メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プッチーニ「トゥーランドット」(メトロポリタン)

2023-08-04 09:24:45 | 音楽一般
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:フランコ・ゼッフィレルリ
クリスティーン・ガーキー(トゥーランドット)、ユンク・エイヴァソフ(カラフ)、エレオノーラ・ブラット(リュー)、ジェイムズ・モリス(ティムール)
2019年10月12日 ニューヨーク・メトロポリタン  2021年11月 WOWOW
 
2019年のシーズン開幕でライブ配信されたもので、セガンにとっては初めての役割だったようだ。録画してあったのだが、なぜかそのままになっていた。
 
ゼッフィレルリが演出でこれを見るのは初めてかもしれない。彼が演出した「ボエーム」(指揮はカルロス・クライバー)はライブで見たことがあって感銘を受けたが、プッチーニの作品でボエームは音だけでも深く味わえるけれど、「トゥーランドット」はヴィジュアルの要素が入らないと難しいと思う。
 
話がかなり荒唐無稽なのもあるが、あの宮殿前の合唱とオーケストラの迫力ある流れはまさにゼッフィレルリとしてもやりがいがあって、特にこの人の衣装、美術の徹底が活きるところ。
この話、トゥーランドットとカラフの描き方は他の作品と比べて集中的ではなく、もう少し大きな広がりの中で進めていくように見える。
 
王女と先帝の専制体制ではあるものの、先帝の心配、役人の苦しみ、特にピン、ポン、パンが故郷を思い出してため息をつくところなど、映像と合わせてみた方がいい。
 
三つの謎ときがクリアされてしまい、それでもカラフの名前をめぐって、カラフの父チムールと従者の女性リューの葛藤が終幕まで続くが、以前からカラフを愛するリューが拷問されて名前をいってしまうのをおそれて自害してしまうところ、昔の話ではあるがどうも「身を退く」という感じで、台本でも工夫がほしかったところ。
 
最後は二人の口づけ、つまり男と女のシンプルな愛が勝つという答えで、これがこのオペラをこの位置に導いたのだろうか。
ユーラシアの様々な国、民族同士の軋轢がプライドと絡まっているのも考えてみたいところではある。
 
このオペラ、プッチーニ最後の作品で、これの初演を依頼されていたトスカニーニは、リューが死んだところでタクトを置き、作曲者はここで亡くなりましたと言って終わりにしたそうだ。
後にあらかじめスケッチを託されていた弟子が完成させた。
 
歌手は皆申し分ない。ガーキーが最後人間味を出してくるところもいいし、リューのブラットも共感を呼ぶ。カラフも王子としてのリリカルな歌が一途でタフなところをうまく出している。
モリスのティムール老、年取って演ずるのもいいものだ。
 
ところで、カラフといえば「誰も寝てはならぬ」、これはパヴァロッティ、と思い出して50年前のLPレコードを取り出してこの箇所を聴いてみた。メータの指揮、サザーランドのトぅーランドット、カバリエのリュー、ギャウロフのティムールという豪華キャストで、英デッカ録音。
パヴァロッティはリリカルというよりドラマティックで、もちろん美声ではあるが、その強さでトゥーランドットを圧しているようにも聴こえた。しかし久しぶり、楽しんだ。
 
セガンの指揮、この作品は合唱、オーケストラ合わせて大音響でドラマを雄弁に語ることが求められていると思うが、それが得意なメトだとしても、見事な指揮。
 
あと、この上演とは関係ないが、ディズニーの「アナと雪の女王」は「トゥーランドット」に影響をうけていると思う。

 

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