに与えてくださると証言しています。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.23のお話しより )


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■神のみ心を求める / 板倉邦雄

2024年01月24日 | Weblog

2023/9/20放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神のみ心を求める」という題でお話ししましょう。

 神の子イエス様の生涯は、ひたすら天の父なる神様のみ心を求めてやまない生涯でした。今日はヨハネの福音書5章の30節から32節からお話ししましょう。
 
 まずは30節 
  「わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである」

 ここで、「わたしは、自分からは何事もすることができない」とは、「わたしは天の父なる神の子どもであるから、自分の考えや意志では何もしない」と言っているのです。別のことばで言えば、「わたしは父なる神の僕(しもべ)です」と言っているのではないでしょうか。

 次に、「ただ聞くままにさばくのである」 父なる神様のことばを聞いて判断をくだします。ここの「さばく」ということばは聖書学者によりますと、「教え」に属することばでもあると言っています。イエス様は、父なる神のことばである旧約聖書の教えを基準にして教え判断をくだしました。だからイエス様のさばきは正しいのです。

 そして第三に、「わたしのさばきは、私自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたのみ心を求めているからである」と語りました。神の子イエス様は自分の意志だけではなく、自分の理性で考える時も、自分をこの世に遣わした父なる神様の み心を考えて、神が喜ぶことは何かを考え行動したのです。

 もう一つ、神の子イエス様が心がけたことがあります。イエス様は自分で証言する証言は、証言ではないと言っています。自分ですることではなくて、他の二、三人の人々が証言する証言が真実となるのです。イエス様が神の子であることの証言は、すでに旧約の預言者や洗礼者ヨハネによって証言されました。

 とにかく、私たちも神の子イエス様にならって、天の父なる神のみ心を求める人生でありたいものです。父なる神に喜ばれる日々でありたいものですね。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.20のお話しより )


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■墓の中にいる者たち / 板倉邦雄

2024年01月23日 | Weblog

2023/9/19放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「墓の中にいる者たち」という題でお話ししましょう。

 はじめに、ヨハネの福音書5章28節から29節を口語訳聖書でお読みします。
  「このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう」

 この神の子イエス様のことばは、最後の審判の日のことを語っています。その日、その時、すべての死者は神の子イエス・キリストの声を聞いて起き上がり、墓から出てくると言うのです。なぜならキリストにあって死とは眠りです。眠っているので、「起きろ」というキリストの声に死者はむっくりと起き上がるのです。すなわち、私たちの完成された肉体の復活でしょう。私たちは死んで「よみ」と呼ばれる死者の世界へ行きます。イエス様も、十字架で死なれ、墓に葬られ、よみに下りました。すなわち死者の世界に行かれたのです。しかし、父なる神の声によって三日目によみがえり復活されました。そして鍵のかかった部屋に自由に入ってこられ、飲食をし、手足を弟子たちに見せ、四十日間弟子たちや信徒たちに現れたのです。そして天に昇られました。

 神の子イエス様のことばによりますと、「墓の中にいる者たち」は皆、神の子イエス・キリストの声を聞いて、よみから帰って来るのです。すなわち、よみがえり復活するのです。霊ではなく完成された身体の復活です。

 何のためですか。すべての人が最後の審判を受けるためです。父なる神様は、神の子イエス・キリストに裁きのことをすべてゆだねられました。イエス様はこう言われています。「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子であるわたしにゆだねられたからである。」と言っています。

 では、神の子イエス・キリストにゆだねられた裁きとは何でしょう。それは、善を行った人々は生命を受けるため、悪をおこなった人々は裁きを受けるために、それぞれ墓から出て来させられるのです。

 私たちの人生は肉体の死で終わりではありません。しかも、この世での人生が、死後の永遠に行く先の、いのちか裁きかを決定するのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.19でのお話しより )


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■生命(いのち)の泉 / 板倉邦雄

2024年01月22日 | Weblog

2023/9/18放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「生命(いのち)の泉」という題でお話ししましょう。

 「泉」とは、自然に地中から水が湧き出る場所を言います。千葉市に泉自然公園という公園があります。至る所で湧水が出る自然公園です。水はすべての生き物のいのちの源ですね。神の子イエス・キリストのことばは、永遠のいのちに至る源ではないでしょうか。ヨハネの福音書5章26節からお話しします。

 前回、イエス様はヨハネの福音書5章25節で、「よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう」と言われました。どうして、神の子イエス・キリストの声、ことばを聞く人たちが生きるのでしょうか。その理由をイエス様はこの26節で語られています。
 では、ヨハネ福音書5章26節を口語訳でお読みします。
 「それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである」

 天の父なる神様は自らのうちに生命を持っています。ですから、この世界の生きとし生けるもの、すべてのものを生かしているのです。生命をお与えになるのも神様、生命を取られるのも神様です。

 旧約聖書の詩篇の36篇9節に
  「神よ、いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る」
 と詩われています。

 生命の源は父なる神のうちにあります。ですから、同様に神の子イエス様も生命を持っているのは当然ですね。

 ですからイエス様は、ある意味で、天の神様の生命と私たちの間をつなぐ生命のパイプラインのようなお方ではないでしょうか。私たちが心のコックを開き、イエス様の声、ことばを聞く耳を持ち、信仰によってつながりますと、生命の水を私たちは汲むことができるのです。

 イエス・キリストのことばです。
  「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」
             ヨハネの福音書4章14節


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.18でのお話しより )


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■敵を愛する / 中條信治

2024年01月17日 | Weblog

2023/9/16放送

 日本バプテスト連盟宮崎キリスト教会の牧師の中條信治と申します。

 私は10年前まで、福岡市にある教会におりました。教会の近くに筥崎宮(はこざきぐう)という大きな神社があり、その中には、「敵国降伏」ということばが書かれた額が掲げられていました。自分を脅かす存在を敵と位置づけ、自分の存在と立場を守る、相手を降伏させる、ということでしょう。その神社には毎年、福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などのスポーツチームが必勝祈願に訪れていました。

 さて、聖書には、「敵を愛しなさい」というイエス・キリストの教え、勧めが記されています。イエス・キリストの教えは、私たちがすんなりと受け入れることができないものが多くあります。それは私たちの本性や常識、伝統とはかけ離れたものであるからです。「敵を愛する」という事柄は、自分にとっても社会にとっても難しい不可能のことのように考えてしまいます。
 しかしイエス・キリストは、神がどのような方であるのかを語ることによって、私たちに「敵を愛する」ように勧めるのです。イエス・キリストは神について、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」方であると語ります。

 私たちは自分なりに、悪人、正しくない者についての判断基準があり、そのことに基づいて考え、行動します。
 しかし、神様はそうではなく、両者に、すべての人に太陽を昇らせ、雨を降らせてくださるというのです。そして、それこそが天の父である神が「完全」であるということなのです。ここでいう「完全」とは、誤りや欠けたところがないということではなく、すべての人を愛し、分け隔てなく関わってくださるということです。

 神様に愛されていることを、心を開いて素直に受け止め、神様に愛されている自分を肯定し、大切にしましょう。そして、イエス・キリストが自ら実践し教えられた「敵を愛する」人として歩みましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.16でのお話しより )


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■神は万事を益に / 吉⾏孝彦

2024年01月16日 | Weblog

2023/9/15放送

 「世の光」の時間です。宮崎市にある佐土原キリスト教会の牧師・吉行孝彦です。

 私は教会の奉仕の中で、「ああ失敗した、対応が悪かった。本当に申し訳ないことをした」と激しい後悔とともに自分が責められてどうしようもなかったことがあります。また失敗の結果に恐れも感じ、精神的に崩れて行きました。お医者さんから「今すぐ入院しなさい」と言われて総合病院の精神科に入院し、ラジオから流れてくるクリスマスの讃美歌から逃げるようにして過ごしました。

 私は「失敗したぁ」と焦っていましたが、ある日、気づきを与えられました。「神様は、ここまでいつも失敗を補って導いて来てくださったな。あっ、そうだったらベッドに潜り込んでいる今も私は神様の御手の中にいるんじゃないか」 その時、「神が何かをする」という心に響く声というか、印象が魂をよぎったのです。神様が働いてくださるというのです。私の心に希望が生まれました。薬も効いて来たでしょう。しかし、この神様との出会いによって私は不思議なほど急速に回復して行きました。

 あの時、「この状況に解決はあるのか」と、もがいていたのに、今は「あの経験がなかったら、今、何を土台に牧師をしていただろうか」と心から感謝しているのです。
  
 私の入院中、家内は1歳半の子どもを連れて元気に見舞いに来て、私の世話をしてくれました。私は「なぜこの人はこんなに元気なんだろう?」と思いました。しかし考えたら、彼女はその1年半前、産後鬱で7週間、同じ病棟に入院していたのです。でも、その酷い状態から神様に助け出されたのです。だから、経験者の強みで、「この人も必ず回復する」と思うことが出来たのだと思います。
 私の入院中、彼女が教会のことをしてくれました。退院後、ある方に、「家内が元気でいてくれて助かりました」と言ったら、その方が言われました。「神様は、吉行先生が病気になる1年半も前から奥さんを準備しておられたんですねえ」。

 ローマ人への手紙8章28節を新改訳第3版でお読みします。
  「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」

 ある著名な牧師は、「この『すべて』にはあなたの失敗も含まれている」と言いました。私はこのみことばを経験させていただいたように思っています。万事を益として下さる神様とともに生きるということ、何と感謝なことでしょうか。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.15でのお話しより )


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