ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

裁判所と警察署のあと

2006年06月22日 05時54分27秒 | Weblog
裁判所
 社には裁判所があります。その歴史をさかのぼってみると、裁判所が置かれたのは、今からおよそ130年ほど前の明治11年のことで、姫路治安裁判所の社出張所として設置されたのでした。
 その後、明治23年に社区裁判所が設置されました。大正時代には、いったん廃庁になり、姫路区裁判所の社出張所になったりもしましたが、その後、復活しました。
 今の裁判所がある場所は元県立社高等女学校がありました。元の裁判所は、銀座通りから東に向かって中央公園にのびる道を、みなと銀行から少し東に行ったところの突き当たりにあったのです。今は法務局の庁舎がその敷地の一部に建っています。
 古老の話によれば、昔は銀座通りを裁判所に向かう人々が列をなしていたこともあるそうです。

みなと銀行は元社警察署あと
今、「みなと銀行社支店」のある場所に、兵庫県社警察署がありました。写真の通り、歴史を感じさせる立派な建物で、昭和3年(1928)に完成しました。
 ところで、社に警察が置かれたのは明治11年(1878)のことで、明石警察署の社交番所として、旧加東郡の北部を管轄しました。翌年に分署(今の警察署のようなもの)に昇格し、明治21年には、人々の拠出金で本町筋に庁舎が建てられました。そして、明治26年には社警察署に昇格しました。
 警察の仕組みは戦前、戦後を通じていろいろ変化してきましたが、戦後の一時期、国警と自治体警察が置かれ、社町には昭和23年から26年まで「社町警察」(自治体警察)が置かれました。その後、自治体警察は廃止され、29年に兵庫県社警察署となりました。
 今では、警察署も市街地を離れ、国道175号線と372号線が交差する現在地に新築移転しました。市街地には環状線から嬉野に上がる嬉野口交差点に時計台のあるしゃれた交番が設置されています。
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2 コメント

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32年住んでますが・・・。 (ふじー)
2006-06-22 22:40:48
きーもから聞いて覗きに来ました!



自分自身この社に住んで32年経ちますが



社の昔の事についてはほとんど知らないので



すごく勉強になります。私が小さい頃は、



まだ今のみなと銀行のところに警察の建物が



在った気が・・・?ただあんな立派だったか?



建替え後の物だったのか、警察として活用



していたのかも忘れましたが、たしか端の方



の部屋の窓にだけ鉄の格子があり、よく親に



「悪い事をするとここに入れられるんで!」



と言われていた覚えがあります。



今でこそ寂れた商店街になってしまった



社町商店街ですが昔は劇場なんかもあり



かなり賑わっていたと聞く事もあり凄く



昔の町並みに興味にが沸きます。



いろいろ忙しいでしょうが、これからも



ふるさとの事を紹介して教えて下さい。
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初コメントありがとうございます (ブログ管理人)
2006-06-27 08:13:42
コメントありがとうございます。

社は近世から北播磨地域でも有数の在郷町として栄えてきましたし、明治維新以後は国、県、郡の政治行政、経済の中心地として重要な役割を果たしてきました。そんなふるさと社ですが、時代の流れか年々寂しくなっています。街角を歩くと、古い歴史を伝えるものが数多く残っています。それらを少しずつ再発見して歴史的な価値を見いだしていきたいと思っています。

旧社警察署の堂々たる建物は残してほしかったと思いますね。補修なども加えて、地域歴史館といったものに活用するとかね・・・。

この写真は我が家の写真帳にあったものですが、年代ははっきりしませんが、同じ写真帳には郡役所や裁判所の建物が写っていますから昭和の前半のものでしょうね。

劇場のことを書いておられますが、佐保座(佐保劇場)のことでしょう。あらためて書きたいと思います。これからもブログ覗いてください。情報もくださいね。

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