メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ナイロビの蜂

2006-05-22 22:10:07 | 映画

「ナイロビの蜂」(2005年 英)を劇場で見た。
監督はフェルナンド・メイレレス(ブラジル人)で「シティ・オブ・ゴッド」(2002)というリオ・デ・ジャネイロの貧民街を描いた作品で世に知られるようになったらしい。
原作はスパイ小説の大作家ジョン・ル・カレ。

物語は、アフリカの貧困の弱みにつけ込んで薬品の治験を続けている世界的大製薬会社の追求活動をしている女性テッサがケニアで殺害される。彼女の夫ジャスティンは対照的に庭いじりが好きなイギリスのナイロビ駐在外交官(原題のThe
Constant Gardener はこのことを意味する)。ジャスティンはテッサの死因に不審をいだき、大きく複雑な陰謀の追求が始まる。この過程と併行してフラッシュバックで彼と妻との出会いから最後の別れまでがつづられる。
 
宣伝文句からはこの夫婦愛と不正への憤りが予想されるが、映画では肩透かしというか、動機、情熱ともそれほどインパクトある表現とはなっていない。
むしろそういう重い背景を持った推理とサスペンスの映画としてよく出来ている。最後まで退屈しなかった。
 
これには、アフリカの映像の魅力(セザール・シャローン)、そのカットの編集(F・メイレレス)、アフリカ音楽と音響(アルベルト・イグレシアス)の総合が際立って優れていることが寄与している。それらを見ることを目的にしてもいいくらいだ。
 
そういう結果であるが、映画としてはこれでいいと思う。無理に原作にこだわる必要はない。
ジョン・ル・カレの作品は「死者にかかってきた電話」(1961)から「パーフェクト・スパイ」(1986)までほぼ全部読んだ。それからは大分時間がたっており、記憶はあやしいけれども、小説は場面展開以上に心象の記述が詳しく、効果的な映画化は容易でないだろう。そのためか少なくとも日本に入ってきた映像化作品は少ない。
 
登場人物の心象に関する部分は、これから原作を読む時に味わうこととしたい。
 
 
テッサ役のレイチェル・ワイズ、これでアカデミー助演女優賞をとったが、予想通りの演技。ジャスティンのプレゼンテーションに過剰な非難をしてしまう出会いのシーンとその後の対照が印象的である。

ジャスティン役のレイフ・ファインズは本当に庭いじりが好きそうな静かな男、「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1986)の時のハリソン・フォードをさらに繊細にしたような雰囲気で、
まさに適役。
しかしこのレイフ・ファインズ、あの「レッド・ドラゴン」(2002)ではまさにその異常なレッド・ドラゴン役だったのである。あの裸になったときの刺青、、、

そしてイギリスのちょっと悪い高官ペレグレンを渋く演じるのはビル・ナイであるが、「ラブ・アクチュアリー」(2003)では主役の一人、いかれた老いぼれロッカーであった(怪演!)。
 
さらにいえばテッサの活動を理解し助ける知的て静かな女性を演じるのはアーチー・パンジャビだが、彼女はあの「ベッカムに恋して」で自分の結婚に妹の主人公インド人少女がサッカーをやるのが障害と考えているやかましい姉の役で、これも今回同じ人とはわからない演技であった。
 
このあたりプロの俳優だからとはいえ、イギリス映画界の奥の深さということにだろうか。

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