世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきねひろおき)です。今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
ま時々、牧師をしていますと、こんな事を聞かれます。「牧師先生、あのー、キリスト教では何か宗教的な毎日行うお勤めはありますか?」ま、その方が言われた意味は、勤行のようなものとして例えば仏前で日課として読経することのようなことを考えていたようで、「あの日曜日のあの礼拝というのも私たちが行うお勤めなんですかねえ、毎週だと結構つらいものがあるんですけれどねえ。」まあこう尋ねられたんですね。
ま、私たちの宗教風土は、私たちが一生懸命宗教的なお勤めをすることによって救いがあるとか問題の解決があるのではないかというふうに考えます。ですから自分の行いや修行というものが中心に来てしまう発想があるんですね。
でも聖書を開くと、驚くことが書かれているんです。それは、永遠の救いはあなたの行いや修行や宗教的なお勤めによっては決して得ることができないと聖書は教えているからです。聖書にはこのように書かれています。エペソ人への手紙の2章の8節から。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」聖書は救いというものは決してあなたの行いによるのではないと言うんですねえ。まあ行いによるのであったとすれば、当然できる人とできない人が出てきてしまって誇る人も出てきますよね。でも聖書は、誰も誇ることのないためだと教えているんです。恵みによって信仰によって救われるという世界があるのですよと聖書は教えます。ですから、あなたが心からイエス・キリストを救い主として受け入れる時、救いはあなたの中に神様からの贈り物として届けられるんですよと教えるんです。
あなたがもし素晴らしい贈り物をもらったとしたらどうしますか? 普通は心から「ありがとうございます。」と感謝するでしょう。まして永遠の救いを与えてくださる神様に私たちが背中を向けていいはずがありませんよね。私たちは宗教的な義務やお勤めに生きるのではありません。あなたのためにいのちを捨ててまで愛し、救い、導いてくださるイエス・キリストそして父なる神様を心から礼拝することに生きるんです。毎週の礼拝は決して宗教的なお勤めではなく、私たちの心からの感謝の現われであり、また神様への応答の時でもあるんですね。
(PBA制作「世の光」2006.01.31放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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