77年前の昭和13年(1838)7月、支那事変が起きてからちょうど1年が経ったころ、郷土から召集されて出発する兵士を見送るべく、その通知が社町長から各区長ら関係者に出されています。
早朝、社駅(現JR社町駅)からの出発には、家族はじめ多くの人が武運長久を祈って見送ったのでしょう。
当時の社区(現加東市社)の軍事関係文書綴に綴じられている通知を紹介します。
昭和十三年七月十日
社 町 長
区 長 殿
町 会 議 員 殿
各学校、団体長殿
応召兵出発ニ付歓送ニ関スル件
今次臨時召集下令ニ依リ応召セラルル柴垣廣次君(窪田)左記
ノ通リ出発セラレ候条君ノ壮途ヲ旺ナラシメ度ニ付多数御見送
リ相成様御配慮賜リ度此段通牒旁々御依頼申上候
記
七月十二日午前六時四十五分 社駅発列車ニテ出発
早朝、社駅(現JR社町駅)からの出発には、家族はじめ多くの人が武運長久を祈って見送ったのでしょう。
当時の社区(現加東市社)の軍事関係文書綴に綴じられている通知を紹介します。
昭和十三年七月十日
社 町 長
区 長 殿
町 会 議 員 殿
各学校、団体長殿
応召兵出発ニ付歓送ニ関スル件
今次臨時召集下令ニ依リ応召セラルル柴垣廣次君(窪田)左記
ノ通リ出発セラレ候条君ノ壮途ヲ旺ナラシメ度ニ付多数御見送
リ相成様御配慮賜リ度此段通牒旁々御依頼申上候
記
七月十二日午前六時四十五分 社駅発列車ニテ出発
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