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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

メタモルフォーゼン(リヒャルト・シュトラウス)

2015-07-15 20:57:55 | 音楽一般
先週アップしたシュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」、ここでツヴァイクはリヒャルト・シュトラウスに歌劇「無口な女」の脚本を提供することになったが、それはまさにヒットラーの台頭で両者とも危ない、早くどこかへのがれた方がいい時期だった。ツヴァイクは敏感だったが、シュトラウスは近親にユダヤ人がいるにもかかわらず、自分のポジションに自信があったのか、単に楽観的だったのか、鈍感だったのか、ある意味大物であった。結局はナチに屈するが、1942年に自死を選んだツヴァイクより後まで、1949年まで生きる。それは複雑な晩年だったはずだが、この人はしぶとい人でもあったようだ。
 
このメタモルフォーゼン(変容)はナチス崩壊直前の一か月間で作曲された23独奏弦楽器のための曲、すぐにわかるようにベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の葬送行進曲の主題を取ってきている。したがって、こういう時期の、この国の、作曲者の心象を象徴したものであることを、聴く者が想定することは、シュトラウスも承知の上だっただろう。ただそれにしても、完成度の高い見事な曲で、弦楽合奏のものとしては「カプリッチョ」の前奏曲と同様、魅力あるものとなっている。
 
ツヴァイクはそのときのシュトラウスについて、批判はしていないが理解は困難なようだった。この曲はそういう一筋縄ではいかない想いを、くりかえしくりかえししつこく叙述しているようにきこえる。
 
この曲、そう録音は多くないと思うが、聴くとなればそれはカラヤンだろう。戦中、戦後、いろいろ批判もされ、それに対して明には申し開きしてないが、思うところは多くあるはずで、だからこの曲への執着は強いに違いない。ベルリン・フィルとは1969年と1980年の録音がある。両方取り出して久しぶりに聴いた(30センチLP)。
 
1980年のものは、もうカラヤンが生涯かけて納得いくものを残したいと思ったか、曲の構造がよく見通せ、それが曲の説得力をいや増しにする、なんともすごいとしか言いようのない演奏である。1969年のものはこれより少しテンポがおそく、比較すると明解ではない。ただそこのところが、自分の頭の中で、なにか想念の周りをいつまでもぐるぐる回っているようで、これも興味はつきない。