ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東郡の郡役所

2006年06月21日 04時15分19秒 | Weblog
加東郡の郡役所
 平成の大合併によって「加東市」が誕生しました。加東市の場合、社町、滝野町、東条町の3町が合併して生まれたのですが、この3町は加東郡という区域だったので、加東郡が加東市になったような感じを受けます。しかし、加東郡という区域はあっても、市や町といった地方自治団体ではありませんでした。
 現在の地方自治制度は、県と市町村から成り立っています。この県と町村の中間に「郡」という地方自治体が置かれていた時代があったのです。
 明治12年(1879)、「郡制」が実施され、それまで兵庫県第三大区とよばれていたこの地方は「加東郡」と改められました。区域は今の加東市と小野市を合わせた区域でした。「郡」には郡長が任命され、郡役所が設置されて、町村を指導したり、問題の解決にあたったりしました。 
 加東郡の郡役所は、はじめ社村の持寶院の西の一乗院(明治初めに廃寺となる)を仮庁舎として置かれました。ここには、飾磨県時代(明治4年に置かれた県で、区域は今の播磨地方)に社出張所が置かれていました。
 明治32年(1899)に、社村の上町に庁舎が新築されました。場所は今の社一区のコミュニティセンタ-がある辺りです。そして、郡制が廃止される大正15年(1926)まで郡役所が置かれていました。写真は、コミュニティセンター周辺で、ここに郡役所があったのですね。
 古老の話では、昭和初期には、郡役所の前の道路だけが舗装されていたということです。また、郡役所が廃止されたあとも地元の要望で兵庫県の役所の出先機関が引き続き置かれ、加東郡の行政の中心となっていました。
昭和17年(1942)、地方事務所が設けられることになり、旧郡役所の建物に加東地方事務所が設置されました。昭和25年(1950)には、新しい庁舎が建てられました。しかし、県の社総合庁舎が国道175号線(バイパス)沿いに新築移転したあとは、静かな住宅地になっており、ここが明治以降ずっと旧加東郡の行政の中心だったとは気付きませんね。

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