♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■もてなす人 / 山本陽一郎

2024年06月29日 | Weblog

2024/03/16放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 大谷翔平選手。この素晴らしい野球選手の名前は多くの人が知っていることでしょう。毎日カメラがその姿を追いかけ、みんなが注目します。ただ、野球に関わる全ての人が大谷選手のように有名なわけではありません。それでも、名前はあまり知られていなくても、この町にもあの国にも野球に励む人がいて、その人を支える人がいて、その人から勇気をもらっている人がいることでしょう。チームのために毎日働くスタッフ、グラウンドを整備する人、球場の掃除をする人もいます。

 あなたはスーパースターではないかもしれません。あなたが今日を懸命に生きていても、あなたが誰かのために何かをしていても、取材が入ることはないかもしれません。

 けれども神様はあなたをちゃんと見ていてくださいます。そして、あなたの存在を喜んで、あなたの今日の働きを神様のご用のために豊かに用いてくださいます。

 聖書には名も無き人が大勢出てきます。イエス・キリストの弟子シモン・ペテロの姑(しゅうとめ)もその一人で、名前は記されていません。でも彼女は聖書の中で、イエス様に最初の奉仕をした人物として記されています。

 ルカの福音書4章38節、39節
 「イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスにお願いした。イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。」

 姑は癒していただくと「もてなした」、すなわちイエス様にお仕えしました。
 実はシモン・ペテロの家はイエス様の伝道活動の拠点だったと考えられています。つまり、ペテロの姑はいつもイエス様をもてなし続けていたのです。
 さらには、後にペテロが長期間の宣教旅行に出ていた時、留守を守り、彼らのために祈り、支えていたのはこのお母さんだったでしょう。彼女がいたからペテロたちは安心して働きに励むことができたのです。

 名もなき奉仕者が大勢います。福音が世界に広がるために用いられるのです。私たちも今できることで、イエス様をもてなす人として歩みましょう。あなたの働きも神の国を作っているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.16放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■私だけではなく / 山本陽一郎

2024年06月28日 | Weblog

2024/03/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 まだ高校生だった頃、私は同世代のクリスチャンが集まる集会に誘われました。実は当時の私は学校に通えなくなり、病気になり、何をやってもうまくいかない状態でした。
 そんな私の目に、幸せそうなクリスチャンの高校生たちがニコニコしながら過ごしている姿はおもしろくなく、場違いもいいところだと苛立っていた私は、みんなの前で言いました。
 「僕はみんなと違って神なんか信じない。もし神がいるならどうして自分はこんなに苦しいままなのか。なぜ助けてくれないのか。答えてほしい」と。内心、どうだ、何も言えないだろう、と思ったのです。

 ところがその集まりに来ていた先生が言いました。「山本くん。君は本気で神様を求めているね。たぶん将来、君は牧師になるんじゃないかと僕は思うよ」。
 まさかそんなわけはないだろう、と思いました。でも10年後、本当にそのとおりになってしまったのです。

 また、同じ集会で友だちになってくれた人は、こんな私のために祈ってくれました。神様は本当にいて、神様が僕を愛してくださっていることが分かるように、と毎日祈ってくれていました。

 まことの神様は、クリスチャンだけを、神様を信じている人だけを見ているお方ではありません。

 たとえば、イエス・キリストが弟子のペテロの家に行った時のことです。同居していた義理のお母さんがひどい熱を出して苦しんでいました。その時、イエス様はペテロばかり見ていたのではなく、イエス様は姑のもとへすぐに近づいてくださり、彼女を癒やしてくださったのでした。

 クリスチャンでない方には、イエス様があなたのことも愛し見ておられることを知っていただきたいと思います。
 またクリスチャンの方には、イエス様があなただけでなく、あなたの家族や友人、大切な人たちのもとにも近づいてくださるお方であることを覚えていただきたいのです。信仰の世界を「私だけのこと」にしてはいないでしょうか?
 
 かつての私のような無礼な者にもイエス様はご自身の愛を示してくださり、人生を変えてくださいました。イエス様の素晴らしさを知る人があなたの周りに広がっていくようにと心からお祈りをしています。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.15放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■本当に伝えるべきことは / 山本陽一郎

2024年06月27日 | Weblog

2024/03/14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 聖書には病気の人の癒やしが数多く記されています。イエス・キリストの弟子シモン・ペテロの姑(しゅうとめ)もその一人。彼女は高熱で苦しんでいました。
 
 ルカの福音書4章38節
  「イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスにお願いした。」

 この時、姑の熱についてイエス様に伝えたのは家族のペテロではなく周りの人々でした。ペテロは気が動転したのか遠慮だったのか、イエス様に言うまでもないと考えたのか、いずれにしてもイエス様のすぐ横にいながら姑の苦しみを伝えなかったのです。

 あなたにも、ある重要な問題について本当は打ち明けた方が良いのに、何かの思いがあってそれを言わないまま、という経験はないでしょうか。

 クリスチャンは神様に祈ります。ただ、例えば食事の前の祈りは毎日するのに、自分が胸の内でずっと抱えている悩みについては祈らずにいる、なんていうことがあるかもしれません。本当はもっと祈らなければいけないことがあるはずなのに、それを伝えることを避けてしまうのです。そしてイエス様の手を借りずに自分でやろうとするのです。

 でも聖書には、命に関わるような問題や万策尽きた時にだけ神様の助けを求めなさい、とは書かれていません。そうではなく、どんな小さなことでもわたしに願いなさい、求めなさい、と神様は言ってくださるのです。

 ある時、私は自分の中に、「寂しい」という思いがあることに気付かされました。口に出すのは恥ずかしい思いもありました。でも、それを祈りの中で正直に伝えた時、神様はそこに触れ、癒やしてくださいました。

 本当に伝えるべきこと。それは、もしかすると私たちが伝えないでいることの中にこそ潜んでいるのかもしれません。

 あなたには今抱えている苦しみはないでしょうか。正直に告白するべきことはないでしょうか。また、ペテロの姑のように、あなたの周りにも神様の助けや癒やしを必要としている人はいないでしょうか。

 イエス様はあなたのどんな課題も受け止めてくださるお方です。
 今、あなたが本当に伝えるべきことをこのお方に伝えましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.14放送でのお話しより )


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■遠慮はいらない / 山本陽一郎

2024年06月26日 | Weblog

2024/03/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 イスラエルの北部にガリラヤ湖という湖があります。そこに面するカペナウムの町に、今から約2000年前、シモン・ペテロ夫婦の家がありました。

 ルカの福音書4章38節
 「イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑(しゅうとめ)がひどい熱で苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスにお願いした」

 イエス様がシモン・ペテロの家に来られたのですが、同居していた義理のお母さんが高熱を出して苦しんでいたというのです。

 まわりの人々が、「イエス様、どうか彼女を癒やしてあげてください」とお願いしました。
 本来はペテロからイエス様に言うところでしょうし、おそらく誰よりも伝えやすかったと思うのですが、ペテロは身内のことだからと遠慮していたのか、それとも動揺していたのか、自分の家なのにイエス様に何も言わなかったんですね。ひどい熱ということですから、イエス様に移してはいけないと考えたのかもしれません。

 ところが、イエス様は何もためらわず姑のところに向かわれました。

 続く39節にはこう書かれています。
 「イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。」

 姑はイエス様のことばによって癒やされたのでした。

 ペテロがイエス様に言わなかったのと同じように、私たちはイエス様に対して、勝手に遠慮していることはないでしょうか。「自分のことだから」「自分の家族のことだから」「情けない悩みだから」「お見せするのが恥ずかしい状態だから」「こんなことは言うべきじゃないから」・・・。

 違うのです。イエス様は来てくださるのです。私たちが苦しんでいるところにこそ来てくださるのです。そこにこそ、神の権威あることばと、癒やしと助けが必要だからです。遠慮せずに言おうではありませんか。「イエス様、助けてください」「癒してください」「守ってください」「苦しいです」「寂しいです」「悩んでいます」「満たしてください」。

 自己判断の遠慮はやめて、イエス様の癒やしと平安があなたの日常にも与えられるように祈り求めていきましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.13放送でのお話しより )


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■イエスさま最強 / 山本陽一郎

2024年06月25日 | Weblog

2024/03/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 日本では昔から方角や祟りなどに関心を持つ方が多くいます。しかし、恐れであっても好奇心からであっても、霊を軽く見るのは禁物です。
 では、私たちはいつも何かに怯えて過ごさなければならないのでしょうか。

 イエス・キリストがカペナウムの町で宣教活動をしていた時、悪霊に憑(つ)かれた人が現れました。彼は本来の自分自身を失い、大声でわめいていました。

 悪霊というのは、人格を持ち、人に働きかけ、神様に敵対する存在です。一方で、悪霊はイエス様がどんなに自分たちの脅威であるかを知っています。
 その時のやりとりを見てみましょう。ルカの福音書4章34節、35節です。

 「『ああ、ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。』
  イエスは彼を叱って、『黙れ。この人から出て行け』と言われた。
  すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、何の害も与えることなくその人から出て行った。」

 悪霊は人々よりもはるかに明確に、イエス様が神の子・救い主であることを認識して、自分たちが敵わないことを悟っていました。実際にこの時、イエス様はことばだけで悪霊を追い出しました。「黙れ。この人から出て行け」。命じただけで悪霊が従った。そう、イエス様は最強のお方なのです。私たちは、この最強のイエス様がいてくださるということを心に刻みたいのです。

 「昔の話でしょう?」「自分とは関係ないかなぁ」とお感じになる方もいることでしょう。
 でも、私たち人間は、どんなに科学技術が発達しても悪魔と罪に対しては弱く愚かなものです。なぜ戦争が無くならないのでしょう。なぜ傷つけ憎しみ合うのでしょう。人々を愛と希望から引き離そうとする力は今日も働いています。私たちだけではすぐに負けてしまうかもしれません。

 しかし、私たちには最強のお方イエス・キリストがいてくださいます。このお方の権威あることばを聞くくとき、私たちも自分自身を取り戻し、立ち上がり、勝利することができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.12放送でのお話しより )


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■あなたを生かすことば / 山本陽一郎

2024年06月24日 | Weblog

2024/03/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 毎日私たちはこの世に溢れるたくさんのことばに触れています。家庭、職場や学校、スマホの画面の中、メディアの情報・・・。でも、私たちを取り囲むことばは、必ずしも私たちを生かし満たし希望を与えるものばかりではありません。むしろ私たちから希望を引き離し、平安を奪い取ろうとすることばが溢れ、その影響を受けてしまっているのではないでしょうか。

 イエス・キリストがカペナウムという町で人々を教えられた時、人々は驚きました。そのことばに権威があったからです。神の権威に溢れた、人を生かす本物の神のことばだったからです。

 その町に汚れた霊に憑(つ)かれた人がいたと聖書は述べます。悪霊はその人を苦しめていました。彼は大声で叫びます。しかしイエス様は、「黙れ。この人から出て行け」と言われ、ことばによって悪霊を追い出されました。 ルカの福音書4章35節

 ここでもイエス様のことばの権威が強調されています。でも、こんな話、自分には関係のない世界だと感じるかもしれません。昔の話でしょ?と思う人もいるでしょう。

 しかし悪霊は今も働きを続けているのです。戦争、ネット上での誹謗中傷、人間関係のトラブル・・・。私たちは神様に大切に造られ、イエス・キリストがご自身のいのちを投げ出してくださったほどに愛されている存在であるのに、悪霊は実に様々な方法を用いてその愛から引き離そうとするのです。あなた自身の価値を見失わせようとするのです。

 今あなたは、自分を苦しめることばに縛り付けられていないでしょうか。気付かないうちに、それらによって暗い所に引っ張り込まれてはいないでしょうか。

 神様は私たち人間に語ってくださいます。
  「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」 イザヤ書43章4節

 あなたに自由と愛と希望を与えることばを聞いていただきたいのです。神の権威あることばは、今日も語られています。あなたを生かす本物のいのちのことばを聞いて歩んでいきましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.11放送でのお話しより )


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■あなたと共におられるお方 / 持田浩次

2024年06月22日 | Weblog

2024/03/09放送

 「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある三郷教会の牧師、持田浩次です。
 
 十字架で死なれたイエス・キリストは三日目に復活されました。そして復活されたイエス様は、弟子たちとガリラヤの高い山で待ち合わせておられました。そこでイエス様とお会いした弟子たちの中には、まだイエス様の復活を疑う人もいました。

 そのような弟子たちに、イエス様はこう言われました。
  「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」

 「世の終わり」とは「この世界の完成の時」のことです。やがてイエス・キリストが天から来られて、人間の罪が溢れ災害や戦争が続いているこの世界を新しくしてくださる時です。「世の終わり」は、罪も死もない、新しい天と地の始まりの時でもあります。

 復活して今も生きておられるイエス様は、今も、これからもずっと、私たちと共にいてくださると約束してくださいました。

 あなたは決して独りではありません。あなたが嬉しい時も悲しい時もイエス様が共におられます。あなたが元気な時も病気の時も、若い時も年をとっても、死んで天に召される時も、イエス様はいつも共にいてくださいます。

 イエス様は「共にいなさい」とは言われませんでした。イエス様の方から私たちに、いつも共にいてくださると約束してくださっています。

 自分は独りぼっちで寂しいと思わなくてもいいのです。あなたはいつも、どんな時も独りではありません。復活して今も生きておられるイエス様があなたと共におられるのです。

 今日の聖書のことば イエス・キリストのことば
  「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」
                マタイの福音書28章20節


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.9放送でのお話しより )


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■神様のわざが現れるため / 持田浩次

2024年06月21日 | Weblog

2024/03/08放送

 「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある三郷教会の牧師、持田浩次です。
 
  誰でも身の上に何か悪いことが起こると、何か自分に原因があるのではないかと考えます。その原因があったので結果として悪いことが起こるという考えです。

 けれどもイエス・キリストは、これとはまったく違うことを教えられました。
 ある時、イエス様と弟子たちが歩いていると、通り道に目の見えない男の人が座っていました。この人は、道を行く人たちからお金や物を恵んでもらっていました。

 その時、弟子たちがイエス様に質問しました。
 「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」

 聖書の時代のユダヤ人にも「罰が当たる」という考え方があったようです。

 するとイエス様ははっきりと言われました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」

 そして地面の土で泥をこねてから、その人の目に塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」とおっしゃいました。
 そしてこの男の人がそのようにすると、目が見えるようになったのです。

 あなたにも、どうしてこんなことが自分に起こったのだろうと思うような苦しみがあるかも知れません。そのことで自分を責めたり、親を責めたりしなくても良いのです。

 どうかキリスト教会にお越しくださり、そのことを牧師に打ち明けて、牧師と一緒に祈ってみてください。イエス様はきっとその苦しみを用いて神様のわざを現わしてくださると信じます。

 今日の聖書のことば イエス・キリストのことば
  「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです』」 
                  ヨハネの福音書9章3節


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.8放送でのお話しより )


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■罪を赦してくださるお方 / 持田浩次

2024年06月20日 | Weblog

2024/03/07放送

 「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある三郷教会の牧師、持田浩次です。

 ある時、イエス・キリストに弟子のペテロが尋ねました。
 「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」

 誰かが自分に罪を犯したら何回まで赦すべきか、と言う質問です。その頃の聖書の学者たちは、三回までと教えていました。

 ところがイエス様は、「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」と言われたのです。
 聖書では七は完全を表す数字です。ですから七回を七十倍するまで赦しなさいというのは、どこまでも何度でも赦しなさいという意味です。何度でも赦しなさいと言われると、だれでも難しく思うでしょう。私たち人間には、そこまでは無理だと思います。

 けれどもこれはイエス様の赦し方を表しています。イエス様は私たちの罪を何度でも、いつまでも、どんなことでも赦してくださいます。イエス様は、ご自分が嘲られ、両手両足に釘を打たれ、十字架につけられても、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と祈られました。イエス様は、私たちの罪を償(つぐな)うために、身代わりとなって十字架にかかってくださったのです。

 私たちは日々、神様の心に反することを考えたり言ってしまいますが、イエス様は私たちの祈りを聞いて、何度でも赦してくださいます。

 あなたには神様から赦されたいと思うことがありますか? もしありましたら、ぜひ心の中でイエス様に祈ってみてください。イエス様はどんな罪も赦してくださり、あなたの心に安心を与えてくださいます。

 今日の聖書のことば イエス・キリストのことば 
 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」
                     ルカの福音書23章34節


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■探して救ってくださるお方 / 持田浩次

2024年06月19日 | Weblog

2024/03/06放送

 「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある三郷(みさと)教会の牧師、持田浩次です。

 その昔、イスラエルのエリコという町にザアカイという人がいました。彼は税金を集める取税人でした。彼はユダヤ人でしたが、ローマ政府に雇われて、ローマに納める税金をユダヤ人から集めていました。
 その頃、多くの取税人は金額をごまかして余分にお金を取りそれを自分のものにしていたので、人々から「罪人」として嫌われていました。ザアカイはその取税人の頭で、お金持ちでした。

 さて、イエス・キリストがエリコの町に来られた時、町の人々はイエス様を見ようと外の通りに集まりました。ザアカイも見に行きましたが、背の低いザアカイには通りの様子が見えません。そこでザアカイは走っていって、通りにあるいちじく桑の木によじ登りました。木の上から、イエス様を見ようと考えたのです。

 その時、驚くことが起こりました。イエス様が木の下で立ち止まり、上を見上げておっしゃったのです。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」

 ザアカイは急いで木から下りると、大喜びでイエス様を家に案内しました。そしてイエス様の話を聞いたザアカイは約束しました。
 「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。誰かから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」

 イエス様は、どの人のことも受け入れて愛してくださいます。そして、その人のすべての罪を赦して、心をザアカイのように新しくしてくださいます。イエス様は、私たちを捜して罪から救うために来てくださいました。イエス様はあなたのことも愛して、あなたを救うために探しておられます。あなたもぜひ、イエス様と出会ってください。

 今日の聖書のことば イエス・キリストのことば

 「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」 ルカの福音書19章10節

 

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