メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」

2015-01-13 21:29:52 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」
指揮:フランス・ウェルザー・メスト、演出:ハリー・クプファー
クラシミラ・ストヤノヴァ(ウェルテンベルク侯爵夫人)、ギュンター・グロイスベック(オックス男爵)、ソフィー・コッシュ(オクタヴィアン)、モイツァ・エルトマン(ソフィー)、アドリアン・エレート(ファニナル)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団
2014年8月14日 ザルツブルグ祝祭大劇場 2014年11月 NHK BS
 

「ばらの騎士」はもっとも多くの回数見ているオペラかもしれない。それだからか、こうしてまたきれいな映像で見ていると、いろんなことに気がつく。
 

このホフマンスター原作の世紀末の作品、主役のひとりとして「時間」がある、ということはこれまでも言われてきたように思う。たしかに時間の経過、それに対する各人の思い、悲しみは全編を通じて織りなされていく。そしてその中で最後に前に押し出されるのは、若い世代のカップルで、侯爵夫人は未練に曳かれながら、道をゆずり肩を押し、それで幾分自己を肯定していく。その一方でオックス男爵は、地位としての横暴、男としての社会的性的な横暴が砕かれ、追いやられていく。
 

この中で以前から不思議に思っていたのは、オックスへの仕打ちがあまりといえばしつこい、なぜ?ということ。注意して見ているとわかってくるのだが、オックスは田舎に領地を持っているがそれほど大きいわけではなく、ウィーンにもうといしあまり好きではない。貴族としての地位だって高いとは言えず、そう知られてはいない。だから最後のあたり、それでも演ずる歌手が音楽的にばかりでなく、見かけも演技も立派であってはじめてドラマとしてバランスが保てる。
 

それに比べればオクタヴィアンは一番のもうけ役、侯爵夫人の若い愛人(つばめ)でなんと17歳、銀のばらを届けた相手ソフィーと今度は相思相愛になってしまい、最後は計略も大成功、侯爵夫人からも背中を押され祝福される。
さて今回見ていて、そうかと思ったのだが、こうやってオクタヴィアンのいろんな面をちょっとねえと見させているのは、オクタヴィアンに対する批評性かもしれない。こうして時代は、世代は移っていく、うまく切り抜けていくものはいて、それでこそ継続性は保たれるのだが、さてそれでそこにペシミスティックな想いは出てこないだろうか。
 

歌手は先の「ウェルテル」のシャルロットで初めて知ったソフィー・コッシュ(オクタヴィアン)を除くと初めて知った人ばかり。そのコッシュはシャルロットでも凛々しい感じがしたように、ここでは男装の麗人といってよく、侯爵夫人が好きになりそうなのもわかる。
 

侯爵夫人のストヤノヴァ、姿も歌もぴたりとあって、これまででもトップクラスと私は思う。
オックス男爵のグロイスベックの男爵、歌も演技も文句ないけれど、風采がモダーンすぎるかなと思う。
エレートのソフィー、ソフィーはこういう感じがいい。コッシュとならぶと同じくらい身長はあるのだが顔に幼さもあり、二人の重唱は見ていて、聴いていてうっとりする。
 

とここで欲を言えば、コッシュのオクタヴィアンはズボンが似合いすぎていて、本当はもう少し女性の体つきが残った姿、というのが男性から見てかもしれないが、このオペラを見る楽しみなのだが。そして先に書いたオクタヴィアンに対するホフマンスタールの批評性を具現化するために、シュトラウスの発案かどうかは確かめていないが、女性にズボン役でやらせて観客にいろいろ考えさせるとすれば、そこはあと少しだったかと考える。
 

演出は、特に舞台がちょっと変わっていて、貴族屋敷の室内を思わせる背景・道具がほとんどなく、モノトーン主体の屋外(公園)と室内が切れ目なくつながっていて、それをむしろ利点として照明でいろんな細工をしている。また植物園の巨大な温室みたいなものも。壁、床、衣装など、ワインカラーとモスグリーンなどの色使いに慣れた目にはちょっとした驚きだった。
 

ウェルザー・メストの指揮は、長く手慣れたウイーン・フィルだからか手堅くたるみはないけれど、全体に明解なダイナミック、早めのテンポがちょっと過ぎる感もあり、この作品ではやはりサビのところはもうすこししっとりしてほしいとも感じた。
 

ところで「ウェルテル」を見て、シャルロット(コッシュ)の妹ソフィー役のリゼット・オロペーサにズボン役を期待してしまったのだが、すぐ後にコッシュのオクタヴィアンを見るとは思わなかった。彼女の方が上記のイメージではある。そして不思議なのはコッシュのファースト・ネームはソフィーで、この二つの作品でどちらもソフィーという役名の女性が近くにいる。

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歌舞伎座 初春大歌舞伎

2015-01-09 21:36:21 | 舞台
初めて歌舞伎を見に行った。これまで映像でもしっかり見たことはない。たまたま歌舞伎座のチケットが手に入った。
昨年建て替えられた歌舞伎座、地下鉄東銀座から入ってすぐのところはチケットを持っていない人も入れるデパ地下のようなもので、弁当、お菓子、記念グッズなどの売り場がたくさんある。
 

さて初春ということだからか、演目(今回は夜の部)は新しい、親しみやすいもののようで、1時間前後のもの三つというのは、初めての者にはありがたかった。
 

最初の「番町皿屋敷」、皿屋敷というと怪談かと思っていたがこれは岡本綺堂作の近代劇であり、旗本の男の腰元に対する恋の無念を描いたもの、こういう話だったのかという感が強いとはいえ、ドラマとしては納得がいった。旗本は中村吉衛門、しだいに熱くなっていくところはさすが。
 

次の「女暫」は、登場人物を舞台の雛壇にそろえた顔見世みたいなもので、激した源氏の権力者に対し「しばらく」と登場する巴御前(坂東玉三郎)が見もの。荒事の「暫」を女形が演じる面白さだそうで、女形の演目としては特殊なんだろうが、ともかく玉三郎を見ることができたのはよかった。
 

芝居が終わって幕外で玉三郎とすでに前に出番が済んだ吉右衛門で、フィギャー・スケートのエキジビション/アンコールみたいなコントみたいなものをやったのにはびっくりした。「御馳走」というのだそうだ。玉三郎が花道を去っていくのに、吉右衛門にねだって六法を教えてもらうという趣向。
 

最後の「黒塚」(木村富子作)はおそらく能がもとなんだろうが、荒野の鬼女の凄絶な情と舞。猿之助の踊り、杵屋の長唄囃子連中はすごいとしかいいようがない。猿之助の舞は猿翁(先代猿之助)がロシアのバレエの要素も取り入れたそうで、驚き続けで見ていた。
 

知らないことが多いし、オペラグラスは持って行ったが、眼のいい方ではないから、イヤホンガイドを借りたが、解説は驚くほど巧み、的確な情報を邪魔にならないタイミングで入れてくる。これも一つの芸だ。

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マスネ「ウェルテル」(メトロポリタン)

2015-01-07 21:48:08 | 音楽一般
マスネ:歌劇「ウェルテル」
指揮:アラン・アルタノグル、演出:リチャード・エア
ヨナス・カウフマン(ウェルテル)、ソフィー・コッシュ(シャルロット)、デイヴィッド・ビズィッチ(アルベール)、リゼット・オロペーサ(ソフィー)
2014年3月14日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2014年12月WOWOW
 

作品も上演も文句なしだった。
WOWOWでメトロポリタンの映像を見ることが出来るようになって数年、数あるオペラでもそこそこ有名で評価が高い、また一応見ておきたいものはほぼ見尽くしたと思うのだが、唯一この「ウェルテル」だけは未だだった。しかもレコード、CDで音だけ聴いたこともない。
 

とにかく望みがかない、しかもカウフマンのウェルテルだからかなりいいとは予想できたが、失礼、それ以上だった。
まずこの作品、ゲーテの原作から約100年、もっとも原作を読んではいないのだが、今回みるかぎりこれはやはりマスネの時代にぴたりとフィットしたものなのだろう。前半はウェルテルの一方的な想い、後半になるとシャルロットの中の情念が強くなってきてクライマックスとなる。ワーグナーがこれもやはり古代の題材を彼の頭の中にもってきた「トリスタンとイゾルデ」に近い禁断の恋ではあるが、「ウェルテル」では、母親の遺言にあった相手と結婚し、父親からもいろいろ言われるシャルロットだが、イゾルデほどの締め付けという感ではない。だから作曲者はそして見る者はより感情移入しやすいと言えるだろう。
マスネの音楽は充実していて、オーケストラも聴きごたえがある。
 

カウフマンのウェルテル、情熱詩人の歌唱も、もちろんあの姿も、男の私でも見ていて飽きない。リリック・テノールとしては少し強い声なので、ドミンゴほどではないが、表現が強すぎるかなというところもあるけれど、後半なんかはこっちの方がいいだろう。これを聴いていると、やはりこのひと、ワーグナーではローエングリン、パルシファル、ジークムントあたりがよく、ジークフリートはやらないだろうし、その方がいいと思う。この声は大事にしてほしい。
 

コッシュのシャルロット、前半のどちらかというと貞節が勝っているところから後半だんだんそれを脱ぎ捨てていく変化の表現が素晴らしい。また声質、容姿がそれにあっている。ヨーロッパではこれも当たり役でカウフマンとも共演しているらしいが、METは初登場だそうだ。
 

シャルロットの妹ソフィー役のリゼット・オロペーサが姉と対照的な明るさと健気さをうまくだしている。実はウェルテルを慕っていることもこちらによくわかる。いくつかの演目でズボン役をやってもいいかもしれない。
 

指揮のアルタノグルは30代後半の新世代らしいが、音楽がドラマにより添っているところなどしっかり振れている。
 

演出のリチャード・エアは映画監督でもあるという。あの「アイリス」(ジュディ・デンチ、ケイト・ウィンスレット)の監督ときいて、なるほど、ちょっと濃い表現が多いかなと思った。それは話の筋としてはいいが、舞台は場面によってはもう少し明るくしてもいいのではないだろうか。
 

ところで、全曲を聴いたことない「ウェルテル」であったが、30年くらい前だろうか、この役でたいへん評価が高かったのがアルフレード・クラウス(1927-1999)で、かなりレパートリーを選別していたように思う。日本にもファンは多く、ソロのリサイタルもあったはずだが、聴いておけばよかった。

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川瀬巴水 展

2015-01-05 16:30:06 | 美術
川瀬巴水展 -郷愁の日本風景-
日本橋高島屋8階ホール 2015年1月2日(金)→12日(月・祝)
 

川瀬巴水(はすい)(1883-1957)という人については、その木版画をどこかで見たことはあったかもしれないが、ほとんど知らなかったと言っていい。この間テレビで紹介があったにしても、人気は高いようで、盛況だった。百貨店での開催ということもあるのだろう。
 

歌川広重のあと、こういう風景主体の版画が見事に続いていたわけである。大正から昭和にかけ東京を中心にした、全国にわたる旅の記録というものが多い。技術的にも特に水の、水面への反射の描きかたなど、見事な上に、情緒的には広重より今の人に近しい感もある。
でも、定番の「日本の風景」より、中に少し近代の要素が入った、つまり建造物、乗り物、庶民などが入ったものが面白い。
 

巴水については、かのスティーブ・ジョブズがまだそれほど有名でないころ、一人で銀座の画廊に入ってきて気に入った一枚を買って帰った後、秘書から店にあるもの全部買うと言ってきた、というエピソードが知られているようだ。今となってはこれも巴水の人気に貢献しているようだが、浮世絵に続いた木版画というジャンルを考えれば、ポジティブに考えていいと思う。

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マーク・プライヤー「古書店主」

2015-01-04 15:26:07 | 本と雑誌
「古書店主(The Bookseller)」マーク・プライヤー著 澁谷正子訳(2013年12月 ハヤカワ文庫)
 

パリを舞台にした推理・サスペンス小説、パリの情景をうまく(多分)取り入れ、のんびり読んでもいい。
 

主人公はパリの米国大使館外交保安部長、元CIAの友人が時に手助けする。話は親しくなっていたセーヌ河畔の古書店主(ブキニスト)が拉致され殺される。パリ警察と外交官という微妙な関係に悩みながら、というか、つまり過激なアクションは避けながら、知り合った女性記者と一緒に事件を追求していく。
 

古書の世界を文化として扱うに加え、麻薬の闇取り引きとからめていくプロットは、多少複雑なところはあるが、まずまず。
パリを舞台にフランス人を主人公、という形だと、アクセントをつけにくいだろうが、そこがこの作品のミソかもしれない。
 

このパリのアメリカ人(?)はシリーズ化されるらしい。

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