メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」(カラヤン ウイーン)

2007-01-21 21:25:54 | 音楽一般

ヴェルディの歌劇「イル・トロヴァトーレ」、1978年5月1日ウイーン国立歌劇場、オーストリア放送協会(ORF)によるライブ録画DVD(発売TDK)。
指揮・演出:ヘルベルト・フォン・カラヤン、
ピエロ・カップチルリ(ルーナ伯爵)、ライナ・カバイヴァンスカ(レオノーラ)、フィオレンツィア・コッソット(アズチェーナ)、プラシド・ドミンゴ(マンリーコ)

このオペラを目で見るのは、レヴァイン指揮メトロポリタン(1988)のビデオ以来だが、このヴェルディ中期の作品がどうしてこんなに人気があるのか、初めて納得できた。
とにかく四人の人気実力備えたスターキャストをそろえる必要があって、それが実現したときの音楽のドラマはなかなか比べるものがない。ただそれでもヴィジュアルな助けは感情を入れていく上で必要であるのだ。

いくつもの有名なアリア、重唱ではカーテンコールがあるから、当然そこでドラマはとだえる。が、それは次のシーンに入って少しするとかまわなくなってしまう、というのはヴェルディの不思議な力なのだろうか。
 
四人は、レオノーラをはさんだ恋敵のルーナとマンリーコ、そしてマンリーコの母親アズチェーナ、今回あらためて、このオペラの主役はアズチェーナだったと気づいた。(いまごろ?と言われるかもしれないが)
 
まあこのコッソットの聴かせること、見せること。中でも重唱でお互い感情的に正反対のことを歌うシーンがいくつかあるが、そのときの声の表情、相手とバランスをとり、美しさを失わないながらも、明瞭にきかせたパフォーマンスは際立っていた。恋にかかわる三人と、母子の愛憎を表現する一人だから、難しいポジションなんだが。
 
以前、音だけでよく聴いていたのは1963年のセラフィン指揮ミラノ・スカラのLPであるが、なんとここでもアズチェーナは
若干28歳のコッソット、43歳の今回に先立つこと15年というのも驚きで、どれだけ彼女の評価が高かったかがわかろうというものである。
 
カバイヴァンスカはコッソットより少し年長で、レオノーラとしては華やかさにかけるが、この役は他の三人に比べるとその出来の影響は小さい。
ドミンゴはまだ若くて、直情的なマンリーコにぴったりだし、終盤コッソットと歌う「(故郷の)山へ帰ろうよ、、、」は絵になる。

ルーナという役柄は、魅力があるとはいいがたいが、そのちょっと暗めのバリトンを活かすヴェルディの音楽からか、人気があるバリトンの当たり役であって、前記LPでも歌は華があっていいものの演技は大根といわれたエットーレ・バッスティアニーニであった。この歌唱はすばらしく、あの姿だから実際に聴いたらどんなに素晴らしかっただろう。
そこへいくと、カップチルリは目をつぶって聴けばいいのだろうが、姿を含めてだと同じヴェルディでもやシモンやフォスカリといった激情と忍耐をバランスさせる「父親」というイメージから抜け切れない。まあ、これは贅沢な悩み。
 
そしてカラヤン、このときは体調もまだよく、機嫌もよかったようで、この快調なオーケストラに身を任せれていれば、ドラマは緩むことなく進んでいく。
特に、第一幕、と休憩後の第三幕のはじまり、登場して拍手が終わらないうちにさっと振り向き、軽い感じですうーっと入っていく。なんともかっこよく、見事。
特に第三幕では、拍手が盛んすぎて、振り向いたときにオーケストラが一瞬緊張したとみたのか、まず楽員たちを立たせ拍手を浴びさせて、座ったと見ると、今度もまだ拍手が続いているうちにいいタイミングで入った。
 
確かリチャード・オズボーンのカラヤン評伝にあったと思うが、カラヤンは曲の入り方に独特の考え方を持っていて、最初の音の出だしが必ずしもぴたっとそろうことに集中しすぎると、音楽がかたくなるというためか、最初は適当に入り、ほんの少し後の瞬間であわせるということがあったらしい。カラヤン・フリークのカルロス・クライバーが何かの曲の入りに悩んでカラヤンに聞きにいったときの話だったと思う。
 
カラヤンの演出は一般に評判が悪い。今回もシーンのつなぎが良くわからないという指摘はあったらしい。しかもカメラはアップが多いからなおさらストーリーに首をかしげることもある。ただこのオペラはどうやってもあんまり演出の効果は出ないのではないだろうか。このDVDで見る分にはそんなに不都合はない。

今回あらためて気づいたこと。
最後にアズチェーナが一言で秘密を明らかにし、ルーナは瞬時にこれを理解する。
最初全体がもっと長く、ヴェルディがかなりカットした結果なのだろうか。ただ、これは賢明だったかもしれない。その結果このドラマは、アズチェーナから見て、復讐の話というよりは息子への愛の話になったのだから。

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