メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ショスタコーヴィチ最後の弦楽四重奏

2007-01-17 22:52:34 | 音楽一般
昨年が生誕100年のショスタコーヴィチ、たいていはこういうのをパスするのだが、どちらかというと苦手の作曲家だったからむしろこの際少し探検してみようかと、集中して聴いていたが、この弦楽四重奏曲としては遺作となった第15番(作品144)は年を越してしまった。
 
このジュリアード弦楽四重奏団が2006年始めに録音したCD(SONY)、他に第3番(作品73)、第14番(作品142)、ピアノと弦楽のための五重奏曲(作品57)がカップリングされた2枚組、輸入盤で1990円だった。
第15番は評判高い曲ながら、四重奏全曲のセットもの以外に入手しにくかったところへ、このCDが出たのはうれしい。
 
さて、よく知られるようにこの曲は交響曲第15番、本当に最後の曲となったヴィオラ・ソナタとならんで、作曲家最晩年だからなのか、異様なところがある。
まずこの録音で36分の曲は6楽章からなるが、その全てはアダージョである。だからといって感覚的にやさしいというわけではないが、各奏者のボウイング中に音があまり変わらないためか、スタティックなところはある。
 
でも、やはりこの作り方ではちょっと冗長さが目立ってしまう。それともこれは、ここまで生きてきた作曲家の、単純な、生きているということの愛おしさが自然に出たのだろうか。
もちろん、悲痛なフレーズもあり、人生全体を静かに振り返ったといえるところもあるのだが。
 
こういう受け取り方は本来すべきではないと思っていたのだが、この作曲家については様々な情報が入ってしまうからそうなるのだろうか。
 
それにしても、比べてしまうのはベートーヴェン。
晩年の弦楽四重奏曲でも、その緊密見事な構成・進行の中に深刻、諦念、静謐などがうかがわれたとみていると、早いパッセージで「さらば、ケッケッケ」と哄笑とともに終わってしまうことがよくある。これはモーツアルトにも誰にもない、天才の別れの台詞である。 
 
今回のジュリアード弦楽四重奏団、久しぶりとあって、ヴィオラのサミュエル・ローズ以外はなじみのない名前である。
調べてみたら随分前から代わっていた人もいて、記憶にあったのは30年以上前の構成であったようだ(このころベルク、ウェーベルンならば彼らでないとちょっと信用できないというポジションであった)。
それでも第一ヴァイオリンのロバート・マンは1997年まで半世紀ほど務めていたというのだから驚く。
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