ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

山氏神社と義経お手植えの松

2006年06月20日 10時50分33秒 | Weblog
山氏神社
前々回紹介した「さんがい」交差点から商店街をさらに北に向かって少し歩くと、時計店の角から東に参道がのびています。これが山氏神社(やまうじじんじゃ)の参道です。山氏神社は「やもりさん」(「やんもいさん」)とよばれています。
 この神社の氏子は元、広野屋と号する肥田氏一族で、肥田氏の氏神とされています。肥田氏は広野屋の屋号があるように、「広野」とよばれた社の原野を支配してきた古い豪族です。伝説によれば、多田氏の娘、八重が義経にお茶を出したことがきっかけで、義経は家来の土肥弥太郎遠平と結婚させ、土肥の肥と、多田の田をとって肥田の姓を名乗らせたといわれています。
 ちなみに「ひろの」とは、社市街地の東側に広がる原野をさし、「ゆらの」は西側一帯の呼び名だったようです。「ひろの」も「ゆらの」も社の古い地名ですが、今も地名や公共施設、あるいは屋号などに使われて歴史を伝えています。

義経お手植えの松
さて、山氏神社の境内の銀杏の木の東の奥まったところ、西向きの社殿の北側に、玉垣で囲まれた一角があります。そこには大きな松の切り株と石柱が立っています。
 石柱には、「源九郎判官義経お手植の松」と刻まれています(「社の義経伝説」の写真)。これは三草山の合戦に勝った義経が社まで軍を進め、自ら戦勝を祈願して松を植えたとの伝承をもとにしたのもです。
 今は松の大木はなく、小さな松の木が数本生えているだけですが、土地の古老の話によれば、かつては大きな松の木が生えていたとのことです。
 ところで、昭和30年代に、山氏神社の境内にサーカスがやってきて興行をしました。大きなテントが張られ、中で、オートバイが球状の金網の内側をエンジン音を唸らせながらぐるぐる回転していたことが排気ガスの匂いとともに記憶に残っています。
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