♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■命を与える神 / 大井 満

2023年10月06日 | Weblog

2023/7/29放送

 「世の光」の時間です。今週のメッセージを担当しました大井満です。

 私は40年にわたって牧師をしてきました。この春で牧師の働きからはリタイアしましたが、お茶の水聖書学院やキリスト教のお話をする働きを今も続けています。牧師をリタイアして一番変わったことは、深夜や早朝にかかってくる電話を気にしないですむようになったということです。つまり、誤解していただきたくないのですが、教会にかかわる方々の生き死にの問題から解放されたということです。

 これまで数えたことはありませんが、何十人もの方々の葬儀をしてきました。病院のICUで病床に横たわる方の死を看取ったこともあります。何度も何度もホスピスに通って死への備えをしたこともあります。交通事故や心臓の発作など突然の死にも遭遇しました。たくさんの方々の死にかかわらせていただいて言えることは、クリスチャンの死には、もちろん悲しみもありますが、それだけではない平安と希望がはっきりと与えられているということです。

 それは、イエス・キリストを信じる人は永遠の命を与えられているという確信と、やがて復活するという希望を持っているからです。

 イエス・キリストはおっしゃいました。
  「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(ヨハネの福音書6章40節)。
 また
  「わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。」(44節)、
  「まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。」(47節)
 ともおっしゃいました。

 「信じる者」というのは、イエスがキリストつまり救い主であることを信じる人ということです。ただ抽象的によくわからないけど神様はいると思うとか、どんな神か分からないけれど何となく信じるということではありません。聖書に書かれている、人としてこの世に来られた神の子イエス・キリストこそ私の救い主であると信じる者には、この世の命や死を超えた永遠の命と復活という平安と希望があるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.29送でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ■共にいる神 / 大井 満

2023年10月05日 | Weblog

2023/7/28放送

 「世の光」の時間です。お茶の水聖書学院の教師で、日本キリスト合同教会の大井満です。

 もうずいぶん前の話です。夜道をわが家に急いでいました。東京の教会で会議があって、千葉県の最寄り駅に着いたのは11時を過ぎていました。公園に沿った、街灯もあまりない夜道を歩いていると、「カサッ!」と音がしました。ドキッとした私はしばらくその場で立ち止まり、耳を澄まして音の正体を突き止めました。それは落ち葉でした。私は怖がりですが、皆さんも何かで恐怖を感じたりすることがあるのではないでしょうか。

 私はそんな時、イエス様のおことばを思い出し、力づけられます。
 マタイの福音書28章20節、マタイの福音書の最後のおことばです。
  「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 これは「大宣教命令」という、弟子たちに与えられた命令に対する約束のことばです。大宣教命令とはこういう命令です。
  「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」(28章19~20節)

 この命令を実行するには大変な困難が予測されます。事実弟子たちは迫害を受け、ほとんどの弟子たちは殉教したと言われています。そんな彼らに、イエス様は「世の終わりまで、いつもともにいる」と言ってくださったのです。

 いつも一緒にいてくださる方の存在は弟子たちにとってどんなに心強いことだったでしょう。イエスはこの後、父である神様のもとにお帰りになったのですから、弟子たちとともにいてくださったのは聖霊なる神様です。

 聖霊なる神様は、イエス様を信じる者のうちに住んでくださいます。そして慰め、励まし、力づけ、ときには私たちの代わりに語ってくださるお方です。私たちがどんなに不安でも、恐ろしく感じているときでも、私たちとともに、私たちの内にいてくださる神様がいらっしゃると知ることができるのは感謝です。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.28でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ■見守る神 / 大井 満

2023年10月04日 | Weblog

2023/7/27放送

 「世の光」の時間です。今週のメッセージを担当します、お茶の水聖書学院の教師で、日本キリスト合同教会の大井満です。

 あるとき孫を連れてショッピングセンターに行きました。孫と遊んでいると、目の前を3歳くらいの男の子が一人で「ママ、ママ!」と泣きながら通り過ぎていくではありませんか。私は孫を妻に託し、その子を追いかけながら近くの店員さんに声をかけました。「男の子が泣きながらお母さんを探しているみたいです」 自分で男の子に声をかけなかったのは、私が不審者に間違えられないためでもありましたが、一刻も早くお母さんが見つかるようにと考えての判断でした。孫のところに戻って遊んでいると、店内放送でお母さんに呼びかけるアナウンスが聞こえました。しばらくして店員さんが私のところに来られて、「お母さんが見つかりました」と報告してくださり、安心しました。

 迷子の男の子にとって、お母さんは自分を見守ってくれるとても大きな存在ですが、あなたにはそういう存在がありますか?

 聖書の詩篇121篇5節にこう書かれています。
 「主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。」

 この詩は神様を礼拝するためにエルサレムへ向かう人々がその旅の途上で歌ったものだと言われています。困難な旅が続いたことでしょう。「右手」とは「右側」を表すことばで、「全身」を意味しています。「主」とは神様のことですから、神様があなたのすべてを守ってくださると歌います。

 また、イスラエル地方の荒野と呼ばれるところでの日中の暑さと夜間の寒さはとても厳しいのです。
 6節にはこのようにあります。
  「昼も 日があなたを打つことはなく 夜も 月があなたを打つことはない。」

 昼も夜も、この厳しい旅の間いつも、神様はあなたを守ってくださる。そのようにお互いに歌い交わしながら、旅を続けていたのでしょう。

 ひょっとしたら今、あなたは孤独の中にいらっしゃるかもしれません。寂しくて眠れない一夜を過ごされたかもしれません。でも聖書の神様はあなたを見守ってくださり、あなたのすべてを守ってくださっています。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.27でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ■忍耐する神 / 大井 満

2023年10月03日 | Weblog

2023/7/26放送

 「世の光」の時間です。今週のメッセージを担当します、お茶の水聖書学院の教師で、日本キリスト合同教会の大井満です。

 先日、電車の乗り換えのために街を歩いていました。私自身はめったに通らないところでしたので、あちこち周りを見ながら歩いていたのです。すると、あるラーメン屋さんの前に大勢の人がいるのに気づきました。行列してラーメン店に入るのを待っている人々でした。30人くらいはいたでしょうか。私は行列してまでラーメンを食べることはしませんから、テレビでは見ていても実際に自分の目で見たのは衝撃でした。
 けれども、ラーメンを食べるために行列している人々を見た時に私は神様のことを考えました。神様は私たちのために忍耐してずっと待っていてくださったのだと思ったのです。

 ガラテヤ人への手紙4章4節から5節をお読みします。
 「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下(もと)にある者として遣わされました。それは、律法の下(もと)にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした」

 「時が満ちて」とありました。神様は時を待っていてくださったのです。人間を罪から救い出すための究極の方法を実現するその時を、ずっと待っていてくださいました。そして、今だ!というタイミングで、独り子をお送りくださったのです。今からおよそ2000年前、あのクリスマスの出来事です。

 なぜあの時だったのか。ある人は言います。世界の共通語としてギリシア語が使われるようになっていたので、福音が世界中に伝えられるのに良いタイミングだったのだ。「すべての道はローマに通じる」と言われていたように、交通網が整備されていたからだ。そうかもしれません。でもそれなら現代の方がもっと良かったでしょう。高速交通網が整備され、インターネットで情報はあっという間に拡散します。ですから、そこには合理的な理由などないのです。私たちのタイミングではなく、神様のタイミングです。それまでずっと忍耐してくださった神様のタイミングで、神様は私たちのために救い主をお送りくださり、今も私たちが神様のもとに帰っていくのを忍耐して待っていてくださいます。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.26送でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■命を捨てる神 / 大井 満

2023年10月02日 | Weblog

2023/7/25放送

 「世の光」の時間です。今週のメッセージを担当します、お茶の水聖書学院の教師で、日本キリスト合同教会の大井満です。

 私が年に何度か草刈りをする土地があります。雪が溶ける頃、たくさんのふきのとうが顔を出し、やがて一面、フキの原になります。そして初夏を迎えると、フキの間からニセアカシアが何本も芽を出して、ぐんぐん成長してきます。実は数年前まではそんなことはなかったのですが、ニセアカシアの大木を切り倒してもらった後から、たくさん芽を出すようになったのです。

 イエス・キリストは、ご自分の生涯の終わりが近づき、もう間もなく十字架に架からなければならない時が来るとわかった時、こういうことばを語られました。
 「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」

 ご自分を一粒の麦にたとえられたのです。イエス様の時代の人々は、麦を畑に蒔くとその麦は土の中で朽ちていき、そこから芽が出て成長し、たくさんの麦が実を結ぶことを、よく見て知っていたことでしょう。

 イエス様はご自分の十字架での死をこのように一粒の麦にたとえられたのです。事実イエス様は十字架で死にましたが、三日目によみがえられました。イエス様がよみがえっただけだったら、一粒の麦が一粒の麦を実らせたに過ぎません。しかし、イエス様は多くの人の初穂・先駆けとしてよみがえられたのです。

 コリント人への手紙第一15章20節に次のように書かれています。
 「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」

 イエス・キリストが自分の命を捨てて十字架で死んでくださり、三日目によみがえられたことによって、イエス様を信じて従う多くの人々にも、キリストと同じ復活の命を与えてくださったのです。ニセアカシアの話をしましたが、私たちもやがてあのニセアカシアのように、復活の命を持って生きるのです。

 私たちを愛しておられる神は、ご自分の命を、いや愛する独り子であるイエス・キリストの命を捨てるまでして、私たちへの愛を表してくださいました。この神様の愛が、今日も私たち一人一人の希望となりますように。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.25送でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする