ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

佐保神社(1)由緒

2006年06月29日 04時43分02秒 | Weblog
佐保神社の由緒について
社の町の起源は佐保神社であるといってまちがいはないでしょう。
 それは、社・「やしろ」という地名は、古い検地帳などに「佐保社村」、「佐保村」、「そうの社」などの名が見られることからも明らかです。
 佐保神社の由来は古く、養老6年(722)遷座説をはじめ諸説ありますが、今から1300年も昔、奈良時代以前に遡ると考えられています。
 その由緒をたずねると、はじめ佐保大明神は、加西の鎌倉峯に天降ってきたのですが、針間鴨国造(はりまのくにのかものくにのみやつこ)の子孫である阿部三郎太夫が神託によって今の場所に遷したとされています。
 佐保神社はその後、鎌倉時代に大いに栄え、鎌倉幕府の尼将軍政子(北条政子)によって社殿や八町四方に鳥居がつくられました。今も西八町のところにある鳥居地区の西の端に石の鳥居が立っています。
 明治6年、当時の飾磨県から郷社に、そして明治14年(1881)に兵庫県から県社に指定されました。明治政府は、神社に社格をつけ、官幣社、国幣社、府縣社、郷社・村社に大きく分けました。官幣社は皇室から、国幣社は国庫から例祭に神饌幣帛料が奉られる社格の高い神社とされました。府県社は府県全域から崇敬を受ける神社、郷社・村社は郷村域から崇敬される神社をいいました。
 旧加東郡(現加東市・小野市域)では、県社に指定されたのは佐保神社一社で、そのほか、郷社8社、村社45社、無格社158社となっています。(旧『加東郡誌』による)
 楼門の前に立っている石柱には「縣社佐保神社」と刻まれ、今はその字が埋められていますが、はっきりと読み取ることができます。
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