ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和8年-郷土兵遺骨凱旋の日の父の日記

2015年11月26日 04時48分02秒 | Weblog
 昭和8年(1933)の父の日記を読んでいると、5月13日の頁の上欄の豫記欄に「末永忠男君町葬」と書いてあるのが目に止まりました。

 以前、この歴史ブログで紹介した「遺骨凱旋の郷土出身兵」の名前でした。当時の社区(現加東市社)の諸通知綴に戦死通知から遺骨凱旋の出迎え、町葬にいたる一連の通知文が綴じられており、ブログで紹介したものです。これは、「県政資料シリーズⅡ」(平成27年5月発行)にも収録しています。末永忠男さんの名前は社の忠魂碑の満支事変の一番最初に刻まれている名前です。当時、町青年団は遺骨出迎えや葬儀委員などを務めていました。父の日記より町葬関係部分を紹介します。

五月十三日  末永忠男君 町葬

満州の団山子附近で名誉の戦死をした歩兵伍長末永忠男君の町葬だ。十日に遺骨を迎えて今日の晴れの日だ。初夏の気分も横溢に照り輝いてゐるのでその暑さに今さら閉口し得ざるを得ない程だ。十一時中川君を呼んで団旗を奉持して鳥居に出迎えに行った。そして又引返して町の学校に残ってゐる団員を気遣って学校に引込んでゐるのを出して出迎えの指揮に当った。一時半小学校庭に於て始まって午後四時迠かかって終了解散。
~後略~


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