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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ベッカムの綴り

2006-05-12 22:55:04 | 映画
ブログは日記やメモのようなもの、といっても公開する以上は2~3回見直している。
それでも校正というほどにはいかずいくつか間違えてしまった。気にしてもしょうがないが、昨日5月11日のものは、ベッカムの綴り。
 
Bechkamは誤りで正しくはBeckham
 
そこでどうせならと考えてみたのであるが、これはおそらくベック+ハムだろう。イギリスの地名にバーミンガム(Birmingham)、ノッティンガム(Nottingham)などがあるが、これと同類と考えられる。
 
hamは古い言葉で町とか村を意味するらしい。一方beckはというと、これは標準の英語では「うなずき」、「手招き」、イギリスの方言では「小川」、「谷川」という意味もあるらしい。(川本茂雄編 ニューワールド英和辞典1971)
 
後者つまり「小川の傍の村」ということからきた地名転じて家名と推測するのが自然だが、「うなずき」というのも面白い。なぜなら「うなずき」からは体の「カーブ」が想像されるからだ。
  
今度のW杯でベッカムは自分のプレーにうなずくことができるだろうか。

ベッカムに恋して

2006-05-11 20:27:19 | 映画

ベッカムに恋して(2002年 英・米・独)

映画には題名、この場合は邦題を見て引いてしまうものがある。この題名に記憶がなくもないが、もしその後のキーラ・ナイトレイの目立ち方がなければ見なかっただろう。

この映画、実はスタッフのほとんどがインド人という変わったもの。イギリスにおけるインド人社会のサッカー大好き、ベッカム大好き少女がある女子サッカーチームに入り、ステップアップしていく物語である。この主人公を演ずるのはバーミンダ・ナーグラ、もう一人の有望白人少女がキーラ・ナイトレイ。

話はたとえて言えば「エースをねらえ」(スポ根)と「渡る世間、、、」をあわせたようなもので、コーチとの葛藤、恋のさやあて、家族の無理解、人種問題、同性愛などなんでも入っている。しかしあまり深刻にならずに、インド映画によくあるのだろうが宴会や踊りのシーンもたっぷり入り、深刻にならずいいコメディとなっている。

原題は Bend it like Bechkam だから、ベッカムのようにカーブをかけろということだろう。
ただ、こういうシーンになるとCGをうまく使うでもなく、出演者を日本の「ウォーター・ボーイズ」、「スイング・ガールズ」のように鍛え上げてもいないので、物足りなさはちょっと残る。

さてクライマックスで流れるのは歌劇トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」で、4年前からこれは勝負曲であったし、荒川静香の選択は正しかったというとこだろうか。

もうひとつついでに、若い人たちが乗っているのはなぜかほとんど日産車で、マーチ(あちらではマイクラ?)やプリメーラの使われ方は興味深い。


F・グルダのモーツアルト

2006-05-10 21:20:31 | ピアノ

F・グルダ モーツアルト・アーカイヴ

グルダは1980年頃に多くのモーツアルトのピアノソナタを私的に録音した。なんらかの事故でオリジナル・マスター・テープはなくなってしまったらしいのだが、カセットテープが残っており、それからリマスタリングして今回モーツアルト・アーカイヴというCD3枚組でDG(ドイツ・グラモフォン)から発売された。タワーレコードで買ったのは輸入盤(3190円)で、こっちのタイトルはずばりモーツアルト・テープである。

演奏家が故人になるとこういう不思議なテープが出てくるのだろうか。カルロス・クライバーの「田園」も、まさかこの曲の録音があるとは思わなかったのだが、息子がライブをカセットにとっていたそうだ。

それでも聴けばまさしくこれがグルダ以外の誰の演奏でもないことは誰でもわかる。録音は必ずしも良いものではないが、小さな部屋で彼の演奏の本質を味わうのに何の不足もない。

ベートーベンのピアノソナタ全曲録音にも共通するが、快速なテンポで、新鮮な眼で楽譜を読んで引き飛ばしていけば、そこから曲の本質はおのずから出てくる、それを瞬時に感じ取って展開していけばいい、そういう心地よさとまさに正しく対象を捉えたというかたちがある。この瞬時というのは他の人では多分出来ない。
だからモーツアルトのピアノソナタをはじめてこんなに続けて聴けたのかもしれない。

しかし、これだけの数をまとめて録音したのを見て誰でも不思議に思うというか不満に思うであろうことは、どうしてあのイ長調K.331トルコ行進曲付とイ短調K.310がないのだろうかということである。
前者はこの数年前にamdeoに録音したものがあり、そのLPも持っており、それは見事な演奏であるが、K.310はこれまでにも録音があったという記憶がない。

この名曲はなかなかいい録音がない。数少ない短調だから曲に表情、陰影を感じるのだろうか、たいていの場合はタッチを変えたり、強弱もつけすぎたりして、速度感が変になってしまうのである。持っているものでも、比較的新しいペライアがそうだし、かっては名演と思っていたあのリパッティでさえ今聴くとそうである。

そういう中でグルダの演奏はそうならない期待というと変だが聴きたかったのだ。まあこんな演奏になるだろうと頭の中で鳴らすしかない。

それでもグルダに感謝。


エイトメン・アウト

2006-05-09 22:30:44 | 映画

映画「エイトメン・アウト」(1988年米)、BS-2を録画したものを見た。
これは有名な1919年のシカゴ・ホワイト・ソックス八百長試合事件いわゆるブラック・ソックス事件を扱ったものである。そのシーズン、ホワイト・ソックスの成績が良かったにもかかわらず球団からの報酬が低いことから、選手達に不満が鬱積したところへ賭け屋につけこまれ、ワールド・シリーズで八百長試合をしてしまった。

選手の中でも積極的にかかわったもの、まじめで成績も良かったがそれに対する評価の低さや生活のためから試合で手を加えたもの、試合では普段どおりのプレーをし必ずしも金を受け取ったわけではなかったが八百長が行われている事実を報告しなかったもの、この3種類の人たちがいる。この最後のグループに主人公のバック(ジョン・キューザック)とジョー・ジャクソン(D.B.スウィーニー)いわゆるシューレス・ジョーがいた。

事件のあと大陪審で選手は結局無罪になるのだが、メジャーリーグがこのような状態ではいけない抜本的な対策を、ということでコミッショナーに呼ばれた赤狩りで辣腕を振るった元判事は全選手の追放を言い渡した。

おそらくほとんどの良心的な人々は、自分がその立場にいたら最後のグループの人たちと同じ運命をたどった、と思うだろう。例の映画「フィールド・オブ・ドリームス」でも象徴的に扱われているジョー・ジャクソンに対して、ファンが言ったという「うそだと言ってよ、ジョー」という言葉にこの背景、なんとも重い。

だからこそトウモロコシ畑から出現させたのだろうか。

映画としては、登場人物が多く、誰がどういう役割だか覚えられないという感じが残るが、後味はいい、むしろ作り手のベースボールに対する誇りが逆説的に表現されている。

因みに、新人の年間最多安打記録は長い間この攻守走そろったジョー・ジャクソンが保持していた。これを破ったのがイチローだそうである。

監督ジョン・セールズ
ジョン・キューザック、D.B.スウィーニー、クリフトン・ジェームズ、チャーリー・シーン

チャーリー・シーンはこのあと野球づいたのか「メジャーリーグ」(1989)、「メジャーリーグ2」(1994)に出演、ジョン・キューザックとは「マルコヴィッチの穴」(1999)で共演している。その「マルコヴィッチの穴」でキューザックの妻の役をやっているのが意外にもキャメロン・ディアス。

そこでさて気がついたのであるが、キャメロン・ディアスは「ベスト・フレンズ・ウェディング」(1997)でジュリア・ロバーツと共演しているが、その役はなんとシカゴ・ホワイト・ソックス オーナーの娘(本当に可愛い)である。

というわけで、話はもとにもどった。!


ドミノ

2006-05-07 18:42:26 | 映画

ジョン・ウェインが製作・監督・主演した「アラモ」(1960)の中で、トラビス大佐という登場人物は印象的であった。これをクールに演じていたのがローレンス・ハーヴェイ。

この人の実の娘ドミノの半生をもとにした映画「ドミノ」(2005年米)をDVDで見た。劇場で予告編を見たのだが、何かあまりにもせわしなさそう、あまりにもやかましそうなんでレンタルになるのを待ったということになる。ローレンス・ハーヴェイとのかかわりがなければ見なかったかもしれない。

ドミノは両親が離婚、その後有名人の娘によくあるパターンだが学校で問題を起こしたりいろいろあったあげく、あるきっかけで保釈保証人のbounty hunter(賞金稼ぎ)になる。保釈金を肩代わりした対象者が逃げたときにそれを捕まえる職業らしい。男2人と3人組でかかわる事件に、 金持ち、ギャング、人種問題、アフガン問題、TV番組の行過ぎ、警察の腐敗という多くの要素がつぎ込まれ、派手なアクション、サスペンスがフラッシュバック多用の中で続く。本当のドミノが遭遇した事件ではこんなに派手に銃をぶっ放したりしなかったそうだ。

出来はなかなかで、何か話がよくわからないところがいくつかあるのに終わりまで退屈せずに見てしまった。公開時は評判悪かったようで、独りよがりな映画とい意見がもっぱらだった。

これは監督トニー・スコットの作り方なんだろうが、見終わった後、観客各人の中で、たくさんの要素が各人各様にからまり動いていくということを狙ったものかもしれない。

もっとも最初字幕で見ると、言葉を目で追いかけるのにいそがしく、多くの登場人物の顔を覚えられないし、キーになる仕掛けを理解できてないということがある。だからもう一回それも日本語吹き替えで見てようやく納得がいった。これはしょうがないだろう。

ドミノ役のキーラ・ナイトレイ、よくやったというほかない。同じ時期に「プライドと偏見」でエリザベスを演じていたのも驚きである。

親分役のミッキー・ローク、もちろん「白いドレスの女」(1981)以来、「ナイン・ハーフ」(1985)の後来日してボクシングをやったりしたものの、必ずしもきわもの俳優ではないと思っていたが、ここでは強くて渋い演技。相棒役のエドガー・ラミレスも存在感があるし、クリストファー・ウォーケンはこのところこういう変な役が多いが本当に達者である。(「ステップ・フォード・ワイフ」とか)

ドミノの母親役がジャクリーン・ビセット(当時61歳)、本当に顔の細かいしわを見ると感慨深い。こういうのは女優魂というのだろうか、最近他にもキャンディス・バーゲン(今年60歳)が「ハッピー・フライト」に出ていたし、昨年73歳でなくなったアン・バンクロフトは「冷たい月を抱く女」、「僕たちのアナバナナ」でのアル中老婆役が本当に見事であった。

映画全体を通して所詮人生はコインの表と裏というトーンがあるけれども、これは神の不在ということだろう。派手だが乾いた場面の連続がなぜか深刻ではない。神がいないのだから深刻でなくても当然ということなのだろうか。そうだとしたら、トニー・スコットの狙いは当ったことになる。

映画「ドミノ」のもうひとつの特徴として音の使い方がある。音楽は時々象徴的にうまく使われているが、それよりも音響効果音の入れ方がうまく、またそれの迫力が際立つ。
旧式TVに10cmの外部スピーカーをつけただけのもので見たのだが、この構成でこれまできいたことのない低音がすごい。音源によってはここまで出るということだろうか。