2024/08/24放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「イエスを取り巻く連中」という題でお話ししましょう。今日は、様々な思いを持ってイエス様を取り巻いている人々に注目したいのです。ヨハネの福音書の7章の25節からです。
さて、エルサレムの都に集まった人々の中で、第一グループの人々はイエス様に対してこう言っていました。
「この人はある連中が殺そうと思っている者ではないか。彼は公然と語っているのに、人々はこのことに対して何も言わない。役人たちはこの人がキリストであることを知っているのではなかろうか。私たちはこの人はどこから来たのか、知っている。しかし、キリストが現れる時には、どこから来るのか知っている者は一人もない」
この第一グループの連中はイエス様を客観的に見ているようです。イエス様がどこから来たかを知っていました。しかしイエス様がキリスト・救い主であることを知らなかったのです。
次にイエス様はこの日も神殿の境内の中で教えながら叫びました。
「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っている。そうだ、わたしは自分から来たのではない。わたしをつかわされた方、神様は真実である。しかし、あなたがたは父なる神を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方の元から来た者で、その方がわたしをつかわされたのである」
私たちにとって知るということは単なる頭の知識ではないようです。相手の心を知り、理解し、分かってあげることではないでしょうか。それを聞いた人々の中でイエス様を捕えようと計画していた第2のグループの人々がいました。これがイエス様を取り巻く二番目の人たちでした。
しかしこの時は誰もイエス様に手をかける人はいなかったのです。イエス様の時が来ていませんでした。
しかし群衆の中の多くの人々、それが第三グループになりますが、イエス様のことを信じていた人々でした。「キリストが来てもこの人が行ったよりも多くのしるしを行うだろうか」 イエス様を信じていたグループの人々は、すべてのユダヤ人が昔から期待した来たるべきキリスト以上の信頼と信仰をイエス様に対して抱いていたのです。
私たちはこの第三グループに入りたいですね。私たちはイエスがキリスト・救い主であることを知っているのです。
( PBA制作「世の光」 2024.8.24放送でのお話しより )
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