ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

お菊虫伝説の真相は・・・

2006年08月02日 04時58分50秒 | Weblog
播州皿屋敷の話とは・・・

前回、播州皿屋敷の話云々と書きましたが、その話を知らないという方のために、少し紹介します。

 姫路城が造られる前の頃、その地を支配していた城主の家来が城の乗っ取りを企てたのです。そのことを知った女中の「お菊」は企てがあることを知らせ、城主の危機を救いました。乗っ取りをたくらんだ家来は、「お菊」に仕返しをするため、家宝の皿を一枚隠し、その責任をお菊になすりつけて殺し、井戸に投げ込んだのです。
 それからは、夜ごとに井戸の中から皿の枚数を数えるお菊の悲しそうな声が聞こえたといいます。

お菊虫の正体は

 さて、お菊さんについてはまあお分かりいただいたと思います。問題は、「お菊虫」とは何なのか、です。一説には「みの虫」のようなとあります。しかし、どうもすっきりしません。
 調べてみますと、江戸時代の中頃(1759年)に播州地方でジャコウアゲハが異常発生したらしいのです。時代も地域も符合しますね。ジャコウアゲハのさなぎは、見ようによっては、着物姿の女性が木にしばられているようにも見えます。人々はこれを播州皿屋敷の話につなげて「お菊虫」と呼んだのではないでしょうか。
 下滝野の庄屋屋敷の庭にこのジャコウアゲハのさなぎが大発生し、お菊虫の伝説が生まれた、のではないでしょうか。

お菊虫は蝶になった?

 滝野町老人クラブ連合会編「たきの・つたえぐさ」第二集には、下滝野の長谷川純子さんの「お菊虫について」の話が収録されています。
伝承の内容は、お菊の悲しみが虫と化したというもので、だいたいストーリーは同じです。近所のお年寄りの「お菊虫は蝶になり、口の辺りに赤い紅をさして飛んでいる蝶をよくみかけた」という話も紹介されています。
 これは「お菊虫」とよばれた虫が、実はジャコウアゲハのさなぎであったという説と符合するのです。「口の辺りに赤い紅」云々がお菊さんの悲しい身の上を思う人々の気持ちがこもっているように思われます。

 お菊虫の言い伝えは、下滝野だけではなく、他にもあるようです。 
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